あおしろみどりくろ

楽園ニュージーランドで見た空の青、雪の白、森の緑、闇の黒の話である。

さらば たっちゃん 2

2011-09-12 | 
2004年、僕達一家はハグレーパークから歩いて5分、アディントンというあまりガラの良くない、だが古くからこの街の一部である一角に住んでいた。
家は古かったけれどこじんまりとして住み心地は良く、まあまあ気に入っていた。
その昔、刑務所があった地域は今では開発が進み、新しいオフィスビルや店舗が立ち並ぶ。
刑務所として使っていた建物も今ではバックパッカーとして営業をしている。建物を囲んでいた高い壁もところどころ残っている。
裏道へ入ると今でも古い家が立ち並ぶ、街の中のランクで言えば中の下ぐらいの地域である。

2004年の冬に、たっちゃん(本名は辰明というらしいが)が生まれたのだが、この話の直後、たっちゃんが消されそうになっていた。
ボクはあわててカメラを取りに家に走り、たっちゃんの所へもどった。
タトゥー屋のオーナーと話を交わす。
「この絵は20年前のオレさ。オレも年をとったから描き変えようと思ってな」
実はあなたはたっちゃんで本名は辰明で岐阜の美濃の出身でワーホリでNZに来てタトゥー屋になったんですよ、などと言えるわけがない。
消してしまう前に記念にと写真を撮らせてもらった。
ちなみにこれと同じタッチの絵は街のあちこちにあり、それは若い溶接工だったり、白衣を着た薬剤師だったり、花屋のおばさんだったりと様々だ。
たぶんお店の人の絵を看板代わりに描いてしまうという人が昔いたんだろう。




数日後、この壁に新生たっちゃんがあらわれた。
黒い服を着た40男がタトゥーガンを持ち「ぐふふふ」と笑い、そこに稲妻が落ちているという、前回以上に悪趣味、前回以上にガラの悪いたっちゃんがいた。
「あーあ、たっちゃんもこんな風になっちゃって、まあ。」
センスが悪く、悪趣味なのは今に始まったことではないが、もう少し何とかならないのかねえ、と思うぐらいの絵である。
ちなみに新生たっちゃんの絵は、前回とはタッチが全く違う今風の絵である。
ホームページの連続コラムの中のたっちゃんはと言うと、六話で中座したまま何年も経ってしまい、多分辰明がNZにワーホリでNZに来る、ということはもうないのかもしれない。
だがボクの中ではタトゥー屋の壁の人はたっちゃんなのであり、そこを通る度に心の中で挨拶をしていた。
そんな悪趣味たっちゃんも時が経つにつれ、この街の風景の一部としてそれなりに馴染み、常にそこに居続けた。

去年の9月、クライストチャーチを襲った地震でたっちゃんはダメージを受けたのだろう。
補強の板が張られ、たっちゃんの姿は隠されてしまった。
そして2月の地震でたっちゃんは致命的なダメージを受ける。
建物自体、取り壊しの運命となるのだ。



そしてつい最近、ガレキの山だったたっちゃんの跡地がきれいさっぱり片付けられていた。
メインストリートに面した角地は場所が良い。
すぐに新しい建物ができて、昔の面影はなくなることだろう。
だがボクは忘れない。
そこにたっちゃんが居たことを。
人間だろうが建物だろうが、形あるものはいつかはなくなる。
なくなるからこそ、いとおしいのだ。
なくなってみて、初めて人はその存在の意味を知る。
さればこそ、今そこにある物、今そこに居る人を敬い親しみ愛しむ。
一期一会とはそういうことだ。
今回、この話を書くにあたって二代目たっちゃんの写真を探したがどうしてもでてこない。
写真を撮った覚えもあり、女房とパソコンの中を探しまくったが見つからなかった。
二代目たっちゃんの趣味の悪さをみんなに見せられないのだけが心残りである。
さらばたっちゃん。
君はボクの心の中で生きる。



