KUMIの句日記

写真と一日一句で綴るブログ。句の転載を禁じます。

生きるのは面倒なこと

2024年12月07日 | お散歩写真
天気 晴

今日はもう、二十四節気の大雪(たいせつ)。温暖化、などと言っても秋が短いだけで冬は来る。西高東低、関東平野には乾いた寒気、山の向こうは雪の季節が始まる天気図になった。
がんの免疫療法をお休みしているので色々と楽になる筈が一向にならない。でも、一昨日はインフルエンザのワクチン接種。希望しなければ接種はしないので、あまり接種する人は多くないようだ。私は毎年接種しているし今年はとくにかなりの流行のようだし。でも、しない人の方が圧倒的、という「高齢者軍団」では、あまり意味はないのかも。マスクもしない人ばかりだし。

昨日は久々に歯科へ。今まで定期的に年2・3回は点検兼ねて通院していたが、がん治療が始まって心臓が弱ってきて、おまけに膠原病を発症してからは、足が遠のいていた。そうそう長生き出来そうもないし、痛くなければいいや・・と歯にまでは気配りの意欲がなくなっていたようだ。が、1本、歯茎の怪しい歯が出てきてしまい、気づいたら数日で痛みが・・食べるに困ると、食いしん坊は歯科へ行く覚悟が出来た。
僅か5分で行けた駅前の歯科、でも、今はそこまでの道のりも息を切らせて命がけ・・(というのは大袈裟過ぎる)。歯科医院は古い雑居ビルの2階にあり、急な外階段を上がらねばならないのも今やキツいだろうか・・結論から言うと、下りが暗くて怖くて、手摺りにしがみついて下った。足よりも緑内障が進んでいるせいだ。

余程でないと抜かない主義の歯医者だけれど、今度は抜かれるかも・・と覚悟していたのに隣り合わせの歯3本と一緒に、土台を治療して保存することとなった。
治療は痛かったけれど、六十代の時、「80歳まで保証します。頑張りましょう」と言ってくれた若かりし頃のドクター、約束は果たしてくれた。親知らず以外は、まだ自分の歯が使えている。有難いこと。地元でも古い歯科で、私は今のドクターの親の代から通っていた。隣の市に本院がある。今は、息子2人が継いでいる。抜いて新しく入れて儲ける今の時代、珍しいこと。


とまあ、歯は解決しそう(無論、一回の治療では終わらない)。
でも、この冬も悩まされそうな血行の悪さからの指先のトラブル、足の指は痛みが残っているものの靴は履けるようになった。が、用心していたのに左手の薬指がヒョウ疽になりそうで、ズキズキと痛み、睡眠妨害に。一昨年の右手中指は治るまで1年かかったので、今度も?とぞっとする。
一昨日、訪問医の診察日に良い薬はないか相談してみた。化膿止めの抗生物質を出しましょう、と言われて・・抗生物質は副作用がある、でも7.8年前のことだし種類も違うみたいだから大丈夫かな?と思いつつ昨日飲んだら・・はい、みごと副作用ににやられました。白内障手術のあとで飲んだ薬と同じく、下痢に吐き気に口内炎・・まだ治らない歯痛に加えてのこと、「泣き面に蜂」が何匹?
教訓、抗生物質には油断するな! でも、副作用のことはここへ入所の時に申告してあったから、カルテに書かれていた筈・・って、人のせいにしてはいけない。
生きるって、本当に面倒なことだ。

大雪や富士はいちにち雲を吐き  KUMI
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猛暑戻る、そしてオリンピック終了

2024年08月12日 | お散歩写真
天気 晴

戻り梅雨、とは言うけれど、戻り猛暑などとは言わない。でも、立秋過ぎて戻った猛暑続きは、そういう季語にしても良いのではないかしらん?とにかく、立秋の翌日だったかの朝は少し涼しいと思ったものの、昨日も今日も熱帯夜が明けると猛暑。
上の写真のように、朝の空は少しだけ澄んで見えるものの・・南側のラウンジからの富士山は見えないままだった。
今日は、台風が岩手三陸海岸に上陸したという。台風というのは、滅多に東北から北へ上陸などしないものだった。もう、私の知っている天気のジョウシキなんてめちゃくちゃ。

