KUMIの句日記

写真と一日一句で綴るブログ。句の転載を禁じます。

荒梅雨

2024年06月28日 | 俳句
天気 雨

梅雨だからよく降って当然、最近は線状降水帯などという大雨の雲の塊りが暴れる。しとしと雨の続く梅雨の始まり、などという天気は、もう来ないのだろう。あまり雨の降り込まないベランダもびっしょりで、涼しいのに硝子戸を開けられない。
写真は、他の写真を捜していたら目に止まった一枚。10年くらい前の今頃のもので、ヒナは生まれたばかりのようだ。何羽が育ったのかブログを調べればわかるけれど、毎年何組ものヒナが生まれ、2.3羽残れば良い方だった。

さてさて、ここで暮らし始めてから認知症の多さには驚かなくなったものの、今日は改めて「そうなの・・」と考えなおしてしまった。
昨日から、食事は30分遅れにしてもらい、不快騒音から逃れてほっとしたのだが・・昨日、同じテーブルで食事する軽度認知症のお2人には事情を話しておいた。左隣のEさんは補聴器を使っていて、やはりゲホ音を不快に思い同調していたし、昨日の夕食時に説明し「私のわがままだけど、我慢出来ないからごめんなさい」と身勝手を話して解ってもらえた。・・と思っていた。
今日、朝食に30分遅れで食堂へ行ったら、まだ二人ともお茶を飲みながら話をしていた。私が座ったら
「どうされたの、具合が悪いのかと心配したわ」
あ~あ、まさか一晩で忘れるほど認知症が進んでいるとは思わなかった。昨日話したでしょ、と言ったら色々面倒になることは、以前に「学習」している。仕方ないので
「大丈夫よ、後ろのゲホゲホがイヤで遅く来るようにしただけ」と、了解してもらった。
で、昼食に30分遅れて食堂へ行ったら
「来ないから具合が悪いのかと思ったわ・・」と、もう一人のSさんと二人揃って。
「大丈夫よ、後ろのゲホゲホがイヤで遅れて配膳にしてもらってるだけ」
そろそろ覚えてくれるかと思ったら・・夕食も同じことを聞かれた。
「具合が悪いの?大丈夫?」
「大丈夫よ、心配ないです」疲れる・・毎食、説明するの?そろそろ覚えてくれないかしらん。
2人とも明るい性格であまり悩まないタイプのようで、厭な人たちではないけれど・・認知症の世界が恐ろしい。

でも、彼女たちはまだ自立している方だ。歩行器に掴って歩き、エレベータ―は自分で操作して自室へ一人で帰れるからまだ良い。どうも、入所前がマンション暮らしだったのでエレベーター操作が身についているらしい。そうでない人は・・
去年は食堂へ一人で来て一人で部屋へ帰った人が、もう操作を忘れているのに今日、出会ってしまった。
介護士が一緒に乗ってきた。
「幾つを押せばいいの、一人で帰れるわよ」と主張していたが・・
「Kさん、2階の自分の部屋の番号は解かる?」
と訊かれ、彼女、黙ってしまった。

人ごとではない。私もそういう日が近付いているのかも・・

明らかに毒ある白さ梅雨茸  KUMI
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わがままを貫きました

2024年06月27日 | 俳句
天気 曇

写真は夏桔梗、咲き終ってこれを伐り詰めれば晩秋に再び咲くのだそうだ。
公園の一画に咲いていたが、今も咲くのやら。

実は、この2ヶ月以上もの間、凄く悩んでいたことがある。食堂でのジイサンたちの騒音、というか、食堂へ響き渡る吐き気を催すような凄まじい痰切りと空咳と。食事の終わり頃から、毎食時に不愉快極まりない音がすぐ後のテーブルから聞こえてくる。
一人は病気のせいではないらしいが、大きな体で咳払いなどするので凄い音だ。本人は異常に耳が遠いのに補聴器は付けていない。
もう一人は、痰を切らないと詰まって大変なことになりそうな病気を持っているらしい。が、とにかくニワトリの首を絞めたときのような声の咳払いが続くこともあって、耳を塞ぐが、声がしてから耳を塞いでは間に合わず。看護師と、介護士の責任者にそれを訴えたら「どうにもできないことなので、何とか我慢を・・」みたいなことを言われてしまった。

という日々、何とか対策を・・と言っても二人とも見かけは足が弱いだけの、まあまあの高齢者に見えるが、理解力の方は・・全くないようで。「咳き込むときはタオルで口を覆って」と注意しても、次の食事の時はもう忘れているらしい。ましてや、周りの人が迷惑している、なんて理解も出来ないことらしい。
ガマンならないので振り向いて睨むと、変な顔をして「あのババア、なんで俺をいつも振り向くんだ?」と言いたそうな・・
この不快音の始まる前に食事を終わりたいが、それも無理。それでも聞く時間を少しでも短くしようと、必死で食べる。ギョエ~ゴホン・・が始まるともう、食べる気分が失せて食べ残して部屋へ帰る。もう、食事の楽しみが殆どないような日々だった。

そんな毎日に、堪忍袋の緒が切れた・・これ以上ガマンにガマンを重ねたら、本当に心臓が壊れる。と思い、今日から毎食、私だけでも食事開始時刻を30分遅らせて欲しい、と申し出てみた。食事時間は、普段から通院や用事での外出時でも事前に伝えれば延期出来る。断られるかと思ったら・・あら、簡単に受け入れてくれた。狭心症で倒れられても困る、と思ったのかもしれない。 夕食から、私だけ30分遅れとなった。
遠い席の人でも不快を訴えているが、もう、私は自分を優先します。他の人が私を「図々しい」と思うのだったら、自分たちも訴えて欲しい。それをしないのは、耳が遠くてあまり気にならないか、認知症であまり感じないか。
一人で食事することになるけれど、どうせ、今のテーブルで同席の3人とはそう親しくもない。揃って耳が遠いし、二人は初期認知症。その二人、まだテーブルに残っていて、私が来ないので心配していたのだという。あのねえ、昼食の時に訳を話したでしょ・・とは言わなかったけれど。こんな二人だから良い人たちではあるが、付き合うのは疲れます。

ゆっくり食べた夕食は、久しぶりに美味しい、と思った。

ねじり花人の名前を忘れゆき  KUMI
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熊・異常気象の影響か

2024年06月26日 | 俳句
天気 曇

写真は10年以上前の今日、新潟の山の中で。いつも毎年、私の誕生日頃には山菜採りに行っていた。標高千メートルくらいは今頃、ワラビと、山にしか生えない根曲がり竹のタケノコが採れる。だから、地元の人たちは熊を恐れながらも山へ入っていくのだ。ことに根曲がり竹のタケノコは高価らしい。採るのに苦労するので、私はあまり採ったことがないけれど。



何だか、狭心症です、と診断されてから体調が悪くなった。梅雨のせいもあるだろうけれど、とにかく体が思うようにならない。それでもせねばならないことはあって、昨日はシャワーを浴びて午後には月1回のLINE句会。メンバー3人のうちの1人が、転倒で腕を骨折してしまったという。私よりずっと若いのに・・人ごとではない。外出すると細心の注意をしているつもり。
右眼の半分下が見えない緑内障なので、足元はしっかりと見て歩く。もっとも、この「見えない」眼のおかげで注意をして段差などを見ているから、高齢者に多い躓いての転倒はしないのかもしれない。

都知事選挙やら世界へ目を向ければ戦争のあれやこれや・・自分を見れば病気のこと色々・・などなど、書きたいことはたくさんあれど、最近、驚かされるテレビの映像は「人懐っこい熊たち」だ。
で、山へ行った日と同じファイルにこんなものがあった。

安心してください、多分、下と同じ群馬サファリパークへ行ったときの写真です。


「熊注意」の看板は、新潟の山間部では珍しくもない。でも、一度も見たことがない。猿にはよく出逢った。自然を生きる猿は、我々が山菜採りをしているそばで、同じように草を摘んで食べ、人間には興味を示さない。人間は草をあさる仲間、くらいに思っているらしい。
カモシカにも時々出逢った。
下の写真は、望遠で撮ったカモシカ。遠くから見つけたときは、子牛かと思った。あとで知ったことだが、カモシカとは言うけれど牛の仲間なのだそうだ。


ともかく、熊がこんなに人間に近付くのも異常気象で山に何かの変化が起きている証拠かもしれない。東京も、奥多摩の山間部には熊がたくさん棲息するが、最近は街へどんどん近づいているらしい。「アーバン・ベア」なんて呼び名まで付いてしまって。カッコ良い呼び名が付いたって熊は熊です、怖いです。今、熊に出くわしたら、私は恐怖で心臓が壊れて即あの世、ですよ。
生きている間に出遭いたくないもの、直下地震・富士山の噴火。それに月の輪熊が加わってしまった。

昨日の句会から。題「鴉」

夕焼けに染まらず鴉四羽五羽  KUMI
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もう梅雨晴間

2024年06月24日 | 俳句
梅雨入り三日目にしてもう梅雨の晴れ間は広がり、久々の富士山も。写真は以前の住まいからの梅雨晴間の富士山。ここからでは電線電柱が邪魔で写真にならないし、今のところ、カメラはやめている。

訃報は、唯一生き残っている姉のご主人のもの。90歳だし、長く患っていたので突然ではないけれど・・身内がどんどん居なくなるし、私の体調は悪いままで少しでも回復するところはないし・・落ち込んでいた。落ち込むのは簡単、でも元気を出すのは力が必要。というような昨今の状態になってしまった。

昨日は、誕生日には2日早いけれどあーちゃんが来てくれた。いつもは通院の付き添いの時だけなので「自由時間」をとれなかったが、昨日は色々と助かった。仏壇の供花に買ってきてくれた花の中に紅花(べにばな)が入っていた。私のために別の容器へ。

 みちのくの紅花(べに)剪りためて袖袂  杏子

師の句に紅花はよく出てきた。山形に、実際に栽培している畑があって今も京紅の原料として摘まれているのだそうだ。朝の早い時間に女たちの手によって丁寧に摘まれていく。一度、一面に咲く風景が見たい・・と思う花。

供花の中心はひまわり。元気の出る花だけれども・・かの世へ行ってしまっては・・。

これからも生きていく人間の方が大事。姉はこれといった病気はなく、足腰は弱いが私よりも元気。とはいえ、長年の介護生活を終えた姉に心底お疲れさま、と言いたい。1年弱の介護で終わった私は、運が良かったのかもしれない。

梅雨夕焼け西方浄土まで染めよ  KUMI
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梅雨入り・そして夏至

2024年06月21日 | 俳句
天気 雨

夏至に梅雨入り、とは奇妙なもの。普通ならそろそろ梅雨の中休みのはずだ。
写真は、6年前の同じ6月21日に公園で撮ったもの。公園の池近くの日のあまり当たらない場所に、遅くまで咲いている見事な紫陽花の一叢があった。雨の翌日で、とても良い写真が撮れたので覚えている。この数日後、夫のがんは小康状態だったので、湯治に行った。



それにしても、6年前の私はあんなに元気があったというのに、たった6年でこの変わりよう・・もっとも、同行していた夫の方はもうこの世に居ないのだから、生きている私は運が良いのかも。


紫陽花の写真は、もう最後にしましょ。キリがない。

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と、ここまで書いたら、近い親戚の訃報が入りました。私は何も出来ないけれど、あれこれ連絡、とかありますのでブログは中断します。
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