北海道美術ネット別館

アート、写真、書など展覧会の情報や紹介、批評、日記etc。毎日更新しています

岡山芸術交流(3) 2019年秋の旅(83)

2020年02月04日 09時09分09秒 | 道外の国際芸術祭
(承前)

 岡山芸術交流は、ひとつの会場で少数のアーティストの作品しか発表していないので、移動にそれなりの時間がかかりました。各会場間の距離はそれほど離れておらず、すべて徒歩圏内でしたが。
 ただ、チケットを買った際に渡された地図がひどかったです。
 各会場の位置は正確で見やすいのですが、入り口がどちらにあるか書かれていないので、行ってみると建物の裏手で、切り立った石垣がそびえていて入れないーということもあり、ぐるっと正面に回るのにかなりの徒労感をおぼえました。
 傾斜があるマチの地図をつくるときには注意してもらいたいものです(地図に必要なのは、建物の所在地よりも、建物の入り口の場所の情報です)。



 さて、冒頭画像は、難解な作品の多い岡山芸術交流のなかでは、かなりわかりやすかった作品。
 ポール・チャンのアニメーション「幸福が(ついに)35,000年にわたる文明化の末に(ヘンリー・ダーガーとシャルル・フーリエにちなんで)」です。
 図録によると、2002~2003とあるので、旧作というべきかもしれません。
 岡山城の一角で上映されていました。
 物語はよくわからないのですが、まさにヘンリー・ダーガー(アール・ブリュットの有名な画家)のようなタッチで、人々のユートピア的な世界が戦争によって変容していくさまが描かれる、17分20秒のループの映像です。せりふはありません。

 アニメーションの技術という点ではむしろたどたどしいくらいですが、それが絵柄と妙にマッチしていて、不思議な感覚を残します。


 次の画像もポール・チャンの作品で、「トリオソフィア」。

 動画でないと伝わらないかもしれませんが、布で作られた三つの人体のような形が、風を受けて刻々と変化しながら、ぐるぐる回っているというもの。
 見ていて単純におもしろいですし、目には見えないはずの「風」というものを可視化する試みとして興味深いです。
 あるいは、三すくみ状態、鼎立状態を表しているともいえます。

 これは、岡山市立オリエント美術館のロビーに展示されていました。



 メリッサ・ダビン & アーロン・ダヴィッドソン「タイトル未定(時間遅延)」。

 岡山芸術交流には、初日の段階でタイトル未定という作品が複数あったのですが、後で決まったんでしょうかね。それとも「タイトル未定」のままなんでしょうか。

 岡山市内を流れる「旭川」のほとりにある「石山公園」にありました。

 透明で大きなケースの中に、長くて曲がりくねった配管というかパイプが配置されて、その中を水が循環しているという装置です。

 非常に複雑なルートを循環している水を見ていると、ニトリの小樽芸術村の屋外にあった作品を思い出しました。


 ティノ・セーガル「アン・リー」。

 ふだんは東洋の絵画や工芸品を展示している林原美術館での発表。

 アン・リーとは、もともと日本で開発されたキャラクターですが、これをフランスの現代美術家、フィリップ・パレノとピエール・ユイグ(今回の岡山芸術交流のキュレーター・出品作家でもあります)が買い取って、プロジェクトに展開しているというもの。

 もう展示期間が終了しているので、ネタバレを書きます。

 前半は、ガラスケースに投影されたこのキャラクターが、自分の出自などについて話します。これは、よくあるアニメーションと同じです。
 ところが、後半は、生身の少女が登場して、鑑賞者の前に出てきて、あれこれせりふを口にするのです(ここの部分は撮影禁止)。

 さすがに、ちょっと意表を突かれました。
 地元の劇団の子どもでしょうか。それにしても、こちらがどう振る舞ったら良いのか、試されているような気もしたほどです。

 日本のオタク文化は、キャラクターと婚姻する男性が登場するなど、すごい領域に突入しつつありますが、そういう情勢もこの作品に影を落としているのかもしれません。


 リリー・レイノー=ドゥヴァール「以上すべてが太陽ならいいのに(もし蛇が)」。

 岡山城の一角で上映されていた作品で、スライドショーのように、数秒ずつ等間隔で映像が流れます。
 作者はパフォーマーで、岡山芸術交流の各会場で、全裸でダンスをしています。

 なので、さっきまで滞在していた会場が映像に出てくるので、ちょっとビックリさせられます。
 画像も、(2)で撮って画像を載せた場所を選んでみました。


 このほか、旧福岡醬油建物など4会場で展示(?)されていたジーン・ラスペットの作品が面白かったです。
 作品は「香り」なので、写真に写しようがないのですが、既存のいかなる匂いとも似ていない匂いが、機械の前にふっと流れてきて鼻腔をくすぐったときには、これはすごいなと、率直に思いました。


 さて、岡山の街なかには、前回の岡山芸術交流の作品がいくつか残されています。

 リアム・ギリック「多面体的開発」。

 路面電車が曲がる十字街に立っていて、存在感があります。


 次の画像は、岡山神社の境内にあったダン・グラハムの作品。
 ガラスを使っているので、見る角度によって反射する景色ががらりと変わります。

 もっとも、これは恒久的に設置されているのか、今回の岡山芸術交流にあわせて再設置されたのか、はっきりとはわかりません。

 神社から下ってくる道の途中で、知らない人に声を掛けられました。
 この近くの店舗跡で、パフォーマンスと撮影会があるので、見に来ませんかというお誘いです。
 岡山芸術交流のプログラムの一つのようです。

 始まる時間がちょっと後だったので、会場をのぞいただけにしました。かつて写真スタジオだったその部屋は、赤いボードが貼られて派手な内装になっていました。
(いま思うと、これだったようです。広報がいまひとつ行き届いていなかったのでしょうか。いきなり声を掛けて人集めというのも、おもしろいですが)


 

 岡山のマチは人通りがあまり多くなく、芸術交流に来た人は、なんとなく雰囲気で分かってしまうようで、筆者はその前にも、道ばたで男性から、旧福岡醬油建物がどこなのかを尋ねられました。
 岡山は政令指定都市なのですが、そういう大都市感にどうも乏しくて、歩いていても、旭川とかいわきとか、30万人規模の都市のような感じがします。


 さて、次項は、岡山芸術交流よりも驚いた一つのちいさな碑について書きます。



最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。