ミーシャのひとりごと

数あるブログの中 訪問してくれてありがとう。
蒜山高原や大山などの風景写真を撮りながら
田舎暮らしを楽しんでいます。

倉敷美観地区散策

2012-06-08 06:43:19 | まち歩き
     
               こんにちは~♪

前回からの続き。。。
倉敷美観地区散策



今回はアイビースクエアーから倉敷川へ出て大原家の前まで来て引き返し
石橋を渡って、大原美術館から観光バスが駐車する市営駐車場へ向けお店散策。
Uターンしてエルグレコでアイスコーヒーの飲んで観光案内所まで戻り
民芸館や郷土玩具館辺りの倉敷川を挟んだ両側のお店散策。




川縁では若い女性の方が 
ご自分で作られた手作りのアクセサリーの販売。
以前は 所狭しと多くの若い人が並んで売っていましたが、
この時は二三人  芸大の学生さんかな?




倉敷川に沿って白壁の町並みが続く倉敷美観地区は、
江戸時代に天領(幕府の直轄地)として繁栄したところ。
柳並木の堀割には常夜灯や黒いポストなど、往時をしのばせる品々が残され、
国の伝統的建造物群保存地区に選定されています。





石橋の上から
あの船着き場で 船からの荷揚げをしていたのでしょうね。





正面は観光案内所






大正時代に倉敷町役場として建てられた木造洋風建築で、
現在は観光案内所、無料休憩所として開放。
夜間は館内に明かりを灯し、倉敷美観地区に風情を与えている。

ふと 小学時代の校舎が懐かしく思い出された。




大原家の別邸の「有隣荘」
大原孫三郎が夫人のために昭和3年に建てた別邸。






特別に作られた屋根瓦の色から 地元の人には「緑御殿」と呼ばれる。
年数回、大原美術館主催の特別展会場として公開されています。
今日は 丁度その日だった様ですが
今回はどこの館内もパス!




あの瓦屋根の緑色が特徴です。
周りは白壁に焼き板塀ばかりの中、オレンジ色っぽい塀は目立ちます。










正面 かの有名な大原美術館です。





大原美術館

大原美術館は、倉敷の実業家大原孫三郎が洋画家児島虎次郎に託して収集した
西洋美術、エジプト・中近東美術、中国美術などを展示するために開館した
西洋美術、近代美術を展示する日本最初の美術館です。

大原美術館の代名詞 エル・グレコ『受胎告知』や、ロートレック『マルトX夫人の肖像―ボルドー』、
ゴーギャン『かぐわしき大地』、ルノワール『泉による女』、ドガの『踊り子』、
モネの『睡蓮』・・・・等々有名な絵画が展示され、
また陶器館にはバーナード・リーチの作品も展示されています。

OHARA MUSEUM of ART




お隣の カフェ『エル・グレコ』

cafe EL GRECO




何十年も変わらない店内の様子






レストラン『亀遊亭』
以前はシックでいい雰囲気だったけど。。。





倉屋敷風のショップが続いています。
この辺りは昔から倉が並んでいて、
貯蔵していた米を この倉敷川から船で運び出していました。
倉の並ぶ倉屋敷から「倉敷」と云われるようになったそうです。




有名人ショップ
ありました~。星野仙一さんの記念館
岡山県倉敷市出身の前プロ野球監督














倉敷民藝館
江戸後期の米蔵を改造して、昭和23年に開館した。
国内外を問わず、陶磁器、漆器などの民芸品を展示。
併設のショップでは 倉敷ガラス や備中和紙などの販売も。


脱線しますが 
倉敷ガラスで有名な 小谷真三さんの吹きガラス
以前はコツコツ買い集めて楽しんでいました。



光を通して見ると綺麗でしょう~





濃いブルーと赤色が特徴かな?
全部 吹きガラス!
出窓に飾って楽しんでいましたよ~~♪






どれもこれも欲しいよね





倉敷郷土玩具館
今は 日本郷土玩具館 に。。。

日本郷土玩具館











この木は何の木でしょうか?
初めて見るような気がしますが、、、





サクランボ大の実がぶら下っています
カサカサと堅そうなオレンジ色の様な実

 



