こころの文庫(つねじいさんのエッ!日記)

家族を愛してやまぬ平凡な「おじいちゃん」が味わう日々の幸せライフを綴ってみました。

教えられ

2015年07月28日 09時21分28秒 | 文芸
「非常用の食糧や水を、わが家ではちゃんと準備してあるの?」
「災害にあったら、非難する床、どこやったかな?」
 最近、高校背の娘が、えらく神妙な顔で問い詰めてくる。
 即座に答えられるものがないから困惑してしまう。
 昔から災害の少ない土地に住んでいるせいで、危機感が乏しい。非常用の必需品などまだ考えたこともない。
 娘はそんな親たちの危機感を感じさせない楽天ブリが気になり始めたのだ。
 無理もない。4月の淡路島地震のときは、済んでいる加西市も震度3を記録した。グラッグラッときたとき、娘は母親の寝室に駆け込んでいた。
 その後に置き続けた、日本や世界の各地の地震。娘の意識に大きな変化をもたらしたのは確かだ。
 油断のならない昨今の自然環境を生き抜くためには、危機意識を身に着けさせることが欠かせない。
 娘を「怖がりやな」と極めつけて来たわたしと妻も、考えを改めて、大災害への備えを怠らないようにしなければいけない。
(神戸・2005掲載)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

壁いちまい

2015年07月28日 02時34分15秒 | 文芸
娘の旋律壁越しに応援

 高校の音楽科でバイオリンを学んでいる娘。秋の演奏会の練習が続き、夏休みもないほどだった。
 もちろん家出の練習も欠かせない。娘の部屋から聞こえるバッハやモーツアルトの旋律に癒されている毎日を過ごした。
 バイオリンを始めて10年になろうか。中学3年までは年1回の発表会に足を運び、ビデオ片手に親バカぶりを発揮したものだった。少し遠くの高校へ入学したため、演奏を聴きに行こうとしても、なかなか通いづらくなったのが残念だ。
 家での練習でも、「お父さんがいたら落ち着いて練習できない」と「けんがく」まで拒否される始末。
 演奏家になる夢に向かって挑戦する娘をこっそりと見守る、いや聞き守ろうと思う。
 お父さんには壁越しに聞こえ漏れる美しい旋律だけで充分。
 かげながら応援しているよ。
(讀賣・2013・9・5掲載)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

自然を

2015年07月28日 01時17分48秒 | 文芸
ゴルフ場に徹底した規制を

 過日、ゴルフ場の農薬汚染の程度を県下河川流域で調査され、自然華僑への影響度はあまり出ていないとの結果が発表されたかと思うと、先日は県下ゴルフ場の使用農薬が規制前より種類が多くなっているとの話。
 合法的な農薬を目的外使用しているらしいからだ。いくら合法的といえども、目的外使用とはゴルフ場側のエゴ丸出しではないだろうか。
 それに現時点で自然への影響度が少なくても、多くの農薬使用で蓄積されたものが、どのような異常を生み出すかしれたものではない。
 行政側は、住民や自然破壊への危険が予測される以上、徹底した規制を推し進めるべきだろうし、ゴルフ場側も自粛して当然である。
 しかし、現状は双方ともに地元住民の声を吸い上げる努力がなされていないのがほとんどだ。
 企業利益の前に住民が犠牲にされるのは今に始まったことではないが、ゴルフ場と言う、生産施設でない一部の人が利用するレジャー施設の犠牲にされるとは、どうにも納得しがたい。
 それに農薬問題ばかり前面に出て、ゴルフ場開発による自然破壊は問題視されていないかのような行政の態度は危険極まりない。
 人間の生存に欠かせない自然を守ろうと言う姿勢を忘れては、わたしたちの未来はないのだから。
(神戸・1989・11・8掲載)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

