KUMIの句日記

写真と一日一句で綴るブログ。句の転載を禁じます。

肺の免疫療法のこと

2024年12月13日 | 俳句
天気 曇

写真は、10年前の昭和記念公園のライトアップ。それまでは何度も見に行っていたが、この年が最後。というのも、年が明けて春になった頃、最初の心臓発作に襲われ、夏の二度目は倒れるくらいひどくて死にそうになった。で、ペースメーカーの植え込みをして、普通の暮らしが出来なくなった。見た目は変わらなくても一応、身体障害者。夜のおでかけは・・





昨日の続き。
ペースメーカーのことと並行しいて、昨日は呼吸器科で毎月続けいる免疫療法の今後の話があった。今月は休んだが「テセントリク」という薬の点滴治療をほぼ一ヶ月に一度、継続していた。実にもう30回くらい。毎月、血液検査と肺のレントゲンで腫瘍の大きさや拡がりは検査していて、半年に1回はCTの精密検査が。この薬、治癒させるためのものではなく、治療不能となったがんの進行を抑える効果があるというもの。私の肺腺がんはまだステージ1くらいで、手術すれば完治も可能だが、何しろ心不全進行中の障害者。肺の手術はかなり体力を奪うものなので、年齢的にも命がけになるという。医師が「あんまり手術したくない患者」だったようで。
「私、失敗しないので・・」と言える名医?は居ない公立病院。
ひとまず、セオリーの抗がん剤を使用。抗がん剤は20年近く前の乳がんでさんざん世話(?)になった。でも、これは一回目の点滴でダウンした。食事は摂れず吐いてばかり、これを6回もするのもうイヤ、年とれば、がんだって大きくなるのも遅いでしょ、「先生、このまま無治療でほっておいたら、寿命は何年くらいでしょう」「脳転移まで2年かな」
夫は別の種類の肺がんで末期だった。心臓はとっても丈夫な人だったので脳転移してから2ヶ月も頑張ったけれど・・。あと2年かあ~ と覚悟。
「でも、別の先生が新しい治療薬を使ってくれますから試してみましょう。通院治療出来る薬です。酷い副作用もないようです」


承認されたばかりの新治療薬のテセントリクとやらを、使ってみることとなった。副作用はあるけれど、吐いたり食欲がなくなったり、はなくて、ひたすら下痢が何日か続いたり、・・心不全の症状は悪くなったり、その他色々あるけれど、患部はだんだん小さくなり、今回の検査結果は、半年前のCTと変わらなかった。完治は無理らしいが、ここまで回復するとは思わなかった。
が、この動悸息切れがテセントリクの副作用かどうかは、解らないようだ。でもCT検査の結果で、治療中断をもう少し延長することは出来た。2.3年、と覚悟した命が、もう4年になって生きているのだから、自由に体が動かなくても有難い日々・・と思わねば。

同じ病気の人がこのブログを見て、少しでも寿命の延びる治療があることを信じてくださると有難い。私は今になって、もしかしたらテセントリクが夫のときも使えていたら・・と思うことがある。もっとも、夫の場合は寿命が延びたらコロナのパンデミックに突入していたから、良い時期にサヨナラ出来た、と思ってはいるけれど。

日向ぼこ余生と言はねども眠し   KUMI
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心臓の寿命?

2024年12月12日 | 俳句
天気 晴

今月になっての突然の真冬到来に体がついて行けず、おまけにそんな中での通院で昨日は疲労困憊、それこそ「心臓の寿命がもうない」感覚。で、先日も思わず書いてしまったが、「心臓の寿命」って笑い話のような表現だ。気づかなかった、心臓が寿命迎える=人間の死。
私はペースメーカーを入れて心臓の半分を動かしているようなものなので、器械の寿命を考えるからそんな思考になるのだろう。と、可笑しかった。

