KUMIの句日記

写真と一日一句で綴るブログ。句の転載を禁じます。

五月尽

2021年05月31日 | 俳句
天気 晴一時雨

もう5月が終わるの? という感じで5月のカレンダーの最後を眺めた。
一年で一番好きかもしれない気候の頃で、寒がりの私の、唯一寒がらなくて済む季節で。(夏になると寒さの敵は冷房になる)
遠出をすることの多い季節でもあった。旅の思い出も、結構多いかもしれない。

今日は洗濯屋へ行くのに遠回りして、少しだけ紫陽花を見に。

紫陽花の上に何かが止まっている、と思ったら、カミキリムシのようだった。


洗濯屋までは2分だから、遠回りもなかなか難しい。
結局、いちばん近い市の防災公園まで行き、いつものようにベンチに坐ってぼんやりと親子連れを眺めて。幼稚園入園前の子供を「公園デビュー」させる所なのだ。時々、近くの保育園の子供も来ている。子供が居ると、句材にはなる。孫を詠んだ句に佳句なし、と言う。他人の子供なら客観的な句を作れる、ということなのだろう。
この公園には紫陽花はない。市の公園には必ずポンプ井戸があり、普段も使えるが災害時には生活用水になる。子供の忘れ物らしい帽子が。


このあたり、ハケ(崖)の上は多摩川の水源の地なので、掘れば水が出る。
わが市の自慢は、水害の殆ど起こらないことだろう。「水と緑」しか自慢するものがないけれど、この頃の異常気象の中これもまた自慢出来るかも。「窪」と名の付く地名があるので、大雨で窪地に水の溜まる程度の水害はあっても、洪水はまず起きようもない。

あまり草取りをしていないので、十薬がたくさん咲いていた。

明日は6月。そろそろ関東も梅雨入りしそうな気配だ。

若葉風じゅんばん守る滑り台 KUMI
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夕立あと

2021年05月30日 | 料理
天気 晴一時雨

午前中から、今日は耳鳴りがひどいし目まいもまた。午後には雨が来るのかな、と思ったらその通りになった。といってもごく短い夕立だったが。・・虹でも出ないかな、と思って楽しみにしていたが、写真のように何もない夕立あと。夕方には大きな雷鳴付きで。

「恐怖のオリンピック」がだんだん近づく。私にとっては近づくにつれて心臓を何かで締め付けらていくような心地がしている・・でも、あの無責任ジイサンも緑のオバサンもよく辛抱できるなあ、と思う。さすが、政治家。

午前中に散歩がてら、と洗濯屋へ出してあったものをとりに行こうと思い伝票を確かめたら「仕上がりは日曜になります」と言っていたのに「日曜の午後5時仕上がり」だった。確かに日曜の仕上がり。出かける気になれなくなって、結局は籠ってしまった。どんどん運動不足が加速していく。目まいが切れ目のない毎日続くので、ストレッチもサボり気味になってしまった。おまけに、梅雨のような日には、昔の傷・・太ももの肉離れの後遺症が疼く。このところ、ずっとサポーターを欠かせない。本当は、あまりサポーターを使うのは筋肉を弱めるから良くない、とか整形外科で言われたような・・歩くのは支障ないのだから、やはり外へ出なくては。

写真を見て歩いたつもりで、昨日の続きの高幡不動尊の写真を追加。

まだ毬咲きの花は見ごろ前だったが、五重塔の裏の石垣に額紫陽花が咲く。私の好きな一枚。これは、当時のブログにはなぜか載せていなかった。

昨日のコメントに、同じ市内にお住まいのばんこさんが、高幡不動尊の魅力をほぼ全部、書いてくださった。

高幡不動尊行きたいですね。
いつも参道に沢山参拝客が並ぶ初詣
山伏が法螺貝を吹きながらお練りの初不動・だるま市
松平健さんや芸能人が豆を撒く節分祭
不動堂でお護摩の後のお坊様のお話
山紫陽花を見ながらの四国八十八ヶ所巡り
土方歳三様の像にも会いたい
モノレールに乗ればすぐなのに
 コロナ禍早く終わらないかな      ばんこさん

