KUMIの句日記

写真と一日一句で綴るブログ。句の転載を禁じます。

もう4年に・・

2024年07月05日 | 俳句
晴 一時曇

写真の千日紅は4年前のもの。ここへ入る前の今頃は、まだ公園へカメラを持っての散歩に行っていたのだ。多分、コロナに脅えなくて済む広い公園へ行き、ほっと出来ていたのだろう。でも、このころからだんだんに体力減少して、視線を下に向けての「作業」がきつくなっていた。大好きな胡瓜の塩揉み用薄切りが、「命がけ」になってきたころだった。包丁持ったまま、目眩で倒れそうになったりして、コロナの恐怖もあり、独居生活がだんだん辛くなってくる時期だった。
しかし・・考えると、たった4年前のことだ。昨日はまた、4日前とは別の検査で通院、それさえとても1人で行く元気はない。新しい箇所の検査のことは省略する。病気のデパートの品数が増えたって、もう驚かない。
通院の往復はバスに乗れば何とかなるが、広い病院内を移動するのは結構気力体力を使う。でも、昨日同行してくれた昔の職場の後輩、何度も世話になっているものの、考えたらいつ迄も若い訳ではない。昔は「若いから元気ね」と思っていたけれど・・私がもう少し元気になれればいい訳で。と思い、ここへ入所する前の今頃の自分を見たくなったのだ。
でも、4年前の自分を振り返って愕然とした。
ここへ入ったときは、2,3年という余命宣告だったが、新薬のおかげでそれを越えて生きている。が、やはり「今の状態の自分」の存在は4年後にはあり得ない、と思った。この4年間、徐々に徐々に弱ってきた。この先は?
などと考えることはあるけれど、案外と普通の気分で暮らしている。
「不安を除く精神安定剤が必要だったら、漢方の薬もあるし、先生に頼んでみます?」と、看護師が。え?夜はよく眠れるし、心臓の薬やら胃腸・高血圧・・もう薬はうんざりするほど飲んでいるので、必要ございません。

4年前の梅雨夕焼け。

コロナ禍のどんどん広がる頃で、夕焼けが不気味な色に見えて仕方ない年だった。最近は、こんな見事な夕焼けは見たことがない。

あっと言う間に猛暑列島となってしまい、梅雨前線はどこへやら。連日の熱中症アラート、都心だけではなく昨夜はこのあたりも熱帯夜だったようだ。いくらなんでも、まだ7月初旬ですよ。

雨上がり千日紅の光り出す  KUMI
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一瞬の梅雨晴間

2024年07月03日 | 俳句
朝の北の空。晴間が出ているように見えるけれど、南側は雲だらけで富士山はもとより山並はまったく見えなかった。

今年の梅雨は短いらしいが、今日は前線が少し北上して、東北地方に雨をもたらしているらしい。前線はまた南下するという。水不足の新潟や東北の米作地帯に恵みの雨になって欲しい・・でも、最近は降れば多すぎる雨、になるのだから困ったもの。

忙しい日だった。午前中、今日は月1回の出張美容師の来る日で。簡単にカットだけしてもらう。行きつけの美容院へはもう2年近く行っていない。サービスが良かったし行きたい気持もあるが、もう、疲れそうな距離になってしまった。何でもいい、サッパリ出来れば。
で、終わったら都知事選の期日前投票に。昨日と今日の2日だけ、駅前の市民ホールの会議室が投票所になっている。市役所だとバスで行かねばならないけれど、数年前から会場にしてくれる。これはとっても便利だ。当日の投票は小学校だが、今の私にはもう、歩いて行くのは・・。駅前には古い公営住宅もあるし、助かる高齢者はたくさんいる。
ここへ入所したばかりの時は、散歩道の公園もそばにある小学校までも軽々と歩けたのに・・と考えるのはやめておこう。

ポスター掲示板には、ふざけた候補者のものは貼ってなかった。あまり人の通らないこんな郊外では売名の効果もないということだろう。ほんとにふざけた話。立候補しただけで1億円の広告価値がる、などと豪語しているヤツが居るとか。公報に載るだけでそんなに効果ある?見る気もしない公報はまだ来ていない。

そして午後はシャワー浴びて、明日の通院の準備して。あとは市役所やここの施設の、溜まっている書類が幾つかあるので書き込まねばならない。細かい作業がほんとに面倒くさい。ちょっと動いただけで目眩が加速して息切れのするのはどうして?と医師に訊いても、正確な答えがないので、老衰していく過程なのかな、と思うことにしている。
周りの90歳過ぎの人が歩行器に掴ってやっと歩きながら「年とると何で息切れするのかしらん。あ、年とったから息切れするんだわね」と言っていたので、同じことかもしれない。私は心臓が弱いから10年早いだけ、かも。

住所書かされ冷房の投票所  KUMI
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通院のために生きる?

2024年07月02日 | 俳句
天気 曇

今頃、あちこちの公園の池では睡蓮や蓮が咲き始めただろう。見に行けないのを寂しいと思うけれど、今の体力で見に行っても楽しめないと思うから諦められる。ホント、体力ありません。

という日々、先月半ばの狭心症騒ぎから、通院=検査ばかりが続いている。病院は歩いても(健康なら)15分くらい、バスが1時間に20本くらい出ていて、駅前のバス停までは数分かかるけれど、乗れば病院の玄関に横づけ。ほんと、元気ならばどうということのない通院なのに・・今は一人での通院がおぼつかない。傘とか水とか持つとどうしてもバッグと手提げと二つになってしまう。
荷物を一つにしてデイバックに詰め込んで背負えば・・と言ってくれる人も居るけれど、ペースメーカーという邪魔なものが肩甲骨の真下にあって、背負い紐が器械に当たるのでこれは器械によくない。男性は、機械の装着場所が違うのでデイバックは背負えるらしい。

検査の詳細を書くのも面倒なので省略。昨日は、皮膚科は診察だけ。あとは循環器での心電図。検査よりも辛いのは、病院の冷房だ。防寒のための膝掛は持参しているし、夏なのに上下とも重ね着はしているのに、じっとしている待ち時間には冷えてくる。同行してくれた友人は、すてきな半袖の極薄ブラウスで・・健康な証拠。羨ましいこと。

2日後にも別の検査があり、今月はペースメーカーの定期点検とか、いつもの呼吸器科の検査と化学療法とか・・これは、今月も休もうと思う・・8月まで、通院日が続く。


写真に意味はありません、写真ファイルの睡蓮の前の写真だったので。

生きるために通院治療をしているのだが、何だか、通院治療するために生きているような感覚になることがある。一人ではおぼつかないので、誰かに付き添いを頼まねばならない。ドクターの大事な話の時は家族の同行も必要、でもただの検査なら誰でも良い訳で。本来なら、この施設の介護士・看護師が「付き添い費用〇分○○円」で依頼できる筈なのだけれど・・今はそんな余剰人員はないのだそうだ。医療・福祉の人員不足はだんだん深刻になっていく。もっとも、どの業界も人員不足のようで・・何の役にも立てなくて生きているのが申し訳ない。
先日、救急外来で看護師が付き添ってくれたのは、たまたま、仕事に余裕があったからのようだ。
それでも、私のために自分の時間を割いてくれる友人知人たちを思えば、何とか、「生きるための通院」にしなくては。通院のために生きているのでは寂しい。

梅雨湿りとて重たしよカフェのドア  KUMI
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