KUMIの句日記

写真と一日一句で綴るブログ。句の転載を禁じます。

老人ホームへ入らない方が良い人

2025年03月02日 | 俳句
天気 晴

最近、私がスマホでその関係のYouTubeを見たせいか、老人ホーム関連の記事見出しが色々届いてうざったい。「老人ホームなんて絶対入らない」という否定的な記事が多い。入所している私には「そりゃそうよ、そういう考えなら止めた方が・・」という内容が多い。

でも私は今、有料介護老人ホームに救われている。良いことも悪いこともあるけれど、否定する人にはそれだけの材料がなけばならない。材料というか覚悟というか・・私は要介護認定は受けていない。あれこれの大病の患者ではあるけれど、介護度は最低の「要支援1」。ま、ペースメーカー植え込みの障害者なのでそのくらいの認定はしてくれても良い。本当なら在宅暮らしは出来なくはないけれど、そのためには家事を手伝ってくれる人が毎日必要だ。この4年で症状は悪化していて、食事の仕度も買い物も掃除も、もう自立は無理。でも、介護保険では介護士派遣対象にはならない。
だから、イヤでも今の施設暮らしを嘆くようなことは言わない・・愚痴はこぼしても「もうイヤだから在宅へ帰る」などと思うこともない。


私の好きな木瓜の花です、

さて、以下に、「老人ホームに入所するのが無理な人・入所後に辛い思いをする人」はどういう人か、書いておきます。入所体験4年以上の私なので、嘘はありません。

①有料ホームなら、本人とその家族がその毎月の入居費用+5万円(最低)を余裕をもって用意出来ない人。公的な特養などのことは知りません。医療費のかかる人なら、1割負担でも、もっと必要でしょう。万一の入院のことも考えて。ちなみに、老人ホームの高級と普通との差は、殆どが部屋や設備の広さ豪華さの違いだけのようです。私は今居る、平均的庶民の入る所しか知りませんが。
施設で決められている室料・食事代などの振込む額だけでは、暮らせません。

②最低でも、スマホでの電話の送受信も出来ない人
固定電話設置できる施設もあるようですが、スマホが便利です。スマホがあれば、動けなくなっても買い物も通販や配達で困りません。買い物サービス付の施設もありますが、今は人手不足、自分の力で(家族に頼むとしても)買い物が出来ないと困ります。コロナで施設の出入り禁止になった時、家族にすら会えず、認知症の進んだ人がたくさん居ます。個室内は何をしても自由なので、スマホもハンドフリーで大声で喋れます。夜中の電話も自由です。

③独居の寂しさから、友人を作れるという期待のある人。
絶対に無理、とは思いませんが、難しいと思った方がいいでしょう。入所前のお付き合いを大事にして、スマホのラインなりSNSでの交際を大事にすることです。ホームで親しくなっても、別れはほぼどちらかの「死」です。悲しい思い出が増えるだけです。

④認知症についての知識がまったくない人。
介護ホームでなくても、90歳を過ぎれば3人に1人くらいは認知症です。認知症とは・・という記事は、それこそスマホで検索すればたくさん出てきます。軽度の症状の人は普通に暮せて普通に会話出来ますから、付き合いの最初は気づかず、厄介です。職員は「この人が認知症」などと個人の病気のことは認知症でなくても話しません。ですから、最低限、どんな症状が出る人が認知症なのか知識として知っていないと、トラブルに巻き込まれます。最悪、ドロボーと間違えられることも。

⑤食べ物の好き嫌いのひどい人
アレルギーなどあれば考慮して貰えると思いますが、食材の○○が嫌い、というのは通用しません。鶏肉は栄養上常食になっています。野菜も量は少なくても多くの種類が出されます。私の居る施設では自分の好きな佃煮とかふりかけ程度は食堂へ持参出来ますが、禁止の施設もある、と聞きます。無論、病気によっては看護師が注意します。認知症の人は、かなり管理されているようですから、食べるもののやりとりは禁止です。食事は100%施設頼みの人も居ますが私には耐えられません。基本、生モノは、病院と同じく感染防止のため、食事にはあまり出ません。