さて、その心臓動かすための器械・ペースメーカーの寿命は10年と言われていて、そろそろバッテリー切れなのだ。今年中に換える、と言われていたが、器械が旨く動いてくれているので来年正月明けに延びていた。
バッテリーだけなら取り換えは簡単かと思っていたら、そうもいかず、二泊の入院が必要、とのこと。ラジオの電池交換みたいな訳にはいかないのだ。
電池を新しくしたら、心不全の動悸息切れの症状が軽くなるかと思い、ドクターに訊いたら、それはない、と言われた。でも、最近は息苦しくなった時に血圧計で測ると、正常な時は脈拍が80~90なのに50以下に落ちている。暫く休むと落ち着くものの・・そんな時は血圧も、上は正常値の110台くらいでも下が90を越えていたり。

そういう症状が軽くならないのならあまり得なことはない。でもともかく正月明けに入院・交換することになった。昨日は検査とその手続きと・・そして呼吸器科の方は先月CT検査結果からの治療方針の話があり。二つの科の検査やら診察やらで、体調がフラフラなのに病院の中をあっちへこっちへ・・
疲れましたよ。同行してくれたあーちゃん、もっと疲れた筈。正月明けは入院だから、又よろしく。

今日は昨日より体調は良くなっていた。昨日は気圧が急降下していたようなので余計に負担になったのかもしれない。
昨日診察のあったもう一つの病気についても話しておきたいが・・実は、左薬指が「ひょう疽」になってしまい、指先が痛くてパソコンのキイを打てない。自己流のタイピングは、左手をを右手よりも使うので、イライラする。
なので、もう一つの免疫療法の話は明日にしましょう。こちらは悪い話ばかりではない。

底冷す歯科の診察待つ窓辺  KUMI
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生きるのは面倒なこと

2024年12月07日 | お散歩写真
天気 晴

今日はもう、二十四節気の大雪(たいせつ)。温暖化、などと言っても秋が短いだけで冬は来る。西高東低、関東平野には乾いた寒気、山の向こうは雪の季節が始まる天気図になった。
がんの免疫療法をお休みしているので色々と楽になる筈が一向にならない。でも、一昨日はインフルエンザのワクチン接種。希望しなければ接種はしないので、あまり接種する人は多くないようだ。私は毎年接種しているし今年はとくにかなりの流行のようだし。でも、しない人の方が圧倒的、という「高齢者軍団」では、あまり意味はないのかも。マスクもしない人ばかりだし。

昨日は久々に歯科へ。今まで定期的に年2・3回は点検兼ねて通院していたが、がん治療が始まって心臓が弱ってきて、おまけに膠原病を発症してからは、足が遠のいていた。そうそう長生き出来そうもないし、痛くなければいいや・・と歯にまでは気配りの意欲がなくなっていたようだ。が、1本、歯茎の怪しい歯が出てきてしまい、気づいたら数日で痛みが・・食べるに困ると、食いしん坊は歯科へ行く覚悟が出来た。
僅か5分で行けた駅前の歯科、でも、今はそこまでの道のりも息を切らせて命がけ・・(というのは大袈裟過ぎる)。歯科医院は古い雑居ビルの2階にあり、急な外階段を上がらねばならないのも今やキツいだろうか・・結論から言うと、下りが暗くて怖くて、手摺りにしがみついて下った。足よりも緑内障が進んでいるせいだ。

余程でないと抜かない主義の歯医者だけれど、今度は抜かれるかも・・と覚悟していたのに隣り合わせの歯3本と一緒に、土台を治療して保存することとなった。
治療は痛かったけれど、六十代の時、「80歳まで保証します。頑張りましょう」と言ってくれた若かりし頃のドクター、約束は果たしてくれた。親知らず以外は、まだ自分の歯が使えている。有難いこと。地元でも古い歯科で、私は今のドクターの親の代から通っていた。隣の市に本院がある。今は、息子2人が継いでいる。抜いて新しく入れて儲ける今の時代、珍しいこと。