遠くからでもあの木は目立つでしょう~


次回は阿智神社界隈よ。


コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

倉敷 アイビースクエアー

2012-06-05 11:59:53 | まち歩き
     
               こんにちは~♪

今日は 倉敷美観地区の
アイビースクエアーから倉敷川通り
の写真を

以前 母とよく出かけていた倉敷美観地区。
近くの阿知商店街のお店へ ちぎり絵の材料の和紙を買いに。
もうあれから 20年近くの年月が経っています。
久しぶりに出かけてみる美観地区辺りは、見違えるように整備され
路地の奥の奥まで 昔の家並みが綺麗に修復されていました。

駅前通りの市営駐車場ではなく、倉敷市民会館横の駐車場へ車を置いて
私のいつものお決まりコース 
アイビースクエアーから入って行きました。



今頃アップするのもお恥ずかしいけれど
撮ったままの写真がPCの中にあって
ブログに載せるのをすっかり忘れていました。
丁度ひと月前の写真です。
その頃 GW期間中もあって 多くの観光客が訪れていました。




倉敷アイビースクエア
明治の頃 江戸幕府の代官所跡に倉敷紡績工場が建設され、
昭和48年に改修されて 現在の観光施設になっています。
『近代化産業遺産』に認定された特色豊かな施設ですよ。




赤レンガと蔦が印象的な施設内には
ホテル、レストラン、多目的ホール、倉紡記念館、
児島虎次郎記念館、オルゴール館等があります。




パブリックバー ”赤煉瓦 ”


リンクしている下記のURLを見て下さい!

KURASHIKI IVY SQUARE 




中央広場
イベントや屋外コンサート等が催されます。




赤レンガを覆う蔦
これには理由があり、紡績工場であった頃 
工場内部の温度調節の為に植えられていたそうですよ。




蔦に覆われたホテル
息子がまだヨチヨチ歩きの頃
この椅子に座って写真を撮ったなぁ~




かつては工場であったレンガ造りの建物
現在は展示室・ギャラリーとして利用されています。





グリーンの綺麗な蔦ですが 秋の紅葉も綺麗ですよ~♪






児島虎次郎記念館
大原美術館の名画を収集した画家の児島虎次郎を紹介しています。





アイビースクエアーから大原美術館通りへ向けて






小さなお店が所狭しと並んでします。
この正面を抜けて出た所が 大原美術館のある倉敷川通り。





時々覗いて ガラスの製品を買うお店
まだ健在でした~~
このお店で赤のペアワイングラスを買ったっけ!
幸運をもたらす赤色のグラス
赤い色を出すのは鉱物の鉄を入れるそうですよ。




倉敷珈琲館
倉敷美観地区の一角にある焙煎珈琲専門店。
来た時にはいつも立ち寄るお店。
間口が狭いので ちょっと目立ちません。

倉敷珈琲館 ←リンクしています。

外からは見えにくいですが
中庭があって ちょっとオシャレで落ち着いた空間。




看板も ちょっとお洒落でしょう~






石橋を渡った所 左正面が「旅館くらしき」
直ぐ近くに「倉敷考古館」があります。
川筋の名物 柳の新芽が綺麗でしたよ~






トイレまで目立たなく洒落ています。












路地の奥にあるお店 人通りの多い所へ出て来て
宣伝してましたよ~~♪
女のピエロさん 楽しそうでした。




倉敷美観地区には
この様な昔風白壁、なまこ壁、焼板壁の家並みが続いています。




続きは次回に。。。


コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

因幡街道大原宿

2011-01-15 08:30:34 | まち歩き
     
             おはようございます~♪

今日も変わったネタがありませんが
以前撮ってアップしていなかった大原宿の写真を載せます。
ここ大原は 鳥取からの帰り、中国縦貫道へ入る手前にあったので
十数年ぶりに寄ってみました。
播磨国と因幡国を結ぶこの道は古くから人馬の往来があり
江戸時代には鳥取藩主の江戸参勤の道となり、道路や宿駅が整備されました。
ここ古町は小原宿と呼ばれ、本陣・脇本陣・問屋が置かれていて
街並み保存地区には当時の名残が今も残っています。




脇本陣
この宿場の脇本陣は、屋号を米屋と云ったそうです。
脇本陣は、大名や幕府の重臣が本陣に泊る時に
家老や奉行の宿舎にあてられました。
平時の時は一級の旅籠を営んでいたそうですよ。









       









