KUMIの句日記

写真と一日一句で綴るブログ。句の転載を禁じます。

隔離生活=冬籠り

2025年01月15日 | 俳句
天気 晴

さて、やっと書くつもりになって頑張ってかなりの行数を書いたのに・・一時保存しておこうとしたのを誤って全部削除してしまった(泣)

とにかく、まだ隔離生活は続いていて、でも居住フロアでの移動は出来るので気楽ではあるけれど・・冬籠り、という季語があるのでその冬籠り、と思えば気楽になれる。食事も、今回は使い捨ての皿や紙コップではない普段のものなので、ルームサービスを受けていると思えば有難い。体調悪くて個人的に部屋食にしてもらうと、食堂の配膳後に運ばれるので汁物やご飯は冷たくなっている。でも今は、その階の分を全部ワゴンで運ぶので冷めることはあまりない。冷めていても電子レンジが部屋の近くにあるので、チンすればいい。
食堂へ行く手間が省けるし、一緒に食べねばならない同席の3人にイライラせずに済む。認知症の重度から軽度までの3人は、おまけに耳が遠いときている。
一週間以上会っていないので「はじめまして」から始まるかもしれないし・・
10日前、私が「入院しますね」と言って別れたことなんか、とっくに忘れているだろうし・・ともあれ、食事に関して言えば、今は贅沢な気分だ。面会禁止外出禁止が早く終わってほしいだけ。


こんな贅沢な暮らしも、4階は患者が居なくなったみたいなので、そろそろお終いらしい。
で、私の体調はというと・・今日は気圧が低下中で(外は季節外れの暖かさのようで)もう、最悪。外出禁止が幸いかもしれない。明日はまた寒波が来るとか・・電池替えた器械のおかげで少しは良いと思った血行も、あまり良くならなかったらしい。それでも、血液サラサラになるという薬は今回も処方されなかったし、カテーテル治療も不要だった。
もう少しこのキツい症状を抱えて生きてみようかな・・と思う。

同じ階の何人かは、歩いていた人たちもこの1年で車椅子になってしまった。4人は認知症が進んだ。でも、体は、健康らしくて。
食事時間になるとラウンジのテーブルで介護士の世話で食事している。


歩きまわっていた頃の元気な認知症はどこへやら・・さんざん騒ぎを起こして迷惑だったSさん、Kさんが、表情もなく車居椅子でぼーっとしているのを見ると、何だかねえ・・私はそこまで長生きしたくない、と思ってしまう。とはいえ、まだ80代の人も居る・・遠くない私の未来?

特急を窓辺に眺め冬籠り  KUMI
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ロボットは元に戻れない?

2025年01月11日 | 俳句
天気 晴

前回の記事へコメント頂いた皆さま、ありがとうございました。
無事、退院しました、個々へのご返事は略させていただきます。

昨日退院した。
写真は8階の病室からの夕暮れ。いちばん右端に富士山が見えるが、写真の入院した日は雲の中だった。どうせ見えても隣の病棟の屋根に乗っている状態なので、あまり見応えはない。「全室オーシャンビュー」などというリゾートホテルがあるけれど、この病棟(個室)の南向きの8・9階は、「全室富士山ビュー」旅行に行ける訳でもいし、贅沢のために使う機会のないお金は、入院中の贅沢に使うこととした。

たかがペースメーカーのバッテリー換えの手術でも色々あったけれど・・手術そのものは部分麻酔だからどーということもないし。それよりも、入院の日からひどく体調が弱っていて、歩くのも息苦しくて・・という状態だった。なので、最近は動きにムラのある器械を「メンテナンス」したら少しは回復するかしらん?と期待してしまった。
部分麻酔なので、顔を隠されてもドクターの声ははすべて聞こえる。
「はい、ドラーバーください」とアシスタントのドクターへ。古いネジを外して「はい、新しいのを」「ドライバーを・・」かなりの力でネジを押し込む感覚がして、胸がウッと。「痛いですか~」「いえ、大丈夫です」とロボットならぬ患者の私。「なかなか入らない・・」え、困ります、ネジが入らなかったら・・
半分眠ったみたいな状態なのに、心臓に器械が入っている、と知ったまーちゃんに言われた「ばぁばはロボットなんだ」という言葉を思い出していた。
「イビキかいていますねえ」嘘、そんなに熟睡はしていませんよ、と言いたかったけれど声にはならなかった・・と言うことは、少しはほんとに眠っていたかも。