パリ五輪も昨日で終わった。日本選手の活躍は素晴らしいもので色々楽しませてもらったけれど・・考えれば、ロシア不在。ウクライナも全力を出してはいない。おまけに、オリンピック村の宿泊設備は食事は不味いしエアコンはないし・・という環境を事前に知ってか、日本は最善の準備をしていったのだそうだ。美味のフランス料理は、恥をかいた。やはり何でもありの日本食の方が上をいくのですよ。
メダルに貧富の差の出た大会だった、と、どこかで読んだ。何だか、申し訳ないような・・でも、日本は高級ホテルを借り切った訳ではない。

パリの街の歴史的な建物をふんだんに見せてくれる競技の映像は、楽しませてもらえた。やっぱり「花の都・パリ」、という印象は見る人に残ったはず。でもセーヌ川は大失敗だったようで。やっぱり、大都会の下水道と繋がった川は泳げるようにはならないだろう。隅田川だって、う~ん、と東京都ですら考えてしまうだろう。飼主が犬の「落とし物」の始末を全くしない市民、タバコの吸い殻を道端にも川へも捨てて平気な市民。命がけで泳いだ選手が気の毒でならない。
昨日見たYouTube、日本に10年勤務してオリンピックをきっかけに帰国したフランス人の話を見てしまった。簡単に内容を言うと、日本の暮らしがあまりにも清潔でインフラが素晴らしく、治安もサービスも快適だったので、パリの暮らしにイライラが募るばかり、とのこと。
日本で暮らし始めていちばん違和感のあった「靴を脱いで室内へ」が、帰国したらいちばん非衛生的で信じられないフランス人の暮らし、と思うようになったそうだ。
外から帰ったままの靴で暮らすくつろぎの居間の床で、子供はハイハイをする。床の玩具をそのまま口へ運ぶ、テーブルを拭いたダスターで床を拭く。日本で言えば布巾と雑巾は兼用。ということ。「最後は洗うからいいでしょ」となるのだそうだ・・日本人には信じられない。この話、以前、「フランス暮らしの日本人妻」の話として聞いたときはその家だけかと思っていたけれど。
ネズミの出る地下鉄、ゴミだらけの舗道、汚い公衆トイレ・・
だから、日本に10年も住んだこのフランス人は、また日本へ帰りたい・・と。
こんな話、うんざりするほどYouTubeには載っている。最初はフェイクかと思ったが、結局は40年以上前に私の行ったパリは、今も変わらない、ということなのでフェイクではない。経済的にはアジアの中ですら最低になってきたようだけれど、暮らしやすい清潔な日本を、もっと自慢してもいのではないだろうか。

今日の午後は、ボランティアの合唱団が来て、歌を一緒に。

カラオケ好きの所長が転勤になり、時々カラオケ大会などしてうんざりだった。その所長が転勤になってほっとした。

「ふるさと」を歌へば秋へ近づくか  KUMI
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猛暑からの避難?

2024年08月09日 | お散歩写真
天気 晴のち曇

写真は、昨日のものと同じ日に池の畔で撮った。この日も確か猛暑に近い気温で、公園の入り口近くのサギソウの展示を見た後、涼しい池の畔を少し歩くことにした。ところが・・暑くて、もう引き返そうかな、と思った芝生に、カルガモたちが群れていた。
人間が近付いても面倒くさそうにチラ、と見るだけで。多分、池の水も連日の暑さで温んでしまい、陸に上がった方が涼しかったのかもしれない。

