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5月18日に美幌・網走へ小旅行した際のエントリはまだ続きます。
美幌町図書館は、2階に、ギャラリーにも使えるスペースや会議室などがあって、1階と2階を結ぶ階段に絵画や彫刻が並んで小さな美術館のようなおもむきだ。
冒頭画像は、藤川叢三「坐像」。
北見信金が1973年に寄贈した。
藤川叢三さんは1922年生まれ、98年歿。旭川出身。
東京美術学校(現東京藝大)彫刻科を卒業し、北海道学芸大(現道教大)で後進の育成に努めた。
62年から2年刊、文部省派遣でイタリアに留学。
独自のデフォルメを施した女性像が主流で、作品の多くは旭川市に寄贈されている。
札幌の読者には、大通公園にある有島武郎文学碑のレリーフの作者だといえば、ぴんと来る方もおられよう。
2000年に旭川市彫刻美術館で回顧展が開かれ、立派な作品集も発刊された。
以下、作品名を列挙する。
安田完「枯草花と風船」
1982年の春陽展出品作。
安田完さんは美幌在住の画家。
春陽展、道展、オホーツク美術協会の各会員。
新聞ではよく「車いすの画家」として紹介される。若い頃は体操選手だったが、練習中の落下でけがをして体が不自由になり、入院中に絵画に出合ったことから制作を始めた。しかし、そういう事情を別にしても、良い絵を描く方だと思う。
この絵は春陽展の初入選作のようだ。
この後、安田さんは、縄でぐるぐる巻きに縛られた人体彫刻をモティーフにするようになる。それは、言うことをきかない自らの身体の暗喩であろうが、さまざまな局面で不自由さを強いられる人間一般の叫びの反映でもあるように感じられる。
新井康須雄「美幌峠」(15号)
額に「びほろデパート 一枚の絵」とある。
筆者は知らない画家だが、ネット検索すると大量にヒットする。各地の風景画を描いているらしい。
アルティスジャパンによると、光風会会員とある。日展系の穏当な写実画家のようだ。
びほろデパートは1960~93年、美幌町大通1にあった農協系の大型店で、美幌町商店街の核店舗だったらしい。
93年、シティびほろが青山北にオープンするのと同時に閉店し、跡地には現在、美幌郵便局が建っている。
上野山清貢「美幌峠にて」。1953年
この画家は説明不要だと思われる。
戦前、帝展で3年連続の特選に輝いて注目され、戦後は全道展の創立会員、一線美術の創立会員として活躍した。
プロの画家だったので、売り絵を量産しており、魚を描いた小品などはよく見かける。
この作品が面白いのは、ふつう「美幌峠」というと、屈斜路湖側の雄大な風景が想起されるのだが、上野山はその反対側の、山が続く風景を描いていることだ。屈斜路湖のほうは、絵はがき的だとして嫌ったのかもしれない。
横森政明「市街展望」。1973年
横森政明「堤防地にて」。79年
横森さんは元美幌町職員。オホーツク美術協会の創立会員であり、春陽展や独立美術にも出品していたそうである。
今年で85歳になるはずだ。
「堤防地にて」は、画面の過半を灰色の空が、下の方を黄緑の草が占め、その間にぽつんとリヤカーが置かれた、単純な構図の絵。
風景画だと思えばずいぶん要素の少ない絵だと感じるが、カラーフィールドペインティングだとみればなるほどと思う。
納直次「残雪と落葉」。79年
納さんは道展、日本水彩画会などで活躍した水彩画家。
旧制網走中(現網走南ケ丘高)出身で、美幌で教員を務めていた時代があったことから、美幌博物館に作品が多く寄贈されている。
網走市立美術館で2011年、高橋道雄・納直次展が開かれた。
穏やかで安定感のある風景画が多い。
1階の、飲料の自動販売機が置かれた休憩コーナーに、1点レリーフが飾られている。
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谷口百馬「土と水と」。
美幌ライオンズクラブの寄贈。
「H.Tani 1974」のサイン。
谷口百馬は彫刻家で、オホーツク管内にいくつか作品が残されているのは、下のリンク先の通り。
この「土と水と」は、動物と人間が自然の中で仲良く暮らしているという図柄で、西洋絵画にもよく描かれている黄金時代の系譜をひいているといえる。過去にあったユートピアの記憶を描いているともいえる。
図書館の方には黙って撮影してきちゃいました。すみません。
・JR美幌駅から約1.27キロ、徒歩16分
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