(ばんこさん、無断拝借、ごめんなさい)


夕立過ぐ青空は雲押しのけて KUMI
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山紫陽花の咲くころ(回想)

2021年05月29日 | お散歩写真
天気 晴

写真は、2018年の今頃、高幡不動尊で。

昨日、少し紫陽花を眺めてきた中に、散り始めた額紫陽花があった。
額紫陽花の元となった山紫陽花は、今頃から6月の初めが見ごろになる。昔は紫陽花といえば派手な毬咲きが見応えもあり好きだったが、この二十年くらい前から高幡不動尊の山紫陽花を知ってから、この花のとりこになった。とにかく、紫陽花の原種でもある山紫陽花がもう一度見に行けたら・・納得のいく写真をもっと撮れたら・・
最後に見に行ったのは2018年のこと。足掛け3年かかった亡姉の諸々の始末の、地獄のような日々がようやく終点に近づいた頃だ。紫陽花の時期は、その翌年にも夫の抗がん剤の合間に体調の良さそうな日に同行している。でも、この山紫陽花のときは一人だったので、かなり時間をかけて撮ったつもり。

さて、山紫陽花はほんとに小さい。スマホと比べるとよく解る。




こんな山の斜面の、大きな紫陽花の下に咲くので暗くてなかなか旨く撮れない。狭い遊歩道は三脚は使えない。


でも、新しいカメラには手ブレ防止機能がついていたので、まだ使い方もよく解らなかったが何とか写った。七段花。

シーボルトが標本をヨーロッパへが持ち帰った、という紫陽花の原種が、この七段花、という花で幻、と言われていた。それが戦後、六甲山で発見されて全国に広まった。品種改良された紫陽花とは葉っぱも花も全く違う。青い色が何とも美しい。六甲山には群生地があるという。

多摩の紫陽花寺・高幡不動尊には、全国から集めた原種に近い山紫陽花がたくさん咲いている。可憐な花と色は、毬咲きにさきがけてとても魅力的だ。ちょっと電車に乗れば30分もかからない所なのに・・今の私には遠い場所。

雨音の山に始まる紫陽花寺  KUMI
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紫陽花の季節始まる

2021年05月28日 | 俳句
天気 晴

月一回の眼科の通院、うっかり延していたら今日はもう、月末の金曜日。緑内障の点眼薬も残り少なくなってきた。ということで午前中、いつものように9時半に家を出る。途中の美容院の前にある紫陽花が、かなり色づいていた。この花、確か色が変われば濃い赤紫系だったような。
帰路には紫陽花見物がてら少し歩こうと思っていたら、いつもより待たされ、あまり時間がなくなった。それでもせっかくの外出チャンス、遠回りしてみると・・古い住宅街には紫陽花を植えている家が多いことが解った。
うっかり撮ると家や門は入ってしまうので、住宅街の紫陽花撮影は難しい。




この大きな株の紫陽花は、すぐ近くの家の玄関の横にある。かなりのボリュームの花になりそうだ。楽しみに見せていただこう。


以前の住まいの方まで行けば紫陽花はたくさんあるけれど、さて、外出の理由を探さねばならない。正直に「日光浴と健康維持の散歩」と言って出るしかない。こういうことに気を使わねば、というのがとってもストレスになる。ダメ、とは言わないけれど「不要なことで出かけて欲しくないのですよ」「特別扱いなのですよ」という職員の感じがイヤでも伝わってくる。経営主体の本社のお達しだから仕方がない。
ワクチン二回目が終わって効力の出るのが6月の後半・・そうなったら「お出かけはやめて欲しい」感がなくなるだろうか。ワクチン打った甲斐がない。

紫陽花がなかったら、とても梅雨の季節は我慢が出来ない。去年の今頃は、今よりは体調も良くて、紫陽花を見に公園まで行けたっけ・・と思い出す。

木洩日の中に消えたる夏の蝶  KUMI
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時計が読めなくなったら・・

