KUMIの句日記

写真と一日一句で綴るブログ。句の転載を禁じます。

疲れが抜けない

2024年11月29日 | 俳句
天気 晴れたり曇ったり

何だか、今週は全く疲れの抜けないというか、天候のせいにばかりではなく体調が一度もシャキッとしない日々だ。
25日、LINEでの句会。三人のはずが急に二人になってしまい、二人なので作る句数は少なくなったのにひどく疲れた。でもこの疲れは心地よい部分もあり。
26日は近所の眼科へ通院。まだ足の親指が痛くて、おまけに目眩がひどいし、一人はちょっと・・で、友人に付き添いをお願した。何とか普通の靴で歩けたものの、やはり帰ったらぐったり。外でランチしたかったけれど、その元気も出ず、友人にお寿司を買ってきてもらい部屋で食べる。
28日(昨日)は午後、昼食抜きでの肺のCT検査やら血液検査の日。
今月から中断している免疫療法を再開するかどうかの検査だったが、CT検査の結果は来月にならないと解らない。もう、再開したくない・・元々ふらふら状態なのに昼食抜きで午後2時半過ぎからの検査・・採血の血管はなかなか出ないし、空腹でCTの造影剤注入したら気分悪くなりそうになったり・・


と、さんざんの週でございました。夫と私の共有の友人の奥さまが急逝されたという訃報が入ったり・・もう、免疫力だだ下がりの日々だった。今日は気圧が低いようで余計に息切れ状態で。仕方ないから、朝から自分へ「頑張れ!」を連呼してみたり。友人にも「頑張れ!」と言うしかない。夫婦のどちらが残るか、の選択は出来ないので、先に旅立つ方の「早い者勝ち」だ。
妻が夫を見送るのが夫婦にいちばん良い、なんて言うけれど、それは夫側の勝手というもの。私はやはり、見送られたかった。私より若かった友人の奥さまが羨ましい、とは思わないけれど。

鴉二羽鳴かず去りたる小春かな   KUMI
(LINE句会に出した句)
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晩秋雑感

2024年11月24日 | 俳句
天気 晴

列島に等しく冬が来たようだ。北国や山沿いの雪の話も増えてきた。
写真は前住のマンションからの、今頃の富士山。このくらいの雪の富士山でなくてはおかしい晩秋・・と思っていたら、一昨日あたりからやはり富士山には雪が増え始めて、今朝の富士山は例年並みの雪となった。


上の写真と同じ方角なのだが、写真に写る邪魔の多いのは仕方がない。スマホの写真のズーム撮り→拡大→切り抜き、で何とか見られる写真にしてみた。

施設の建物は、建つ前は武蔵野の名残りの雑木林だった。いわゆる「ははその林」なので、落葉して団栗を落とす木から成り立っていた。その落葉が肥料となり、武蔵野の畑作=江戸の食料生産を支えた。そんな林が今も少しは残っていて、その一部にこのホームが建ってしまった。貴重な自然破壊のあとに住んでいる。もっとも、東京郊外は皆、そんな場所だったのだから仕方ない。
建物の隣にには林がまだ残っているが、今頃は木々が葉を落とす頃なのに、まだ青々としている。富士山には冬が来たけれど、平野の方は・・
東京に多い銀杏並木は、都心でもやっと見ごろになってきたようだ。
写真は、夫の葬儀の10日くらいあとの昭和記念公園で。私が一人でしょんぼりしているだろう、と、みんなが誘ってくれた。その時の銀杏の落葉を集めるまーちゃんの写真。姿が見えないと思ったら・・


なかなか絵になる光景だったので、写真を撮ってから「銀杏の実に触ってはダメよ、毒があるから」と注意した。普通なら、写真撮るより注意が先でしょ。ギンナンかぶれは面倒だ。「あれダメこれダメ」のダメばあば復活の日。じいじはやさしいままで終わった。

一昨日、帯状疱疹の予防接種を受けた。インフルやコロナと違い、施設で皆が接種する訳ではない。個人的な接種で、インフルが後回しになった。
でも、帯状疱疹の症状が長引いたら、とても我慢出来るものではない。一昨年だったか何十年ぶりで罹病して、症状は軽かった。でも、今は免疫力ダダ下がり状態。この前は三日ほどで痛みは抜けたものの、あの神経痛めいた奇妙な疼痛が長期間続く苦痛を考えると、数万円には替えられない。がんの末期で入院していた母が、帯状疱疹でも苦しめられているのをみている。私も同じ目には遭いたくない。
副作用のない注射かと思っていたら、接種した日の夜は腕が腫れて少し熱が出た。でも、コロナワクチンよりは軽症の副作用だった。でも、もう一回打たねばならない。二度打つワクチンは、ほぼ生涯罹らないそうだ。インフルエンザはワクチン打っても三ヶ月過ぎれば効果が減るそうだ。事実、コロナ禍前の7年前、10月に済ませて安心していたら、3月に罹ってしまった。
私の体調も一気に最終コーナーを周ったような・・ワクチンもそのための準備のひとつ。

