こころの文庫(つねじいさんのエッ!日記)

家族を愛してやまぬ平凡な「おじいちゃん」が味わう日々の幸せライフを綴ってみました。

コラム・お山の『ご神水』

2015年04月25日 03時27分41秒 | 文芸
お山の『ご神水』

生まれ育った田舎は、四季を通じた野の幸・山の幸に恵まれたところ。春にはワラビやぜんまい、秋の松茸など、裏山へ入るとすぐにカゴいっぱいになった。
 山奥へ至る参道の途中に、湧水の泉があった。山の行き帰りに誰もが喉を潤してしまう、実に美味い水がいつもコンコンと湧いていた。かなり近在で有名な名所『揺るぎ岩』につながる岩山全体から染み出る水は、ひんやりと冷たく透明だった。
 その清水が病気を治してくれると噂が広まり、『ご神水』に奉られ、立派な祠までもうけられ、かなり遠くからも人気を聞きつけて人が集まった。
 村を離れてからは『ご神水』のことはすっかり忘れていた。昨年、久しぶりに帰郷して奥山を目指した。踏み入った山道は、昨今の台風や豪雨のせいで、荒れに荒れていた。
『ご神水』の祠も災害のとばっちりを受けていた。松の大木が倒れ、祠の屋根は崩れていた。泉は石ころに埋まって、跡形もなかった。自然の猛威になすすべはなかったのだろう。村人たちもわが家の周囲が優先で泉の修復まで手が回らないと聞く。
 何とも侘しく、フッとため息をついた。辺りを懐かしく眺めまわす。足元に目を移すと、ちょろちょろと水の流れがあった。ソーッと両手ですくって口に含んだ。美味い!あの記憶に残る味が口中に蘇った。
 自然は自ら復活を始めていた。豊かな緑に囲まれた山中で、何とも言えぬ幸せな気分がじわじわとこみ上げてきた。
(2012年10月8日)


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絵手紙

2015年04月25日 02時06分18秒 | 絵手紙
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先生の元気を

2015年04月25日 00時40分36秒 | 文芸
「ボクはサラダだけでいいよ。最近は食べないんだ。太り過ぎって医者の忠告があってね」

 先生はあっけらかんとした顔だった。どんなものでも実に美味い!といった顔で食べる先生が記憶にある。八十五歳。年齢にさすがの先生も勝てないようだ。ただ、相変わらず人を惹き込む笑顔は健在だ。

 三十数年ぶりの出会いだった。血色のいい顔と饒舌ぶりは全く変わらない。六十五歳、高齢者の仲間入りを余儀なくされた私の方がしょぼくれた老人である。

 恩師だった。小学校の教壇に立たれていたが、そこで教えられた児童だったのではない。アマチュア劇団の活動を通じて人生の何たるかを気付かせてくれた先生なのだ。

 加古川で始まり、姫路、加西と、四十年以上アマチュア演劇に携われたのは、芝居に取り組む先生の一風変わった姿勢が、薫陶を与えてくれたからだった。

 先ごろ急に思い立って、自分が生き抜いた六十五年間の足跡を展示した。舞台写真に、アマ劇団活動と並行した文筆の成果である。新聞や雑誌、書籍に掲載された作品を並べた。その過程で先生を懐かしく思い出した。

さっそく招待状を送った。(もう年だから、来て貰えないかな?)と思ったが、自分の歩んだ道をぜひ見て貰いたかった。先生からすぐ連絡があった。

「ぜひ行かせて貰うよ。君の足跡を見逃せないだろう」記憶にある先生の声だった。案ずる必要はなかった。元気な姿が電話を通して見えた。最寄りの駅に降り立った先生は、しゃきっとした姿を保っていた。あの頃とまるっきり変わっていなかった。

「う~ん!このサラダ美味いなあ」

 レタスを頬張る先生の幸せをひとり占めした顔。なのに私も幸せを感じる。初めて顔を合わせた日がいま目の前に再現していた。

 先生と初めて顔を合わせたのは五十六年前の秋口だ。劇研『くさび』の稽古場は、加古川青年会館にあった。おずおずしながら会館に入った。生まれつきひどい内弁慶で、初対面がいつも一番の難関だった。ところが、先生は逡巡躊躇の間を与えなかった。

「君が齋藤くんか?よう来てくれたね。これから一緒にお芝居を作っていこう!」

 迎えた先生はにこにこと、恵比寿大黒顔負けの笑い顔だった。稽古場は閑散としていた。聞けば、公演のスケジュールが決まらないとメンバーは顔を見せないらしい。その間は先生一人が稽古場に通っている。

「どや、これ美味いぞ。ひとつ食べてごらん」

 先生はボタ餅を食っていた。餅を頬張る底抜けの笑顔に引き込まれた。一個頂戴して口に運んだ。「美味い!」「そうやろ。わし、甘いもんに目がないんや」笑顔は笑顔を呼ぶ。

「好きなもんはとことん好きなんがええ。芝居もボタ餅も仲間も、うん、わし好きなんや。

好きだから一人でも楽しめる。楽しむから仲間が集ってくる。そしたら、なんでも出来よるで」先生は目を糸にして餅をまた頬張った。

 結局、その日は先生以外に誰も現れなかった。冬並みの寒波が列島を襲っている影響もあったのかも知れない。誰だって寒い中を出歩きたくなくなる。

「ボーッとしててもしょうがないな。うん。ちょっとお芝居の基本をやってみようか」 

 先生は手元にあったガリ刷りのホッチキス止めを手渡した。基本練習の教材である。

「アイウエオ、アオ」に始まり。「せっしゃ、親方の……」の外郎売りの口上で終わった。

「きょうはこれぐらいにしとこうか。お疲れさん」

「ありがとうございました」

「初めてにしては上手いなあ、君は。次も僕はこの時間に必ずいるから」

 先生は終始にこやかな表情に終始した。

                                (つづく)
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詩・終活

2015年04月24日 14時08分22秒 | 文芸
終活

抱えきれない
お荷物を
おろすのは
まだ
未練がのこる

それでも
誰かの手に
ゆだねるのは
とんでもない

断捨離は
こっそり
ひっそり
きっぱり
やってみよう

まだ
時間はあるはず…
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コラム・歌

2015年04月24日 07時00分16秒 | 文芸
「……新聞くば~って~も~う、三月~~♪」
 もう無意識状態だった。カーッと顔が熱く、額に汗が浮く。無我夢中で歌い続けた。
 新聞地域欄に「のど自慢出場者募集」の記事。ムラムラと無性に出たくなり。すぐ出場希望と申し込んだ。内気で人前に出るのは大の苦手なのに、ひと前で歌う気になったのはどうしてか、いまだによく判らない。
 神社の境内特設の簡素な舞台の袖に出場者が集められた。歌う順番はくじ引きで、まさかのトップバッター。足元の震えを堪えて舞台に。もう頭の中は完璧に真っ白だった。
 持ち歌は山田太郎の「新聞少年」。実はこの一曲、高校生の自分を重ねて大好きになった。何度も何度も歌って愛着を覚えた。もしかしたら、苦手なひと前で、無性に歌いたいと思ったのは、そのせいかも知れなかった。
「……つかんで~みせるよ~デカイ~夢~♪」
 終わると、痺れる様な喜びが全身を襲った。
 歌の魅力にとらわれた一瞬だった。
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わが町の方言やい(です)

2015年04月24日 02時31分15秒 | つぶやき
私の住む加西市はなぜか方言がきつい、荒っぽい。その昔はド加西弁といわれたそうな。「わい」はわたし・ぼくのこと。「何すっこい」は「何をします?」、「めんめら」は「それぞれ」、「けったい」は「おかしい」、「めんた、おんた」は「女性・男性」、「クッコ」は「食べるか?」、「くわんかい」は「食べなさい」、「アホケ」は「あほか」、「なんどい」は『何だい」、「ババたれ」は「うんこたれ」、まだまだあるけど、だんだん気持ちが滅入って来たので、この辺でお開きにすんど(します)!またのう(またね)。
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絵手紙

2015年04月24日 01時27分49秒 | 絵手紙
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記憶に刻まれた味噌汁

2015年04月24日 00時02分35秒 | 文芸
記憶に刻まれた味噌汁 

子どもの頃の食事に味噌汁は欠かせないものだった。一汁一菜ともいうべき貧しい食卓を補う重要な役割を担っていた。時には、ご飯に味噌汁がオカズというのもしょっちゅうだった。味噌汁をぶっかけたご飯を何杯も平らげた記憶が残っている。他に何もないのだから、腹が膨れるまで食べた。
 味噌は自家製。蔵の前にデーンと置かれた、味噌が仕込まれた樽が白くかびていたのを思い出す。仕込まれた野菜を溶いた味噌汁の具は、やはり家で収穫した野菜が中心。大根の葉もよく具にされた。
 時々、村の溜め池の雑魚(じゃこ)獲りで救ったフナを焼いて干した保存食が、よく入った。あまり好きではなかったが、貴重なタンパク源だった。
 正月は雑煮として味噌汁に餅が入った。白い餅にダシジャコや味噌の大豆カスがこびりついているのがイヤだった。それにしても、栄養タップリの自然食である。
 最近はなかなか食卓に味噌汁が上がらない。スープやコンソメの方が簡単だから、面倒な味噌汁は敬遠されるのだろう。とはいえ味噌汁で育ったせいで、無性に味噌汁が飲みたくなったりする。
 仕方なく一人分の味噌汁を作る。揚げ、豆腐、練り物、大根、ニンジン、サトイモ…具だくさんの味噌汁である。ミソは原料のかすなど混じらないなめらかなものだ。
 いい匂いが食欲をそそる。ご飯を食べる前に、まず味噌汁に手を伸ばす。ひとすすり、ふたすすり…旨い!でも、少し物足りない。あの頃の濃厚な味噌汁とは雲泥の差だ。
 味噌汁をすすりながら、昔への思いを巡らせてしまった。
(2012年11月7日)
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詩・僕のコーヒー物語

2015年04月23日 13時23分36秒 | 文芸
僕の珈琲物語

う~ん、いい香り!

この瞬間が
至福のときだ

袋に
閉じ込められた
芳香が
いちどきに
解き放たれる

サイフォンの
湯の舞いに
しばし、みとれる

慎重に
豆をミルにかける
また
かぐわしい
香り
う~ん、いいね

生きている
そのあかしを
いま、味わう

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わが子の婚活

2015年04月23日 09時32分35秒 | 文芸
わが子の婚活

「結婚はしない!」
 長男がそう宣言したのは小学生のころ。
そのせいでもあるまいが、二十八歳になったいまも、女性との付き合いはなさそう。まあ繁盛ラーメン店に勤めている現状では、忙しすぎて女性と知り合うきっかけすら、掴むのはとうてい無理な話。
社会人一年生のころは、写メールでツーショット写真を送ってきた程度のガールフレンドはいたらしい。結婚は絶対否定ではなさそうだ。何かきっかけさえあれば……!?
親としてもなんとか協力したいけれど、その方法がなかなか思いつかない。
わたしと夫みたいに、趣味のグループで出会って意気投合、その結果なんとできちゃった婚…でゴールってわけにはいかないのかな。
休みの日のパチンコざんまいが唯一の趣味としか思えない息子の姿に、それを求めるのは、やっぱり酷な話だよな。
あ~あ~、ため息しか出ない。それでも何とかしなければと諦めきれないのは、やはり親だからだな。
(読売・二〇一二年10月4日掲載)
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