南海トラフが動き始めた・・という昨日の気象庁の発表は、震災に敏感な私には衝撃的だった。でも、世間ではどうなのだろう?一週間は大地震の怖れの確率がかなり高い・・という情報以外は何もないから、考えてみれば今までの「いつ、どこで起きるか解らない震災」と同じことでしかない。
そう思えば、大袈裟に考えることもない。でも、世の中には色々な人が居るから、普段から震災に備えている人ばかりではないらしい。夏休みで家を離れている人もあるし外国からの観光客も多いし。
そんな、他人のことを考える余裕なんてないので、ひとまずは自分のことを。
一人のときは、「三日分の備えを」という教えのとおり、何とかなるようにしていた。住居は一応、新耐震基準ギリギリに建ったマンションだったから、潰れる心配はない。いちばん心配になったのはトイレだった。一人になってから、簡易トイレをたくさん買っておいたものだ。それを入居のとき放棄してきたのを悔やんでいる。
ここに居れば、今のところ私は自分で動けるし、職員が居なくても生き延びられそう・・でも、今もトイレが何よりも心配。どこかに災害時のトイレは用意しているらしいが・・食べ物飲み物は、無論、備蓄がしてあるということだ。私の冷蔵庫だけでも、一日分なら大丈夫。

・・などと心配しても仕方なし。南海トラフから外れている場所ですら恐怖を覚えるのだから、四国から東海の海沿いに住む人たちは、深刻に考えなおす人も居るのではないだろうか。
私が震災に敏感な反応をするのは、母は結婚前、関東大震災を東京の下町で体験していた。看護師だった母の体験談はとても真に迫っていて、子供の頃の私に「地震の恐怖」を植え付けてしまった。戦争の怖さより、いつ起きるか解らない震災の方が怖かった。戦争は、起きたら安全な土地へ事前に避難出来る。でも地震は・・

ともあれ、日本人の宿命なのだから、受け入れるほかになし。
それにしても、この騒ぎで日本を怖がって外国人観光客が減るかもしれない。来ない方がいいですよ~

手をかざす西日眩しき交差点  KUMI
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「百歳になっても大丈夫」

2024年05月30日 | お散歩写真
天気 晴のち曇

空に高々と枇杷の実が・・近所の家の庭の枇杷。先端が、こんなことになっていた。昨日の午後、眼科への途中で。上の写真の木の本体です。

昨日の午後、2ヶ月ぶりに眼科へ。足指はまだ痛むけれど駅前までは何とか歩けるので、片道1500歩くらいの通院は大丈夫だろう、と思ったのだが・・半分ほど歩いたら結構痛くなった。昼に飲む鎮痛剤は飲んだかしらん?と考えるが思い出せない。部屋なら、錠剤の殻があるかどうかが証拠になるのだけれど。周りの認知症がうつってきてしまったみたいな。

最近は、緑内障の視野検査も以前の「手動式検査」はしなくなった。私の体力を考慮してのことなのかはよくわからない。ともあれ、新しい検査機器が増えていて、その画面を覗いて写真を撮るだけだった。私の右眼の緑内障は、最近はかなり進んでいるみたいで、左眼を閉じ真っすぐ液晶画面を見ていると、例えば、今開いているパソコンの、キイボード部分はほぼ視野から消える。
20年以上前に診断されたときは、右眼の失明は覚悟したのだから、未だに見えているのは幸運かも。
「何だか以前よりかなり視野が狭くなった気がします」と言ってみたら
「検査では、狭窄は殆ど進んでいませんね」とドクター。
スマホの見過ぎかも・・とは言えない。
「前にも言いましたが、このまま(狭窄が)進んでも生涯失明することはないですよ」
「この年齢まで見えていればもう、寿命まであと何年でもありませんし。病気だらけで長生きは出来ないので安心です」
「今は、百歳まで生きることを基準に考えていますから、長生きしても大丈夫ですよ」とドクターは笑いながら。
そうかあ、今まで、ドクターが言っていた「一生、失明することはない」というせりふ、一生、というのは百歳まで生きても、ということだったのか。視野狭窄の始まる箇所が眼球の真ん中だと失明することが多いらしい。父は40代で片目が見えなくなっている。でも隻眼で長命を保ったので、私も同じ運命かと思っていたけれど、両眼の見えることはありがたい。父の場合は眼底出血からの失明だったようだが、急性緑内障であることは間違いない。緑内障は遺伝性がある。
私は今は、足元がよく見えないのでそれを注意すれば、真っすぐを見るのは困らないから、パソコンは一番使いやすい機器になっている・・スマホはちょっとねえ・・

