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「説明の心理学」の構図

2013-11-12 | Weblog
「説明の心理学」の構図  
・説明とは何なのか  
・人は何のために説明するのか  
・説明はどのような認知過程なのか  
・説明にはどんなもの(タイプ)があるのか  
・科学的な説明と日常的な説明との違いは  
・どうすれば相手が納得でできる説明ができるのか  

科学は説明と予測をめざす。心理学も例外ではない。しかし、心理学にはもう一つやっかいな問題、説明することがまぎれもなく心の働きの一つであり、それが心理学の研究対象でもあるという入れ子問題がある。だからこその説明の心理学である。


これは難しい!?

2013-11-12 | 心の体験的日記

入試問題を見ていたら、以下のような漢字問題があった。
あれれ、誤植?
これは大変とおもって、事務の人に聞いた
恥ずかしかった。

選択枝は、「てい」なのに、「し」とは?と思い込んだのがいけなかった

受験生、こんなひれり問題もあるから気をつけてね 笑い

@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@
ネジをしめる」の「しめる」と同じ漢字を使うのはどれか
① ていたいする審議
② ていきを買う
③ 新しい考えをていしょうする
④ 条約をていけつする

「マニュアルとヒューマンエラーともに、20年」保存用

2013-11-12 | わかりやすい表現
03/3/19海保 111112222233333444 18文字/1行 3p 「筑波フォーラム第65号」(2003/7)3月28日締切り 

研究室だより 「マニュアルとヒューマンエラーともに、20年」

●研究だよりでお許しを  昨年10月に還暦を過ぎました。 「定年まで5年を切った教官は大学院生をもたない」という専攻内の申し合わせのため、次第に院生が減りつつあり、現在は、日本学術振興会のPD1名と4名の院生、卒論生1名になりました。否が応にも、研究室の店仕舞いの態勢に入りつつあります。こんなときに研究「室」だよりはないでしょうというわけで、自分の研究だよりでお許しいただくことになります。  そうはいっても、ちょっとだけ、研究「室」だよりを。  これまでの研究室のポリシーとして、認知心理学という大枠は掲げてはいるものの、指導できる範囲内であれば、基本的に、「来る者こばまず、去る者大歓迎 」「研究テーマはやりたいものをやってよい」ことにしてありましたので、今いる5名の院生の研究デーマは、次のようにかなりバラエティに富んでいます。  ・人工物を介した対話の特性と最適化  ・心的演算をめぐる諸現象とその認知  メカニズム  ・ワーキングメモり(作業記憶)の個  人差と言語情報処理  ・記憶検索における抑制と促進  ・読書時のオンライン自動的情報処理  このうちのいくつかのテーマは、それなりに指導はできると思ってはいるものの、「そんなテーマで研究して何がおもしろいの?どんな役に立つの?」と思ってしまうようなものも実はあります。でも「やめたら」とまでは(できるだけ)言わないようにはしています。自分も30代終わりまではそんな研究をしてきましたし、もしかすると、彼らの中から第2の田中さんがでてくるかもしれないからです。研究評価は本当に難しいですね。

●マニュアルとともに、20余年  さてでは、「研究だより」それも「回顧(自慢話?)編」です。  次の2冊の本の出版が、それまでのほぼ20年にわたる基礎的・実験室的研究から応用研究のほうに軸足を移すきっかけになりました。これは、自分の研究生活の上で、劇的な変化でした。  ・1987年「ユーザ読み手の心をつか  むマニュアルの書き方」(共立出版)  ・1988年「こうすればわかりやすい  表現になる---認知表現学への招待」  (福村出版;絶版)  いずれも、ユーザ、読み手、聞き手の頭の働きのくせにあった表現とはどのようなものであるべきかを考えてみたものでした。  この本の出る5年前頃から、ワープロが急速に普及してきました。それに比例するかのように、そのマニュアル(取扱説明書)がわかりにくくて困るという苦情がメーカーに殺到してしまい、弱り抜いていたようでした。  そんな時でした。日本IBM(株)の大和研究所の人間工学のセクションでマニュアル評価の仕事をしていた加藤隆氏(現在、関西大学教授)から、認知心理学の立場から、これを解決する方策がないかと相談されたのがきっかけで、マニュアルの世界に足を踏み入れることになりました。  どんなことをしたかというと、認知心理学をベースにして、「ユーザはマニュアルをこんな風に読んでいる」「マニュアルを読んでいるときにこんなことを頭の中でしている」だから「こんなふうにマニュアルを書いてくれるとわかりやすくなるはず」という提言をしてみたのです。  上記の2冊の本は、それをまとめてみたものです。  これが大受けでした。打ち出の小槌か魔法のようにでもみえたのでしょうか、あるいは、わらにもすがる気持ちもあったのでしょうか、あちこちのメーカーなどから、共同研究やセミナー・講演の申し出が舞い込みました。  年齢も40代中頃、研究者として最も油の乗り切っていた時期でしたから、どんな依頼仕事も楽しく、しかも楽々とこなすことができました。人生で一番有能感を持てた時期でした。