町内で唯一の造り酒屋の田中酒造





大正ロマンを感じさせる建物
以前は銀行だったそうで
内部にはまだ金庫が当時のまま残されているそうです。









袖壁を こちらでは「火返し」と云い
防火の願いを託した水を呼ぶ雲形紋を
大胆にあしらっているそうです。




街並みの両側には水路が流れており
洗い場、防火用水、雪流し等の役目をなしています。
宿場町であった実家の街並みと同じですね。







     







本 陣
本陣は、因幡街道を往来する他の賓客も泊りましたが
第一の利用者は鳥取藩主の池田候でした。




修復されて間が無いのか 白壁が綺麗です。










因幡街道の道標





以前と違い 
今はそれなりに綺麗に整備されていますが
来ている人がいませんね~ぇ。



 今日の一枚



なぬ~ 今日はつまらぬと!
ミーシャの はしたない大あくび。
余り物とピンボケで 失礼しました~~~ 


          
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

石見銀山街並み地区 2

2010-10-08 10:24:21 | まち歩き
     

・・・・・街並み散策の続きです。

前回から続けて
大森代官所跡(石見銀山資料館)のあるAの地点から
Bの地点までの街並み地区約800mを散策しました。
一気に歩けば、徒歩で20分くらいの距離ですが
ブラブラとお店を探索しながらのお散歩です。

この街並み地区は石見銀山の政治経済の中心地だった所で
ここには、武家や商家、神社仏閣など様々な建物が
混在しているのが特徴だそうです。








橋を渡った正面上は観世音寺








お土産、雑貨店「鶴の石」




1800年初頭に建築された代官所役人の遺宅「旧河島家」
大森代官所に勤めた役人(武士)を地役人と云い
代々 大森に移住して
銀山経営や銀山領内の支配にあたったそうです。




上級武家の構えを今に伝えています。



   

古い家並みによくマッチした フウセンカズラ
 柔らかく涼しそうでいい感じですね。


                        


地味で質素で落ちついた街並みです






  













「石見あすみ館」
古民家再生電化PR施設だそうです。




この家並みの向かい側にある「カフェ・カリアーリ」で一休憩
アイスコーヒーを頂きました。
酸味や渋みのない さっぱりしたお味で氷までコーヒーというこだわり
渇いた喉にスーと入る美味しい味わいでした。



カフェ・カリアーリ社はイタリアのエミリア=ロマーニャ州モデナ県で
生まれたコーヒーロースターで、創業100年の歴史があるそうです。
有名なルチアーノ・パヴァロッティ、ダイアナ妃、ソフィア・ローレンなど
多くの人々に愛され続けているコーヒーだそうです。

日本では唯一のカリアーリ社のコーヒー販売元として営業されています。
空き家となっていた先祖代々伝わる家を活用しオーナーさんは若い方で
東京からこちらへ移り住んで来られたそうです。
この家は おばあちゃんが住んでおられた家だそうよ。
つい お話に夢中になって
肝心の写真を撮るのを忘れてしまいました。

折角なので ホームページを紹介します。
カフェ アリアーリ









ここ銀山に関係する炉の置物?


   

お土産、雑貨のお店 群言堂








ちょっとクラシックなガラス戸


この街並みの中で、それぞれに生活をされていますが
一時 遺産ブームの時には、家の中を覗き込まれたり
勝手に戸を開けられたり
ごった返す人波で大変だったそうですよ。

                
ゆっくり散策してB地点のバス乗降所までやって来ました。
ここから路線バスに乗って
元の石見銀山世界遺産センターへ戻ります。

実はねぇ、以前からあるアクセサリーのお店で
記念に、またブレスレットでもと思いましたが
さっさと夫と息子に 先に行かれてしまい ちょっとブーでした。






石見銀山世界遺産センター
世界史に刻まれた鉱山遺跡である石見銀山
その最盛期である17世紀(江戸時代初期)を体感出来ます。
                    



石見銀山は
1526年に九州博多の豪商神屋寿禎(かみやじゅてい)
によって発見されて以来、1923年の休山まで約400年に
わたって採掘されてきた 世界有数の鉱山遺跡です。
大航海時代、石見銀山は日本の銀鉱山としてヨーロッパ人に
最も知られた存在でした。
石見銀山に導入された最先端の鉱山技術は日本各地の鉱山に
伝わり、17世紀はじめには世界の産銀量の約3分の1が日本銀
で占められたと考えられています。