とまあ、歯は解決しそう(無論、一回の治療では終わらない)。
でも、この冬も悩まされそうな血行の悪さからの指先のトラブル、足の指は痛みが残っているものの靴は履けるようになった。が、用心していたのに左手の薬指がヒョウ疽になりそうで、ズキズキと痛み、睡眠妨害に。一昨年の右手中指は治るまで1年かかったので、今度も?とぞっとする。
一昨日、訪問医の診察日に良い薬はないか相談してみた。化膿止めの抗生物質を出しましょう、と言われて・・抗生物質は副作用がある、でも7.8年前のことだし種類も違うみたいだから大丈夫かな?と思いつつ昨日飲んだら・・はい、みごと副作用ににやられました。白内障手術のあとで飲んだ薬と同じく、下痢に吐き気に口内炎・・まだ治らない歯痛に加えてのこと、「泣き面に蜂」が何匹?
教訓、抗生物質には油断するな! でも、副作用のことはここへ入所の時に申告してあったから、カルテに書かれていた筈・・って、人のせいにしてはいけない。
生きるって、本当に面倒なことだ。

大雪や富士はいちにち雲を吐き  KUMI
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あれこれ雑感

2024年12月04日 | 俳句
天気 晴

写真は無論、過去のもの。今頃と1月に富士の山頂へ日が沈む。その時刻に家に居て待っていればもっと絵になる写真が撮れるだろうが、あまりにも身近な富士山、家からダイヤモンド富士を・・などという気構えがなかった。
なので、三十年以上住んだマンションで、これを見たのは数回しかない。いくら冬とはいえ、毎年快晴、とはいかない。第一、夕方のその時刻に在宅するようになったのも退職後のことだったし・・

書きたいことは色々とあるけれど、その暇と気力がない。体調は、天気が安定してきても少しはいいかな?くらいなので、もう、天気病とは言えなくなりそうだ。
明日から寒さが本格的になるというので、今日の昼前に日差しに誘われ、銀行のATMで振込に。慣れているはずの振込なのに、最後には「あなたの電話番号」の記入が要求される。実は、私は20年以上経つのに、080から始まる自分の携帯電話の番号がすぐに出てこない。家の以前の電話番号は今でも暗記しているのに・・もっとも、それを覚えていれば良かったので、固定電話をやめてからは携帯の番号を覚えなかった。設定画面を見れば解かる。生まれつき数字の暗記が苦手。
で、ちょっとモタモタしていたら、「初めからやり直してください」みたいな画面になって、初期化されカードが返還されて・・ちょっとお~~、画面の切り替え早過ぎですよ。年寄の能力に合っていませんよ、私でさえ少し躓いたくらいの速度で画面が初期化されてしまうなんて、許せぬ。以前からこんなに早かったのかなあ・・とやり直し。
疲れ果てて、スーパーの渡り廊下のベンチで日向ぼっこがてら10分ほど休み、息が整ってから階下のドラッグストアへ。いつもの愛用のマスクやら必要な小物を買い・・それだけで又、疲労がどっと押し寄せた。
歩いて3分の施設に帰ると、玄関で一休み、部屋へ帰って15分くらい休んでもまだ息が整はない。でも昼食の時間になってしまったし・・

日々、息切れが加速するような。心臓の寿命って、いつまで?
でも、生かされている間は頑張ろう。

気分転換。
マンション最後のダイヤモンド富士「もどき」を見た年(2019年)の散歩道の公園は、とっても紅葉の綺麗な年だった。富士山と同じ12月8日に撮っている。



多分、今年の多摩地域はあまり紅葉が綺麗ではないようなので、この年は格別だったのかもしれない。

書き換える記憶あれこれ冬夕焼  KUMI
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師走へ突入

2024年12月01日 | 俳句
天気 晴

夫が元気だった最後の頃の、散歩道の公園。12月1日に通りかかったら「市民駅伝」を開催していた。これは中学生の部、だったろうか。公園の外周を走り、園内がゴールになっていた。ルールは良く解らなかったが、もっと見ていたかったけれど結構冷える天気で、長時間立っていられなかったことを覚えている。チームは柔道着のチームあり、野球ユニフォームのチームあり、と見ていて楽しかった。
写真のチームは、走りがいちばん綺麗だったので、陸上部だったかもしれない。

