KUMIの句日記

写真と一日一句で綴るブログ。句の転載を禁じます。

生きて大晦日

2024年12月31日 | 俳句
天気 晴

穏やかな暖かい日のようで(出かけないと解らない)、以前の住まいなら富士山もこの写真くらいには見えると思う。ここからも同じカタチの富士山を電線・電柱の邪魔ものの横に見ている。見えるだけでも幸せ・・と思うことにしている。

施設内のコロナの感染騒ぎはやっと下火になり、一週間で個室への軟禁は解けたものの、まだ、2,3人の感染者が居る。でも、隔離体制は終わりとなり面会も昨日から解禁に。ま、正月まで延長にならず良かったけれど、インフルエンザの猛威が・・
テレビでしか見ない街の光景にはもう、コロナもインフルエンザも別世界のような映像しか見られないけれど、インフルエンザは凄まじい流行のようで・・
私はワクチン接種したが、そろそろ効果が出てきた頃、と信じる。
という私は、元気かというとよく生きていますねえ、というくらい、あちらこちら支障だらけで、今は左手薬指と左足親指が化膿して痛くて痛くて・と・いう毎日だ。化膿止めの抗生物質入りの薬を飲んだら、やっぱり副作用がひどく諦めた。スマホの入力が難しいので、最近は音声入力に切り替えて。パソコンも入力に困るが、片手入力出来ない小さな手の私は、薬指1本の不自由でも本当に面倒。気圧の高低の激しくなる日の前日は目まいが酷く、ブログはかなり無理な日が多かった。今日はかなり良い方だ。寒波とか低気圧とか来ている時が大変・・、というのは理解されそうだが、その前日、ってどういう体質なのだろう・・と思ってしまう。気象病、と言うけれど、私の場合は「気象予測病」のような。

去年の今日のブログを読むと、余命宣告を聞いているのに生き延びてしまった、ということが詳しく書かれている。それから1年。体力は相当落ちているもののまた、生き延びてしまった。だからといって来年も大晦日を生きて迎える?ということはあまり考えたくない。がんの進行が止まっているので化学療法を中断しているが、治癒した訳ではない。3年前から加わった「膠原病」のせいらしい諸々の症状は(難病なので、どれが病気のせいなのか不明なものもある)は生活の質(QOL)を落とすばかりで。
こんな状態で下降線を辿る体調だったら、一年後も生きていて楽しいのかなあ・・と考えてしまう。でも、私ごときが生きていくために色々と考えてくれているドクターその他の人々を思えば、何かの価値はある命かも・・と頑張らなくては。


などと、久々にゆっくり考えた大晦日でした。
書く間隔の空いてきたのは、この指の故障が大きな要因です。膠原病の末端症状みたいで、あれこれと血行を良くする努力はしております。

過去をまた増やして外す古暦  KUMI
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いつまで続く隔離生活

2024年12月27日 | 俳句
天気 晴

一週間が過ぎたのに、コロナ感染の隔離暮らしは終わらない。もう、殆ど鎮まったようなので多分、今年中には終わるだるけれど・・年越し蕎麦くらいはまともな食器で食べたいもの。

さて、クリスマスは終わってしまい、ちょっとずれた写真ではあるけど、一体どこで撮ったものなのか保存ファイルを見ても覚えがない。本物の熊でないことだけは確かで、クリスマスのこんな飾りをどこで見たのかも解らない。ニュースでは最近は熊さんが人間の住まいの中へ入ってくるのも珍しくないようだ。吟行句会でよく歩いた里山にまで出没する、と聞いてびっくり。今も仲間は吟行する場所、駅から徒歩圏内ような町外れに熊が出るとは・・


去年の今頃はインフルエンザでの隔離騒ぎがあった。私はインフルエンザはワクチンを打ったが、コロナはまだ。ともかく、東京はインフルエンザがこれまでにない大流行なのだそうだ。薬不足になっているという。
テレビでしか世間の今の姿は見ないけれど、テレビに映る都会の風景に、マスク姿は殆どない。若者や外国人は自由に空気へ顔を晒している。この街では多分、まだまだマスク姿の高齢者は多いだろう。私は一分一秒でもマスクは装着したくない。辛いです苦しいです。でも何だか、生きている間はマスク暮らしから解放されることがないような・・

あれこれと電池換ふるも年用意  KUMI
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寒波襲来そして「軟禁生活」始まる