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さらば たっちゃん 1

2011-09-11 | 
TATOO屋たっちゃん

序章

この冬になって、社長(?)のヒッジは引っ越しをした。
ハグレーパークにほど近いその場所を説明するには、
建物ごと真っ赤にペイントされたタトゥーショップが便利だった。
煉瓦造りの壁。2階建分ぐらいの高さを無造作に塗りたくってある。
目印になるぐらいだから、目立つわけであって、目立つ、ということは、つまり
・・・
見苦しい。こう言っては失礼かもしれないが、悪趣味だ。
おまけにでかでかと人間の絵が描かれている。
若い男の絵だ。
坊主頭に白いTシャツ。ジーンズにトライアンフのバックルが付いたベルトをしている。
大きく広げた両手には無数の入れ墨がしてあり、右手にはタトゥーガンが握られている。
車に乗っていて、始めて見たとしたら、正直ドキリとしてしまいそうだ。
でも、オイラは別段そうは思わなかった。
なぜか?
そう、オイラは奴を知っているのだ。
いや、これから知っていくことになるのだ・・・

このバックカントリートラバースに携わる人間は持ち物に名前を与え、
たとえその寿命がつきようとも愛し続ける、といった性癖がある。
たとえば、スキー板に、車に、自転車、ギター・・・
JCは昔、「シンディ」という名前を与えられたボードをもっていたが、
NZに渡る際に飛行機でエッジをやられてしまい、保険会社送りになってしまった。
が、その後なんとか手中に取り戻し、現在も大切に保管されている。
ヒッジなどは、スキーをスキーと思わぬ扱いをしているが、
彼は、別の意味で自分の所有物をあいしているのだ。
WAXもかけない、エッジは研ぐどころか、剥離し、
ところどころ亀裂がはいり、アウト側は飛び出ている物もある。
ソールはヘタクソなリペアで波打っているが、
雪が降れば嬉々としてそれを持ち出し、シュートに身を投じてゆく。
そして、滑るたびにスキーに語りかける。
(いままで、いろいろな所にいったな・・・)
そして、
(次はどこにいこうか・・・?)
と。
チューンナップ業を日本で営むオイラとしては嘆かわしい限りだが、
奴の考え方は分からなくもない。

ああ、話しを元にもどそう。

こんなメンツが集まって、引っ越し祝いにビールを空ければ、
自然と話題も盛り上がってくるものだ。
会社設立時に購入したハイエースに名前を付けよう、と息巻いたが、
結局、ボンベイ・サファイアのオーガニックレモン割に脳をやられてしまい、
その夜はお流れになってしまった。
翌日、すこしアルコールが残る頭を抱えながら外にでると、
「奴」と目があった。そして、だれからともなく、
「ねぇ、あいつの名前は?」
誰が口にしたかは覚えていないのだが、きっと全員、同じことを思ったのだろう。
しかし、昨日の夜はあれだけ頭を回転させてもハイエースの名前は出てこなかったのに、
今回は・きた。きっと名前が付くタイミングだったんだと思う。
「・・・たっちゃん。」
暫くの失笑の後、
「えー・・・なに?奴は日本人?なの???」
タトゥー屋だからたっちゃん、という、ものすごおおい安直な理由で口走ってしまったが、
意外にも話はそこで終わらなかった。
オイラはみんなに向かって、勢い、話しはじめたんだ。
「そうなんだよ、あいつは日本人なんだ。岐阜の美濃の出身でさ、云々」
話し始めると、まるで、もう一つの自分を生きているようになってきた。
昭和から平成へ、バブル経済、少雪、恋愛、旅。
街角に描かれたサインはいつの間にか人格を持ち、輝きを放ち始めた。






Backcountry Traverse ホームページ コラム Tatoo屋たっちゃん 序章 by RYU
http://www.backcountrytraverse.co.nz/tatoo.htm