2021年05月27日 | 俳句
天気 雨

昨日の皆既月蝕は雲の中だった。がっかり・・今日はその続きで無論一日雨なので、写真は先日の晴れた日のもの。
スーパームーンの皆既月蝕、次は12年後とか。生きていませんです。
今日は冷たい雨になった。梅雨入りしていれは「梅雨寒」というところ。

今日のように出かけずに雨を一日籠っていると、眠くなる。ちょっとラウンジに出てストレッチでも・・と出ると、AさんとBさんがソファに向かい合って話をしていた。お二人とも足腰には問題がない。
Aさん・・認知症がどんどん進み、たとえば昼食後2時間経った頃に会うと「食事はまだでしょうか」と聴いてくる人。時計が読めなくなっている。
Bさん・・先月入居したばかり、入居の翌日から「家に帰る」と言い張っている。
という二人が、なぜか意気投合したようで何度か二人で話をしているのを見かけた。
どんな話?と、運動のつもりの足踏みをしながら、ちょっと耳を傾けてみる。
Aさん「時々、食事を食べさせてくれないことがあるんです。昨日もお昼を食べませんでした」(なぜか、とっても丁寧な話し方をする人、無論三食食べない日はない)
Bさん「あらまあ、そりゃ大変だわね。文句言ったほうがいいよ」(どうも北関東風の少し乱暴な話し方をする)
Aさん「言いましたよ。でも、終わった食事は間に合わないですからねえ。私は外国暮らしが長くて、外国からすぐここへ来たものですから、ここの事情がよく解らなくて」(外国、それはご主人が現役時代の昔の話らしい。もう、入居して3年目の筈)
Bさん「ありゃ、外国からじゃ仕方ないね。私は何だか解らずここに泊まれ、って娘に連れて来られてね。一泊で帰るつもりなのよ」(毎日、誰かに同じことを言っている)
Aさん「そうですか、もう今日はお帰りになりますか」
Bさん「帰らないとね。お金も持ってこなかったし。奥さん、いつまで居るの?」
Aさん「私、解らないけれどここにずーっと居るように言われているんです」
Bさん「ずーっと、は厭だわねえ、とにかく、お昼を食べたら帰るわ」
Aさん「帰るところがあってよろしいですね。私は外国からここへ来たものですから・・」

という話を延々と続けているようだった。昨日話したことは忘れるので、会えば同じことを話しているのだろう。
正常な人と話をすると「昼食、さっき食べましたよ」と否定されるし「外国、ってどこの国から来たのですか?」と聞かれたり。帰る、と主張すれば「ご家族が迎えに来ているの?」と聞かれたり。そんな面倒が、同病者と話していれば何もない。
考えようによっては平和な会話。コロナなんて、頭のどこにもないのだろう。

最近、解ってきたこと。認知症の始まりは時計が読めなくなることなのだ。
運転免許証の更新で、高齢者にはテストがあって、その中に〇時〇分の時計の図を書きなさい、という設問があるらしい(私は60代で免許返上したので、夫から聞いた)。何でそんな簡単なことを・・と思ったが、Aさんを見ていて納得した。
彼女はラウンジに始終出てきては誰かに「食事はまだですか」と聞く。ラウンジの壁には大きな時計がかかっている。なので、最初の頃は「まだ1時間早いですよ」とその時計を指し示していたのだが・・無駄なことをしていた。ある日、昼食は終わったのでしょうか、と言うAさんに、時計を指して「さっき食べたばかりですよ、今、何時か解ります?」聞いてみた。
じっと時計を見ての答えが
「11時2分ですね、昼食はまだですね」・・・・・・こりゃ駄目だ、とはっきり解った。つまり、長針が11を指していて、短針が2を指している。数字だけは解るようだ。はい、正解は1時55分です。時計が読めなくなったら、不便この上ないと思うけれど・・どうなのだろう?

何だかねえ・・ここに居ると、私も自分の言っていることに自信が持てなくなってくることがある。

合羽着て犬が行くなり迎え梅雨  KUMI
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