交換術は30分ほどで済んだが・・本当は心臓の動きが悪いことを想定していて、カテーテル治療をする準備もしてあった。その準備の方が大騒ぎだった。そのために朝食も昼食も抜いていて、空腹が何より辛かった。
ま、必要なくなったので書いても意味なし。心電図の器械を胸に付けたまま一晩過ごし、翌朝の検査で異常がないのでもう退院になってしまった。
でも、ちっとも症状は改善していない。心不全はさほど悪化していないので、他の要因があるのでは・・とドクターは言うけれど・・少なくとも近日中に心不全でぶっ倒れることはないようだ。

施設へ帰ったら、待ってたのは・・又々の隔離生活。うんざり。



重度介護の人はひととおり罹ったようで、今度は、自分で歩ける認知症でもない男性のようだ。そういえば同じ階のその二人、マスクを装着しているのは見たことがない。病院ではインフルの方を警戒していたが、ここは、みんなコロナのようだ。私はインフルエンザ優先でワクチン打ったので、少し心配。
ホーム内、コロナ騒ぎが終ったらインフルエンザが流行?
もう勘弁してください。

寒林を日差しの抜ける眩しさよ  KUMI


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明日からしばらく・・

2025年01月07日 | 俳句
予定は2泊の入院ですが、心臓のメンテナンスをしてまいります。果たして、車みたいにメンテナンスしたら少しは機能を回復する・・といきますかどうか。最近、心臓が勝手に暴走している感じ。
ペースメーカーの電池替えだけではなく、心臓そのものも「お手入れ」するみたいです。ややこしいことをして、たった三日で帰れる?万一の場合はどうなるの?
病院を信じることにします。

昼食にはいつものように七草粥が出ました。美味しかったから、少しは力になったかな?

薺粥能登の藻塩をひとつまみ  KUMI





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三が日

2025年01月04日 | 俳句
天気 晴

夫の亡くなる年まで、元日に東京に居ればほぼ毎年初詣に行った、高幡不動尊の元日の写真。30年くらい前は午前中に行けば、混雑はあまり感じなかった。が、なぜか年々参拝者が増えてしまいこの当時はもう、駅からの参道も人が溢れていた。

さて今年は・・何もない誰も来ない三が日。コロナ閉鎖がやっと終わったので、面会の家族が来たり、子供の家へ一時宿泊滞在に行くための迎えが来たり・・結構な人の出入りがあった。誰も来ない私はちょっと寂しいかも。あーちゃんは風邪の年末年始だったそうで。もっとも、来週の入院・退院の日に来て貰わねば困るので早く風邪を治す方が先決問題。
年末に来てくれる筈の人たちはコロナ閉鎖で来られなくなったし・・
で、別に寂しい訳ではない。三が日は、思い切って見たいテレビをじっくりと。箱根駅伝は邪魔なしで二日間見ることが出来た。コースに映される風景を眺められるのが何よりの楽しみ。夜も、暫く改装工事に入ってしまう国立劇場の歌舞伎中継やら、ドラマやら・・はい、好きなチャンネル見放題でした。去年は元日の能登の地震で、テレビを楽しむ気分ではなかったので。

元日と二日は、ささやかながら昼食に正月を感じさせるものを出してくれる。
これに「お雑煮風お吸い物」が付く。米粉で作ったはんぺんみたいな、見た目が餅のようなもの。餅が出る訳ありません、救急車が列なしてしまいます。
写真を撮り損ねた二日は、ちらし寿司だった。


新しいカレンダーの1月を開いたら、あら、ペースメーカーの電池替え入院の日がもうすぐだ。少し慌てる気分になった。12月中は、まだまだ先のこと・・と思っていたのに。たった二泊の入院でも、必要なものは同じだ。まず、入院書類の作成。これがかなり面倒だった。右手指の中指人差し指とあまり動かない支障があり、細かい字を書くのに一苦労。まさか、こんなに支障が出ているとは・・入院の説明書をゆっくり読んでみたら、どうも、入院では電池替えだけではなく、心臓本体のメンテナンスもするらしい。徐脈(脈が遅くなる)が酷いので息切れも酷いようだ。入院で、少しは改善出来るのかもしれない・・あまり期待しない方が良いけれど。
最近は俳句もスマホのメモへ残したり音声入力したり、と怠けているので字を書けなくなっていることに気付かなかった。ひどく疲れた。あとは入院の必要品の荷造り。大体のものは緊急での入院を想定してバッグに詰めてはあるけれど、細かいものはまだ色々とある。最近はちょっと動いただけでも動悸息切れで目の前がフラフラ状態に・・
こちらは、明日から少しづつ頑張ろう。

