北海道美術ネット別館

アート、写真、書など展覧会の情報や紹介、批評、日記etc。毎日更新しています

齊藤博之展 事物を見つめる目の深さ

2006年03月04日 15時29分05秒 | 展覧会の紹介-絵画、版画、イラスト
 絵を描き始めて、思うと25年ほど経った。アトリエは今住んでいる余市町で4ヶ所目になる。アトリエが変わっても、ずっと変わらず僕のそばに貼ってある1枚の絵・・・。画集から切りとったその絵は、もうすっかり色褪せて、いつのまにか絵の具までついてしまっているけど、いつでも目のふれる場所にある。絵を志す前、美術館で出会ったコルネリス・デ・ヘームという17世紀のオランダ人画家の「果物を盛った鉢」。ただただ美しく、何度もその絵の前に立ちつくした。その衝撃は今でも鮮明に心に残っている。果物などのモチーフが持っている魅力、美しさに少しでも近づけたらなと描いている。(引用終わり)

 最初に引用したのは、齊藤博之展の会場にあった、作者のあいさつ文です。
 
 果物や花などをモティーフにした静物画約30点が展示されています。
 会場でじっくり見ていたどこかの夫婦らしき二人連れが「本物より本物らしい」と嘆声を漏らしていましたが、まさに「まるで写真みたい」という形容ではとても言いつくせないほど、迫真の描写力です。

 作者が魅せられたのは17世紀オランダの画家ですが、筆者が思い出したのは、北方フランドルの画家たちのほか、カラヴァッジオなどでした。
 作品映像は、下のリンク先から見ることができますが、ぜひ本物を見てほしいと思います。

 3月1日-6日
 丸井今井札幌本店 一条館8階美術工芸ギャラリー(中央区南1西2)

□ワインと果物の静物など
□北の大地展ビエンナーレ



 …さて、齊藤さんの絵を見ながら、写真と絵画の関係ということについて考えた。
 ことし制作された齊藤さんの図録の小冊子で、吉田豪介さん(美術評論家、市立小樽美術館長)は、つぎのように書いている。

 (以下引用)
 ただ写真と絵画は視の制度を異にする。例えば写真のリアリティとは、時とともに懐かしい想いが増し、そのドキュメント性とメモリアル性を喚起するものだが、絵画は存在の本質に迫って理想化もされ、時を経て色褪せることもない。
 (引用終わり)

 写真は、本来は人間の視覚ではとらえられないほど短い時間のうちにとらえた映像だが(まあ、長時間露光というのもあるが)、絵画は、人間が長い時間かけて凝視した結果である。
 だから、絵画に描かれたものは、たとえば光線の入り具合など、長い時間の平均-といって悪ければ、長い時間の中でも最もよく見える具合-に理想化されている、ということなのだろう。

 では、本物は?
 果物は傷み、花は枯れるだろう。
 長い時間の間に木は朽ち、グラスは濁るかもしれない。
 油絵は、永遠かどうかはわからないが、とりあえず、ルーブルのファン・アイクを見る限り700年はもちそうだ。
 カラー写真はまだそこまでの実績がない。

 だれかが言っていた。
 写真は、死に類縁性がある、と。
 死んだ人が出ている画像、ということでは、絵画もおなじはずなのに、なぜか絵画は死ではなく、永遠を感じさせるのだ。
 


最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。