まほろば自然博物館

つれづれに、瀬戸のまほろばから自然の様子や民俗・歴史や見聞きしたおはなしをしたいと思います。

コスモスに 遠い記憶の 道しるべ

2019年09月25日 | 時にはぼぉっ~とする時

 さぬき市地方は高気圧に覆われて概ね晴れていた。気温は19.5度から27.5度、湿度は90%から62%、風は1mから3の東南東の風が少しばかり。明日の26日の香川県は、高気圧に覆われて晴れるけれど、湿った空気の影響で昼過ぎから次第に雲が広がる見込みらしい。

 

 127/61/64 36.4c-96% 64.2Kg 1009hPa,26c,52% 体調に変化は無い。

 

 リビングにテレビがないのも寂しいし、カラオケ用にも小型のテレビを二階から下ろしてきた。私の子供の頃から食事室にはテレビはなかった。結婚して新築したが、台所にもテレビはなかった。その方が家族団らんができると考えたからだった。でも、ここを新築してからは、ずっとテレビがあった。

 

 さて、先日に孫のなぎちゃんがやってきたとき、「もう、そろそろ片付けたら?」と言われたグリーンカーテン。「すっかりと枯れてからが片付けやすいから・・・」とは言うたものの、なんだか、哀れでみじめそうな風景にはなってきた。

 

 で、今日は体調も気分も良いことだからと、解体撤去することにした。まずはネットを取り外しておいてから。

 

 支柱になっている金属ポールを解体してゆく。これは軟銅線で結んであるから、少しの手間で外れてしまう。なお、このポールは要らなくなったテントの支柱だったもの。三本から四本に分解できてしまう。

 

 あっという間にネットもポールも片付いてしまった。残る基礎台なんかも片付けてしまう。

 

 こうして、グリーンカーテンは片付いてしまった。こうして書くと簡単そうだけれど、一つのプランターを運んでは一休み、買い物籠を片付けては一休みするから、時間は相当に掛かっている。

 

 これでさっぱりとしたウッドデッキになった。ここにもテーブルを置きたいのだけれど、帯に短したすきに長しで、なかなかに決まらない。折りたたみ椅子は立て掛けてあるようなものは用意できているし、折りたたみ用のテーブルも二つは用意できている。

 

 昨日は奥方は食材を買いに出かけたのだけれど、相変わらず、ビールを買うのは私の役目だと決めつけているみたい。

 

 この前にビールを買ったのが9月の14日の土曜日だった。愛車のタイヤがパンクをした日だった。あれから10日で48本が空っぽになった。これは奥方用の350ml缶である。私もたまにはいただくこともあるが、私は少し大きい500ml缶で別あつらえ。一度に、そんなにたくさんは運べない。

 

 今日の掲示板はこれ。「自分から回っている気の風車」というもので、いつもの赤松先生のお寺の掲示板からのおことばである。『仏説譬喩経』の「黒白二鼠のたとえ」がある。(以下概要)

 一人の旅人が悪ゾウに追いかけられ、木の根を伝って井戸の中に逃げ込んだ。ほっとするのもつかの間、目の前に黒と白のネズミが出てきて、代わる代わる木の根をかじり出した。下を見れば大きな毒蛇が口を開けて旅人が落ちてくるのを待ちかまえている。このままでは確実に根は切れて、大蛇に食べられてしまうことになる。そこに、木の根のミツバチの巣から甘い五滴の蜜が口の中に落ちてきた。その甘さに心が奪われ、もっと蜜をなめたいと思って、旅人は今にも切れそうな木の根をゆすりだした…。(以上)

 ゾウとは時間の流れ、井戸の中の大蛇は私を待ち構える死の影、木の根は自分の寿命のこと、黒白のネズミは夜と昼のこと、すなわち私のいのちが一日一日と死に近づいていることのたとえである。五滴の蜜とは、そんなきわめて危機的な状況も忘れて、食欲、色欲、睡眠欲、名誉欲、財欲という日常的な欲望にうつつをぬかしていることをいうのである。生きる目的は、金でもなければ財でも名誉でもない。「人身受け難し、今すでに受く」(よくぞ人間に生まれたものだ)と生命の尊厳と歓喜に目覚めて生きることなのである。

 

じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。

 


ツイッター

<script type="text/javascript" src="//platform.twitter.com/widgets.js"></script>