               


石見銀山で産出される銀は
高品位で信用が高く、海外にも多量に輸出され
アジア諸国とヨーロッパ諸国を交易で結ぶ原動力となっていたそうです。
当時の石見銀山が世界を動かす重要な役割を果たしました。
それは、今日、遺跡として当時のまま残されています。
2007年7月「石見銀山遺跡とその文化的景観」は
アジアでは初の鉱山遺跡として
ユネスコの世界遺産に登録されました。




館内の写真撮影は禁止されていますが
唯一許可の出ている場所
鉱脈に沿って掘り進んで行った跡です。

銀を採掘した坑道を間歩(まぶ)と呼び
大小様々600か所以上確認されているようです。
この石見銀山世界遺産センターでは、間歩の一部も再現されており
当時の石見銀山の様子を わかり易く解説されていました。

で、横着をして・・・と言うより
もう歩くのも疲れちゃって、以前と変わってはいないだろうと
実際の間歩も五百羅漢も省略しました。


           
長々と最後までご覧いただき 
ありがとうございました。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

石見銀山街並み地区 1

2010-10-07 08:36:37 | まち歩き
     

昨日の続きです。

石見銀山は石見銀山遺跡とその文化的景観が認められ
2007年7月にユネスコの世界遺産に登録されました。




石見銀山世界遺産センターから乗った路線バス
ほんの少しの距離なのに ちょっとお高い乗車賃!




大森代官所跡のあるA地点で降りました。





早速 お食事処の「おおもり」で早めの昼食です。


               


毎回ここへ入りますが
世界遺産指定の効果ですね。
商売繁盛 随分と活気がありました~~




ここの名物 代官そば





大森陣屋の表門と門長屋のみが現存する代官所跡


                


門を入った中は
大森代官所跡の役所をそのままに
今は、石見銀山資料館になっています。




展示は石見銀山に伝わる歴史資料などを公開し
毎年秋には特別展を開催しているそうです。
撮影は禁止されているので、写真がありません。




資料館を正面に
向こう左側に街並みが奥へ広がっています。




何処を見ても
それなりにまとまっています。













古い民家を上手く利用して
色々なお店が入ってましたよ。









国指定重要文化財の「熊谷家住宅」 ↓ 下2枚共





銀山と共に栄えた商家

 
    


銀山経営の他、酒造なども営んでいたそうです





昔懐かしの風情ですね
今まで よくここまで残っていたものねぇ





以前からある唯一の銀細工のお店





銀兵衛さんは喫茶もされているようです。










古い雰囲気を残しながら整備された街並みは
代官所跡の歴史資料館前から左手に
奥へ奥へと続いていました。


      
・・・・・次回へ続きます。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

八雲本陣

2010-09-04 06:39:55 | まち歩き
     

          
県北の田舎にいても今年の夏は異常ですが、ニュースによれば
8月の平均気温は、全国で岡山が一番高ったそうです。
ビックリですねぇ・・・
どうりで この夏は異常に寝苦しかった訳です。
こんな一番は 欲しくないですね~
          
ところで昨日は
朝になって突然 夫が「八雲本陣へ行こう」と言い出し
あまり気乗りはしなかったけれど 出かけることに。
山陰もまだまだ気温が高く、体調の事も考えて
両親には 猫達とお留守番をしてもらいました。

『 八雲本陣 』 は江戸中期の建築で
大地主だった木幡家(こわたけ)当主が1733年に建てた
敷地1,200坪、建坪800坪の旧家です。

    


城下町松江から宍道湖の南岸沿いに西へ車で20分の所
昔は宿場町として賑わった宍道湖の町の中央部にあります。 
重要文化財に指定されてます。

            


出雲地方屈指の旧家 木幡家の、八雲本陣という屋号は
松江藩主が領内巡視や出雲大社参詣の折に
本陣を勤めた事に由来するそうです。
当時の藩主専用の出入り口「御成門」が 今も残っています。




江戸時代には本陣のお勤めをし
明治以降は豪商、大地主として隆盛を誇ってきたそうです。
戦後は旅館として開放され、今年の2月まで営業をしていました。
川端康成、松本清張ら作家や文化人も多数訪れた宿で
常連客らは廃業を惜しんでいるそうです。




