KUMIの句日記

写真と一日一句で綴るブログ。句の転載を禁じます。

「遠い秋よ・・」

2024年09月03日 | 俳句
天気 曇時々雨

朝刊の一面の見出しに「秋はまだ来ない」と。台風は消滅したのに、秋はまだ・・という記事?と思い、読む気もせず。
今日はちょっと涼しい。でも、週末からはまた厳しい残暑が待っているらしい。

今年米がスーパーから消えた、というのは本当らしい。あまりそういう映像を流すと、余計に買い溜めを促進するから・・という配慮があったのかどうか。今は堂々と報道されている。関東では新米が出回ってきたからだろう。今の私は食料はあまり買わないが、他に必要な食品や日用品は、先月からはこの施設でグループ使用できるようになった生協に注文している。関係ないけれど、今年米の注文は終わっていて、新米の注文は自由に出来る。千葉産茨城産が多い。新潟も出始めた。贅沢に新米なんて出して貰えないような施設暮らし・・指をくわえて見ているしか。
毎年届いたコシヒカリの新米、ちょうど9月初旬だったっけ・・と懐かしい。

稲田の写真は、昔、今頃行った秋田県。秋田新幹線の窓から撮ったものだと
思う。男鹿半島へ行った。ナマハゲを見たっけ・・


多摩地域には、大規模な水田はない。多摩川近くに少しだけ水田の残っている所はあったが、今はどうなのだろう?
江戸時代、吉宗の頃からこのたりは江戸の人々へ野菜を作るための開墾地だった。なので、稲田の風景を見ると背筋が伸びる気持になる。
母の実家は精米業で、祖父を頼って戦争中に疎開して、私はそこで育った。江戸時代は江戸へ米を運ぶ廻船業もしていたとかで、農家ではなかった。が、自家の田んぼは少しだけ持っていて、母は手伝った。田植えも収穫も、私連れで(自分では手伝いをさせられた、と思っていた)、素足での田草取りは蛭に足の血を吸われ、稲刈りは稲がチクチク首筋を刺し・・今考えれば家に置いてくるには幼かったので、母は仕方なく子供連れで手伝いに行っただけ。昼めしのおにぎりは美味しかったけれど。
あんまり楽しくはなかった。でも、「百姓は百の手をかけて米を作る」という苦労は解かる。なので、母はご飯を食べ残すことを物凄く嫌った。一粒たりとも茶碗に残してはならないし、ちゃぶ台に落した米粒は無論、床に落しても拾って食べねば怒られた。まさに「いただきます」精神を叩き込まれた。
今、ここの私の周りの人たちは、やはり「ご飯を残してはならない」という戦前の教えを守る人が多い。さすが・・と思うのだが例外もある。毎食、大量に残している人が・・副菜は食べるので「ご飯はあまり好きじゃないの」とのこと。2人とも私と同じ年代。
「無理して食べなくてもいいのよ」と職員は優しいから(そりゃ、戦後の教育ですから)、私の近くではないが目にしてしまうと腹が立つ。
ご飯の量は、毎食とはいかないが、50g単位で人それぞれに決めることが出来る。200gが最大で、女性は150gが多いようだ。私は100g。腹八分目、には少し足りないくらいが良い。次の食事のまでの時間が短いので。
余計なことだが、何もかも値上がりしている今、無駄に捨てる米はやめて欲しい。毎食残すのなら分量を減らせばいいのに「食べる人が自分で調整すればいい」と、以前、看護師に言われた。金を払ってあるのだからあとは自由・・って、私には納得出来ない。

師の齢(よわひ)越してをりたる秋思かな  KUMI
コメント (4)
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