これを入力していると、救急車のサイレンが・・と思ったら、パソコンデスクから見える駐車場に救急車が入ってきた。ここに住んで居れば日常的なことではある。でも、何だか「明日は我が身」の気分になりそうな・・
と、厭な気分になったのでラウンジへ出てみたが、患者はこの階ではなかった。先日運ばれた人は、すぐに帰ってきて、今日はいつものように車椅子で日向ぼっこしている。
さて私も、もう少し頑張ろうか。とりあえず、今夜は世界野球の決勝戦を見なくては。

ひとりづつ消えてゆくなり日向ぼこ  KUMI
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昭和が益々遠くなる

2024年11月21日 | 俳句
天気 曇のち晴

写真は、説明しなくても解り切ったユリカモメの整列。不忍池での2004年の写真なのだが、なかなか旨く撮れている。

昨日一昨日と急激な気温の変化でフラフラになっていた。今日の昼頃から天気は落ちついてきた。ということは体調も回復していくかと思ったが・・その兆しなし。目眩が少し少なくなった程度だ。あまり書きたくないが、昨日は「心不全」について少し詳しく調べてみた。いままで、怖いのでドクターの話をテキトウにしか聴いていなかった。
慢性心不全の息切れ・動悸はもう、どうにもならないらしい。他の臓器のように、リハビリや薬で回復するというモノではないから。薬は、心臓の動きを助ける程度か。これに付き合っていくのもしんどいけれど、生きているのだから仕方がない。

谷川俊太郎氏の訃報を一昨日、知った。92歳と聞いて、あれ、もっと高齢かと思っていたのに・・と。いずれにしても、言葉を使い創造していく日常を過ごしていると、長寿を全うできるのだろう。「老衰」という死亡理由は、何歳であれ、人生を悔いなく送った人のためにある、と最近は思う。ジタバタしている私は、老衰にはなれない。多分、病名がつくだろう。
詩を本気で作ったことはないが、ことばの表現は学ばせてもらった気がする。
「二十億光年の孤独」を目にしたのは中学生の頃だったか。 一光年がどういう意味かを学校で教わったばかりの頃だ。その長~い一光年単位を億とする宇宙の果てがあるというのだったら、地球って何?自分の生きている時間ってどんな小さな粒?などと考えて、高校生の頃から、宇宙に関する知識は大嫌いになった。宇宙を考えると頭の中が混乱してくる。
今も、宇宙の話には興味が全くない。せめて、考えられるのはお月さまくらいまで。

昨日は、北の富士さんの訃報が。82歳。私と同じくらいの年齢のはずなのに何ともお元気で歯切れの良い・・と、テレビの解説が楽しみだったのに。舞の海さんとの会話のやりとりを楽しんだものだ。

亡くなったお2人に心よりご冥福をお祈りします。昭和はどんどん遠くなる。


宇宙なる広さの隅のオリオン座   KUMI
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日常雑感

2024年11月19日 | 俳句
天気 晴

突然、真冬の気候になった。富士山の頂きが申し訳程度の冠雪、写真になるほどではない。
上の写真はこのパソコンに残っているいちばん古い写真ファイル・2004年11月のもので、散歩道のお寺の烏瓜。

体調が悪いので、人とあまり話す機会がない。食堂と部屋を往復するだけの毎日が続いている。先週は若い友人が来てくれて話す機会を持てたが・・そんなことでもないと、どんどん頭が「退化」しそうだ。いつも食事を共にする三人は、程度の差こそあれ揃って耳が遠くて認知症だ。前の席のEさんだけが、まだ初期段階の認知症で、補聴器も付けているので何とか「まとも」な会話が出来る。
でも、話した内容を数日覚えていれば良い方なので、真面目な話はテキトウに終わらせないと。私のことは、訊かれても忘れるので最低限しか話さないことにしている。もっとも、それを自覚しているようで、私のプライバシーはあまり訊かないから有難い。
最近、他の席から代わってきた隣の席の人は、補聴器をしていない。かなり大声でないと聞こえないので、私の心臓に悪いから、もう、余程のことでない限りは話さないことにしている。それに、先日、こんなことを言った。
「独り暮らしが長いので補聴器は付けないことにしていたの、うるさいし、第一、聞こえなくても困らないから」はいはい、困るのは周囲なのですよ。そういう考えの人は多い。難聴の人の認知症の進行が早いのは、そうやって、自分から情報遮断しているからなのだ。
その前に座るSさんは、補聴器をしているが、聞こえない日が多い。どうも、使い方が間違えているようだけれど、私には解らないこと。
という3人に付き合っているので、話さない日がどんどん増える。話しても、あまり楽しい話題はない・・毎日、同じ話題の繰り返し。
「変わり映えのしない料理ね」と言うのだから笑いたくなる。前の食事のメニュー、覚えていないでしょ。パン食は月水金の朝、と決まっているのに「今朝もパンねえ」