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物をいただく。

2011-09-10 | 日記
最近、人から物をもらうことが多い。
そういう時にボクは遠慮なくいただく。
遠慮なくいただいて、ありがたや、ありがたやなのである。
先日ブロークンリバーに行った時のことである。
帰ろうとして駐車場に行った時、Speights Summitと大きくプリントされた車があった。
クィーンズタウンから来た二人組みの人と話を交わしたが、その人達の車だ。
「おお、Speights Summit、かっこいい~」
というようなことをつぶやいたら、その人が1ダースのビールをくれた。
「このビールは好きか?じゃあ飲めよ」
「おお、ありがとう。遠慮なくもらうよ」
そこでなんでこの人はくれるんだろう、とか野暮なことは考えない。
オマエくれる、オレもらう、ありがとう。シンプルだ。
後になって思い出した。
前の晩にボクはそこに居合わせた人全員にスモークサーモンとチーズをおすそ分けしたのだった。その二人もそこにいた。
ひょっとするとそのお礼かな。
ボクは人に物をあげるときには見返りは期待しない。
あげた直後にそのことを忘れるぐらいだ。
自分が忘れていて、人からお返しをもらうと単純にうれしい。
人から何かもらったときに、お返しをする時もあればしない時もある。
何か物をもらったからお返しをしなくてはいけないのではなく、こちらからその人に使ってほしい物をゆずるという感じか。
お返しをしなければいけない、と考える人は自分があげたときにお返しを期待しているのではないか、と思う。
直接もらった人にお返しをしなくても、その物が自分にとって不必要になった時に次の人にあげればいいとボクは考える。
なので子供用の服やおもちゃなど、どんどんもらうし、どんどんあげてしまう。
使わなくなったものをいつまでも取っておくより、次に必要な人の手に渡って使われる方が道具も幸せだ。
こちらが気前よく人に物をあげると、何らかの形で返ってくる。ブーメランの法則だ。

若い時には物をいろいろ売ろうとした。
人に物をあげることは、損とまではいかないが得ではないと思っていた。
なので必要ないものまで売ろうと思っていた。
物を売ろうとすると欲が出る。
少しでも高く売りたいという欲だ。
程度にもよるが多少の物なら見返りを期待しないで、人にあげてしまった方が楽である。
人にあげてしまうと決めた時点で、値段をあれこれ考えることから解放される。
執着から解放されるのだ。
するとまた一歩新しい世界が広がる。

物に限らないが、人にあげることは愛である。
愛とは与えることである。
時には物を、時にはお金を、時には体を、時には時間を、時にはエネルギーを与えることが愛なのだ。
受け取るだけのものは愛ではない。欲だ。
互いに与え合う。これが理想の愛だ。
だが自分はこんなにやっているのに、と見返りを期待した瞬間に愛でなくなる。打算だ。
ボクにとって人に物をあげる時、その人が喜んでくれるということが一番大切なことだ。
喜んでもらって僕もうれしい。
喜んで使ってもらって、食べてもらって、その物もうれしい。
もらった人もうれしい。
みんなハッピーである。
人だけに限らず物も含め、そこに存在するものがすべてハッピーになるというのは理想だ。
たとえその人から直接お返しが来なくともいいのだ。
そのハッピーのバイブレーションは人から人へ伝わり、まわりまわって自分の所へ還ってくる。
還ってきたときには遠慮なくいただく。
そして又次の人へ、そして見知らぬ誰かへ、延々と廻る。
誰かに何かをあげる時、その循環の第一歩を自分が造るのだ。
素晴らしいことではないか。
自分が幸せでなかったら人を幸せにできない。
自分が人に何かあげることによりその人がハッピーになれば、その人は別の人を幸せにできる。

では自分にとって必要のないものをもらったらどうするか?
その時は素直に断るか、それが必要な人へ回す。そしてその気持ちだけをいただく。
必要ないものでもタダならもらうという態度はどうかと思う。
サダオが日本から焼酎を一瓶お土産に持ってきてくれた。
だがボクは焼酎は飲まない。
一度はもらった焼酎だが、サダオの彼女の両親が日本に来たときに焼酎を好んで飲んだ、という話を聞いたのでそれは彼女の両親へのお土産に持っていってもらうことにした。
ボクにとっても、サダオにとっても、彼女の両親にとっても、焼酎にとってもベストの選択であろう。
何でもかんでも貰えるものは貰う、のではなく自分にとって必要か不必要かを考える。
それは自分を見つめるということに繋がるのだ。
たとえ不必要なものでも、その気持ちは充分にいただけるはずだ。
「気持ちだけいただきます」
よく言う言葉だが、真理はこういう当たり前の言葉の中にある。
見えない物でもハッピーのバイブレーションは広がるのだ。

必要なもの、貰ってうれしいものは遠慮なくいただく。
全くもって遠慮はしない。遠慮はしないが節度を持って、ありがたくいただく。
高価な食事やワインをおごってもらう。
スキー場のリフト券をもらう。
知り合った人にビールをもらう。
友達からパンやケーキをもらう。
子供服やおもちゃなどをもらう。
仕事をした後はチップももらう。
猟で取ってきた肉をもらうし、庭で採れた野菜や、漁で捕れた魚ももらう。
毎年来るお客さんからは家族にまでお土産をもらう。
スポンサーからは高価な山の道具をもらう。
それらの物はボクを幸せにしてくれて、さらにハッピーバイブレーションの輪が広がる。
これが生きる喜びだ。
そしてそれにくっつく言葉は常に、ありがとうなのだ。
全ての人や物事に、ありがたや、ありがたや。


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土木工事 3

2011-09-09 | 
コンクリートを打ち終わって数日後、型枠を外す。
次は境界の処理。作業のため多めに土を削ったので、そこに土を入れ芝生を植える。
芝生は菜園に勝手に生えてきたものだ。
もう片方はレンガを並べる。レンガはもともと境界としてそこに並べてあったものだ。そこにあるものを使う。
1週間もすれば完全に固まり、車も乗り入れられるようになる。
サダオが言っていた。
「聖さん、聖さん、コンクリートが固まるのはですね、あれは化学反応なんですよ」
ただ乾くのではなく、コンクリート内部で化学反応が起こり、それなりの強度が出る。それには時間も必要なのだ。
次の作業は表面の仕上げ。
パッチになった継ぎ目をグラインダーで削り、きれいにする。
友達のマサにグラインダーを借り、サンデーマーケットで安い刃を買い、作業をする。
安全のため手袋、目を守るには古くなったスキーゴーグル。
作業時間30分で表面がまずまずきれいに仕上がった。
これで第一区画は終了である。
思いついてから2ヶ月が経っていた。



1ヶ月のブランクの後、第二区画へ。
手順は同じく型枠を組むところから。
前回の区画に合わせたて枠を合わせ、水平を取り横枠を決める。
2回目になると手際もよくなり作業は早い。
今回はレベルを道路に合わせるわけではないので、掘る量も少ない。
転圧も機械を借りずに車で圧をかける。
前回とは違って、あっという間に準備ができてしまった。



さて今回はミキサー車でコンクリートを買うことにした。
手間、労働力、値段を考えると、そちらの方が断然効率が良い。
電話帳で調べるといくつも会社があり、値段はどこも似たり寄ったりである。
ボクが頼んだ会社はカンタベリー・コンクリート。
そしてやって来たミキサー車はカンタベリーのチームカラーの赤と黒だ。
大きめのミキサー車だが、前回打った第一区画はびくともしない。



最初の予想ではコンクリート屋はどかっとコンクリートを置いて、「おさらばえ~」と立ち去ってしまうというものだったが、ここの人は車を少しずつ動かしながら要所要所にコンクリートを流し込んでくれた。
しかも運ちゃんはその後、均すのも手伝ってくれた。
気持ちの良いサービスである。
期待をしないぶんだけ、ありがとうという感謝の気持ちが生まれる。
さらに次回もこの会社に頼もうという気にもなる。
サービスをされる側とする側が一つになり、新しいものが生まれ、次に繋がる。
本来のビジネスとはこうあるべきであろう。



運ちゃんが手伝ってくれたこともあり、第二区画のコンクリート打ちはあっという間に終わった。
今回はコンクリートが足りなくなるという初歩的なミスもなしである。
結果から言うと、最初からミキサー車で頼めば良かったのだが、ボクは自分でコンクリートを打つという経験ができた。
経験は財産である。それは自分を豊かにする。
車が入れる所はミキサー車でコンクリートを買ったほうが良い、というのも経験あっての言葉だ。
家の裏庭にはコンクリートブロックを敷き詰めたスペースがあるが、そこもブロックの隙間から雑草は生えてくる。
いずれそこもコンクリートを打とうと思うが、そこは車が入れないので再びミキサーでこねてやることになるだろう。
その時は分量も間違えないでやるだろう。
これも経験あればこそだ。



こうして3月から始まったコンクリート舗装も約半分が終わった。
プロがやるようにきれいに、というわけにはいかないが、とにもかくにも半分終わった。
次のセクションは出っ張っている切り株の処理があるので、しばらく時間がかかりそうだ。
こうなればいいなと思ったことは実現する。
ボクの場合はかなりゆっくりなのだが。
今は切り株を見てどういうように作業をするか構想を練っている毎日である。

