およそ20年ぶりに制作・発表を再開したのが2010年。
それ以降の瀬川葉子さんの精力的な活動ぶりには目をみはるものがあります。
とにかく巧いし、手法は独特だし、質量ともにたいへんな仕事だと思います。
会場にあった略歴によると瀬川さんは1954年生まれ。
「特美」の略称で知られ多くの作り手を輩出した北海道教育大札幌校の特設美術過程を卒業しました。
瀬川さんの作品は抽象絵画といえますが、よくある大きなキャンバスの絵画はほとんどなく、不定形の紙に鮮やかな色の着彩を施し、それをクリアファイルに入れている場合が多いです。
クリアファイルをびっしりと壁に並べたのが、冒頭画像です。
作品の一部は手に取って眺めることができます。
おなじ作品を表と裏から見てみました。
とても同一の作とは思えないほど色使いが異なります。
こんな芸当ができるのも、透明なファイルに入れるというスタイルだからだと思います。
このように、1点ずつタブローにして壁に並べているものもあります。
次の画像のように、クリアファイルではなく、透明な箱におさめられた作品もテーブルに置かれています。
不定形の“絵画”とともに、小さなボタンや木の枝なども入れられた箱もありました。
先述の略歴によれば瀬川さんは幼いころ、祖父母とともに札幌の奥座敷といわれる定山渓温泉で育ち、その後は父親の転勤に伴い、紋別、釧路、十勝管内広尾町などに住んだそうです。
幼少時に見た北海道各地の自然や風土と、日々営んできた暮らしの痕跡とが、これらの作品を生む素地になっているのかもしれません。
そして、それらをひとつひとつの紙片に落とし込む技倆の高さは、いつ見ても感嘆してしまいます。
…ここで終わってもぜんぜんかまわないわけですが、蛇足を書きます。
瀬川さんの作品がうまいからよけいに考えてしまうのでしょうが、受け取る側の心構えというか、故郷の北海道の自然や風土をロマン派的に表象しそこへとストレスなく帰っていく作品を、ここ最近たくさん見ているので、果たしてそればっかりでいいのかなと。
筆者も北海道が故郷だし、その自然や風土を愛することについては人後に落ちません。でも、その表象のされ方の多くは、「内地」人的な視線ですよね。もちろん、瀬川さんの見方が、本州からやってきた観光客の目をそのままなぞっているとは言っていません。
ただ、故郷にあってもある種の「ずれ」みたいな感覚を提示したり、また「自然豊かな北海道」というある種紋切型な見方につい追随してしまう認識のありかた(エピステーメーといってもいい)に対する批判的な問題提起をしたり、といったアートがあっても良いと思っちゃうんですよね。
わかりにくい文章ですみません。筆者がひねくれているだけなのかもしれません。筆者がもっと考え研究して探し出すべき話なのだと思います。米国のアートが、いつまでもハドソンリバー派やアンセル・アダムズにとどまっていたのではなく、ウィリアム・エグルストンやロバート・フランクやエドワード・ホッパーをも生んだような何かを。
2024年9月10日(火)~22日(日)午前10時半~午後7時半、金・土曜~午後8時(いずれもラストオーダー30分前)、会期中無休
TO OV cafe / gallery ト・オン・カフェ/ギャラリー(札幌市中央区南9西3)
過去の関連記事へのリンク
■透明書簡 瀬川葉子・糸田ともよ (2020)
■いのちのかたち…かもしれない 2018
■いのちのかたち…かもしれない展 (2017)
■瀬川葉子展 一瞬の響き (2015)
■瀬川葉子展「FILE」 (2015)
■瀬川葉子展「記憶に沈んだ庭」 (2010)
・地下鉄南北線「中島公園駅」から約220メートル、徒歩3分
・地下鉄東豊線「豊水すすきの駅」から約600メートル、徒歩8分
・市電「山鼻9条」から約610メートル、徒歩8分
それ以降の瀬川葉子さんの精力的な活動ぶりには目をみはるものがあります。
とにかく巧いし、手法は独特だし、質量ともにたいへんな仕事だと思います。
会場にあった略歴によると瀬川さんは1954年生まれ。
「特美」の略称で知られ多くの作り手を輩出した北海道教育大札幌校の特設美術過程を卒業しました。
瀬川さんの作品は抽象絵画といえますが、よくある大きなキャンバスの絵画はほとんどなく、不定形の紙に鮮やかな色の着彩を施し、それをクリアファイルに入れている場合が多いです。
クリアファイルをびっしりと壁に並べたのが、冒頭画像です。
作品の一部は手に取って眺めることができます。
おなじ作品を表と裏から見てみました。
とても同一の作とは思えないほど色使いが異なります。
こんな芸当ができるのも、透明なファイルに入れるというスタイルだからだと思います。
このように、1点ずつタブローにして壁に並べているものもあります。
次の画像のように、クリアファイルではなく、透明な箱におさめられた作品もテーブルに置かれています。
不定形の“絵画”とともに、小さなボタンや木の枝なども入れられた箱もありました。
先述の略歴によれば瀬川さんは幼いころ、祖父母とともに札幌の奥座敷といわれる定山渓温泉で育ち、その後は父親の転勤に伴い、紋別、釧路、十勝管内広尾町などに住んだそうです。
幼少時に見た北海道各地の自然や風土と、日々営んできた暮らしの痕跡とが、これらの作品を生む素地になっているのかもしれません。
そして、それらをひとつひとつの紙片に落とし込む技倆の高さは、いつ見ても感嘆してしまいます。
…ここで終わってもぜんぜんかまわないわけですが、蛇足を書きます。
瀬川さんの作品がうまいからよけいに考えてしまうのでしょうが、受け取る側の心構えというか、故郷の北海道の自然や風土をロマン派的に表象しそこへとストレスなく帰っていく作品を、ここ最近たくさん見ているので、果たしてそればっかりでいいのかなと。
筆者も北海道が故郷だし、その自然や風土を愛することについては人後に落ちません。でも、その表象のされ方の多くは、「内地」人的な視線ですよね。もちろん、瀬川さんの見方が、本州からやってきた観光客の目をそのままなぞっているとは言っていません。
ただ、故郷にあってもある種の「ずれ」みたいな感覚を提示したり、また「自然豊かな北海道」というある種紋切型な見方につい追随してしまう認識のありかた(エピステーメーといってもいい)に対する批判的な問題提起をしたり、といったアートがあっても良いと思っちゃうんですよね。
わかりにくい文章ですみません。筆者がひねくれているだけなのかもしれません。筆者がもっと考え研究して探し出すべき話なのだと思います。米国のアートが、いつまでもハドソンリバー派やアンセル・アダムズにとどまっていたのではなく、ウィリアム・エグルストンやロバート・フランクやエドワード・ホッパーをも生んだような何かを。
2024年9月10日(火)~22日(日)午前10時半~午後7時半、金・土曜~午後8時(いずれもラストオーダー30分前)、会期中無休
TO OV cafe / gallery ト・オン・カフェ/ギャラリー(札幌市中央区南9西3)
過去の関連記事へのリンク
■透明書簡 瀬川葉子・糸田ともよ (2020)
■いのちのかたち…かもしれない 2018
■いのちのかたち…かもしれない展 (2017)
■瀬川葉子展 一瞬の響き (2015)
■瀬川葉子展「FILE」 (2015)
■瀬川葉子展「記憶に沈んだ庭」 (2010)
・地下鉄南北線「中島公園駅」から約220メートル、徒歩3分
・地下鉄東豊線「豊水すすきの駅」から約600メートル、徒歩8分
・市電「山鼻9条」から約610メートル、徒歩8分