KUMIの句日記

写真と一日一句で綴るブログ。句の転載を禁じます。

超大寒波居座る

2025年02月20日 | 俳句
天気 晴

写真は、前回の続きの、東京に「大雪」の積もった時のもの。この時は関東平野にかなり降った「南岸低気圧」なるカタチの天気図の雪だった。それでも、JRが止まってしまい、学校の教師が出勤出来なくなったようで、小学校は臨時休校したらしい。下の写真は小学校に近い都立公園のスロープだが、学校の校庭は雪合戦会場となってた。教師は不足していたが、登校の生徒は受け入れていたようだった。
雪には強い装備はいつもしいていたので、一回り、散歩に出た。しっかりした雪靴でないと歩けないくらいの雪だった。



今回の大寒波は完全に日本海側へ居座るかたち。申し訳ないが関東平野は楽なもの。テレビ画面の降雪風景を見ているだけでも息苦しくなる。あの雪の中に暮す人たち、家も暮らしも押しつぶされてしまわないか、と心配だ。

で、私はというと、先週の寒波の気圧変化に体が着いていけず、生きているのが精一杯・・というような毎日だった。目眩動悸息切れ、何をやってもすっきりせず、それでも食欲だけはあるので何とか生きていたような・・パソコンなんてもってのほか。
で、今回のウルトラ級寒波になったらどうなるか、と思ったが、気圧はそれなりに安定しているのか、久しぶりにパソコンの作業をする気分になれた。
っ天気予報士の解説では、北極の氷が融けていて、それが蒸発して「大雪を作る雲になる」と、理屈を単純化するとそういうことらしい。もう半世紀近く前に、週刊誌で読んだ「氷河期が再来する」という記事を思い出す。地球温暖化で氷河が融け始めている事実が、問題視されるようになった時期だ。私は昔からお天気オタクっぽい所があったので、とても興味があった。
温暖化で地球の気温が上がる、ということはいずれは再び氷河期が地球に訪れる、ということ。
あの記事を読んだときは、そんなの遠い未来の話、面白い記事として読み飛ばしていた。でも、この大寒波はこれからも毎年来るだろう、という天気予報士の昨夜の話に、それこそゾッと寒くなってきた。

走り根を洗ふ勢ひの雪解け川  KUMI
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回顧・大雪・・普通の暮らしの頃

2025年02月14日 | 俳句
天気 晴

寒波がようやく緩んで、日本海側の凄まじい大雪は終わったようだ。
今頃、東京にも大雪の降ったことがあった・・と思い出してブログをひっくりかえしたら、2014年の2月だった。夫婦とも無事で一応元気で、普通に暮せた最後の年だ。まだ、車も処分していない年、凍結防止に駐車場のワイパー立ててあるのが我家の車。
マンションの周りの歩道


あれから11年・・いつまで無事に生きるやら、という日々。昨日は朝から病院へ、検査が三つ、診察が三科、という過密スケジュールの通院日だった。この病院、殆どの検査はCTなども含めて当日に解かる。で、検査の結果は・・総合するとまだ生きていなさい、ということだった。
ステージは1か2でしかないが心臓悪くて手術出来ない肺がん(肺腺がん)は、中断中の抗がん剤の効果が続いていて、又2ヶ月の経過観察となった。この免疫療法は副作用がキツいのでもう体力の限界だった。でも、2ヶ月中断出来たおかげで、少しは回復した副作用もあったけれど、消えない副作用もまだ残っている。
去年の秋に見つかってしまった乳がんの「再発かもしれない影」も、余り育っていないので、経過観察に終わった。
手足の指先が襲われて寒さとの闘いの膠原病の強皮症は、対策していたからか、去年の冬ほどには悪化していない。肺に間質性肺炎は出ていないし、こちらも経過観察、どの科も次回は春以後の診察予約になった。でも、時々指に起きるレイノー現象の発作は鬱陶しい。
あとは、半月後に循環器科の経過観察があるけれど・・ともかく、心臓は先月「メンテナンス」したばかり。肺が無事だから、暫くは生きていなさい、ということらしい。でもねえ・・寒波の気圧変動のひどい日が続き、体調は最悪の日が多いのです。暖かくなる頃は又、気圧の変化の激しい日が続くし・・
など、愚痴を言っても楽になる訳ではないけれど、自分のブログだから許してあげよう。

冬になってから周りで、車椅子になる人が続出した。殆どの人は認知症ではあるけれど、そうではない人まで・・年齢には関係ない。
で、怖くなって目まいが酷くても動き廻らずに出来る軽いストレッチとスクワットは欠かさなかった。それが・・
数日前、最近は何回かだけ寝る前にやっていた習慣のスクワット。運動不足極まれり、を解消したいと思い、椅子に掴っていつもより深く膝を沈めたら・・腿にちょっと違和感が。20年前に肉離れをやった場所だ。それこそ、ヤバい、という感じですぐに中止した。でも・・翌朝、普通に歩けるのに、ちょっと長く歩くと腿が痛くなり足が止まってしまう。とてもバスでの通院は無理そうだし北風の凄まじい朝なのでタクシーを呼んだ。
病院内でも時々立ち止まり痛みをやり過ごして。・・・案の定、「車椅子借りようか」と、付添のあーちゃんに言われてしまった。答えは「絶対、やだ」
まだまだ要介護にはなりたくない。車椅子に乗るようになったら、認知症も付いてくるような気がする。ちなみに私の介護度は、介護保険適用のいちばん軽度の「要支援1」。これは、ペースメーカーによる障害者としての配慮があるようだ。

甲斐相模今朝は眩しき斑雪山(はだれ山) KUMI
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二月になった

2025年02月02日 | 俳句
天気 雨

雪の予報が、夕方近くになっても朝から雨のままだ。まあ降らないに越したことはない。何センチかの雪で東京は大騒ぎになる。
   東京の大雪といふ十糎  KUMI
大分前の句だが、越後の一晩50㎝の雪を知っていたから、何とも情けない都会の雪対策。

1週間前、体調不良の時に毎月のLINEの句会日程だった。とても俳句どころではなくて延期してもらい、それが昨日。昨日は何とか俳句を作れる体調になっていた。が、スマホでの入力の指が・・昨日は右手の指が、血行悪いせいで人差し指中指の指先が傷だらけ、薬指しか使えなくなった。せっかく体調は何とかなったのに・・で、仕方なく、俳句も「音声入力」してみた。最近は、ラインやメモなど、入力は音声にしている。でも俳句は無理では・・と思ったら、単語を一つずつにすれば大丈夫、と解った。手指入力と音声との併用だ。
ほぼ8割は音声で済むので、とっても助かった。しめしめ・・最近のアプリは良く解らないけれど便利に出来ている。手の使えない障害者には有難いことだろう。でも音声は独り暮らしだから出来る。家族や人の居る前で「紅梅や・・」なんて呟いていたら、おかしなバアサン、と思われるだけだ。選評も音声で済むので疲れない。こんな時は独りものバンザイ、だ。

今日は節分。このところずっと2月3日なのだが、本当は一日ずれることがある・・ということは歳時記に載っているので知識としては知っていた。今年が久しぶりにそれに当たった。でも、明日、と思っていた人が多いようだ。若い介護士が出勤するまで知らなくて、昼食に節分用の食事が用意されていて「会社は間違っている」と思ったそうだ。

これを食べた入所者の半数以上は、今日が何月何日、かも解っていないと思う。言われればああ節分の頃だったのか、と思うくらいで。
豆まきはしないので、一応大豆入りのご飯。鬼の嫌う鰯は煮物になって・・気分だけの節分。こういう節季や季節の行事はカタチだけでも食事に入れてくれるのが有難い。さすが東京の会社運営の施設、恵方巻なるものは出ない。大体が、節分に恵方巻なる風習のあることを知ったのは、二十数年前のこと。私は一度も節分に太巻きなんか食べたことはない。

昨日の句会から・題薄氷(うすらい)
今や、俳句=認知症予防

薄氷の日差しに押され動き出す  KUMI
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増えゆく要介護老人

2025年01月29日 | 俳句
天気 晴

写真は、栴檀の実へ群がるヒヨドリ。無論、ここへ入る前の写真。
関東平野南部はこんな、カラカラ天気が続いている。毎年のことで、寒明けまでは仕方ないのかも。何かが降るのは大体が立春過ぎてからだ。

最近、同じ階の私より前か私と同じ時期くらいに入居した人たちが、次々と車椅子使用者になった。特別に転倒とか病気とかになった訳ではないようだ。年齢は80歳後半から100歳近くまでと、あまりトシの順ではない。コロナで寝込んだ人も居るが、感染しない我々も閉じ込め暮らしだったかたから、同じような環境だった訳で。認知症の騒々しい人たちが静かになった・・と思う部分もある。でも、無言で車椅子に座ってラウンジでお茶の時間を過ごしている彼ら彼女らをみていると、生きている意味ってあるのかなあ、とも。
もう「今日はは食事抜きなんですか!」と声を荒げたり(無論、食事は摂っている)「財布がないのよ」(家族が保管している)と被害妄想を訴えたりしなくなって、職員は楽になった、という部分もありそうだが・・実際は、おむつ交換が増えたり、車椅子の乗降介助が増えたり・・シーツを汚しトイレを汚し・・見ている訳ではないが、何となく介護士の動きで解り、ロビーの隅で日向ぼっこをしていても、落ち着かない。