いつになるか分からないが続く
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土木工事 2

2011-09-08 | 


いよいよ次は掘り始める。
コンクリートの厚さ10cm、その下に砂利を敷くのでもう10cm。計20cmの深さで掘る。
道路に面した場所で掘っていると、いろいろな人が声をかけてくる。
挨拶だけの人もいれば、立ち止まって自分の家のドライブウェイの話をする人もいる。
こういう人間のふれあいは嫌いではない。
地面を掘り始めるとミミズなどの虫が出てくる。元気なミミズにボクは語りかける。
「おお、お前たちよ。違う場所で一働きしてくれ」
そしてボクはそのミミズを菜園に埋める。
シャベルでちょん切ってしまったものにも語りかける。
「スマンスマン。このまま成仏してくれ」
そしてそれらはニワトリのご馳走となる。
こんなことをやりながら掘るのでなかなかはかどらない。
ある程度掘っていくと下から粘土質の層が出てきた。こうなると虫も住んでいない。
そして掘りやすい。さくさくと作業は進む。



掘り終わったら、そこに10cmの厚さで砂利を敷く。
家の近くに砂利屋さんがあり、そこでトレーラーを借りて砂利を積んでもらう。
家に持ってきたら、スコップでそれを下ろす。娘にも手伝わせる。
平らに均したら次は転圧である。地面をいじったら圧をかけなきゃダメだ、と昔働いた土方のオヤジも言っていた。
近所のレンタル屋へ行き、転圧機を半日借りる。さすがにアイヴァンも自分用の転圧機は持っていない。
これも昔、土方でやったことがある。特に難しいものではない。
学校が終わった娘に作業するところを写真に撮らせる。
親父はこういうこともできるんだぞ、という事をアピール。こういう時に親父の株を上げとかないとな。



さていよいよ次はコンクリート打ちだ。
友達のサダオが夏の仕事を終え、クライストチャーチに来るというので手伝ってもらう。
サダオはルートバーンでトレッキングガイドをやっている男で、NZの夏が終わるとスイスでトレッキングガイドをする。
以前、白馬やトレブルコーンやカドローナで働いていたこともあり、スキー業界にも詳しい。
ヤツはスイスに行っている間、ボクの家に車やマウンテンバイクやスキーなどを置いていく。
『昆虫宇宙人説』を展開したり、「土星の輪の上をマウンテンバイクで走りたい」などと面白い事を言い出すヤツだ。
もう4年ぐらいの付き合いだが、西海岸に住むタイと同じぐらいボクは彼を買っている。タイと全くタイプは違うが、サダオにはサダオの良さがある。
この二人は北村家一軍の若きホープであり、ボクがこの二人に言う言葉は一つだけ。「どんどんやりなさい」だけである。二人にはそれで充分。
そんなサダオが家にいる間で天気の良さそうな日を選んで日取りを決める。
コンクリートミキサー、こてなど一式をレンタル屋で借りる。
そして6月のある週末に作業が始まった。



ボクがコンクリートミキサーでセメントと砂利と水を混ぜコンクリートを作る。
サダオがそれを一輪車で運ぶ。
女房がこてでそれを均す。
深雪がそのへんをうろちょろして写真を撮る。
家族総出の作業だ。
作業は楽ではないが、やりがいはある。
やった分だけ奥からきれいに均されていく。
だがこの労力を考えるならば、次回はミキサー車でコンクリートを買おうと思った。



日も傾きかけた午後、いよいよ終盤というところで問題発生。
コンクリートを作る砂利が足りなくなってしまった。
広さにして畳一枚分ぐらいか。
「何故だろう?ちゃんと計算して余るぐらいに土を用意したのになあ。」
サダオが冷静に言う。
「聖さん、聖さん、あのですね、砂とか土って空気が含まれていますよね。コンクリートには隙間がないですよね。だから2立方メートルのコンクリートを作るには2立方メートル以上の砂が要るんじゃないでしょうか?」
「なるほど、一理あるな」
理屈は分かったが、今から買いに行こうにも店は閉まる時間だ。
まあ足りない分はボクが1人で1日あればできるぐらいの量だろう。
日も暮れてきたし、その日の作業は終了。



