本当ならば・・・1月10日から・・・18日までは・・・九日間のお休みで・・・島の家で・・・ゆったりと過ごすはずだった・・・。
ところが・・十日からの週末は大潮で魚釣りには不向きだし・・・天候がよくないといわれていたもので・・・前半は・・・山の家で・・・のんびりとするつもりに決めた。
確かに山の家では・・・朝から吹雪になって・・・こんな日に釣りに行くバカなんているもんか・・・と思うほどの雪だった・・・。

とにかく・・・外に出よう・・なんて気持ちにならない朝だった・・・。

でも・・・朝の間に・・・雪はやんだし・・、道路や田んぼに振り積む・・・というような雪でもなかった・・・。
午前中は・・・母のさっちゃんがつくった・・・「しめ縄」に、七・五・三の下がりや・・・紙垂(しで)を切ったりして・・・雪の止むのを待った・・・。
この・・・十二軒ほどの小さな集落だけれど・・「女体山」「山の神さん」「地神さん」というおまつりがあって、当番で回ってくるものらしい・・・。今年は・・・「山の神さん」の当番が当たったものらしい・・・。

で・・・お昼前になって・・・雪も止んで・・・天候も回復したようなので・・・「山の神さん」に行って・・・事務的に・・・古いしめ縄を外し、新しいしめ縄を巻いて・・・下がりをうまく配分し、紙垂(しで)を挟み込む・・・。
本当ならば・・・というか、普通の人は・・・二礼二拍手一礼してから・・うやうやしく取り外すものなんだろうけれど・・・、不信心なものか、真宗坊主の作法知らずというものか・・・、そういう、お作法はとらない・・・。

そういうと・・・坊さんは礼儀知らずかというと・・・そうらしいし、そうでもないところもある。
「お給仕」ということばがあるが、法要前や、日常のご佛飯や点灯・点燭などの場合には・・脇から入り、法衣や袈裟を用いずに、本尊さまに接する。そこには・・礼拝(らいはい)も合掌もない・・・。正式の・・・合掌礼拝は・・色衣五条袈裟を着用し、後門(ごうもん)から入るか、正面から尊前に向かった場合のみである。お作法とは・・そういうものだと教えられている。

つまりは・・・神事を行って・・・「降神の儀」を行って、社に神を招くまでは・・・宮は空き家であって、そこに神はいない・・・という・・考え方・・・。だから、事務的に古いしめ縄を外し、新しいしめ縄を・・・極めて事務的に行うということだ。決して・・・神を軽ろんじているわけではない・・・。
ただ・・・この時に・・・ひどく冷たい空気を感じて・・・「さ・さむい・・」と・・思った・・・。このことが・・・たいへんなことになる予兆であったのか。
さて・・、この後・・、孫たちがやってきて・・・雪がないからと帰ってしまった・・・。
三時前になって、けいこばぁが・・よしおちゃんちに行く・・と言い出した。二男の家である。バラの根元に敷く・・・スリヌカやイネのワラが欲しいと言い出したのだ・・・。私も気分的にはすぐれなかったが・・・ついていった。
そこで・・・仏さんにお参りし、簡単な・・新年会みたいになった・・・。で・・、みんな・・機嫌よく・・新年を祝ったのであったが・・・。
その夜に・・・あの悪魔が・・・三度目の悪魔が・・・やってきた・・。
じゃぁ、また。
ところが・・十日からの週末は大潮で魚釣りには不向きだし・・・天候がよくないといわれていたもので・・・前半は・・・山の家で・・・のんびりとするつもりに決めた。
確かに山の家では・・・朝から吹雪になって・・・こんな日に釣りに行くバカなんているもんか・・・と思うほどの雪だった・・・。

とにかく・・・外に出よう・・なんて気持ちにならない朝だった・・・。

でも・・・朝の間に・・・雪はやんだし・・、道路や田んぼに振り積む・・・というような雪でもなかった・・・。
午前中は・・・母のさっちゃんがつくった・・・「しめ縄」に、七・五・三の下がりや・・・紙垂(しで)を切ったりして・・・雪の止むのを待った・・・。
この・・・十二軒ほどの小さな集落だけれど・・「女体山」「山の神さん」「地神さん」というおまつりがあって、当番で回ってくるものらしい・・・。今年は・・・「山の神さん」の当番が当たったものらしい・・・。

で・・・お昼前になって・・・雪も止んで・・・天候も回復したようなので・・・「山の神さん」に行って・・・事務的に・・・古いしめ縄を外し、新しいしめ縄を巻いて・・・下がりをうまく配分し、紙垂(しで)を挟み込む・・・。
本当ならば・・・というか、普通の人は・・・二礼二拍手一礼してから・・うやうやしく取り外すものなんだろうけれど・・・、不信心なものか、真宗坊主の作法知らずというものか・・・、そういう、お作法はとらない・・・。

そういうと・・・坊さんは礼儀知らずかというと・・・そうらしいし、そうでもないところもある。
「お給仕」ということばがあるが、法要前や、日常のご佛飯や点灯・点燭などの場合には・・脇から入り、法衣や袈裟を用いずに、本尊さまに接する。そこには・・礼拝(らいはい)も合掌もない・・・。正式の・・・合掌礼拝は・・色衣五条袈裟を着用し、後門(ごうもん)から入るか、正面から尊前に向かった場合のみである。お作法とは・・そういうものだと教えられている。

つまりは・・・神事を行って・・・「降神の儀」を行って、社に神を招くまでは・・・宮は空き家であって、そこに神はいない・・・という・・考え方・・・。だから、事務的に古いしめ縄を外し、新しいしめ縄を・・・極めて事務的に行うということだ。決して・・・神を軽ろんじているわけではない・・・。
ただ・・・この時に・・・ひどく冷たい空気を感じて・・・「さ・さむい・・」と・・思った・・・。このことが・・・たいへんなことになる予兆であったのか。
さて・・、この後・・、孫たちがやってきて・・・雪がないからと帰ってしまった・・・。
三時前になって、けいこばぁが・・よしおちゃんちに行く・・と言い出した。二男の家である。バラの根元に敷く・・・スリヌカやイネのワラが欲しいと言い出したのだ・・・。私も気分的にはすぐれなかったが・・・ついていった。
そこで・・・仏さんにお参りし、簡単な・・新年会みたいになった・・・。で・・、みんな・・機嫌よく・・新年を祝ったのであったが・・・。
その夜に・・・あの悪魔が・・・三度目の悪魔が・・・やってきた・・。
じゃぁ、また。