眼科の帰路、途中のカフェに寄ってゆっくり休む。自分では淹れられないこのカフェラテはなかなか美味しい。


せめて、靴を履いて出られるようになりたいけれど・・治癒まであと1ヶ月くらいかかりそうだ。

カフェラテの泡うつくしき聖五月  KUMI
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母の日、とりとめない今日の話

2024年05月12日 | お散歩写真
天気 曇がち

写真は公園の入り口に咲く大木のユリの木の花。公園の入り口までなら、まだ何とか歩けるかなあ・・と思うけれど、まだ靴が履けないので何とも言えない。

今日は母の日。昼食はオムライスの特別メニューだったが、写真にするような見栄えもなく。オムライスにトマトクリームソースというのが掛けられていて、いつものハンバーグに使うスソースよりはちょっと洒落た味だった。
後ろの席から、介護士の大声。「今日は母の日なのでご馳走ですよ」話しかけた人の答えは「母の日、っていつ?」「だから今日ですよ」「今日、っていつ?」
話すだけ、無駄。

昨日だったか一昨日だったか、新聞に「65歳以上の高齢者の3人に1人が認知症か認知症の初期段階」と。あら、3人に1人、というのは80歳以上の話だと思っていたのに。MCI=軽度認知障害の人を入れての数字、とあったが、そんなに多いかなあ・・と。この施設だったら殆どの人が80歳以上なので3人に1人どころではない数字になるようだけれど。
で、このMCIの段階で若年だったら治療するのが望ましい訳で。
でも、90歳過ぎたら・・もう仕方ないのかもしれない。私の隣の席で食事をする人が、そのMCI段階だと思う。入所して2ヶ月目、最初の頃はしっかりしていると思っていたが、毎日会うとだんだん解ることもある。
昨日と同じ話をする。「KUMIさんと同じ姓の人が、小学校の同級生にいたの。懐かしいわ」という話、もう10回以上も聞かされた。うっかり相槌なぞして話を聴いてしまうと、話が広島の原爆体験記へ続いてしまうので曖昧に頷き「前にもそうおっしゃっていたような」とやんわり。
人の名前を覚えない。同じテーブルの3人は覚えたが、介護士の名前はまだ全く覚えていない。毎日の暮らしで不明なことは「誰に聴いたらいいのかしら」と言うのでケアマネさんの名前を伝えても、数日後にはまた同じことを訊く。私が教えなくても、入所の時に教えられている筈。などなど。人の名前を必要でも覚えない・覚えようとしない、というのも軽度認知症の症状だと思う。90歳過ぎたら当たり前のこと、と言うのは簡単だが、そうではない人もここにはたくさんいるのだ。
彼女、最低限のことは自己判断で出来ているけれど・・90歳過ぎると進行も遅いかな? とにかく認知症へ深い知識がなくて、色々大変な思いをしたので、今度は騙されない。最初から「お隣へ座る◎さんは認知症なので要注意を」と言ってくれれば助かるけれど、病名はプライバシーに関わる。ま、彼女とは適当に会話するだけにしましょ。

仲良く人間の撒いた餌を食べる鴨と鴉。これはユリの木の公園とは違う公園。




母の日や母の煮物の甘辛き  KUMI
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