四日はや雲湧きあがる富士の裾  KUMI
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生きて大晦日

2024年12月31日 | 俳句
天気 晴

穏やかな暖かい日のようで(出かけないと解らない)、以前の住まいなら富士山もこの写真くらいには見えると思う。ここからも同じカタチの富士山を電線・電柱の邪魔ものの横に見ている。見えるだけでも幸せ・・と思うことにしている。

施設内のコロナの感染騒ぎはやっと下火になり、一週間で個室への軟禁は解けたものの、まだ、2,3人の感染者が居る。でも、隔離体制は終わりとなり面会も昨日から解禁に。ま、正月まで延長にならず良かったけれど、インフルエンザの猛威が・・
テレビでしか見ない街の光景にはもう、コロナもインフルエンザも別世界のような映像しか見られないけれど、インフルエンザは凄まじい流行のようで・・
私はワクチン接種したが、そろそろ効果が出てきた頃、と信じる。
という私は、元気かというとよく生きていますねえ、というくらい、あちらこちら支障だらけで、今は左手薬指と左足親指が化膿して痛くて痛くて・と・いう毎日だ。化膿止めの抗生物質入りの薬を飲んだら、やっぱり副作用がひどく諦めた。スマホの入力が難しいので、最近は音声入力に切り替えて。パソコンも入力に困るが、片手入力出来ない小さな手の私は、薬指1本の不自由でも本当に面倒。気圧の高低の激しくなる日の前日は目まいが酷く、ブログはかなり無理な日が多かった。今日はかなり良い方だ。寒波とか低気圧とか来ている時が大変・・、というのは理解されそうだが、その前日、ってどういう体質なのだろう・・と思ってしまう。気象病、と言うけれど、私の場合は「気象予測病」のような。

去年の今日のブログを読むと、余命宣告を聞いているのに生き延びてしまった、ということが詳しく書かれている。それから1年。体力は相当落ちているもののまた、生き延びてしまった。だからといって来年も大晦日を生きて迎える?ということはあまり考えたくない。がんの進行が止まっているので化学療法を中断しているが、治癒した訳ではない。3年前から加わった「膠原病」のせいらしい諸々の症状は(難病なので、どれが病気のせいなのか不明なものもある)は生活の質(QOL)を落とすばかりで。
こんな状態で下降線を辿る体調だったら、一年後も生きていて楽しいのかなあ・・と考えてしまう。でも、私ごときが生きていくために色々と考えてくれているドクターその他の人々を思えば、何かの価値はある命かも・・と頑張らなくては。


などと、久々にゆっくり考えた大晦日でした。
書く間隔の空いてきたのは、この指の故障が大きな要因です。膠原病の末端症状みたいで、あれこれと血行を良くする努力はしております。

過去をまた増やして外す古暦  KUMI
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いつまで続く隔離生活

2024年12月27日 | 俳句
天気 晴

一週間が過ぎたのに、コロナ感染の隔離暮らしは終わらない。もう、殆ど鎮まったようなので多分、今年中には終わるだるけれど・・年越し蕎麦くらいはまともな食器で食べたいもの。

さて、クリスマスは終わってしまい、ちょっとずれた写真ではあるけど、一体どこで撮ったものなのか保存ファイルを見ても覚えがない。本物の熊でないことだけは確かで、クリスマスのこんな飾りをどこで見たのかも解らない。ニュースでは最近は熊さんが人間の住まいの中へ入ってくるのも珍しくないようだ。吟行句会でよく歩いた里山にまで出没する、と聞いてびっくり。今も仲間は吟行する場所、駅から徒歩圏内ような町外れに熊が出るとは・・


去年の今頃はインフルエンザでの隔離騒ぎがあった。私はインフルエンザはワクチンを打ったが、コロナはまだ。ともかく、東京はインフルエンザがこれまでにない大流行なのだそうだ。薬不足になっているという。
テレビでしか世間の今の姿は見ないけれど、テレビに映る都会の風景に、マスク姿は殆どない。若者や外国人は自由に空気へ顔を晒している。この街では多分、まだまだマスク姿の高齢者は多いだろう。私は一分一秒でもマスクは装着したくない。辛いです苦しいです。でも何だか、生きている間はマスク暮らしから解放されることがないような・・

