まほろば自然博物館

つれづれに、瀬戸のまほろばから自然の様子や民俗・歴史や見聞きしたおはなしをしたいと思います。

ようやくに 荷物下ろして 柿もみじ

2011年12月05日 | 自然ありのままに

 今日は比較的暖かい一日になった・・・。

 私は朝から・・・さぬき広島に向かう予定だったのに、母のさっちゃんが・・・「点滴を受けたいけん、病院に連れて行ってほしい・・・」というので、やむなく・・・そうすることになった。

 

 9時から準備しても出かけるだけでも20分はかかる・・。病院に着いたのは・・9時半・・。それから1時間の点滴だったら・・10時半だなぁと思って、島行きの食材やらビールやらを買って準備して・・・。迎えに行ったら・・・まだだ・・というので・・・11時。しようがないよね・・・。私の母だもの。

 

 そそ・・・、今回のさぬき広島行きの目的はこれ・・・。

 

 来春のお大師参りの本を・・・関係するお寺さんに届けるのが目的・・・。おいしいご飯は炊きたてがうまい。おいしいお餅は打ち立てがいい・・。新しい情報は早いほうがおいしい・・・。

 

 とりあえず、注文を受けた部数を配達するためにお出かけした・・・。

 

 たまたま・・・通りかかった、このお店でお昼になった。いや、あそこは定休日、ここはまだ開店していない・・・。あそこは混むし・・・という選択肢の中から浮かび上がったお店だった。

 高松市西植田町の「麺通堂・西植田店」に寄ってみた。初めてのお店ではないし、何度も食べたお店で安心感は確かにあった・・・。

 

 で、今日は・・・「ガラムカレーうどん」というものを注文した。意味がわかっての注文じゃない。なんか、楽しそうな名前だなぁと思って。案の定・・・しばらく待たされた・・・。カレーを温めるためだという・・・。10分ほど待ったかな・・・。やってきたのがこれだった・・。

 一口食べて・・・「こりゃ・・すごい・・」と思った。こんな食感のうどんなんて初めてだ・・・。なめらかでやさしくて・・・固くなくて柔らかくなくて・・・どういう表現をすればいいものか・・・わからない。

 

 おそらく・・380円くらいのおうどん・・。でも、これは癖になりそうだなぁと思った・・・。

 で、話は飛んで・・・丸亀市・・・。丸亀市の商店街・・・「富屋町」にある・・・妙法寺さんに行った。

 

 与謝蕪村は明和3年(1766)の秋から明和5年(1768)の夏にかけて何度か讃岐を訪れたらしい・・・。蕪村の讃岐行脚の目的は画業にあったといわれる。画業において一応の地位を得、さらに俳諧も本格的に取り組んでいこうとする蕪村にとって讃岐への旅は、自分に課した再修業の意味があった。風景の美しさや、土地にまつわる数々の文学や歴史に触れながら、心ときめくものであったに違いない。

 俳人画家・与謝蕪村の讃岐時代に、蕪村が妙法寺に滞在して揮毫した「蘇鉄図」など大作6点があり、寺宝として大切に保存されている。妙法寺が一名「蕪村寺」といわれる所以である。ここの大岡さんに、お大師まいりの校正とか調査協力でお世話になった・・・。

 

 この妙法寺さんが、広島の・・「玉瀧寺:ぎょくりゅうじ」の住職を兼職している。

 

 その後、丸亀港から・・・いまだに「びさん2」が運行するフェリーに乗って、さぬき広島に入った・・・。

 

 昨日、渡った・・・瀬戸大橋横目に見る・・・というのもなんだかへんてこな気分だった。画像右手が・・・与島のフィッシャーマンズワーフのあった所。夢幻の跡だね・・・。

 

 茂浦集落にある「正福寺」の住職さんは、塩飽本島の「正覚院」の住職さんであるので、ここだけは郵送させてもらった・・・。わざわざ・・・ここだけに行くというのも大変だったから・・・。

 

 これが・・・さぬき広島の「地福寺」さん・・。あいにくと住職さんがお出かけの途中だったもので、資料はお寺に届けておいた。ここの住職さんが、立石の「神光寺」、青木の「長福寺」の住職も兼務している。これで、島に関わる三人のお坊様に資料を渡したことになる。

  あとは・・

 

 広島コミュニティーセンターの所長さんに資料と原紙を渡し、自治会長さんにも冊子を渡せば、今回の目的はおしまい・・・。ここの所長さんが、ここの機械でここの費用で・・・必要な部数を印刷して配布してくれれば・・・私にすればありがたい・・・。やれやれだ・・・。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


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