宮内和之氏=ミュージシャン(読売新聞) - goo ニュース
あー、なんだかやる気の出ないまま、連休がおわってしまった。
24日は、鳥の足を食べていると、娘が「クリスマスらしい音楽を」などとなまいきなことを所望するので、山下達郎をかける。
ケーキを食い、ワインをがばがば飲んだら、酔っぱらって寝てしまった。
25日からまた仕事。
午後出勤なのをよいことに、盛大に寝坊し、ギャラリーは、市写真ライブラリーに行っただけ。
先週の新聞をめくっていたら、読売の夕刊の片隅に、ポップスユニットICE(アイス)の宮内和之さんの死亡記事が載っていた。
筆者が見たかぎりでは、他紙には出ていなかった。
(追記。北海道新聞にものっていたようです。しつれいしました)
一般の認知度とCDの売り上げに大きな落差があるバンドやミュージシャンというのはけっこう多い。
ICEもアルバムチャートにはよく上位に入っていたが、あまりテレビなどには出演していなかったようだから、ピンとこない人もいるだろう。
ただ、都会的で洗練された音づくりに関しては、この二人組は、群を抜いていたと思う。フロントに、ヴォーカルの国岡真由美さんを立て、あとの音づくりは宮内さんが一手にこなしていた。
逆に、ゴリゴリした主張の多い音を出す個性的なミュージシャンにくらべると、こういう職人的な人は、熱狂的なファンを獲得しにくい傾向があるためか、どうも忘れられてしまいやすいのではないか。
ICEの音楽は、「個性的」というのとは正反対の、BGMとしてどんな場所で流れていてもじゃまにならない、ソフィストケイテッドの極みとでもいうべきものだったと思う。
でも、たとえばZARDのときにくらべると、新聞の扱いは小さすぎる。
(テレビはほとんど見ないのでわからない)
なんで、ここでICEのことをあれこれ書いているかというと、筆者はこのふたりに何度かお会いしているからだ。
レコード会社の方針なのか、おふたりは新譜を出すたびにキャンペーンで札幌を訪れ、筆者の職場にも顔を出してくれた。
宮内さんは、音楽に詳しくないこちらの質問にも誠実に答えてくれた。
国岡さんはすごい美人なので、ふたりがならんですわっていると、失礼ながら
「美女と野獣」
という感じだった。
ただ、ICEのライブツアーが一度中止になったことがあって、その理由を聞くと、国岡さんが
「オトナの事情でね」
といわくありげな答えをしたことが、妙に記憶に残っている。
宮内さんは、わたしとおなじ1964年生まれで、誕生日も近いので、今回のことはちょっとおどろいた。
ご冥福をお祈りします。
□ICE universalのサイト http://www.universal-music.co.jp/universal/artist/ice/
あー、なんだかやる気の出ないまま、連休がおわってしまった。
24日は、鳥の足を食べていると、娘が「クリスマスらしい音楽を」などとなまいきなことを所望するので、山下達郎をかける。
ケーキを食い、ワインをがばがば飲んだら、酔っぱらって寝てしまった。
25日からまた仕事。
午後出勤なのをよいことに、盛大に寝坊し、ギャラリーは、市写真ライブラリーに行っただけ。
先週の新聞をめくっていたら、読売の夕刊の片隅に、ポップスユニットICE(アイス)の宮内和之さんの死亡記事が載っていた。
筆者が見たかぎりでは、他紙には出ていなかった。
(追記。北海道新聞にものっていたようです。しつれいしました)
一般の認知度とCDの売り上げに大きな落差があるバンドやミュージシャンというのはけっこう多い。
ICEもアルバムチャートにはよく上位に入っていたが、あまりテレビなどには出演していなかったようだから、ピンとこない人もいるだろう。
ただ、都会的で洗練された音づくりに関しては、この二人組は、群を抜いていたと思う。フロントに、ヴォーカルの国岡真由美さんを立て、あとの音づくりは宮内さんが一手にこなしていた。