吹き抜けの壁には
昔の私設消防隊の火消し道具が掛けられています。




重文指定の母屋は
旧山陰道に玄関が面した 間口の広い「平入り表屋造り」で
土間は高い吹き抜け構造になっています。






                    












幅広の畳廊下









上質なクラシック壁掛け時計





一間幅のある廊下


          


昭和40年に新築した大広間





明治40年 皇太子殿下(後の大正天皇)の山陰行啓の時
お昼食所となった「飛雲閣」




かつては 大正天皇のみならず
昭和天皇や田中角栄氏も訪れたそうですよ。

                



沢山の煙草盆とランプ
近くにある「蒐古館」(しゅうこかん)では
八雲本陣を訪れた不昧公の歴代松江藩主からの品々や
木幡家に伝わる邦楽器の数々が展示されています。

                      


家の中は迷路のように部屋が続き
なんと部屋数40以上もあるそうですよ。
つい先ほどまで、旅館として営業していたと言われるのも納得ですね。
参勤交代の折に宿泊される宿場町の一般的な本陣とは
少々趣が違った感がありました。






  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

のれんのある風景

2010-07-06 08:25:54 | まち歩き



昨日の続きです。

「のれんのある風景」
   
ここ勝山の町並みは、「のれんの町」としても知られ
各戸の入り口には、色々なのれんが掛かっています。
「ひのき草木染織工房」の店主の方が、町になにか特徴をと、
自らの店の軒先に暖簾をかけた事がきっかけとなり、
始まったそうです。




お食事処の「白壁」





「ます ます 幸せ」 
あやかりたいよね~♪
愛嬌のある可愛いフグが7匹! ラッキーセブンだね。
7匹目は何処にいるでしょう~~




郷土資料館の入り口
これは勝山城主 三浦家の家紋のようです。












看板が無いので民家かしら
赤のおめでたい 暖簾ね。





街並みに暖簾があることで、統一感が出ますね。
大きさや色、形は様々ですが、それぞれの建物と調和して
見て歩くだけでも楽しいね~♪




バックと調和して、すっきりと感じがいいわ









         


大きなトンボが止まってましたよ
オニヤンマかしら~
私的には真夏のイメージなんですが
気の早いせっかちトンボです。 




理髪店の暖簾
櫛の歯とは、考えましたね~





これは看板を見なくても分かるよね
貸自転車もやっているようですよ~

 



この暖簾、何を意味しているのか
いくら考えても分かりませ~ん





人力車お仕事のされている家みたいです。。。






山田さん?
名字かしら~





駐車場のトイレにも。
「雪隠処」とは、なかなか洒落っ気がありね











お食事処のそば屋さん
お店の中へ一歩踏み入れると、昔のまま
中庭を眺めながらの頂く蕎麦は美味しかった~





草木染めの渋いモスグリーンと赤
たった この2枚の布で
古い家並みが生きてくるから不思議よね。




クラシックカーを大切にされてるようです
地赤が明るくていいね。











お茶屋さん
骨董品も売っています。

            
少しの時間でも、こんなに暖簾の写真が撮れました
色々と想像しながら 見て歩くのも楽しいですね~

暖簾を下げている数は80軒以上もあり、すべて違うデザインだそう。
一枚の布ですが、数あると統一感があり 
風情ある明るい街並みに変わりました。

暖簾って、日本独特の便利でセンスな道具。
行き来も出来て遮ることも出来き、
そして 夏には風に揺れて涼しさも感じられる。
出入り口や間仕切りに、タペストリーとして飾ったり
使う人によって 様々に楽しめることができますね。
この日は、日本の暖簾の良さを改めて感じた日でした。 

       


草木染め工房の店主さんに脱帽ですねぇ~ 


                        

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

美しいまちなみ

2010-07-05 07:07:02 | まち歩き



先日の慌ただしい帰郷の目的 父の所用で、
小雨の中を近隣の町へ出かけました。
待ち時間が1時間以上もあったので、カメラを下げ
ぶらぶらと街並みを散策してみました。

子供の頃から見慣れた町並み風景は
少しずつ整備され 随分と様変わりしていました。
これまでは慌ただしく車で通り過ぎるだけで
あまり気に止めることもありませんでした。

今にも雨粒が落ちて来そうな空模様でしたが
久々に改めてゆっくりと眺めて見ると 電柱は地中化され、
昔の良さを残しながら今風に落ちついた街並みに変わってました。
この街並み保存地区は平成20年には「美しいまちなみ大賞」として
国土交通大臣賞を受賞したそうです。
        