●どんなことを提言したか  提言の内容をもう少し具体的に言うと、マニュアルのユーザ支援機能を5つ設定して、それぞれについて、たとえば、こんなことを提言してみました。 1)操作支援(操作を指示する表現はどうすべきか) ・1文1動作で ・操作ー結果ー操作のサイクルを示す 2)参照支援(情報を探しやすくする) ・出来上がり索引を使う ・目次はユーザのタスクを考えて作る 3)理解支援(わかりやすくする) ・操作の目標を先に示す ・専門用語の使い方を慎重に 4)動機づけ支援(読んでみたいと思わせる) ・出来上がりを最初に示す ・実益を感じさせる 5)学習・記憶支援(覚えるべきことを覚えやすくする) ・基本操作を習熟させる ・実用的な練習問題を提供する <<1行あける>>  さらに、こうした提言が実用的かどうかを検証するための実験・調査や、実際のマニュアルを使っての評価実践もやってみました。  そして、20年にわたるマニュアル研究の区切りの意味を込めて、昨年(2002年)、「くたばれ、マニュアル---書き手の錯覚、読み手の癇癪」(新曜社)を上梓しました。タイトルはかなり刺激的ですが、内容は至ってまじめなものです。  残念ながら、こちらの本への反響は前著にははるかにおよびませんでしたが---それでも、アマゾン・コムおおすすめ度5です---、自分の研究歴の中ではおさまりのよいものでした。

●研究室の外に出てみると  自分のやったことは、というよりやれたことは、認知心理学の基礎研究の中でつちかった「研究力」を、現実に発生している問題解決のために使うことでした。 ここで、研究力とは、一つは認知心理学の知識と研究技能、もう一つは、問題をとらえる感性や視点です。  幸いなことに、当時の自分の研究力と、現実世界で発生しているマニュアル問題 の解決の要求内容と水準とがぴたりとマッチしていたのが、うまくいった--あくまで主観的ですが--理由だと思います。  これからの10年(くらいはまだ現役でいたいものです)。まだまだ残っている(と思い込んでいる)研究力を現実問題の解決に役立てるべくがんばりたいと思っています。  そのがんばるためのもう一つの隠れテーマについて、最後に一言。 図 わかりやすさ研究の領域

●もう一つの隠れテーマ  --ヒューマンラーの心理学  実は、マニュアルの研究とほぼ時期的に並行して、ヒューマンエラーについても、研究と評論活動?をしてきました。  これも、マニュアルの本とほぼ同時期の1986年に出版した「誤りの心理を読む」(講談社現代新書;絶版)がきっかけでした。  その本は、アメリカでの在外研究の日常的な体験から、「誤り」についての文化差が気になり、それを心理学的に考えてみたものでした。趣旨は、「誤りながら創造的に生きる人間像」を浮き彫りにしてみたいというものでした。  それが誤読されてしまったのでしょうか、プラント(工場や発電所など)の安全管理や研究をしているところから声をかけていただき、あちこちの委員会や研究所やプラントに出入りしたして、大胆にも、認知心理学の立場からヒューマンエラー防止の提言などをするようになりました。  そうこうしているうちに、マニュアルの研究でつちかったものが、「わかりやすさ」をキーワードにすると、こちらでも活かせることに気がつきました。  つまり、わかりにくさがエラーを誘発するという問題です。  マニュアルのわかりにくさもそうですが、案内表示や危険表示などの各種の表示などが、エラーを引き起こしていることに気がついたのです。  そこで、人と機械/人工物との接点での情報交流、つまりインタフェース研究にも足を踏み入れるようになりました。  最近は、インタフェースについての興味関心は薄れてきて、「エラーと心的機能の自己管理不全」の問題のほうをやっています。「がんばればエラーをしない」という精神論になりがちな危ない話ですが、心理学を知ってもらうことが、自分なりにエラー防止の工夫をすることになるはずとの思いで、やっているものです。  最近は、もっぱら啓蒙的な活動になっていますが、応用心理学の大切な課題ですので、求められればどこにでも出ていくくらいの気持ちで取り組んでいます。 ***** 以下は、ページ調整用です。4頁におさまらないときは削除、余裕があれば入れてください。 ***************  多分、これから数年くらいは、ヒューマンエラーの仕事のほうに軸足を移していくことになると思いながらも、文系と理系の心理学、心理学方法論などまたぞろ昔のアカデミック心理学の世界にもちらほらと関心を向けたりしている昨今です。 *************** (かいほひろゆき 応用認知心理学専攻) ***本文 212行(図4行分も含む)