あれこれと電池換ふるも年用意  KUMI
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寒波襲来そして「軟禁生活」始まる

2024年12月22日 | 俳句
天気 晴

列島に、少し早い年末寒波がやってた。この写真は、随分前の上越境のトンネルの新潟側へ出たところ。まだ積雪量は少ないこの時期に、何で新潟の家へ行ったのか解らない。無論スキーが目的だが、正月には行ってもクリスマス時期の年末にはあまり遊びに行く気分ではなかった筈。クリスマスにスキーをしていたのが余程珍しいのか、証拠のリフト券まで写真に残してあった。
今のようにスマホで簡単に・・という訳ではないのに。

何でこの日を思い出したかというと・・
今日はのランチは、クリスマス会・・老人ホームにもあるのですよ・・でランチにちょっとした美味しい料理が出ることになっていた。そして午後には、ボランティアの合唱会があり、クリスマスの歌を・・という日だったのに。昨日から、入所者はコロナ感染の有無を問わず、全員個室への軟禁生活となった。同じ階以外への移動禁止。
一年ぶりのこと、と言えばたいしたことではないけれど。せっかくのクリスマス料理も、使い捨ての弁当箱やら紙コップで供されて。


普段のメニューではないので、希望する人(殆どが希望していたはず)は別料金を1500円くらい、払っているのですよ。それなのに紙皿紙コップですよ・・みじめ。
で、普段の食事も軟禁中はこんな風になる。

ラップしてあっても冷えているので、ご飯と味噌汁は自分の持っている別の容器に入れ替えて、ラウンジの共有のレンジでチンする。自分でそれを出来ることを有難い、と思わなくては。要介護の人には自分では出来ないこと。かといって、介護士に頼んでも業務外だから無理かもしれない。今までの「コロナ監禁」は真冬ではなかったし、容器も今回のような簡易なコンビニ弁当とは違っていた。

本当のことを言うと、食器への不満以外は、部屋で食べるのは私にはとっても有難い。
食堂で同じテーブルの3人のお姉さまたちは、程度の差こそあれ、全員認知症で耳が遠い。正直、楽しい日常会話なんて出来る訳がない。体調悪い時なんか、ちょっとしたことの説明でも心底疲れる。
今年になってから入所したのでコロナ騒ぎのことはうろ覚えながら知識に残っているらしいけれど、感染者の隔離の話をしたら、
「私は外へ出ることもないし、こういう施設なら管理が行き届いていて、病気はうつらないと思って入ったのですよ。大丈夫でしょ」と、のたまわる。私を心配し過ぎの人間・・と思ったらしい。ああ絶望的。おまけに、「Sさんは発熱したので部屋で休んでいます」と職員から言われているのに、一日経って食事に来ないと「Sさん、娘さんの所へでも行ったのかしら」と。その都度、私は同じことを彼女たちに伝え直す・・するとびっくりして「あら、風邪でもひいたのかしら」あのね、コロナ隔離の患者が出てること、昨日話したでしょ・・
そんな彼女たちと話さずに済むことだけは、申し訳ないけれど本当にストレス解消となっている。でもまさか、正月も紙の皿にお節料理?

生き物のやうに枯葉の舞ひあがる  KUMI
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コロナ禍再来

2024年12月20日 | 俳句
天気 晴

午後、ここを書き始めたら目眩が酷くなりやめた。体温・血圧などなどすべて正常なのにここまで酷くなるのは・・と、いつものアプリ・「頭痛~る」を開いたら、気圧が谷底まっしぐらのラインになっている。明日、気温が下がって寒波襲来なのだ。
倒れそうになったのでパソコンは閉じた。でも、あまり長い期間書かないと、心配してくれる人が出るし・・そうそう、これだけは書かなくちゃ。
と、 さっき開いたら、まあまあの感覚でキイボードを打てる。
書かなくちゃ、の内容は、今、この施設を襲撃しているコロナの集団感染だ。先週末から発熱の人が出て、最初はインフルエンザだった。
流行ったらイヤだな、と思っているうちに、発熱の人がふえてきて食堂のあちこちに空席あ目立ってきて。同じ階で最初に罹ったのは徘徊癖のある男性で、これは困った。発熱した人は検査結果が出る前でも自室に隔離するのだが、認知症の歩ける人の隔離は難しくて、他の階ではいままでもそれで感染拡大たことがある。
以前のように全室隔離、はしないし、今はそれでおさまるのに・・もう、恐怖だった。