・・・ということで、ちょっと写真を撮ってきました。
ここ勝山は、古くは実家のある町並みと同じく
出雲街道の要衝として繁栄した所です。
もちろん田舎の宿場町よりは こちらの方が
三浦藩2万3千石の城下町で比較にはなりませんがね。










土蔵はもちろん、白壁や格子窓の古い家並みが残り
昔ながらの酒蔵や、旧家、古民家、蔵などを活用した工房、
カフェギャラリーなどがあって、結構楽しく散策しました~















第二次大戦中に疎開して来ていた文豪・谷崎潤一郎も
この勝山の町を愛していたそうよ。










石段を上がった先は、武家屋敷があった所で
家老格であった 旧渡辺邸の屋敷を一般公開しています。
長屋門、母屋、土蔵などが建ち、土蔵内に武具や古文書を展示。
簡素で無駄のない当時の暮らしぶりが感じられます。




古き よき伝統を残しながらも
現代の新しいセンスを巧みに取り入れた地域づくりは
全国でもモデルケースとして注目を集め、観光客だけでなく
視察として訪れるグループも多数あるそうです。




蔵元「辻本店」の屋敷蔵











重厚な蔵の窓に描かれた竜虎の鏝絵が見事です











文化元年創業以来200年以上
この地で酒造りに励む老舗の蔵元「辻本店」

当時の三浦藩藩主に献上したという
「御前酒」の蔵元としてその名を広め
すっきり辛口の酒は地元はもとより、渥美清や谷崎潤一郎、
永六輔などの多くの著名人にも愛されてきたそうですよ。
ちなみに夫も 日本酒は「御前酒」とお決まりです。



蔵内では試飲も可能で 通りを挟んだ向かいには
酒蔵を改装したレストラン「西蔵」もありますよ。
白塗の壁に格子が美しい土蔵に染め抜きの酒桶が
キリッと締まってお酒の蔵元さんらしい暖簾です。
          
次回は「のれんのある風景」として
色々な暖簾をアップしようと思います。



お楽しみに~ !!
                               
    

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

鞆の浦

2010-05-08 08:55:12 | まち歩き




ゴールデンウィーク中の4日 息子と3人で
鞆の浦へ行って きました。
“潮待ち・風待ちの港”として知られる鞆の浦です。
夫が以前から行きたがっていたこともあり
久々の十年ぶりに出かけました。

         


黄砂のせいか 海が霞んでいました

鞆の浦は,日本最古の歌集である「万葉集」に登場し
瀬戸内の潮待ちの港として古くから栄えた町です。
江戸時代には朝鮮通信使が寄港し
国内ばかりでなく、遠く大陸からの賓客をも持て成す迎賓都市でした。
そして現在も江戸時代からの町並みや港の風景を残す
年間100万人以上の観光客が訪れる観光地となっています。

     


鞆の浦から目と鼻の先の向こうの島は仙酔島
連絡船で5分程の距離




観光客を乗せた「いろは丸渡船」





「4」の対仙酔楼のPに駐車して、
対潮楼・福禅寺へ上がり、「5」の鞆の津の商家を廻って
「10」の雁木の所から常夜燈にかけて古い町並みを歩き ました。




ここも今 話題の大河ドラマ 坂本竜馬のゆかりの地でもあるので
竜馬が案内していましたよ !!




以前来た時より随分修復されて、町並みがきれいになってました。










クラシックなステンドグラスがお洒落
中に入ってコーヒー でも飲みたかったのですが
時間が早く、まだ開店してませんでした。




「10」の雁木のある位置   左に常夜燈が見えてます

雁木とは、江戸時代に築かれた船着き場の石段のことで
満潮、干潮にかかわらず船荷の積み下ろしができたようです。
200mも長さで残っているのは、日本でもここだけだそうですよ。
私達が行った時は引き潮だったのか、海水がグリーンに透き通り
手を伸ばせば、可愛らしい小魚に届きそうでしたよ。