考えないと

2015年07月28日 00時02分48秒 | 文芸
大橋利用者も共に考えよう

 瀬戸大橋は開通以来、騒音などの問題が表面化して、企業、国、自治体、そして地元住民らの間で思惑が交錯の末、紛糾に至っている。
 その最中にJR四国が夏の臨時列車を瀬戸大橋線で一日最高10往復の増発を決めた。住民無視も甚だしく、反発は当然強まる。
 しかし、いま表立っている問題は瀬戸大橋着工以前に当然検討されていた筈で、世紀の大プロジェクトの前にうやむやにされていただけの話だと思う。
 これは過去にも新幹線や空港建設などの折りに見られた。国民多数の利便性、国際化への対応と言う大義名分の前には、地元住民の声は無きにも等しいのだ。
 考えてみれば、JRと言う大企業の前で犠牲になろうとしている住民たちも、瀬戸大橋線を利用する人々も同じ弱者である。
 一方を見捨て、自分たちだけが便利では心も落ち着きはしまい。
 ここは相互助け合いの精神が必要だ。地元住民だけの力では対抗できなくても、利用者が足並みをそろえれば、企業側も無視できなくなるはずである。
 ひとりの幸福を守ることが、万人の幸福を求めることになる。
 今こそ「われ関せず」の態度を改めて、共に考え幸せを求める姿勢を作り上げる、言い機械ではないだろうか。
(朝日・1988・6・16掲載)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

まさか…!

2015年07月27日 20時52分55秒 | 文芸
 昨年、交通事故にあった。横腹に相手の車が突っ込んで来て、アウト!向こうはワゴン車、こちらは軽4、とてもじゃないが勝負にならない。はじき飛ばされて引っ繰り返った。フロントガラスのひび割れを、シートベルトにぶら下がった状態で、えらく冷静に見つめていた。逆さま状態、実は体験済みだった。
 実はこれまでにも2度同じような事故に遭遇している。一度目は田圃の中に墜落!天地が引っ繰り返った状態で何とか助け出された。
 二度目は県道のド真ん中で、側道から飛びだしたトラックにひっかけられて、くるくるっとニ回転すると、河原に滑り落ちた。逆さまになったが、水がない季節で救われた。
 世の中、「3度目の正直」とよく言うが、私の場合、その3度をクリアしたことになる。どの場合も再起不能の怪我をしなかったのだから、不思議と言えば不思議。だが、
「4度目の正直はないぞ。次は即死って事だ」
 そう言った友人の顔が死神に見えた。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

なにこれ…!

2015年07月27日 18時43分09秒 | 文芸
 目の前に華々しくそして幻想的に、度肝を抜く劇的な花火絵図が目まぐるしく展開する。池の水面に写しだされた想像を絶する花火の演出が私の心を魅了する。そしてドラマチックな打ち上げの轟音!もう絶頂の極みに我を忘れて立ち尽くした。私の下着は漏らしたように濡れていた。夏の夜の奇跡の一夜である。
 あんな花火を鑑賞したのは初めてだった。全身が興奮のるつぼと化した。手に汗を握り、熱情に駆られたまま、花火劇の終幕を迎えた。世界でも利賀村の野外劇場でしか観られないと言う野外花火劇“世界の果てからこんにちは”は、何物にも代えがたい最高の芸術だった。当時40代。25年近く地方のアマチュア演劇に打ち込んでいたわたしの世界観を、人生観を根底から覆した。花火は凄い!
 富山県利賀村の利賀フェスティバルにおいての体験は、その後の各地の花火大会がなんとも貧相に見えて仕方がないという後遺症を残したまま今日に至っている。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

25年前わたしは若かった

2015年07月27日 16時20分47秒 | 文芸
政界再編をにらみ、浮上している統一会派構想。

  結成した方がこくみんのためになるのか、現状のように各党が連立政権に結集した方がいいのかですが、連立与党と野党自民党が張り合う形の弦政界も、よく見ると双方の政策にどれほどの違いがあるのかわかりません。

 それを構成している各政党がくっついたり離れたりしても、結局は総与党化になるのは避けられないのではないでしょうか。

 連立政権前の社会党のような本来の野党が与党と拮抗(きっこうしている姿こそ、民主議会政治のはずです。

 そんな野党の重責を担っていた社会党が、連立政権に飲み込まれてしまい、さらに、統一会派構想でバラバラにされ、消滅しかねないかと不安です。

 総与党化は、国民の多様な意見を生かす国会討議の場を、セレモニー化してしまう危険性があります。

 少数意見を決しておろそかにしない民主議会政治を守るためにも、連立政権の方が、まだしも健全な機能を果たせるのではないでしょうか。

(讀賣・1994・3・26掲載)、
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

楽しいけどさ?