コンクリートをやった後はちゃんと水で洗っておかないと、コンクリートが固まってこびりついてしまう。
日が暮れると気温は一気に下がる。
冷たい風が吹く中、ボクは道具を洗い、サダオは細々した片付けをする。
こういった細かな作業も、ヤツは自分で考え行動ができる。こういう人と一緒に仕事をするとボクも楽だ。
対照的に全てを人に聞く、という人も世間にはいるが、そういう人はボクの近くに寄ってこない。来たとしてもすぐに去ってしまう。
一人で行動できない人が何人集まっても何も始まらないが、一人で行動できる人が集まると物事はどんどん進む。




日を改め再び土をトレーラーで買ってきて、足りなかった分のコンクリートを打つ。
今度はミキサーはなし。サダオもスイスへ旅立った後で一人の作業だ。
一輪車の上でチマチマと混ぜ、空いているスペースに流し込む。
こてで均し再びチマチマ混ぜる。
朝から始めなんとか1日で作業は済み、パッチができたがなんとか第一区画のコンクリート打ちが終わった。
端っこには深雪の手形と日付をいれた。
やっぱり親バカなのである。



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土木工事 1

2011-09-07 | 
もう数ヶ月前の話になってしまったが、毎年毎年夏が終わると新しい事が始まる。
それは野菜作りだったり、石けん作りだったり、ニワトリを飼うことだったり、EMだったり、とまあ色々なことが始まるのである。
今年のプロジェクトは土木工事。
土方である。



家の駐車場兼ドライブウェイは幅4m長さ20m。
車が4台、うまく詰めれば5台ぐらいは停められる広さがある。
一応砂利が敷いてあるのだが、長年手入れをしてこなかったのだろう。砂利と土は混ざっていて雑草がすぐに生い茂ってしまう。
女房がヒマさえあればせっせと雑草を抜いていたのだが、抜いても抜いても次から次へと雑草は生えてくる。
除草剤をまけば雑草は駆除できるがケミカルは使いたくない。
常日頃から「なんとかしなきゃあなあ」と思っていた。
ある日、庭仕事をしている時に1人のおばあさんが家の前を通りかかった。
おばあさんは歩行器を押していたのだが、その際歩道の小石を避けるように進んだ。
歩道には車の出入りの際にどうしても小石がちらばってしまう。
普通に歩く分には気にならないのだが、小さな車輪がついたもの、足腰が弱っている人には邪魔になる。
おばあさんは何も言わなかったが、その姿を見て「いよいよこれは何とかせねばいかん」と思った。それがここに住む人の責任ってものだろう。
家にはコンクリートブロックがかなりの数ある。それを敷き詰めることも考えたが隙間から雑草は生えてくる。
それならばいっそのこと舗装にしよう。
舗装にもアスファルト舗装とコンクリート舗装がある。
アスファルトは高い、というわけであえなく却下。
コンクリート舗装にしても業者に頼めば何千ドルとかかる。
それならばいっそのこと自分でやっちゃおうか。
そう考え始めたのが3月のことだ。
土方の経験はある。
高校の夏休みはアルバイトで土方をやったし、20代もバイトで土方をよくやった。
現場で働いた経験はあるが、自分で設計から何から何までやったことはない。
まずはイメージ作りから始まった。



