天気 曇一時雨
主宰の急逝前、結社誌へ投句した最後の投句の載った5・6月号が届いた。
主宰が選句を終えていない2・3月分の投句、投句ハガキにそれぞれ5句を書くので合計10句が宙に浮いたことになる。そのままにしておく訳にはいかないので、編集担当の会員たちが、各々の全句を載せて最終の投句の号としてくれた。
話が前後したが、上の写真は、言わずと知れたドクダミ(別名十薬)。朝の連ドラの、主人公が借りた貧乏長屋に生い茂っている。若い植物学者の卵は、嫌われるドクダミを「薬草」にすべく干して役に立てるようにしていた。そう、毒を制するから「ドクダミ」と名が付いて日蔭に生えるから嫌われる。でも、主宰は十薬が好きだった。それを知ったとき、私も好きなのでとても嬉しかったことを覚えている。
十薬を挿して嫌ひなことはせぬ 杏子
蕺草、と書く。でも、俳句では十薬、として使うことが多いらしい。歳時記にも「どくだみ」の句は少ない。
十薬には、薬のない戦後、随分と世話になったものだ。煎じて飲まされたこともあったし、膏薬の代わりに傷を治したこともあった。ちなみに、母は看護婦と産婆(助産婦)の資格を持っていた。
マンションの蔭にも、十薬はびっしり生えていたが、雑草としてすべて抜くことはなかった。除草剤も殺虫剤も撒かない主義のマンションだったので、かえって虫除けにもなったのだ。虫食いだらけの十薬の葉っぱ、というのは殆ど見たことがない。
十薬の群生を見ると、そんな主宰や母を思い出す。
入会して20年以上・・結社誌の最後の私の5句。
主宰が選句したら、掲載されるのはこのうちの3句か4句になる。どの句を消されただろうか・・と思うと、涙が出そうになった。殆どが、3人で月1回行うネット句会での句。吟行句会に行けない私にとって、ラインでの同時句会は臨場感があって本当に有難い。こちらは、結社とも主宰とも関係ないので、私が参加出来る間は続けてもらえそう。
今月が最後ではなく、もう1回だけ、結社誌は会員に送られる。それには、急逝のあとの4月に師への追悼の句、各々3句を募集したので、それだけが載ることになっていいる。それが本当の「最後」になる。その後のことは・・まだ書けない。
子供の頃、赤チンとオキシフルと干したドクダミしか薬の用意はありませんでした。
それでも子供は育ちますね。
十薬の生えない家にお住まいなのですね。
よほど手入れの良い庭、とも言えます。
増えるのが早いので、嫌いな方はマメに抜くようです。
狭い部屋だけでの作句は、苦労します。
常備薬だったのでしょう、台所の隅に天井からいつもぶら提げてありました。
不器用で、見たもの・体感したものしか句に出来ませんので、珍しく公園の池がと、見に行きました。今は、そんな経験を思い返すだけです。
ネット句会で無理やりに作った句ですので。
今後のことは、8月ごろに決まります。
私が元気で居られなくては・・ですが、makoさんにも良いお知らせになるかも。
よく覚えておきます。
連ドラの中身を解説していただいているようで有難いです。
かつ、〔毒を制するから「ドクダミ」と名が付いて日蔭に生えるから嫌われる〕よくわかりました(汗)
>十薬には、薬のない戦後、随分と世話になったものだ。煎じて飲まされたこともあったし、膏薬の代わりに傷を治したこともあった。
そういえば、祖母が傷の治療に話していた気がします。
私は赤チンしか経験ないと思いますが・・・。
>十薬の群生を見ると、そんな主宰や母を思い出す。
いいことを覚えました!
KUMIさんの最後の5句から・・・
「梅一枝仏壇へ香を放ちけり」
「年寄りの膝をころがる雛あられ」
の2句が特に印象づけられました。
>どの句を消されただろうか・・と思うと、涙が出そうになった。
なんだか、夫や母を亡くした姉や姪・甥のことを思い出します。
>それには、急逝のあとの4月に師への追悼の句、各々3句を募集したので、それだけが載ることになっていいる。それが本当の「最後」になる。
あれ、西宮の句会でそのような投句したことを主出しました。
有難うございました。
佇んで、薄氷の一部がゆっくりと崩れてゆくところを、じっと眼で追っている気持ちにさせられました。
十薬は大好きな花のひとつです。子供の頃に煎じた葉を「ものもらい」に貼ってもらっていました。
”十薬や「めぼ」の呪ひうろ覚え” なんて句も作っていますが、いつも十薬に負かされたままです (^^;
どの句もステキですね。
私は雛あられの御句が特に好きです。
その後のこと・・