すっかり潮が引いてます  
厳島神社に行った時もそうでしたが
満潮の時の方が写真的には見栄えがいいですね。




細~い路地まで 石畳を敷いてありました。





常夜燈の所へ出る通り 小さなお店屋さんが点在しています。





伏せた大きな瓶に 垂らした鯉のぼりの壁掛け
素敵ですね~ぇ  私も作ってみたいわ 
こういう布細工もパッワークと言うのかしら~




常夜燈傍の雁木
常夜燈は灯籠燈と呼ばれる江戸時代の燈台で
海中の基礎の上から11mの高さがあり
港の常夜燈としては日本一だそうです。
鞆のシンボル的存在ですね。









いろは丸 展示館

かって 坂本龍馬と土佐海援隊が乗り組んだ機帆船・いろは丸は
紀州藩の軍艦と鞆沖で衝突し、沈没しました。
この展示館は
その海底から引き上げたいろは丸の遺品を展示をしている所で
江戸時代に建てられた蔵をそのまま利用しています。
巨大な梁など堂々たる造りで、鞆の町では「大蔵」と呼ばれているそうです。

            


いろは丸の模型





太田家住宅
江戸初期に薬酒・保命酒の醸造を始め、特産品として全国にその名を知られ
財をなした旧保命酒屋の建物で、国の重要文化財の指定を受けています。




路地の板塀前に  
あら~  猫のペイントした石が
・・・・笑っちゃいます ね~ぇ




よく見ると、リボンを付けたお洒落な美猫も・・・
何気ない所の ちょっとしたアイデアですね。





ペイント石は
田淵屋、女性の立っている向こうの板塀の下にありました。





看板の上はブリキのうさぎアート・・・ お洒落だわ~
ごめんなさい !! うさぎの頭が写っていなかったー
実はワタシも大きな猫のブリキアートを持ってるのよ。
玄関外に置くために・・・その内 アップしようかな~
 



・・・ってことで このお店に入ることに
「雁木の上で潮待ちをしている4匹の猫」の手ぬぐい
カニもいて 黒猫はジジちゃんみたい。
今までのアートな手ぬぐいの中では、これが一番
と、色違いで2枚購入しました。

                     




 


入江保命酒の本店だった所で、今は資料館になってます
保命酒には高麗人参・甘草・桂皮等、16酒類の薬味が入っていて
琥珀色の甘口のお酒です。




養命酒を愛飲している両親には
お土産 の保命酒。




現在の入江保命酒の本店


ざっと
こんな具合で鞆の浦の古い町並み散策は、2時間弱で終わってしまいました。
鞆といえば鯛飯 美味しい鯛料理を食べて帰るつもりでしたが
どこのお店も、オープンは11時半とのこと でした。  
1時間も時間をつぶす気にもなれなくて、残念 ですが帰ることにしました。

4日の日は、日中気温が上がり夏日で汗の出る暑さ
おまけに 帰りの山陽自動車道は事故のため長~い渋滞に
サービスエリアはどこも満杯
家に着いた時は もう午後1時を回ってました。
お腹は ペコペコ
手っ取り早く ピザーラのピザ L サイズを注文することに。




こ~んな画像で失礼します !!
あまりに お腹がすいていたので
写真撮影のことなど 頭から す~っかり飛んでました。




お腹一杯食べた後の残り
あら~ 
写真撮るのを忘れてた~~  でした。


鞆の浦の観光YouTube

鞆の浦史跡めぐり




家族で のんびり散策は
楽しかったね



                      

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

* 妖怪ロードへ *

2009-11-17 11:45:56 | まち歩き

妖怪の水木ワールド
水木しげるロードへ行ってきました。

鳥取県境港市出身の漫画家水木しげる氏の作品世界

駅前通りを妖怪ブロンズ像達が
ズラリと勢揃いでお迎えしてくれます。




久しぶりに主人と2人だけのドライブになり、
山陰の人気スポットの一つとして頻繁に耳にする水木ロードへ
立ち寄って見ることにしました。




 


漫画世代ではないので、「ゲゲゲの鬼太郎」の漫画本は
見たことはあっても 読んだことはありません。
沢山ある妖怪ブロンズ像も、
残念ながら 私は、ねずみ男しか知りません・・・




 


若い人や子ども連れの人達が大勢来ていて、
休憩できる広場では  
鬼太郎紙芝居を自転車の荷台に載せてやっていました。
紙芝居なんて懐かしい~~ 子どもの頃を思い出しました。


 


 


私達のような漫画音痴者にも 
ユニークで面白い 「水木しげるワールド」 でした。



  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする