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くたばれマニュアル!―書き手の錯覚、読み手の癇癪 」新曜社

2013-11-07 | わかりやすい表現

アマゾンレビューより

最も参考になったカスタマーレビュー
27 人中、23人の方が、「このレビューが参考になった」と投票しています。
5つ星のうち 5.0

ヒルキモをピラッコしてください

 この本の画期的なところは、マニュアルの作り手側の姿勢と同時に、読み手側であるユーザーについても触れられている点である。
 マニュアルにおける問題点について述べている本は類書も多く、問題点はすでに整理されていると言える。たとえばこのレビューのタイトルに挙げたように「未知の専門用語を無造作に使用すること」などは良く知られた指摘だと思う。しかし本書のように読み手側に対する指摘を述べた本は少ないのではないだろうか。そこに本書の魅力がある。
 本書では卑近な例を紹介することで問題点の説明は分かりやすい。さらに巻末にはガイドラインまで掲載されており、実践に移すための道具は揃っている。これを使って改めて自分の作成(参照)するマニュアルのわかりにくさを考えてみるのも良い。
 著者も述べるように「本書は両方の視点から述べることで、むしろマニュアルの品質向上を応援する」ものとして非常に有益な本だ。後は「実践すること」これが一番重要である。今は情報収集や、データの収集というのはむしろたやすい。しかし過去の事例に逆らって、新しい編集方針を打ち出したり、ドキュメントとしての評価を行ったりするのは大変である。「ユーザーインタフェース」という言葉を大上段に振りかざして構えなくても、ユーザーの視点に立ち返ることを励行すれば、そこには確実に効果が現れるはずなのだが、直接の利益と結びつかないところに周囲の理解を得られないという事情はありそうだ。しかしユーザー不在の商品は、長期的には成功は得られないだろう。

援助」安全・安心の心理学」新曜社

2013-11-07 | 安全、安心、

援助




           ―――「助け助けられ」は当然なのだが
●都会の不思議
 最近、立て続けに、マンションで、姉妹が殺され、さらに女子高校生が殺害されるニュース報道をみた。例によって、近隣の人々の顔を隠したインタビューがある。そして、「どさどさというような大きな物音が聞こえた」「きゃー助けて、という叫び声や争う音が30分くらい聞こえた」などなどと言う。
不思議なのは、自らがその時に積極的に何かをした形跡がないことである。「助けてー」の悲鳴が聞こえた時に、近隣の方々が一斉に表に出てみるだけでも、状況はかなり違った展開になるかもしれないのにと思うのだが。

●傍観者効果
そうは言っても、実は、援助行動も援助要請行動もそれほど単純にはいかないことが知られている。
たとえば、傍観者効果。
衆人のいるところで、突然、胸を押さえて倒れたとする。周囲の人々が一致協力して助けてくれるであろうか。実際にこんな実験をした社会心理学者がいたのである。注1***
結論は、そんなことにはならない、周囲の人々はあくまで傍観者のままとどまっていた、となる。そこで、これを傍観者効果と呼んだのだ。他者の存在が、自分が助けなければという素直な援助行動を抑制してしまったのである。
周囲の人々が冷静なのだから援助を必要とはしない事態なのかも、と考えてしまったり、何もあえて自分が渦中の栗を拾うようなことをしなくとも、と考えたり、もし自分だけが援助行動をして失敗したりすると恥ずかしい、と考えたりしてしまうらしい。
いずれにも、そう言われてみれば、というところがある。

●それでも困っている人を助けたい
多彩なボランティア活動の存在にもみられるように、それでも、誰もが心のどこかに、困っている人をみたら、素直に返報なしに助けてあげたいという気持ちを持っている。その気持ちを実現する行動を愛他的行動という。傍観者効果は、衆人監視の社会的な場面での緊急事態であるがゆえの効果と考えたい。
愛他的行動は、他者に対する同情が基本になる。他者のつらい気持ちや困った状況を見て、自分も他者と同じような気持ちになれないと、行動にはならない。ただ、防犯、防災、事故対応にかかわる場面では、同情だけでは不足である。

●援助を良質なものにするために
地震災害地に援助物資として古着がどっさりと届き困惑している映像が報道されたこともあるように、助け、助けるにしても、ただやみくもに行動すれば良いというこものではない。
まず、援助要請行動のほうである。
何をおいても、援助してほしいことをしっかりと表現することである。
援助をためらわせる心理的な圧力もある。衆人に向けて援助の声をあげるのは、時と場所と状況によっては、かなり勇気がいる。警察に駆け込むほどには切迫していないのかもとの状況認識の甘さもある。これが、事態を悪いほうに向かわせてしまうこともある。注1*****
援助を受けるのはなんら恥ずかしいことではない。とりわけ、防犯、防災、事故対応の場では、それは当然の権利と言っても良い。それくらいの「強い」気持ちがないと、援助要請行動にためらいが出て、結局、どんな助けが必要かの表現が十分にはできないことになる。
さらに、必要な援助は素直に受けることである。日本人の美徳として、遠慮と返報の心が強い。これが、援助の受け入れを屈折してものにさせてしまうことがあるので、要注意である。とりわけ、そうしたメンタリティを強く持つ高齢者では、その援助が必須であるにもかかわらず、そのことを言わない、受けとらないようなケースもある。
次は、援助行動のほうである。
援助要請行動ができないほど壊滅的、危機的な状況にさらされていることも多い。その状況の中から、何が最も緊急かつ重要な援助かを見きわめなくてはならない。事態認識力である。緊急時には無用な援助ほど迷惑なものはない。大災害時にかけつけたボランティア活動の中に、そんなケースがたまにあったらしい。同情心に加えて状況認識力も必要である。
援助行動を効果的なものにするにはさらに、援助する人々の組織化が不可欠である。日本の行政組織は、その点、いつも見事な力を発揮する。上意下達型でもよい、あるいは、ネットワーク型でもよい。人々が組織の中で援助しているという意識を持つことが、円滑で効果的な援助行動につながるし、援助を受ける側にも安心感がある。一人でできることには限界がある。
なお、別項で考えることになるが、その組織をより一層、効果的に機能させるためには、リーダー、サブリーダーの役割も、事態が緊急度を増すほど大切になってくる。日本社会では、この点が弱いのではないかと思う。非常時には、有無を言わせない協力なリーダーシップが発揮できるようにしておかないとまずい(K)

注1 Latane,B, et al,1970
注2 自宅には、防犯ブザーが5個、あちこちにおいてある。ある時、間違ってそのうちの1個を鳴らしてしまった。あわてていたので、止める操作をするまでにかなり時間がかかってまった。隣近所の様子をうかがったが、なんの変化もなかった。




ゴルフ

2013-11-07 | 健康・スポーツ心理学

テニス仲間数人
休憩時間など、ゴルフのスケの話ばかり
ウイークデイは安いのだそうだ
それにしても、一日、5千円くらいらしい
そんな大金をかけて遊ぶなんて信じられない


自分の身の回りにゴルフをするような人は
数えるほどだった
つまり贅沢スポーツだったし、今の自分にとっても贅沢スポーツだと思う

今日のニュースでゴルフ人口が半減とのニュース
若者を誘いこむ趣向が紹介されていたが、
経済的バリアを超えられるのかなー

あんな玉ころがし、どこがおもしろいのかなー 笑い
ということもある