今現在、同じ階では他に3人がコロナと確定している。他の階も同じような感じだろう。罹った人は、彼を除くとこの階では皆、車椅子使用の重度介護の人ばかり。彼から感染したのではなく、介護士が彼と罹った人との間に介在しているのだと思う。休んでいる常勤の介護士がチラホラと。派遣介護士が増えている。

ともあれ、そんな訳で暗い毎日です。インフルのワクチンは打ったけれど、帯状疱疹のワクチンを優先して、コロナは後回しにしてしまったのを後悔している。


脳梗塞の後遺症があって歩行障害と言語障害のある、まだ70代のオッサン。部屋でじっとしていられない「患者」は、パジャマのままラウンジでテレビ見たりエレベーターに乗って階下へ行ったり。介護士が部屋へ帰って、と繰り返し言ったら「しつこい。ぶっ殺すぞ!」と怒鳴られたという。彼は常時マスクはしているけれど・・マスクなんて、あまり効果はないようだ。今日で1週間になったのでもう、菌は出ていない時期に入ってはいるけれど・・彼が外に居る間は部屋へ籠っている。外は、あっちもこっちも換気しているから寒くて仕方がない。
私は今のところ、熱もないし咳も出ないし。無事ではある。

珍しく、今日の写真を。施設から道路を挟んだ林の、多分コナラの大木。
武蔵野の林の名残り、こんな木々を伐り倒して建てた建物に私は住んでいる。
昨日は都心の方では初雪が降ったそうだ。こちらには雪の欠片もなかった。


初雪の積もる余地なき大都会   KUMI
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何もない日の独り言

2024年12月16日 | 俳句
天気 晴

2016年12月、何とか普通の暮らしをしていた頃、国会議事堂へ吟行句会に行ったっけ・・子規の「武蔵野吟行」をたどる吟行を再現していた。12月の国会は閉会中で静かだった。
私が顔を見るのもイヤだった首相の時代だっけ・・今の首相は可哀そうですよ、かの悲劇の首相の業績の、尻ぬぐいしているのだから。かといって、私は同情も支持もしていません。

今日は、三度の食事以外は何も予定のない日。こんな日は珍しい。個人的に通院があったり、すぐそこまでの外出予定があったり・・という日もあるし、施設の予定で午前は入浴、とか週1回のリネン交換とか。昨日はボランティアのバイオリン演奏があった。ボランティアの催しも、参加するもしないも自由だが。この女性、プロとしても活躍している市内のバイオリン教室の先生、
演奏技術が素晴らしい。「戦場のメリークリスマス」を演奏してくれた。坂本竜一はもう居ない・・この1年で随分たくさんの著名人が亡くなった。そんなことを考えてしまった。
ボランティアでも、あんまり・・という合唱団などあるので要注意だ。「一緒に歌いましょう」と、必ず歌う中には「ふるさと」が。涙流している認知症の人が居るのであまり言えないけれど、うんざりの歌だ。なぜって、私は海育ちなので、兎も小鮒も獲ったことがない。歌で拡がる故郷の懐かしさが感じられない。子供の頃に帰れるいちばんの歌は「浜辺の歌」かもしれない。「あした浜辺をさまよへば・・


なにもない日でも、食堂へは行かねばならない。
最近、つくづく思うことがある。耳の遠い人は認知症になりやすいし、認知症になってからも進行しやすい、と言う。脳を刺激する情報が少なくなるのだから、たしかにそうだと思う。で、「進行しやすい」を私は今、目の当たりのしながら食事をしている。右隣のMさん。つい一ヶ月くらい前から私の隣になった。元美容院経営の「すご腕」美容師?本人がそれを繰り返し自慢したくて仕方ないみたいなので、あまりその話に方向が向かないようにしている。ただ、耳はとっても遠いのに補聴器入れないので、大声を出せない私とは会話が成立しない。
その彼女、私は会話しないが、前の人に色々と話しているのを聞いているだけだが・・
部屋へ無断で入ってくる人が、だんだん増えていく。先日は「ドアから腕だけ見えてクリーニングしたばかりのセーターを持っていかれた」そうだ。私は「大声の出せない心臓病なので」と断ってあるから、前の席の人へ一方的に話す。聞いているSさんは相槌だけ打っているけれど、彼女もかなりの難聴で、話の内容は解かっていないようだ。話が毎回エスカレートするけれど、私は無視。この「見えない人が見える」幻覚、どこまで続くのだろう?
相槌を打っているSさんも、補聴器を装着したりしなかったりで、斜め前の私とは会話出来ない。良家のお嬢さまから家庭婦人になった、という感じで、教養もある94歳。・・彼女は幻覚妄想なしだが、数分前のことも忘れる。会話は普通に出来る方なので補聴器を入れてくれば・・と思うのに、何が不快なのかイヤだから入れない、と家族からの申し出で最近はやめてしまった、とケアマネさんの話。耳元で話せば聞こえるので、本人は困らないらしい。ま、私は格別彼女と話したい訳でもないけれど・・以前は解っていた自分の部屋の在り処が解らなくなり、一人では食堂へ往復出来なくなった。エレベーターの乗り方が解らなくなったのだ。
そんなの、階の数字を覚えればいいことでしょ、と思う方、その数字を明日まで覚えていられない人がここでは珍しくないのですよ。極端な話、「夕飯です」と食べ始めても、食べ終えたら「今のは朝食?」という人も珍しくないのだから。
もの忘れのどんどん進行するのを見ていると、やはり会話が大事なのに・・と思ってしまう。
人のことなど心配する余裕なんかないのに・・と思いつつも。