⑥時間に縛られるのが大嫌いな人。
無論、食事も入浴も、時間は決まっていて、余程の事情がないと特別扱いはしてもらえません。

と、ここまで知ったら「絶対に死ぬまで独居生活で頑張る!」と思う人が殆どだろう。一人暮らしほど楽しいことはない・・とくに戦前生まれの殆どの女性にとっては。私は、夫が1年とは患わずに逝ってしまい、自宅介護の経験は殆どしていない。納骨が済んで自由になったと思ったらコロナ禍に突入。一人暮らしを楽しむ期間は全くないまま、自分の病気が進行してしまった。
で、独居していて自分で家事が出来なくなったら?突然の病気で倒れたら?
病気は回復しても体が不自由になったら?目いっぱいの介護保険を使えば何とかなるかも?その手続きを誰に頼む?頼れる同居の家族が居なかったら、何もかも解決しない。
自分の意に叶わない施設であっても、そうしたこと手助けしてくれる施設へ入った方が・・

というのが、ホーム入所中の私の話です。さて、明日の雛祭の昼食メニューは、
雛ちらし・すまし汁・蕗と筍の煮物・菜の花の辛し和え・フルーツ
たいしたことはないけれど、季節を感じさせてもらえるのが有難い。
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早や三月、そして猫背防止の猫

2025年03月01日 | 俳句
天気 晴

写真は、散歩道だった公園の、7年前の河津桜。ちょうど今頃撮っている。
などと当時を思い出していたら、今日はもう、3月になっていた。
昨日今日はこの写真にふさわしいようなぽかぽかと春本番の陽気で、寒波の寒さはどこへやら・・という、寒さが大敵の私には良い気候。
友人から、いつも行っていた府中郷土の森博物館の梅林の写真が送られてきた。空が何とも春らしい。今年は開花が遅れているようだ。

でも、一時的な春の到来は有難くない。明日からは南岸低気圧が近付き、今まで南関東には縁のなかった雪が降るかも、という。
寒気続きで乾燥した列島のあちこちで、山火事が・・
奥多摩の地続きの山梨でも、燃えだした火がおさまらない。異常乾燥続きに野焼きをした火が拡がったようだ。まだ民家までは到達していない火、このままで行けば無事には済まない。中央高速に近い山なので、東京の郊外とも言える。近くに大きな住宅団地があり、東京への通勤可能の土地だ。早く雨なり雪なり降らないと、岩手のように民家まで延焼しそうな・・
私が心配してもどうにもならない。それこそ、天からの消火の雪か雨の降ることを祈るばかり。あんな凄まじい雪が降って、山ひとつ越えた岩手では乾燥しきっている・・日本は狭くはない。

で、猫のぬいぐるみの話。


写真は、通販で買った猫の抱き枕。猫というから買ってみたけれど、犬だか豚だか不明のデザイン、あまり可愛くない。でも、大きさがちょうどノートパソコンくらいで、膝に置くには都合が良い。
スマホ操作する時はクッションを膝に置いてその上で作業すると、肩凝りや猫背防止になる、とどこかで知った。もう猫背になってしまったから間に合わないけれど、最近は、それを実行していた。でも、クッションは大きいし柔らか過ぎるし・・片手操作の出来ない小さな手なので、クッションでもかなり効果はあったけれど・・立ったり座ったりの時に邪魔になる。
この猫、固さも適当にあるし、スマホを見るのにも首が痛くならない角度に持てるので、とっても良い。もっと早く知っていたら、もっと可愛いぬいぐるみを買えたし、猫背も進行しなかったのに・・と悔しい。

紅梅白梅青空を味方とす   KUMI
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週一ブログになっちゃった

