天気 晴 35℃
窓の外は相変わらずの猛暑日続きのようだ。もう、飽きてきました、同じ空を眺めて暮らすのにも。写真は、渚のある海、お台場海浜公園、って言ったっけ。レインボーブリッジの見える公園だ。渚で海水に触れられるのは、わが家からはここが一番近いかもしれない。もう15年くらい前の写真なので今は風景が変わっているかも。そういえば海を見に行こう、って姪と約束した、と思い出したのだ。房総に住んでいる姪が車で迎えに来る・・って、もう、その体力もないし、どうしても、という気分もなくなっている。
母が、亡くなる前日に「海を見に行きたい」と呟いていた。母は正真正銘、海岸で生まれ育ったけれど、私は東京生まれで疎開した身ですもの、少し心境が違うのかしら?・・なんて、時々「東京生まれ」を強調したりして、ヤな性格。ボーソー族の海育ち、野暮な女の子だったのに。
見ただけでも不味そうな毎食の紙皿紙コップ、明日一日のガマン。と思っていたら、2015年の今頃のことを思い出した。私の心臓手術の時の病院食が写真に残っていた。あ~美味しそう。
生野菜たっぷりのサラダ、病院にしては珍しいので写真にした覚えがある。病院食よりここの方が美味しい筈なのに、普通食でも野菜・肉類は小さく切られていて物足りない。話は、この食事を思い出した訳ではない。
この入院の時がちょうど乳がんの術後10年で、その検査と心臓の手術が重なる、というややこしいことになった。そして、その乳腺外科で、同じ時期に手術した「がん仲間」に出逢った。男性の乳がん患者です。珍しいけれど居るのです。彼とは、乳がん仲間の集まるネットの掲示板で出会い、病院が同じだったので、通院のときに一度だけ会っていた。独身の中年男性だった。
昨日テレビで、男性の歌手が乳がんになった、と告知していた。勇気ある告白だと思った。私も、彼と出会うまでは乳がんは女性の病気、と思っていた。治療も、私と同じ抗がん剤で「男は脱毛は怖くない」と笑っていたけれど。病名を勤務先には言えないので「軽症の肺がんの手術をした」と言っている、とのことだった。肺にしては術痕が小さいのでは?と思ったけれど。彼、今、元気にしているかしらん・・もう70歳は過ぎていると思うけれど。
明日の夕方で、療養5日、の国の基準に達するので自由になれる・・と思ったら、看護師の話では、その時点でコロナの症状がなかったら・・ということだった。ということは、明日はやはり一日隔離生活。シャワーも洗濯も明後日になってから・・もう9月です。
秋暑し眼に目薬といふ異物 KUMI (1999年)