唯一私と普通に話せる(耳が遠くなく、認知症もなく、車椅子でもオムツ使用者でもない)近くの部屋のAさんとは、そんな光景を見ながら
「長生きしたくないわねえ」と。彼女も夫が亡くなってすぐに、息子さんの家に近いこの施設へ入った。同じ階で私とまともな会話の出来る人が20人中1人、というのも寂しいこと。今朝は彼女、
「主人に、早く迎えに来て、と毎日言ってるのよ」
「あら、私もそんな気持ち。夫婦でもあの世へ行くのは早いもの勝ちね」

以前の家からの夕富士です。寒中がいちばん富士の美しい季節。今の場所からも同じ富士ですが・・電柱だらけ。

戦後80年。今、ここの入居者は女性は90代がいちばん多いとか。100歳近い人も何人か。重度の要介護の人たちには70代の人も居るが、認知症は圧倒的に90代が多い。
戦争を生き延びた戦前生まれは、粗衣粗食を生きてきたので、頑丈に出来ているらしい。私は病気だらけだけれど、命に関わる病気を克服した人も多い筈なのに、ものすごく生命力があるようだ。食欲のある人ほど、動けなくなっても元気なようで、やはり胃腸の健康が人間にはいちばん大事なようだ。何でもガマンして食べてきた世代なので、あまり文句も言わずよく食べる。

で、そんな我々世代よりも少しはひ弱かもしれない団塊の世代が、いよいよ後期高齢者になっていく。もう、なっている。要介護対象は増える一方で、団塊の世代を親に持つ働く世代は、これから、仕事と介護の両立に苦労するだろう、という話をテレビで報道していた。誰もが簡単に施設へ入れる訳ではないし、働く人を確保するために高給出す時代が来るだろう。住む家を売り払ってやっと入れた私ごときは、有料ホームなど夢のまた夢になるかもしれないし。
丈夫で長生き世代の我々がこの時代をはやく「引退」しないと、世に認知症の人が溢れていくこと間違いない。ああ、つくづくテキトウな頃に手のかからない「さようなら」を迎えたいもの。

夕富士の頂きつつむ雪けむり   KUMI
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生きています

2025年01月24日 | 俳句
天気 晴

私の体調も悪いけれど、パソコンの調子も悪い。そろそろ寿命かなあ・・ってパソコンのこと。私はまだ生きています。写真の花のように枯葉に埋もれて・・

とはいえ、1週間もブログを休んでいた。5日前にようやく、施設のコロナの隔離暮らしは終わったものの、心臓のメンテナンスをした筈の私の体調はちっとも改善しない。しないどころか、かえって心臓の動きは悪くなっていくような・・おまけにドライアイが酷くて、本当はパソコンを見ない方が・・
退院の時に循環器科のドクターは「それほど悪くはなっていない」と言ったからそう思うことにしているものの、退院してから又10日間のコロナ隔離で、何だか疲労が溜まったような。居住する4階のフロアは自由に動けたけれど、閉塞感が消えない。部屋でルームサービスに運んでくれるから食事時間の「ストレス」はないものの、やはり人間、「外へ出られない」というルールに縛られるのと「出ることは自由だけど今は出かける体力がない」では気分が違う。
その間に、4階の入居者の重度要介護者がまた増えた。車椅子で食堂へ来る人が4人増え(20人のうち)、車椅子は移動のためだけだった人が立ち上がれなくなったり、認知症の人が益々ひどい症状になったり・・感染して1週間以上も部屋から出ないと、そんな人が増えるばかりだ。私も、22日に眼科へ行ったら何だかひどく疲れて、その夜から動けないくらいの目眩に襲われて・・何しろ、心臓はまだ大丈夫、と言われているのでひたすら我慢我慢。病院はインフルエンザの患者で大変らしいから、救急診療へ行くのも無理だろう。

今日は久々のパソコンを開いた。まだ生きている、と知らせなくちゃ・・って、有名人でもないからもう消えていたって、どうということないのに。その代り、中居クンがテレビから消えてしまった。寂しいですよ。

今年は、大寒過ぎたばかりなのにこれ以上の寒さはもう、来ないのだそう。
霜柱なんて、見ないで終わりそう。もっとも、霜柱のある時間に外へ出ることはもうないだろう。

日にちの経つのが早いこと。始まったばかりの初場所が、もうすぐ千秋楽だ。いつも、初場所の最中に向島百花園で定例の句会があった。両国駅を通るので、途中下車して国技館の周りの雰囲気を楽しんだともある。場外でも色々と他惜しめるのが相撲の街・両国界隈だ。序の口・序二段などの若いお相撲さんはJRで国技館へ行くので、電車で乗り合わせることもあった。懐かしい光景だ。

初場所や鬢付け匂ふ総武線  KUMI
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