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中井延也「井上靖文学碑」 旭川の野外彫刻(18)

2021年01月22日 09時18分13秒 | 街角と道端のアート
(承前)

 旭川信用金庫本店前の角を曲がると、緑橋通沿いにこの碑が建っています。

 文学碑を野外彫刻に数えるのはいかがなものかという人もいそうですが、この碑のデザインは、上川管内愛別町生まれの彫刻家中井延也(1934~99)であることが明記されているため、ここで取り上げさせていただきました。
 1990年9月20日の北海道新聞によると、幅1.7メートル、高さ1.25メートルの、アフリカ産黒御影石製だそうです。





私は十七歳の、この町で生れ
いま 百歳の、この町を歩く。

すべては、大きく変つたが
ただ一つ、変らぬものありとすれば、
それは、雪をかぶったナナカマドの、
あの赤い実の洋燈ランプ

一歩、一歩、その汚れなき光に、
足許を照らされて行く。

現実と夢幻が、
このように、ぴつたりと、
調和した例を知らない。

ああ、北の王都・旭川の、
常に天を望む、凜乎たる詩精神。
それをふちどる、
雪をかぶつたナナカマドの、
あの赤い実の洋燈ランプ


 この文学碑は1990年に旭川信用金庫が旭川市に寄贈したものです。
 井上靖は1907年(明治40年)、旭川の生まれです。翌年、静岡県に転居し、また静岡で育った少年時代を題材にした「あすなろ物語」などがよく読まれたことから、あまり道産子作家という印象はないかもしれません。
 一時はノーベル文学賞候補と言われたこともある、国民的小説家といえる存在でした。
 同信金のサイトなどによると、京都帝大文学部を卒業し、毎日新聞で学芸部記者として活動。
 1950年に「闘牛」で芥川賞を受け、翌年から作家に専念。
 文化勲章も受けています。

 旭川には亡くなる前年の1989年に訪れ、「旭川開基100年式典」で講演しました。
 9月19日には碑の除幕式が執り行われ、ここに刻まれている詩を朗読し、聴衆に感動を与えたそうです。

 その後、1993年7月には 井上靖記念館がオープンしました(中原悌二郎記念旭川市彫刻美術館のとなりです)。

 なお、小説家としての知名度にはおよびませんが、井上靖は詩人でもあります。
 20世紀を代表する書家のひとりで松前出身の金子鷗亭(金子鴎亭)は、井上靖の詩を題材にすることで、近代詩文書という書のあらたな分野を開拓することができたといえます。
 というのは、井上靖の詩はほとんどが「散文詩」という種類の、行分けのない詩だからです。1行を何文字で書いてもかまわないわけで、その自由さは書家が腕を振るうにあたってはありがたい条件のはずです。

 それとともに井上靖の硬質な抒情は、やはりどこか北国らしさを秘めていると思います。

 この文学碑の詩は行分けのスタイルで書かれています。これは彼の詩ではきわめて珍しい
 井上靖は生涯の最後にこの詩をよんで、生誕の地に足を踏み入れたのでした。


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中井延也「舞・I」(北見)





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