公園の写真を見たくなったのは、実は、市役所の新庁舎がこの公園の隣接地に完成して来年正月明けには今の場所から移転してくる。昭和30年代に建てた古い庁舎は、震度5の地震でも壊れる、と言われたような酷い代物で、でも貧乏な市なので簡単に建て替えも出来ない。旧国鉄の広大な跡地の払い下げがあり(今の公園)そこへ移転か、と言われたが金がない。隣の駅前を開発したときにそこの高層ビルに入るとか、色々な話がありながら構想以来、流れ流れて半世紀近く・・大げさだが・・庁舎は仮住まいやらプレハブやらの継ぎ足しで今に至っていた。東京都内でも最悪の市庁舎だったのだ。
お隣の某市のように大企業の工場があったり、競馬場があったり、刑務所があったり(よく知らないが、これは自治体にとって金になる施設らしい)、というのとは違い、金には恵まれていない小さな市で。自慢は、京都よりも古い歴史のある地というだけで・・地名だけでは金にもなりません。で、こんな市庁舎が出来るという。(市のパンフレットからの写真)
災害時は公園は避難場所になっているので、公園内に市庁舎、というのはとても便利だろう。


今さら出来上がっても、徒歩15分とはかからない場所ながら、今の私には歩いて行けるやら・・もう自分に必要な市への届出は死亡届くらいだ。これは自分では出来ないし・・今更新しくなったって、という気持。
隣接して市の障害者の施設や都立図書館などもあり、この環境の良さを見て、若い世代が増えてくれれば有難いことだ。

日没の直後の富士山。師走に入って富士山も一日見えて、本格的な冬姿になった。


師走来る広々と空晴れわたり  KUMI
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疲れが抜けない

2024年11月29日 | 俳句
天気 晴れたり曇ったり

何だか、今週は全く疲れの抜けないというか、天候のせいにばかりではなく体調が一度もシャキッとしない日々だ。
25日、LINEでの句会。三人のはずが急に二人になってしまい、二人なので作る句数は少なくなったのにひどく疲れた。でもこの疲れは心地よい部分もあり。
26日は近所の眼科へ通院。まだ足の親指が痛くて、おまけに目眩がひどいし、一人はちょっと・・で、友人に付き添いをお願した。何とか普通の靴で歩けたものの、やはり帰ったらぐったり。外でランチしたかったけれど、その元気も出ず、友人にお寿司を買ってきてもらい部屋で食べる。
28日(昨日)は午後、昼食抜きでの肺のCT検査やら血液検査の日。
今月から中断している免疫療法を再開するかどうかの検査だったが、CT検査の結果は来月にならないと解らない。もう、再開したくない・・元々ふらふら状態なのに昼食抜きで午後2時半過ぎからの検査・・採血の血管はなかなか出ないし、空腹でCTの造影剤注入したら気分悪くなりそうになったり・・


と、さんざんの週でございました。夫と私の共有の友人の奥さまが急逝されたという訃報が入ったり・・もう、免疫力だだ下がりの日々だった。今日は気圧が低いようで余計に息切れ状態で。仕方ないから、朝から自分へ「頑張れ!」を連呼してみたり。友人にも「頑張れ!」と言うしかない。夫婦のどちらが残るか、の選択は出来ないので、先に旅立つ方の「早い者勝ち」だ。
妻が夫を見送るのが夫婦にいちばん良い、なんて言うけれど、それは夫側の勝手というもの。私はやはり、見送られたかった。私より若かった友人の奥さまが羨ましい、とは思わないけれど。

