KUMIの句日記

写真と一日一句で綴るブログ。句の転載を禁じます。

大晦日

2015年12月31日 | 暮らしのつぶやき
天気 曇時々晴

今日は、何をしたかというと・・煮物だけ作った。
煮物の助手は、兎のお玉立て。お玉とお箸が立てられてすぐに使える。皿は味見を出来る。猫舌の私にはとても重宝な一石二鳥、三鳥になる優れものだ。

今年も、正月の準備に台所へ立っている。本当は命を落としかけた年だった。「心室完全ブロック」という、もう心臓は元に戻らない状態になっていて、今は器械のおかげで生きている。
家ではなく外で倒れていたら、その場所が駅だったり道路だったりしたら・・命はなかったかもしれない、と医師に言われた。
去年のブログに「来年のことは解らないけれど・・」と書いている。ほんと、一年後のことは何も解らない。
だから、今年も除夜の鐘を聞けるのは本当にありがたいことだ。
北風があると良く聞こえない武蔵国分寺の薬師堂の鐘、今日は聞こえるかもしれない。

今年また年越し蕎麦を茹でてゐる  KUMI
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小野小町

2015年12月30日 | 暮らしのつぶやき
天気 晴

50年くらい前に、母の作った木目込み人形の小野小町。
少し本棚のまわりを片付けたので、いつもは上の方の硝子戸の棚に入っている小野小町さんをお正月だけは外に飾ってあげよう、と思いついた。
母は、和裁も編み物も得意で、でもそれは「子供のために」という家事のひとつとしてせっせと針をすすめていた。趣味として木目込みを始めたのは、末っ子の私が成長してからのことだ。元々が器用な人だったから、木目込み人形もとても精緻に出来ている。
この、小野小町さんは、顔が「KUMIに似ているから」と、私に渡された。
どこが~~と、 私を知っている人は、これを読んで大笑いしているだろうと思う。「小野小町か楊貴妃か」である。若い頃はキツネ目だったので、人形の目が似ていたのかもしれない。
母は、私が38歳のときに旅立った。享年80歳だったから、当時の平均寿命としては不足なかった。
自分の母親(私の祖母)が、妹(私の叔母)を産んだときの産後がよくなくて赤ん坊を残して亡くなった。そのため、母は上京して看護婦と産婆の資格をとったという頑張り屋だった。その「卒業証書」を形見に貰ったけれど・・どこへいってしまったろう?今度探し出さなくては。
硝子戸の中でも、50年も経つとかなり褪せてきてしまった。
私もあと何年生きるか解らないから、もう褪せてもいい、お正月には自由にしてあげよう、と思ったのだ。

小晦日(こつごもり)は、いちばん落ち着かない。何かしなくちゃ、と気になっているところをちょっと掃除したりして、でも、いちばん気になっている使われていない裏の部屋はそのまま。寒いから、暖かくなったら色々片付けよう・・と、去年もそう思った覚えがある。
大晦日は、正月用の料理の日、と決めているので諦めもつく。

ちちははの写真を拭ふ小晦日  KUMI
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富士山の朝晩

2015年12月29日 | 暮らしのつぶやき
天気 晴

上は、今日の日の出直後の富士山。
下は、日没時の富士山。半分が雲の中だった。


仕事納めも終わり、空気がきれいになるので、年末年始にはお天気が良ければ富士山もすっきり見えることが多い。今は富士山の裾に沈む太陽、お正月明けにはダイヤモンド富士になる。

今日は朝から掃除の日と決め、午前中に少しだけたまった埃を落としたり。
夏の手術後、腕が動かせなくて汚れ落としの掃除が3ヶ月くらい出来なかった。それを今日は少し気を入れて。
でも、すぐに息が上がる。やっぱり、器械で動かす心臓は柔い、と思った。
あまり無理をして体調を崩しても・・と、またもや言い訳を思いついて午後は何もせず。
何もしなくても、ちょっとパソコンを覗いているだけで時間が経ってしまう。

年詰まる昨日のことのはや遠く  KUMI
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ねこ歩き写真展

2015年12月28日 | お散歩写真
天気 晴

今日を買い物の最後の日、と決めて、その前に吉祥寺のデパートで開催している岩合さんの「ねこ歩き」の写真展を見に行った。帰りに地下の食品売り場でお正月商品を買えば良い訳で、一石二鳥だ。
展示場内は、無論撮影禁止なので、写真は入口のポスターから。


「ねこ歩き」は、TVで時々見ていた。とくに地中海の港町の猫がとっても楽しい。猫への愛情が感じられる写真ばかりだ。
写真集を買うとご本人のサイン会でサインをいただける、という日で、ちょうどサイン会が行われていた。
TVで拝見するよりも、ご本人はスマートで、白髪がきれいだった。
本は増やさない主義なので、写真集は涙を飲んで買わずに済ませた。そのかわり、地中海をバックに猫が跳躍している写真の手提げを買ってしまった。


吉祥寺は、勤めていた頃によく途中下車した街だ。我が家と職場とのちょうど中間になる魅力のあるところ。まだ土曜日が半日勤務の頃は、予定がなければ吉祥寺で降りて、買い物をしたりブラブラ歩いたり。その頃とは違い、大通りからは電線が少なくなってすっきりしてしまった。こちら側よりも、今は、駅の南にある井の頭公園へ行く機会の方が多い。


あれこれ見たい、と思いつつも、デパートの地下でお節を買い・・手作りはお煮しめだけにすることに・・あとは足元だけを見て帰路についた。店をあれこれ眺めれば、欲しいものがあれこれと出てきてしまうのだ。昔立ち寄ったお店もまだ健在だし・・
と、誘惑を断ち切って電車に乗った。
駅前の地元野菜のお店で不足する野菜を買い、今年の買い物納め、とした。

年の瀬の列なす店の最後尾  KUMI
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西高東低

2015年12月27日 | 俳句
天気 晴

ようやく冬らしい天気図になって、山沿いに雪が来た。こちら側は空っ風。こんな日は、晴天でも富士山は見えないことが多い。雪が降っているのだろう。今は富士山の裾野あたりに日が沈むので、夕焼けも写真のように不気味な雲で覆われていた。

散歩に出ようと思ったら風が寒くてやめてしまった。根性がない。どうしても、という用もないし家に籠ってしまった。
「月刊俳句」の新年号を読む。10句づつの新年詠は、高齢の俳人の特集だった。

後藤比奈夫さん、白寿だという。
    抱へられ初湯に浸りゐる不思議 比奈夫

金子兜太さん、確か94歳だろうか。とにかく元気で活躍しているのには驚く。
わが主宰と親しいので二度ほどお目にかかったことがある。
    年を重ねて戦火まざまざ寒紅梅  兜太

年齢順に載っている大俳人の中に、喜寿のわが師の作品も。
実は、今、入院中だ。私と同じ頃に倒れて緊急入院、そのことが書かれていて、何だかほっとした。あまり他言してはいけないかな、などと思ったりしていたので。でも、結社の仕事はきちんとしているので、あとは麻痺の残った足がリハビリでどこまで回復するのか、という状態のようだ。それを除けば、元気は相変わらず。
    往還に疎開の母子初日待つ   杏子

年を重ねるのは大変なこと。でも、百歳越えた人がまだまだ活躍している時代。
私はまだまだ若いうちに入るようだ。空っ風に負けてはいられない・・とは思うけれど。

富士包む雪雲厚く日暮れけり  KUMI
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