今年の大きなお仕事は終わった・・・。今年は・・・讃岐広島お大師まいりの資料整理と例のベーハ小屋調査など。それをまとめて、島の文化祭に出展すること。その資料を印刷製本して記録として残すこと・・・。
で、製本した資料を配付し終わって一段落・・・。ゆっくりとのびのびとする積もりで島に来た・・・。
この・・さぬき広島の江の浦自治会の自治会長さんは・・・広島・手島・小手島合わせての連合自治会長さんでもある・・。ま、偉い方なんだが・・・、その方は・・・「讃岐広島」という名前が嫌いなんだそうだ。勝手に・・・郵政省が、本家広島県の広島と区別するために、「讃岐広島郵便局」と名付けたから・・・ここは、「さぬき広島」になっただけだという・・。ここは、塩飽諸島の広島なんだから、「塩飽広島」と呼ぶべきだとおっしゃる・・・。
そうは言うてもJRの駅でも「讃岐津田」とか「讃岐府中」とかという駅名はあるし、NTTの交換所でも「讃岐三木交換所」とか「讃岐神山交換所」などといくらでもあるから、そんなことはどうでもいいのだけれど・・・。
だから・・今回のお大師まいりの表紙でも、塩飽史談会の資料の表紙でも・・・「しわく広島」という表示になっている・・・。公的な名称ではないが、自治会長さんの好みなだけだ・・・。
で、この山・・・。「王頭山:おうとうざん」という・・・。この山を・・・「しわく富士」と呼ぶ運動を始めるのだという・・・。しわくふじ・・・・。ま、言い出した者勝ちやけんどね・・・。
さらに、四月八日九日を・・「し(4)わ(8)く(9)の日」にして、この日を挟む一週間を「しわく週間」と呼ぶようにするのだとか・・・。定着するやろうかね。
それにまだ・・・尾を引いているのが・・「中井初次郎問題」。誰も・・・石巻市の洞仙寺復興の義援金を集めようとはしないのだとか。丸亀市長がぽつりと漏らした一言で・・・美談が生まれたかと思ったのだけれど・・・、現実は甘くないようだ。
幕末の・・・慶応二年・・英国砲艦「サーペント号」に乗って瀬戸内海の測量中に士官の「レキ」が亡くなった。遺体はさぬき広島のはずれに埋葬された。それを見た庄屋さんが立派な墓を作り、「英国士官レキ之墓」とした。明治九年・・・、当時同僚だったジョンは英国測量船「シルビア号艦長」となってこの海域に入った。そこでお墓にお参りすると立派な石碑が建っており、きれいなお花が供えてあった。それに感動したジョン艦長は感謝状を贈った・・・・という国際美談。
そんなやさしかった塩飽の人たちだのに・・・、中井初次郎を葬ってくれて、お墓を守ってくれた石巻のお寺に・・・少しでものお見舞いでもすればきれいなお話になるのになぁと思った。
あ、話はころりと変わるのだけれど。島に唯一あったおうどん屋さん、「おかの食堂」が今年いっぱいで閉店するそうな・・・。
諸事情で・・・とは書いてあったが、過疎化と高齢化でお客がいないのかねぇ・・・。ま、詳しいお話は聞いていないのだけれど・・・「諸事情」らしい・・・。
こうなってくると、ますます・・・島も寂しくなってしまうなぁと思ったことだった。ま、クリーニング取り扱いとか、移動販売とかはやるんだろうと思うけれど・・・。ま、いろんな事情があるんだろうね。
じゃぁ、また、明日、会えるといいね。