今ある場所にきれいなコンクリートのドライブウェイがあることを想像する。できるだけ細かく形や色までも想像する。
ボクは来る日も来る日も家のドライブウェイを眺めた。
散歩に行っても他の家のドライブウェイを眺めて参考にした。
そして調べる。
まずはコンクリートの厚さはどれぐらいか。
インターネットで検索すればすぐに出てくるし、町の図書館でDIY(Do it yourself)の本も借りてきた。
厚さは10~15cm。厚い方が丈夫なわけだが、その分コストもかかる。それだけ深く掘り下げなくてはいけない。地面を掘れば土の処理も考えなくてはいけない。
かといって薄ければ強度は下がる。車が入ったときにひび割れなども起きるかもしれない。
いろいろと調べて出した結論は厚さ10cm。補強するために中に鉄筋を入れることにした。
コンクリートというのは圧縮に強く引っ張りに弱い。逆に鉄筋は圧縮に弱く引っ張りには弱い。
なのでこの二つを組み合わせて鉄筋コンクリートにする。
なんといっても工業高校の建築科を出ている。
大学受験の勉強はやらなかったが、コンクリートの棒に機械で力を加え、どういう力で破壊されるかという実験をやった。
あの高校の建築科へ行ったことも全くの無駄ではなかったわけだ。
厚さが決まれば広さをかければ体積は出る。これは小学校の算数の問題だ。
厚さ10cm広さは約80平方メートルなので8立方メートルのコンクリートが必要だ。
プロならば枠を全部組んで下地も全部ならし鉄筋も全部敷いて、一気にコンクリートを流すだろうが、ボクはプロではない。
自分の力でコツコツやりたいと思っていたので、範囲をいくつかに分けて考えた。



家の基礎など立体的にコンクリートを打つ(コンクリートは作るのではなく打つと言う)時は鉄筋をその形に加工して、結束線というもので縛り付けていく。これも土方でやった。
今回は平面で打つので、ワイヤーメッシュといってシート状になっているものを使う。手間も省けるし、そんなに高いものでもない。
ホームセンターに行って調べると長さは4650ミリ、というわけで1回ごとに打つ長さが決まった。
娘を送り迎えする途中には製材所がある。ここで枠用の木と杭を買う。木枠は頼めば切ってくれるのだが、最初から4.8mの長さのものがあった。
迷わず買う。毎度あり~、チーン。
縦の枠を置いてみると広さが見えてくる。
漠然としていたイメージがより細部まで想像出来るようになる。
イメージが出来なかったら物はできない。イメージが出来てくれば、やることだって見えてくる。
手順としては枠を決め地面を掘るわけだが、段取りも考えなくてはいけない。
掘り始めたら車の乗り入れができなくなってしまうので、その前にやることをやっておく。
まずはセメントを10袋買って物置に保管。ついでにワイヤーメッシュも2枚買う。
そしてコンクリート用の砂利と砂が混ざったものを2立米買い、トラックで配達してもらう。
準備は完了。次は作業だ。
コンクリート打ちは出入り口、道路側から始めることにしたのだが、問題は境界線だ。
家の前の歩道はアスファルトが敷いてある。
アスファルトの端はギザギザでドライブウェイの砂利と混ざっている。
ここをきれいにしたいなあ。
まずは手元にあるスコップでガシガシとアスファルトの端を削ってみる。
アスファルトはボロボロと崩れ、あまりきれいではない。
よし、それならアスファルトを切ってみよう。
アスファルトの厚さは2cmほど。ハンドカッターで切れない厚さではない。
友達のアイヴァンに電話をしてハンドカッターを借りる。こういう時に持つべきものは友だ。
こういった物も店で借りればお金はかかる。友達が持っているなら借りればよい。
作業時間15分ほどでアスファルトは綺麗な直線で切れた。
アイヴァンにハンドカッターを返す時に、お礼としてビール6本。お金はこうやって使うものだ。
そこから4,65mに横枠を組む。
枠組みが決まり、コンクリート打ちの範囲がはっきりと定まった。
ビジョンはより強いものになっていく。






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9月4日 マウントハット

2011-09-06 | 最新雪情報
ニュージーランドで最も人が少ないスキー場、フォックスピークの次の日にマウントハットへやってきた。
このギャップはすさまじいものだ。
駐車場では係の人が誘導してくれる。
チェアリフトは速く、あっというまに山頂へ着いてしまう。その間も座って休憩ができる。
圧雪バーンは楽にスキーができる。きれいな舗装道路みたいなものだ。
8年ぶりにマウントハットに来た女房が言った。
「スキーってこんなに楽だったのね。これなら全然疲れないものね」
ボクもそう思った。ハイクアップにロープトーそして全面オフピステのブロークンリバーに比べたら本当に楽だ。
これなら何本でも休憩なしに滑れる。
オフピステはかなり硬いが、ここでは圧雪のロングランを楽しめる。
たまにはこういう所で子供にガンガン滑らせるのも良いものだ。
自動改札のリフト乗り場、コンピューター管理されたリフト券。
初心者用のマジックカーペットのトンネル内部にはモニターがあり時間差で外の映像が流れるという。
そこで自分の滑りも見られるわけだ。
このスキー場もどんどん進化しているが、これはこれでいいと思う。
こういう場所もあり、クラブフィールドのような場所もある。
違って当たり前。どれが正しくどれが間違いということではない。
違いを認識し、選択は各個人がすればよいだけの話だ。