わが寿命測ってもみる日向ぼこ  KUMI
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肺の免疫療法のこと

2024年12月13日 | 俳句
天気 曇

写真は、10年前の昭和記念公園のライトアップ。それまでは何度も見に行っていたが、この年が最後。というのも、年が明けて春になった頃、最初の心臓発作に襲われ、夏の二度目は倒れるくらいひどくて死にそうになった。で、ペースメーカーの植え込みをして、普通の暮らしが出来なくなった。見た目は変わらなくても一応、身体障害者。夜のおでかけは・・





昨日の続き。
ペースメーカーのことと並行しいて、昨日は呼吸器科で毎月続けいる免疫療法の今後の話があった。今月は休んだが「テセントリク」という薬の点滴治療をほぼ一ヶ月に一度、継続していた。実にもう30回くらい。毎月、血液検査と肺のレントゲンで腫瘍の大きさや拡がりは検査していて、半年に1回はCTの精密検査が。この薬、治癒させるためのものではなく、治療不能となったがんの進行を抑える効果があるというもの。私の肺腺がんはまだステージ1くらいで、手術すれば完治も可能だが、何しろ心不全進行中の障害者。肺の手術はかなり体力を奪うものなので、年齢的にも命がけになるという。医師が「あんまり手術したくない患者」だったようで。
「私、失敗しないので・・」と言える名医?は居ない公立病院。
ひとまず、セオリーの抗がん剤を使用。抗がん剤は20年近く前の乳がんでさんざん世話(?)になった。でも、これは一回目の点滴でダウンした。食事は摂れず吐いてばかり、これを6回もするのもうイヤ、年とれば、がんだって大きくなるのも遅いでしょ、「先生、このまま無治療でほっておいたら、寿命は何年くらいでしょう」「脳転移まで2年かな」
夫は別の種類の肺がんで末期だった。心臓はとっても丈夫な人だったので脳転移してから2ヶ月も頑張ったけれど・・。あと2年かあ~ と覚悟。
「でも、別の先生が新しい治療薬を使ってくれますから試してみましょう。通院治療出来る薬です。酷い副作用もないようです」


承認されたばかりの新治療薬のテセントリクとやらを、使ってみることとなった。副作用はあるけれど、吐いたり食欲がなくなったり、はなくて、ひたすら下痢が何日か続いたり、・・心不全の症状は悪くなったり、その他色々あるけれど、患部はだんだん小さくなり、今回の検査結果は、半年前のCTと変わらなかった。完治は無理らしいが、ここまで回復するとは思わなかった。
が、この動悸息切れがテセントリクの副作用かどうかは、解らないようだ。でもCT検査の結果で、治療中断をもう少し延長することは出来た。2.3年、と覚悟した命が、もう4年になって生きているのだから、自由に体が動かなくても有難い日々・・と思わねば。

同じ病気の人がこのブログを見て、少しでも寿命の延びる治療があることを信じてくださると有難い。私は今になって、もしかしたらテセントリクが夫のときも使えていたら・・と思うことがある。もっとも、夫の場合は寿命が延びたらコロナのパンデミックに突入していたから、良い時期にサヨナラ出来た、と思ってはいるけれど。

日向ぼこ余生と言はねども眠し   KUMI
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