逆に、ゴリゴリした主張の多い音を出す個性的なミュージシャンにくらべると、こういう職人的な人は、熱狂的なファンを獲得しにくい傾向があるためか、どうも忘れられてしまいやすいのではないか。
ICEの音楽は、「個性的」というのとは正反対の、BGMとしてどんな場所で流れていてもじゃまにならない、ソフィストケイテッドの極みとでもいうべきものだったと思う。
でも、たとえばZARDのときにくらべると、新聞の扱いは小さすぎる。
(テレビはほとんど見ないのでわからない)
なんで、ここでICEのことをあれこれ書いているかというと、筆者はこのふたりに何度かお会いしているからだ。
レコード会社の方針なのか、おふたりは新譜を出すたびにキャンペーンで札幌を訪れ、筆者の職場にも顔を出してくれた。
宮内さんは、音楽に詳しくないこちらの質問にも誠実に答えてくれた。
国岡さんはすごい美人なので、ふたりがならんですわっていると、失礼ながら
「美女と野獣」
という感じだった。
ただ、ICEのライブツアーが一度中止になったことがあって、その理由を聞くと、国岡さんが
「オトナの事情でね」
といわくありげな答えをしたことが、妙に記憶に残っている。
宮内さんは、わたしとおなじ1964年生まれで、誕生日も近いので、今回のことはちょっとおどろいた。
ご冥福をお祈りします。
□ICE universalのサイト http://www.universal-music.co.jp/universal/artist/ice/
国岡さんが音楽活動を続け、ICEの音楽が愛され続ける事が、一ファンの望みです。
宮内さんが亡くなった事が残念でなりません。ご冥福を祈っております。
安心しました。ちゃんとICEのこと覚えてらっしゃる方がいるんですね。
ちゃんと、といえば、ICEは、すごく「ちゃんとしたポップス」だったと思います。
同じ年っていうのがなあ。ショックだなあ。
先週ラジオで、死去数日後に知ったことも含め、残念でなりません。
やっぱりいろんな人が思いを持っているんですねえ
20日の午後、DJの潮音ちゃんが、涙こらえながらICEの曲をかけていて、「宮にいの声、聴きたいよね」とBABY BLUEの後に、 ANALOG QUEEN をかけ、「ご冥福をお祈りします」
そのあとにERIC ALEXANDER QURTET の MY FAVORITE THINGS をかけ始めたら、突然、音が途切れてしまい、潮音ちゃんも「え?なに??どうしたの?」
ただの機器故障、不具合とは思えない気がしました。
スタジオに、宮内さんの存在を勝手に感じていた私でした。
43歳、まだまだ若いです。残念ですね。
そうか、ICEって、ノースウエーブにぴったりな感じですね。
家が同じアパートで、
一番世話になった友達でした。
世の中狭いですね。
小学校の同級生で、同じアパートに住んでいたとは!
驚きです。
わたしは、仕事で何回かあったことがあるというだけで、知り合いというほどではありません。
それはそうと…
春の院展、楽しみにしています。
凄く久しぶりです。
お元気ですか?
宮内君は、亡くなる3年くらい前に、ふとネットで連絡がついて、クラス会にに出てくれるはずが仕事の都合でドタキャン。再会をしないままでした。
メールではいろいろ話しましたが、仕事の事、愛車の事、ご両親の事。お母さんが私の事をよく覚えていて、あの絵が好きだった子が画家さんになって良かったねーと、喜んでいるよと伝えてくれました。
もう、この記事から7年あまりがたっているんですね。
あらためて時の流れの速さを感じます。
「春の院展」なんですが、実は昨年、札幌に巡回していないんです。気がついたら「あれ、今年は来ていないな」という感じで。
いま日本美術院のサイトを見たら、今年は復活するようで、ほっとしています。そして、会場で石村さんの絵に出会えることを、楽しみにしています。