2025年02月27日 | 俳句
天気 晴

昨日、本場の河津桜の開花が遅れている、とテレビで見たので、私が行ったときは2月何日だったっけ・・と写真ファイルをひっくり返してみた。2014年も開花が遅いと言われていたが、2月23日に日帰りしている。その日は平均して見ごろだと町のHPに書いてあったのだ。それでも、何とか菜の花と桜との競演を見ることが出来た。
河津桜は一ヶ月早く見ごろを迎える花として戦後、有名になった。でも今は、伊豆まで行かなくても河津桜の名所があちこちに出来てしまった。河津桜も、東京の公園のあちこちで見ることが出来る。でも、川に沿って海まで延々と咲く花のトンネルは見事。


何だか、ブログが週一ペースになっている。体調も悪いけれど、それよりもパソコンデスクの場所が寒すぎる。で、今日はやっと、春めいた気温のために昼間はパソコン開いても足元に小型の「電気カーペット」を置けば寒さは感じない。何しろ「冷え」が大敵の難病(膠原病)持ちなので無理は出来ない。
もっとも、今週は忙しかった。月曜は月1回のLINEでの句会、昨日は循環器科の通院日。そして今日は・・春の陽気、というので少しは外を歩きたい、と思っても、ちょっと歩くと右太腿が思うように動かなくなる。スクワットで無理をしたせい、と思ってはいるものの、こんな風に体は徐々に衰えていくのかなあ、などと。老衰、という単語が脳を巡ってしまう。その脳だけは正常(に近いと思っている)なのが今のところの幸運。認知症の前段階で、嗅覚が鈍くなるのだという。聴覚が鈍くなると認知症の進行が早くなることは、周りの人たちを見ているだけで解る。で、嗅覚・・というの見ただけでは解りにくい。
でも、今日、なるほど、と思った。午後、空室になった部屋の消毒をして、部屋を閉じてもその消毒薬の臭いが廊下に充満・・窓を派手に開けていて、暖かい日とはいえ・・職員に「ごめんなさいね、ちょっとガマンしてね」と言われ私はマスクしていたが、していない男性に「臭いが私の部屋まで来るのですよ」と声をかけてみた。が答えは「臭い?消毒薬?」と首を傾げている。そうかあ、やっぱり認知症の人は感じないのかあ、と思った。
視覚・聴覚の衰えは不自由だが、嗅覚は、ここに居る限りは衰えた方が良さそう。体臭の酷いジイサンが居るので、私はとっても困っている。

月曜の句会で作った、「本」の題から。

本棚に恐竜の棲む春の夜  KUMI
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大寒波襲来

2025年02月07日 | 俳句
天気 晴 

日本海側や北海道は、それこそ記録にないような大豪雪で何もかもが埋まっているらしい。写真は、十何年少し前の新潟南魚沼のもの。到着した日の一晩で積もった雪、この時は一晩30㎝くらいだったかも。

一日で1m積もることもあった。ここの駐車場は有料で、融雪の水の出る装置があったので車まで埋もれることはなかったが、ずっと昔、湯沢の他のスキー場で車が埋もれ、掘り出すのに苦労したことがある。
何しろ、それより凄い積雪に襲われているようだ。関東平野は寒い風に悩まされていて・・贅沢な話。

そんな寒波のせいで、私の体調は最悪で、終日、震度2の家に住んでいる感覚。気象病の人向けのアプリ・「頭痛~る」の午前中のデータ。確認したからといって役に立つ訳ではないけれど、倒れそうになっても「寒波のせい」と思える。頭痛持ちの人が多いようだが、私も酷い時はいつもの耳鳴り・息切れの上頭痛がしてくる。