鴉二羽鳴かず去りたる小春かな   KUMI
(LINE句会に出した句)
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晩秋雑感

2024年11月24日 | 俳句
天気 晴

列島に等しく冬が来たようだ。北国や山沿いの雪の話も増えてきた。
写真は前住のマンションからの、今頃の富士山。このくらいの雪の富士山でなくてはおかしい晩秋・・と思っていたら、一昨日あたりからやはり富士山には雪が増え始めて、今朝の富士山は例年並みの雪となった。


上の写真と同じ方角なのだが、写真に写る邪魔の多いのは仕方がない。スマホの写真のズーム撮り→拡大→切り抜き、で何とか見られる写真にしてみた。

施設の建物は、建つ前は武蔵野の名残りの雑木林だった。いわゆる「ははその林」なので、落葉して団栗を落とす木から成り立っていた。その落葉が肥料となり、武蔵野の畑作=江戸の食料生産を支えた。そんな林が今も少しは残っていて、その一部にこのホームが建ってしまった。貴重な自然破壊のあとに住んでいる。もっとも、東京郊外は皆、そんな場所だったのだから仕方ない。
建物の隣にには林がまだ残っているが、今頃は木々が葉を落とす頃なのに、まだ青々としている。富士山には冬が来たけれど、平野の方は・・
東京に多い銀杏並木は、都心でもやっと見ごろになってきたようだ。
写真は、夫の葬儀の10日くらいあとの昭和記念公園で。私が一人でしょんぼりしているだろう、と、みんなが誘ってくれた。その時の銀杏の落葉を集めるまーちゃんの写真。姿が見えないと思ったら・・


なかなか絵になる光景だったので、写真を撮ってから「銀杏の実に触ってはダメよ、毒があるから」と注意した。普通なら、写真撮るより注意が先でしょ。ギンナンかぶれは面倒だ。「あれダメこれダメ」のダメばあば復活の日。じいじはやさしいままで終わった。

一昨日、帯状疱疹の予防接種を受けた。インフルやコロナと違い、施設で皆が接種する訳ではない。個人的な接種で、インフルが後回しになった。
でも、帯状疱疹の症状が長引いたら、とても我慢出来るものではない。一昨年だったか何十年ぶりで罹病して、症状は軽かった。でも、今は免疫力ダダ下がり状態。この前は三日ほどで痛みは抜けたものの、あの神経痛めいた奇妙な疼痛が長期間続く苦痛を考えると、数万円には替えられない。がんの末期で入院していた母が、帯状疱疹でも苦しめられているのをみている。私も同じ目には遭いたくない。
副作用のない注射かと思っていたら、接種した日の夜は腕が腫れて少し熱が出た。でも、コロナワクチンよりは軽症の副作用だった。でも、もう一回打たねばならない。二度打つワクチンは、ほぼ生涯罹らないそうだ。インフルエンザはワクチン打っても三ヶ月過ぎれば効果が減るそうだ。事実、コロナ禍前の7年前、10月に済ませて安心していたら、3月に罹ってしまった。
私の体調も一気に最終コーナーを周ったような・・ワクチンもそのための準備のひとつ。

これを入力していると、救急車のサイレンが・・と思ったら、パソコンデスクから見える駐車場に救急車が入ってきた。ここに住んで居れば日常的なことではある。でも、何だか「明日は我が身」の気分になりそうな・・
と、厭な気分になったのでラウンジへ出てみたが、患者はこの階ではなかった。先日運ばれた人は、すぐに帰ってきて、今日はいつものように車椅子で日向ぼっこしている。
さて私も、もう少し頑張ろうか。とりあえず、今夜は世界野球の決勝戦を見なくては。

ひとりづつ消えてゆくなり日向ぼこ  KUMI
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昭和が益々遠くなる