2015年07月27日 09時35分18秒 | 文芸
 最近、絵手紙にはまっている。神戸の震災を機に絵手紙と出会い、その魅力の虜になられたと言う元油絵画家の先生の講座に参加したのがきっかけ。初体験は緊張しっ放し。
「下手でいい。いえ下手がいいんです。あなたの手に握られた筆に込められた優しさがあふれるあなたの絵を描いてくださいね」
 先生の優しさが私の心に届いた。慣れない筆と墨で書き上げた絵と文字。まるでウナギがはったような出来上がりに「う~ん?」
 すると先生が、褒めてくれた。
「素敵ですよ。あなたの思いがとびだしています。美味しさもきっと届きますね」
 掻き上げたのは柿の実。そえた言葉は、「ひとやすみを忘れたらアカンよ」高齢者の仲間入りを果たしてしまった私の正直な気持ちだ。
 先生に褒められて、やる気が!1日1枚を心に誓って書きはじめ、もう100枚以上。
 とは言え、出す相手のいない孤独な人生。自分に届ける絵手紙だと思えばいいかな。
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

休みたい

2015年07月27日 01時07分30秒 | 文芸
休日を愉しみ仕事も頑張る
 
 学生のころ、5月1日のメーデーが祝日だったらいいのにと、いつも思っていました。
 もともと世界の労働者の団結と連帯を示す祭典として、1889年、パリのインターナショナル大会で、国際的祭日とされたのだから、祝日になって当然なのです。
 でも労働者を大事にしない“働き蜂”を推奨する傾向の日本では、しょせん無理だったのだと思います。
 しかし、いまや日本人の働き過ぎに対する国際的な非難が湧き上がると言う、様変わりを見せている時代を迎えました。
 もう大っぴらにメーデーの祝日化ができるはずです。ここは政・財界が理解を見せてほしいものです。
 思いっきり休暇を愉しみ、効率よく仕事をするという、理想的な労働環境への第1関門として、メーデー祝日化は欠かせないでしょう。
 単なる大型連休構想というだけでなく、労働者の当然あるべき姿の実現で、日本は遅ればせながら、国際的な平均労働水準に近づけるはずです。
(讀賣・1989・2・18掲載)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

橋は誰のもの?

2015年07月27日 00時05分27秒 | 文芸
人あっての橋住民の声聞け

 瀬戸大橋は一体なんだろう?
 首を傾げざるを得ない問題の連発である。そこには人間性を無視し、経済効果の波及を求めるばかりの、目的先行による矛盾が溢れている。
 本四架橋の目的は、地域住民が長きにわたって見て来た夢の実現であったはず。ところが、完成以後、住民たちの抗議の声が次々と起こる。特に橋脚の下に住む人にとっては、メリットよりもデメリットが大きすぎるのである。
 今回問題になっている橋のイルミネーションについても、岡山、香川両県と商工、観光業界は「観光の目玉に」と常時点灯を熱望しているが、住民の暮らしを全く考慮されていないのを心配する。目先の利益を追うのが優先されて、住民の暮らしを忘れている。
 古来より、人が合って箸があるのであって、箸が先で人が後回しになる道理はない。最近はその道理が通用しなくなっているから怖い。
 すべてが経済面重視で進められるため、当然のように人間が後回しにされる状況を生むことになる。なぜなら、住民の生活権優先となると、経済手効果は半減するからだ。
「昔はよかった」なんて言いたくはないが、少なくともいまよりは“にんげんらしさを極力失わぬ”プロジェクト推進がなされていたと思う。
(朝日・1988・9・15掲載)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする