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●● 「ほンわかあ」1日40回運動]周りを元気にする番外編

2014-05-07 | ポジティブ心理学

「ほンわかあ」1日40回運動

●「ほンわかあ」とは
「ほ」める
「ン」
「わ」らう
「か」んしゃする
「あ」いさつする
の頭をとって、意味があるように「ン」を追加して作ったものである。
 この「ほンわかあ」のそれぞれを一日10回、合計40回を心がけようという運動を、最近一人で提唱している。(笑い)
 今回は、「たかが<ほンわかあ>、されど<ほンわかあ>」の心理学の話。さらに、「<ほンわかあ>は、人のためならず」。これによって、周りを元気にするだけでなく、自分も元気になろうというものである。

●「ほめる」の心理学
 学習心理学では、賞と罰の研究は強化の心理学、動機づけの心理学と呼ばれ、ほぼ1世紀にもわたる長い歴史がある。(とは言っても多くは、動物を使った基礎研究だが。)
 何かしてほめられれば(強化)、それをもっとやってほめられようとする。それによってさらに、ますますやる気(動機づけ)が高まることになる。
 どのような行為に対して、どのようにほめる(叱る)のが、好ましい行為を増やす(好ましくない行為を減らす)ことになるのかが学習心理学では、もっぱらの関心であった。
しかし、人間社会では、これに加えて、賞罰の行為には、ほめる(叱る)人とほめられる(叱られる)人とのポジティブな(ネガティブな)対人関係づくりという面もある。
 「ほめる達人検定」なる大まじめな検定もあるくらい、ほめるのは、それほど簡単ではないのだ。
 一番大事なことは、自分の気持ちがポジティブになることである。その上で、TPOに応じたほめことばが言えなければならない。
 TPOも意外に難しい。タイミングをはずしたほめる行為は効果を半減する。場所をえらばない無造作なほめる行為は、マイナス効果になることもある。
 さらに、ほめことばも大事である。
語彙を豊富にしたり、ネガティブなことばをポジティブに言い換えたりすることを、意図的に心がける必要がある。
それなりの努力が必要だからこその「ほめる達人検定」である。
 繰り返すが、これは人のためだけではない。それによって自分もよりポジティブになるためでもある。

●「笑う」の心理学
 研究室に「笑い猫」がいる。音とタッチで、見事に笑いころげる。これが笑いを誘い、気持ちが元気になる。
 感情心理学では、笑うから気持ちが元気になるのか(末梢起源説)と、気持ちが元気だから笑うのか(中枢起源説)が長い間対立してきた。
最近は、末梢起源説のほうが有利だと思う。まさに、「ともかく笑え、さすれば、気持ちも元気になる」というわけである。
 さらに、一般に感情には伝染効果がある。あなたの笑顔は周りの笑顔を誘発する。ことばは不要である。
 仏教用語に「顔施」というのがあるそうだ。まさに、笑顔で相手の気持ちポジティブにする施しをすることらしい。
笑顔づくりは、鏡をみて表情筋の動かし方を訓練すれば、誰でもそれなりにできる。写真を撮るときのあの「はい、チーズ」の訓練である。はたからみると、馬鹿馬鹿しいかもしれないが、やってみると、気持ちも変わるのがわかる。(お試しあれ!)

●「感謝する」の心理学
 人間は社会的動物である。それを成り立たせている基本的な行為が、人のために何かをしてあげる行為(利他行為)と、それへのお返し行為(返報行為)である。   
 感謝の表明は、そのお返し行為のもっとも一般的なものである。これによって、自らの気持ちの中に謙虚さと相手への尊敬の念が生まれる。相手への効果もさることながら、この自分の気持ちへのフィードバックが大事なのだ。
「ありがとう」「――に感謝します」のたった2つのセリフで十分なのだが、これも、習慣にしておかないと、意外にすんなりと口をついて出てこない。だからこその1日10回なのである。
 具体的な場面で10回に満たないときは、寝床に入ってからの振り返り感謝でもよい。
 
●「挨拶する」の心理学
 挨拶も社会的動物としての人間には欠かせない。「自分とあなたは同じ社会・組織の一員です、あるいは一員になりましょう」というメッセージを交換しあうのが、挨拶である。
 それをしなければ、赤の他人のまま警戒しあうことになる。ストレスに満ちた対人環境となってしまう。
  「あ」かるく
  「い」つも
  「さ」っと
  「つ」よく
 挨拶することで、お互いをまず認めあい、一緒にやりましょうということになる。
 相手からの挨拶返しのないときのばつの悪さが、挨拶を抑制するが、少し勇気を出して「あいさつ」し続けることである。

●蛇足ながら
 やや精神訓話じみた話になってしまったが、かなりまじめに、あちこちで提案してきた。
 その一つが、高等学校への出前授業である。笑い猫持参での授業は好評であった(と思っている)。反抗期まっさかりの子どもたちこそとの思いからである。
そして、自分でも毎日、実践を心がけてきた。
 結果として、自分の気持ちが、この年になってかなり変わってきたという実感がある。
 気持ちが元気になり、人に寛容になれるのである。
 ぜひ、今日から実践してみてほしい。あるいは、周りに人々にすすめてみてほしい。
 ただ、こうしたポジティブコミュニケーションは、一人でやると浮いてしまう。しかも、過度にやると嘘っぽくなる。舞台で一人芝居をしているような感じになってしまう。ネガティブな現実の中に隠されていることを覆い隠してしまうようなことさえ起こりうるかもしれない。
 そんなことにもちょっぴり配慮しながらの実践のすすめである。

 

登場人物の多さ、筋の複雑さは年寄にはつらい

2014-05-07 | 心の体験的日記

小説では、名前が場所と状況によって
、姓と名で表示されるのも困る
しかし、状況によっては、名のほうが自然な場合もあるから
使い分けることになるのだろう
かといって、()つきでフルネームもねー
せめてやさしい姓名をつかってほしいもの。
外国物のスリラーなどでは、冒頭に登場者リスト一覧がある
そういえば、日本語のものにはあまりみかけない