2024年11月21日 | 俳句
天気 曇のち晴

写真は、説明しなくても解り切ったユリカモメの整列。不忍池での2004年の写真なのだが、なかなか旨く撮れている。

昨日一昨日と急激な気温の変化でフラフラになっていた。今日の昼頃から天気は落ちついてきた。ということは体調も回復していくかと思ったが・・その兆しなし。目眩が少し少なくなった程度だ。あまり書きたくないが、昨日は「心不全」について少し詳しく調べてみた。いままで、怖いのでドクターの話をテキトウにしか聴いていなかった。
慢性心不全の息切れ・動悸はもう、どうにもならないらしい。他の臓器のように、リハビリや薬で回復するというモノではないから。薬は、心臓の動きを助ける程度か。これに付き合っていくのもしんどいけれど、生きているのだから仕方がない。

谷川俊太郎氏の訃報を一昨日、知った。92歳と聞いて、あれ、もっと高齢かと思っていたのに・・と。いずれにしても、言葉を使い創造していく日常を過ごしていると、長寿を全うできるのだろう。「老衰」という死亡理由は、何歳であれ、人生を悔いなく送った人のためにある、と最近は思う。ジタバタしている私は、老衰にはなれない。多分、病名がつくだろう。
詩を本気で作ったことはないが、ことばの表現は学ばせてもらった気がする。
「二十億光年の孤独」を目にしたのは中学生の頃だったか。 一光年がどういう意味かを学校で教わったばかりの頃だ。その長~い一光年単位を億とする宇宙の果てがあるというのだったら、地球って何?自分の生きている時間ってどんな小さな粒?などと考えて、高校生の頃から、宇宙に関する知識は大嫌いになった。宇宙を考えると頭の中が混乱してくる。
今も、宇宙の話には興味が全くない。せめて、考えられるのはお月さまくらいまで。

昨日は、北の富士さんの訃報が。82歳。私と同じくらいの年齢のはずなのに何ともお元気で歯切れの良い・・と、テレビの解説が楽しみだったのに。舞の海さんとの会話のやりとりを楽しんだものだ。

亡くなったお2人に心よりご冥福をお祈りします。昭和はどんどん遠くなる。


宇宙なる広さの隅のオリオン座   KUMI
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日常雑感

2024年11月19日 | 俳句
天気 晴

突然、真冬の気候になった。富士山の頂きが申し訳程度の冠雪、写真になるほどではない。
上の写真はこのパソコンに残っているいちばん古い写真ファイル・2004年11月のもので、散歩道のお寺の烏瓜。

体調が悪いので、人とあまり話す機会がない。食堂と部屋を往復するだけの毎日が続いている。先週は若い友人が来てくれて話す機会を持てたが・・そんなことでもないと、どんどん頭が「退化」しそうだ。いつも食事を共にする三人は、程度の差こそあれ揃って耳が遠くて認知症だ。前の席のEさんだけが、まだ初期段階の認知症で、補聴器も付けているので何とか「まとも」な会話が出来る。
でも、話した内容を数日覚えていれば良い方なので、真面目な話はテキトウに終わらせないと。私のことは、訊かれても忘れるので最低限しか話さないことにしている。もっとも、それを自覚しているようで、私のプライバシーはあまり訊かないから有難い。
最近、他の席から代わってきた隣の席の人は、補聴器をしていない。かなり大声でないと聞こえないので、私の心臓に悪いから、もう、余程のことでない限りは話さないことにしている。それに、先日、こんなことを言った。
「独り暮らしが長いので補聴器は付けないことにしていたの、うるさいし、第一、聞こえなくても困らないから」はいはい、困るのは周囲なのですよ。そういう考えの人は多い。難聴の人の認知症の進行が早いのは、そうやって、自分から情報遮断しているからなのだ。
その前に座るSさんは、補聴器をしているが、聞こえない日が多い。どうも、使い方が間違えているようだけれど、私には解らないこと。
という3人に付き合っているので、話さない日がどんどん増える。話しても、あまり楽しい話題はない・・毎日、同じ話題の繰り返し。
「変わり映えのしない料理ね」と言うのだから笑いたくなる。前の食事のメニュー、覚えていないでしょ。パン食は月水金の朝、と決まっているのに「今朝もパンねえ」