2024年12月22日 | 俳句
天気 晴

列島に、少し早い年末寒波がやってた。この写真は、随分前の上越境のトンネルの新潟側へ出たところ。まだ積雪量は少ないこの時期に、何で新潟の家へ行ったのか解らない。無論スキーが目的だが、正月には行ってもクリスマス時期の年末にはあまり遊びに行く気分ではなかった筈。クリスマスにスキーをしていたのが余程珍しいのか、証拠のリフト券まで写真に残してあった。
今のようにスマホで簡単に・・という訳ではないのに。

何でこの日を思い出したかというと・・
今日はのランチは、クリスマス会・・老人ホームにもあるのですよ・・でランチにちょっとした美味しい料理が出ることになっていた。そして午後には、ボランティアの合唱会があり、クリスマスの歌を・・という日だったのに。昨日から、入所者はコロナ感染の有無を問わず、全員個室への軟禁生活となった。同じ階以外への移動禁止。
一年ぶりのこと、と言えばたいしたことではないけれど。せっかくのクリスマス料理も、使い捨ての弁当箱やら紙コップで供されて。


普段のメニューではないので、希望する人(殆どが希望していたはず)は別料金を1500円くらい、払っているのですよ。それなのに紙皿紙コップですよ・・みじめ。
で、普段の食事も軟禁中はこんな風になる。

ラップしてあっても冷えているので、ご飯と味噌汁は自分の持っている別の容器に入れ替えて、ラウンジの共有のレンジでチンする。自分でそれを出来ることを有難い、と思わなくては。要介護の人には自分では出来ないこと。かといって、介護士に頼んでも業務外だから無理かもしれない。今までの「コロナ監禁」は真冬ではなかったし、容器も今回のような簡易なコンビニ弁当とは違っていた。

本当のことを言うと、食器への不満以外は、部屋で食べるのは私にはとっても有難い。
食堂で同じテーブルの3人のお姉さまたちは、程度の差こそあれ、全員認知症で耳が遠い。正直、楽しい日常会話なんて出来る訳がない。体調悪い時なんか、ちょっとしたことの説明でも心底疲れる。
今年になってから入所したのでコロナ騒ぎのことはうろ覚えながら知識に残っているらしいけれど、感染者の隔離の話をしたら、
「私は外へ出ることもないし、こういう施設なら管理が行き届いていて、病気はうつらないと思って入ったのですよ。大丈夫でしょ」と、のたまわる。私を心配し過ぎの人間・・と思ったらしい。ああ絶望的。おまけに、「Sさんは発熱したので部屋で休んでいます」と職員から言われているのに、一日経って食事に来ないと「Sさん、娘さんの所へでも行ったのかしら」と。その都度、私は同じことを彼女たちに伝え直す・・するとびっくりして「あら、風邪でもひいたのかしら」あのね、コロナ隔離の患者が出てること、昨日話したでしょ・・
そんな彼女たちと話さずに済むことだけは、申し訳ないけれど本当にストレス解消となっている。でもまさか、正月も紙の皿にお節料理?

生き物のやうに枯葉の舞ひあがる  KUMI
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コロナ禍再来

2024年12月20日 | 俳句
天気 晴

午後、ここを書き始めたら目眩が酷くなりやめた。体温・血圧などなどすべて正常なのにここまで酷くなるのは・・と、いつものアプリ・「頭痛~る」を開いたら、気圧が谷底まっしぐらのラインになっている。明日、気温が下がって寒波襲来なのだ。
倒れそうになったのでパソコンは閉じた。でも、あまり長い期間書かないと、心配してくれる人が出るし・・そうそう、これだけは書かなくちゃ。
と、 さっき開いたら、まあまあの感覚でキイボードを打てる。
書かなくちゃ、の内容は、今、この施設を襲撃しているコロナの集団感染だ。先週末から発熱の人が出て、最初はインフルエンザだった。
流行ったらイヤだな、と思っているうちに、発熱の人がふえてきて食堂のあちこちに空席あ目立ってきて。同じ階で最初に罹ったのは徘徊癖のある男性で、これは困った。発熱した人は検査結果が出る前でも自室に隔離するのだが、認知症の歩ける人の隔離は難しくて、他の階ではいままでもそれで感染拡大たことがある。
以前のように全室隔離、はしないし、今はそれでおさまるのに・・もう、恐怖だった。

今現在、同じ階では他に3人がコロナと確定している。他の階も同じような感じだろう。罹った人は、彼を除くとこの階では皆、車椅子使用の重度介護の人ばかり。彼から感染したのではなく、介護士が彼と罹った人との間に介在しているのだと思う。休んでいる常勤の介護士がチラホラと。派遣介護士が増えている。