おまけに寒さの冷えで、ちょっと油断すると指先に血が巡らなくて、皮膚荒れ。そのくらいのこと・・と他の人には言われそうだが、膠原病の強皮症の症状らしき末端の症状はしつこくて、なかなかの敵。パソコンは両手を使っているが、右手は薬指しか使えなかった。今日は人差し指が使えるのでパソコンも楽にキイを打てる。
おまけに、パソコンデスクは施設の接続回線の都合で北窓のそば、夜は電気毛布や暖房を入れてもすぐに足元が冷えてくる。書きたいことは山ほどあっても、そんな訳でパソコンを開く時間が少なくなった。
ともかく、この大雪と闘う地方の方たち頑張って~~ としか、言えない。
こんなことばかり愚痴っても、書く方も読む方も楽しくはないと思いつつ・・

寒波の大雪のときは、富士山も頂きは雲に隠れる日が多い。でも、数日前までは写真のように朝からすっきり見える日が多かった。

箱根にも雪が降ったようで、箱根の手前の丹沢山塊にもちらほらと雪が積もっている。丹沢の山稜は左に連なっているが、ちょうど電線がじゃまして、旨く写真に入らない。
毎日、窓の外の日差しは温かそうだけれど・・外へ出る勇気のないまま・・完全に冬籠り。そろそろ、勇気を出して外へ出ないと。

特急「あずさ」終着駅は猛吹雪  KUM

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生きて大晦日

2024年12月31日 | 俳句
天気 晴

穏やかな暖かい日のようで(出かけないと解らない)、以前の住まいなら富士山もこの写真くらいには見えると思う。ここからも同じカタチの富士山を電線・電柱の邪魔ものの横に見ている。見えるだけでも幸せ・・と思うことにしている。

施設内のコロナの感染騒ぎはやっと下火になり、一週間で個室への軟禁は解けたものの、まだ、2,3人の感染者が居る。でも、隔離体制は終わりとなり面会も昨日から解禁に。ま、正月まで延長にならず良かったけれど、インフルエンザの猛威が・・
テレビでしか見ない街の光景にはもう、コロナもインフルエンザも別世界のような映像しか見られないけれど、インフルエンザは凄まじい流行のようで・・
私はワクチン接種したが、そろそろ効果が出てきた頃、と信じる。
という私は、元気かというとよく生きていますねえ、というくらい、あちらこちら支障だらけで、今は左手薬指と左足親指が化膿して痛くて痛くて・と・いう毎日だ。化膿止めの抗生物質入りの薬を飲んだら、やっぱり副作用がひどく諦めた。スマホの入力が難しいので、最近は音声入力に切り替えて。パソコンも入力に困るが、片手入力出来ない小さな手の私は、薬指1本の不自由でも本当に面倒。気圧の高低の激しくなる日の前日は目まいが酷く、ブログはかなり無理な日が多かった。今日はかなり良い方だ。寒波とか低気圧とか来ている時が大変・・、というのは理解されそうだが、その前日、ってどういう体質なのだろう・・と思ってしまう。気象病、と言うけれど、私の場合は「気象予測病」のような。

去年の今日のブログを読むと、余命宣告を聞いているのに生き延びてしまった、ということが詳しく書かれている。それから1年。体力は相当落ちているもののまた、生き延びてしまった。だからといって来年も大晦日を生きて迎える?ということはあまり考えたくない。がんの進行が止まっているので化学療法を中断しているが、治癒した訳ではない。3年前から加わった「膠原病」のせいらしい諸々の症状は(難病なので、どれが病気のせいなのか不明なものもある)は生活の質(QOL)を落とすばかりで。
こんな状態で下降線を辿る体調だったら、一年後も生きていて楽しいのかなあ・・と考えてしまう。でも、私ごときが生きていくために色々と考えてくれているドクターその他の人々を思えば、何かの価値はある命かも・・と頑張らなくては。


などと、久々にゆっくり考えた大晦日でした。
書く間隔の空いてきたのは、この指の故障が大きな要因です。膠原病の末端症状みたいで、あれこれと血行を良くする努力はしております。

過去をまた増やして外す古暦  KUMI
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