マウントハット名物、マジックカーペットのトンネル。コンテナをつなぎ合わせたトンネルならば風の強い日でも平気だ。
こういうのはどんどん進化していいと思う。スキーをやり始めた子供には自然の過酷さよりも、滑ることの喜びと楽しさを教えるべきだ。


圧雪バーンは滑るのもずらすのも楽である。長い距離を何本も滑らすと子供はみるみる上達する。


カフェの前の賑わい。ここはリゾートだ。


親子でタワーズを滑る。娘は立派なオフピステスキーヤーになりつつある。親バカだな。


リフト待ちも当然ある。この日は最高に待っても数分。
日曜にしては空いていた方だが、クラブフィールドしか知らない娘にとっては大混雑である。


43歳。この山で働いていたのも16年前の話だ。普段はめったに来ないが、たまに来ると当時のことをいろいろと思い出す。


そして山は『人間の思惑なぞ知らん』といった顔でそこに在り続ける。

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9月3日 フォックスピーク

2011-09-04 | 最新雪情報
クラブフィールドにはどれも個性がある。
これは行ってみれば分かるというか、行かなければ分からないものなのだが、どれも雰囲気は違う。
ブロークンリバーのようにアットホームなもの。オリンパスのようにクレージーなもの。クレーギーバーンのように硬派なもの。様々でありすべて違うので面白い。
フォックスピークは雰囲気で言えばハンマースプリングスに似ている。
ニュージーランドの田舎臭さがそのまま出ていて、あまりやる気がなく、いい加減な雰囲気は嫌いではない。
クライストチャーチから距離があるので、訪れる人も少ない。営業は週末だけ。平日に開けても人は来ない。
この日は土曜日だったので車が駐車場に数台。
田舎のスキー場の賑わいだった。


ゲレンデにとことん人影は少ない。貸切状態である。


駐車場に車は7台。滑っているお客さんの数は10人をちょっと超えるぐらいか。


ここでも雪は硬い。日当たりが良く雪が柔らかくなった場所を探しながら滑る。


眼下は牧場がどこまでも続き、遠くには東の海岸線も見える。あの向こうは太平洋だ。


施設は必要最低限。チケットブースはあるが、カフェとかレストランはない。デイロッジもない。シェルターと呼ばれる避難小屋はある。トイレも水洗ではないがある。


上空は風が強いのだろう。レンズを重ねたような雲がでていた。


チケットブースで売ってるものは缶ジュースが3種類、クッキータイムが少々、それだけ。商売っ気はない。
数あるクラブフィールドの中で、施設が一番質素なのがここだろう。
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9月2日 雪情報 ブロークンリバー

2011-09-04 | 最新雪情報
冬から春へ、暖かい日の後に寒い日が来る。
一度は溶けた雪が冷たい風にさらされ、ガチガチに凍った。
日当たりの良い場所でも雪は緩まず、どこの山でも雪は硬い。
風が強いので飛ばされた雪が吹き溜まりとなる。
吹き溜まりを探しながら滑る。
何故こんなに硬いのに圧雪をしないのかと問いただす人がいたが、その人の納得する答はここでは得られない。



山の切れ目から朝日が登る。雲海に陽が差し込む。神々しい朝である。


あるシュートへたどりつく道。雪の幅は20cm、きっかりスキー板の幅のみ。岩にしがみつきながら進む。


山頂で大の字。心の洗濯。


お父さんが2歳の娘を背負ってロープトーに乗る。自分が娘を背負っていた頃を思い出した。


ゲレンデではスタッフ総出でボーダークロスのコースを作っていた。


背負われていた娘が遊び散らかしたパーマーロッジ。


娘の弟がパーマーロッジの隅で寝ていた。


マ―ゴットはパーマーロッジから正面に見えるシュートだ。雪は硬くエッジが外れれば即滑落。一つ一つのターンを慎重に繰り返す。
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