紅葉 2013-11-30 | 心の体験的日記 紅葉 毎年、紅葉はある でも、毎年、その色合いの新鮮さに感動させられる 多分、毎年それほどは違わない色合いだと思うが いつも新鮮に感じる 色の記憶はどうなっていたかなー
連載3つが同時に終わる 2013-11-30 | 心の体験的日記 連載3つが同時に終わる 今年1年続いた。うち2本は1年の予定。もう一本は、不定期にかなり前から続いていたが、それも、12月で終わり。 おまけに最後(となるであろう)の監修、編集、分担執筆本も さみしくなる。 その分、ブログを充実 がんばります
謝罪」安全・安心の心理学」」新曜社 2013-11-30 | 安全、安心、 謝罪 ―――何より謝ることが先決 ●謝る 父親が大切にしていた桜の木を折っしまい素直に謝ったワシントン大統領の話はよく知られている。にもかかわらず、今のアメリカ社会のおいて支配的な「謝らない文化」は一体いつ頃から作り出されたのか不思議に思う。注1*** いずにしても、自分のおかしたミスによって他人や社会に損害や迷惑をかけてしまったら、まずは、謝ることが世の中の道理であることは言うまでもない。ところが、世の中の道理が通るのは、あるいは、通すのはそれほど簡単ではない。 ●「誤ろう」しかし、 ミスや違反をしたことに気がつく、あるいは気がつかされると、まずは、ミスや違反をしてしまった自分を責める。そして、それは、外に向かっての申し訳なさ、つまりは謝罪の気持ちを生む。これが自然な心の流れであろう。 だとするなら、ただちに、「すみません」が口をついて出てくるはずであるが、必ずしもそうはならない。気持ちを行動(発話)として発現するには越えなければならない障壁がある。 障壁の一つは、少し冷静になってみると、本当に自分だけに責任があるのかが疑問になってくる。相手にも、あるいは状況にも責任の一端はないかが気になってくる。これが、素直な謝罪を押しとどめることになる。 障壁の2つ目は、相手の出方である。相手のほうも自分にも非があり、という、いわゆる下手の対応の仕方をしてくるような時には、「いや、こちらこそ」となるが、一方的にこちらの非を責め立てて攻撃的な対応をしてくると、本心ではなくとも、こちらもつい攻撃的に対応してしまう。 障壁の3つ目は、謝罪文化の変化である。かつての日本人は実によく謝っていたように思う。その片鱗は、今でも、企業不祥事で社長以下3役そろい踏みの謝罪会見に見ることができる。あるいは、犯罪被害者の「謝罪の言葉でもあれば」の言説にもみることができる。 しかし、損害補償を考えてしまうからであろうか、謝罪が補償交渉に不利になることをおそれる気持ちが、素直な謝罪のセリフを抑制してしまう。 ●反省心が謝罪の源泉 謝罪が行動や言説として外部に出るか出ないかには、こうした障壁があるが、それ以前に真の謝罪の心がなければならない。そして、謝罪の心が生まれるためには、みずからがおかしてしまったことをみずからの問題として反省できていなければならない。ここのところが曖昧なままほっておかれると、今度は、言葉だけ、うわべだけの謝罪となってしまう。***注2 反省心は、もう一人の自分(ホムンクルス)を意識的に活動させることからはじまる。それは、事が起こった時や場から充分に離れ自分一人で事を振り返ることができるような状況にならないと無理である。 たとえば、少年犯罪などでは、しかるべき施設への収容、そして、そこでの矯正訓練の目標に、反省心の涵養が一つの大きな目標となっている。しばしば、彼らからの被害者への謝罪の手紙がマスコミで取り上げられることもある。 そこまで行かない我々の日常生活においても、夜一人になって、日記帳に向かってじっくりと反省してみる、あるいは、カウンセラーや親しい人に自分の心の内を静かに聞いてもらうのは、反省の質を高めることになる。 そこから生まれる謝罪の心、そして言動なら、相手の心に響く謝罪になるであろう。下手な謝罪のテクニックは不要である。 ●謝罪と補償は別 謝罪したからといって、すべてに責任を負うわけではない。謝罪は、あくまで自分なりの反省心から発した個人的ものでしかない。補償の領域に話が移ってくれば、そこでは、事態の客観的な分析と法律的な責任論で動くことになる。弁護士などの助けを借りることになる。 訴訟社会のアメリカでは、謝罪は責任を認めたことと同じことになってしまい、訴訟に不利になるのであろう。だから「謝罪はしない文化」が強固にできあがってしまったのであろう。厳しい話であるが、人の自然な感情にもとることは、言うまでもない。 2001年、ハワイのオワフ島沖で起こった実習船えひめ丸がアメリカ原潜グリーンビルに衝突され沈没し9人が死亡した事故があった。原潜側の一方的な過失であったが、スコット・ワドル艦長からの謝罪は当初はまったくなかった。しかし、裁判の過程で、やっと、おおむね次のような、涙ながらの謝罪の弁があったとのことである。 「謝りたかったけれども弁護士に止められていた。謝罪を止められたことに耐えられなくなった。」 (K) ******* ********* 、「注1 「A mistake has been made.」と「I made mistake.」との違いはおわかりであろうか。アメリカ人は、後者の言い方はほとんどしないそうである(湯澤淳「ワシントンレポート」HPより)。なお、道を歩いていてぶつかりそうになると、「I am sorry」と彼らは謝罪らしきセリフを実によく言う。しかし、これは、「俺が通るからお前はどけ!」という合図ではないかとひそかに思っている(余談)。
検索の手がかり 2013-11-30 | 認知心理学 ●検索の手がかり ・一つの記憶情報には、たくさんの手がかり(タグ;札)がついている ・したがって、あれでだめなら、これで、という検索が行わる ・覚えるときにも、あれこれタグ(状況)も一緒に覚えているので、覚えた時と同じ状況にすると思い出しやすい(記憶の文脈依存性)