ちょっとした用があったので、ケアマネさんに会ったついでにそんな愚痴を話したら
「会話する機会は、館内デイケアの集まりの出るほかないわね」と言われてしまった。解っています、毎日、脳トレとかクイズとか尻取りとか、たまにはカラオケとか・・
その集まりも半数以上は耳が遠くて認知症の人。その時間と元気があったら、パソコンに向かうなりスマホを見るなり・・私はその方が楽しい。
以前は、同じ階のラウンジで介護士たちと世間話をしたりしてそれなりに楽しいこともあった。でも考えたら、私が入所して3年くらいはコロナ禍で館内デイケアがなかった分、介護士も暇だったのだ。

夕方のTVの地方ニュースで、昭和記念公園の銀杏並木を映していた。2019年11月10日、夫の亡くなった10日後だったが、友人一家が誘ってくれて、毎年のように夫と行ったカナールの銀杏を見に行った。下はその時の写真。葬儀の疲れは残っていたが、気分転換にはなった。




今日の朝の寒さで、多摩の紅葉は一気に色づいたようだ。

日向ぼこ聞こゆる耳のありがたし  KUMI
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冬は足踏み

2024年11月15日 | 俳句
天気 曇

写真は、2017年に撮った散歩道の公園の皇帝ダリア。日付からすると11月の同じ時期なので今頃咲いているはずだが、その後の台風で倒れてしまった。で、今はどうなっているのか、復活させたかどうか知らない。数本が見事に咲く一画で、楽しみにしていた。個人宅の庭へ咲かせているのは、この近くでも見るけれど、何しろ大きいので写真には出来ない。上の写真は、公園なのでかなり遠くから見上げ、ズーム目いっぱいで撮ったのだと思う。

季節が変わろうとしてなかなか変わらないままの短い秋。秋の花は咲き遅れたというから、薔薇園はまだ見られるのかもしれない。
不思議と、どんな花も再び見に行きたい、と思う気分にはならない。もうその気力がない訳ではなく、今の体力で無理をして連れていってもらっても自由に歩ける訳でもない。元気な人は簡単に「車椅子で行きましょう」と言ってくれたりする。そこまでして、どうしても再び見たい、と思うことがない。認知症の始まり?と思ったりするけれど、元気で歩き廻っていたイメージの自分が行く訳ではないのだから、楽しめる訳がないという思い込みかも。
これも、認知症の初期症状の「やる気が失せる」なのかもしれない。

スマホの塗り絵のバラ。


2ヶ月近く前まで同じテーブルで食事していたOさんが、入院先から帰ってきた。何しろ彼女は耳が少し遠いだけで、ここでは珍しい「健常に近い」人だった。でも。ちょっと尻餅をついただけ、と思った転倒だったのに、骨折したようで、入院~リハビリ。歩行器で歩くようにはなったけれど、頑張れば又、歩けるようになるかも。認知症がない人はリハビリする元気さえあれば大丈夫。
テーブルが変わったのでゆっくり話せないが、ともかく、車椅子の人が増えて増えて・・食堂は狭くなる一方だ。2年前、介護ホームに変更してから、当然ながら要介護の人優先になり、認知症の新しい入所者も増えるばかりで・・
車椅子にならなくて退院出来たOさんに、ほっとした。

何度も言っているが、高齢者に転倒はいちばんの大敵。私は転んだり躓いたことのないのが自慢だったが、姉を含めて周囲には転倒が原因で大変な思いをした人が多い。誰だって転びたくて転ぶ訳ではない。最近、私は心臓のせい?歩行もおぼつかなくなったが、緑内障の視野狭窄が進み、右眼がかなり不自由。気を付けるほかに方法はない。

蒼天へ近づき冬の薔薇孤高  KUMI 
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