25歳からのお仕事クリニック

2013-11-12 | 教育

自分の時間が持ちたい。
今から公務員を目指すのは不利ですか?
学生時代に民間と公務員の就職活動をしていましたが、最終的に民間を選びました。 都市銀行から内定が出て、そちらの方が将来性もあって、給料もたくさんもらえると思ったからです。 ですが、実際銀行員になってみると想像以上に忙しく、帰りが遅いのもしばしばです。 最近は自分の時間がなかなか取れないのがストレスになってきました。

今更ですが、時間に余裕を持てる公務員の仕事も悪くなかったと思えてきています。 今から勉強し直して公務員を目指すことは不純でしょうか? 公務員改革が進んでおり、人員も削減されると聞いています。 自分の時間を持ちたいからと、今から公務員を目指すのは甘いのでしょうか?

銀行員/26歳/男性






転職の
キッカケに
関する悩み


仕事に就いて3年目?
今の迷いをじっくりと見つめて、将来へつなげてください。



お答えします。

●ワークライフバランスは、どうなった!

「仕事と生活のほど良いバランスを」という厚生労働省のかけ声。
最近はあまり聞こえてこなくなったような気がしますが、ますますワークの方が厳しくなってきているのでしょうか。 長時間労働に加えて、高密度労働がとりわけ正規社員の方々に押し寄せているようですね。

多分、年齢からして仕事について3年余でしょうか。 仕事にも慣れてきて自分の今のライフを考えられる余裕が出てきたのかもしれません。 そんな中での「さて、自分のライフ、これでいいのか?」ではないかと思います。

余談になりますが、「3年目」は何かと節目の年のようです。 「石の上にも3年」「桃栗3年、柿8年」さらに「新入社員3割が3年で辞める」なんてものもあります。

余談はさておくことにしましょう。 事はもっと深刻で、ストレスに負けそうな自分に気がついての相談かもしれません。

仮にそうだとしても、ただちに公務員試験をおすすめするわけにはいかないところがあります。 あなたもご存知だと思いますが、世のため、人のためという使命感に満ちたたくさんの公務員志望者がいる中で、「自分の時間を持ちたい」という「不純な」動機から公務員を志望しても、まず、合格できるとは思えないからです。 しかも、仮に合格しても、本当にあなたの希望通り「自分の時間が持てる」職場であるとは言いきれないからです。

●さて、どうする?

あなたが感じているストレス状態がどの程度なのかわかりませんが、まずこんなことをチェックしてみてください。

【銀行の仕事について】
・自分は銀行の仕事に向いていないのか
・銀行の仕事に使命感を感じていないのか

ここでいう使命感とは、あなたの仕事上の生きがいに何か社会的な意味合いを感じているかです。 もし感じていないとするなら、公務員も含めて転職もありだと思いますが、公務員になったとしても、使命感がないのがとても気になります。

【自分の時間が持てないことに関して】
・それは、仕事の多忙さから逃れたいためだけなのではないのか

だとするなら、今一度、一日、一週間、一か月、―――の単位でご自分のワークライフバランスを点検してみてはいかがでしょうか。 そして、これだけは絶対に譲れないライフ・タイムを大事にする(できる)ような、ワークも含めたスケジューリングはできませんか。 それなりの覚悟をすると、意外に状況が開けるものです。
場合によっては、労働法規も助けになります。

ところで、自分の時間が持てたとして、何をしたいのですか。 まさかそれを考えるために「自分の時間がほしい」というわけではないですよね(笑) 普通はしたいことがあると何をおいてもしてしまうはずですが、いかがでしょうか。

こんな事を今一度、点検してみてください。
それほど事が切迫しているとは思えませんので、ゆっくりとあれこれと考えてみてはいかがでしょうか。

目撃者証言

2013-11-12 | 認知心理学
目撃者証言(記憶情報は、VTRの記録情報とは違う)
・見たものしか覚えていない
・感情にふさわしい情景だけを思いだす
・記憶している間に、一貫性(物語)のある方向へ、記憶情報が変容する
・思い出す手掛かりによって思い出されることが変わってくる
 (誘導尋問効果)
・何度も思い出しているうちに、実際と仮想(覚えている世界)との区別がつかなくなってくる(現実性識別の混乱)