ともあれ、そんな訳で暗い毎日です。インフルのワクチンは打ったけれど、帯状疱疹のワクチンを優先して、コロナは後回しにしてしまったのを後悔している。


脳梗塞の後遺症があって歩行障害と言語障害のある、まだ70代のオッサン。部屋でじっとしていられない「患者」は、パジャマのままラウンジでテレビ見たりエレベーターに乗って階下へ行ったり。介護士が部屋へ帰って、と繰り返し言ったら「しつこい。ぶっ殺すぞ!」と怒鳴られたという。彼は常時マスクはしているけれど・・マスクなんて、あまり効果はないようだ。今日で1週間になったのでもう、菌は出ていない時期に入ってはいるけれど・・彼が外に居る間は部屋へ籠っている。外は、あっちもこっちも換気しているから寒くて仕方がない。
私は今のところ、熱もないし咳も出ないし。無事ではある。

珍しく、今日の写真を。施設から道路を挟んだ林の、多分コナラの大木。
武蔵野の林の名残り、こんな木々を伐り倒して建てた建物に私は住んでいる。
昨日は都心の方では初雪が降ったそうだ。こちらには雪の欠片もなかった。


初雪の積もる余地なき大都会   KUMI
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肺の免疫療法のこと

2024年12月13日 | 俳句
天気 曇

写真は、10年前の昭和記念公園のライトアップ。それまでは何度も見に行っていたが、この年が最後。というのも、年が明けて春になった頃、最初の心臓発作に襲われ、夏の二度目は倒れるくらいひどくて死にそうになった。で、ペースメーカーの植え込みをして、普通の暮らしが出来なくなった。見た目は変わらなくても一応、身体障害者。夜のおでかけは・・





昨日の続き。
ペースメーカーのことと並行しいて、昨日は呼吸器科で毎月続けいる免疫療法の今後の話があった。今月は休んだが「テセントリク」という薬の点滴治療をほぼ一ヶ月に一度、継続していた。実にもう30回くらい。毎月、血液検査と肺のレントゲンで腫瘍の大きさや拡がりは検査していて、半年に1回はCTの精密検査が。この薬、治癒させるためのものではなく、治療不能となったがんの進行を抑える効果があるというもの。私の肺腺がんはまだステージ1くらいで、手術すれば完治も可能だが、何しろ心不全進行中の障害者。肺の手術はかなり体力を奪うものなので、年齢的にも命がけになるという。医師が「あんまり手術したくない患者」だったようで。
「私、失敗しないので・・」と言える名医?は居ない公立病院。
ひとまず、セオリーの抗がん剤を使用。抗がん剤は20年近く前の乳がんでさんざん世話(?)になった。でも、これは一回目の点滴でダウンした。食事は摂れず吐いてばかり、これを6回もするのもうイヤ、年とれば、がんだって大きくなるのも遅いでしょ、「先生、このまま無治療でほっておいたら、寿命は何年くらいでしょう」「脳転移まで2年かな」
夫は別の種類の肺がんで末期だった。心臓はとっても丈夫な人だったので脳転移してから2ヶ月も頑張ったけれど・・。あと2年かあ~ と覚悟。
「でも、別の先生が新しい治療薬を使ってくれますから試してみましょう。通院治療出来る薬です。酷い副作用もないようです」


承認されたばかりの新治療薬のテセントリクとやらを、使ってみることとなった。副作用はあるけれど、吐いたり食欲がなくなったり、はなくて、ひたすら下痢が何日か続いたり、・・心不全の症状は悪くなったり、その他色々あるけれど、患部はだんだん小さくなり、今回の検査結果は、半年前のCTと変わらなかった。完治は無理らしいが、ここまで回復するとは思わなかった。
が、この動悸息切れがテセントリクの副作用かどうかは、解らないようだ。でもCT検査の結果で、治療中断をもう少し延長することは出来た。2.3年、と覚悟した命が、もう4年になって生きているのだから、自由に体が動かなくても有難い日々・・と思わねば。

同じ病気の人がこのブログを見て、少しでも寿命の延びる治療があることを信じてくださると有難い。私は今になって、もしかしたらテセントリクが夫のときも使えていたら・・と思うことがある。もっとも、夫の場合は寿命が延びたらコロナのパンデミックに突入していたから、良い時期にサヨナラ出来た、と思ってはいるけれど。

日向ぼこ余生と言はねども眠し   KUMI
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