ちょっとした用があったので、ケアマネさんに会ったついでにそんな愚痴を話したら
「会話する機会は、館内デイケアの集まりの出るほかないわね」と言われてしまった。解っています、毎日、脳トレとかクイズとか尻取りとか、たまにはカラオケとか・・
その集まりも半数以上は耳が遠くて認知症の人。その時間と元気があったら、パソコンに向かうなりスマホを見るなり・・私はその方が楽しい。
以前は、同じ階のラウンジで介護士たちと世間話をしたりしてそれなりに楽しいこともあった。でも考えたら、私が入所して3年くらいはコロナ禍で館内デイケアがなかった分、介護士も暇だったのだ。

夕方のTVの地方ニュースで、昭和記念公園の銀杏並木を映していた。2019年11月10日、夫の亡くなった10日後だったが、友人一家が誘ってくれて、毎年のように夫と行ったカナールの銀杏を見に行った。下はその時の写真。葬儀の疲れは残っていたが、気分転換にはなった。




今日の朝の寒さで、多摩の紅葉は一気に色づいたようだ。

日向ぼこ聞こゆる耳のありがたし  KUMI
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冬は足踏み

2024年11月15日 | 俳句
天気 曇

写真は、2017年に撮った散歩道の公園の皇帝ダリア。日付からすると11月の同じ時期なので今頃咲いているはずだが、その後の台風で倒れてしまった。で、今はどうなっているのか、復活させたかどうか知らない。数本が見事に咲く一画で、楽しみにしていた。個人宅の庭へ咲かせているのは、この近くでも見るけれど、何しろ大きいので写真には出来ない。上の写真は、公園なのでかなり遠くから見上げ、ズーム目いっぱいで撮ったのだと思う。

季節が変わろうとしてなかなか変わらないままの短い秋。秋の花は咲き遅れたというから、薔薇園はまだ見られるのかもしれない。
不思議と、どんな花も再び見に行きたい、と思う気分にはならない。もうその気力がない訳ではなく、今の体力で無理をして連れていってもらっても自由に歩ける訳でもない。元気な人は簡単に「車椅子で行きましょう」と言ってくれたりする。そこまでして、どうしても再び見たい、と思うことがない。認知症の始まり?と思ったりするけれど、元気で歩き廻っていたイメージの自分が行く訳ではないのだから、楽しめる訳がないという思い込みかも。
これも、認知症の初期症状の「やる気が失せる」なのかもしれない。

スマホの塗り絵のバラ。


2ヶ月近く前まで同じテーブルで食事していたOさんが、入院先から帰ってきた。何しろ彼女は耳が少し遠いだけで、ここでは珍しい「健常に近い」人だった。でも。ちょっと尻餅をついただけ、と思った転倒だったのに、骨折したようで、入院~リハビリ。歩行器で歩くようにはなったけれど、頑張れば又、歩けるようになるかも。認知症がない人はリハビリする元気さえあれば大丈夫。
テーブルが変わったのでゆっくり話せないが、ともかく、車椅子の人が増えて増えて・・食堂は狭くなる一方だ。2年前、介護ホームに変更してから、当然ながら要介護の人優先になり、認知症の新しい入所者も増えるばかりで・・
車椅子にならなくて退院出来たOさんに、ほっとした。

何度も言っているが、高齢者に転倒はいちばんの大敵。私は転んだり躓いたことのないのが自慢だったが、姉を含めて周囲には転倒が原因で大変な思いをした人が多い。誰だって転びたくて転ぶ訳ではない。最近、私は心臓のせい?歩行もおぼつかなくなったが、緑内障の視野狭窄が進み、右眼がかなり不自由。気を付けるほかに方法はない。

蒼天へ近づき冬の薔薇孤高  KUMI 
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