人は誰しも、心についてそれなりに知ることができます。それを知識として蓄積しています。素朴心理学的知識と呼びます。これは人さまざまです。
一方では、心についての学問的な知識があります。
その一つが科学的知識です。心理学や脳科学をベースにしたものがそれです。
もう一つが、人文学的知識です。哲学や宗教がその例です。
いま、あなた学んでいる心理学は、こうした多彩な知識のなかのごく一部、しかも、あなたの言うように「立証されなければ心にあらず」ではありませんが、立証できる心の領域だけを扱います。えてして心そのものを学ぶよりも、立証の方法のほうの学びに力点が置かれる学びになります。その矮小さに耐えられなくなっているのではないかと推察します。
あなたの感じている「モヤモヤした気分」。実は、大学で心理学を学びたいといって入ってくる学生のほとんどが感じています。それを十分に知りながらも、「心理学は科学です」「科学にはしきたりが大事です」といって、心理学の教員は、「科学としての」心理学への学びへと誘導していくことになります。
こんな回答では、あなたのもやもやの解消にはならないことは重々承知です。今後の学びの方向としては2つ。
1つは、ともかく、心理学の学びをこのまま続けて、一定の資格(卒業など)を得てしまうこと。
もう一つは、思い切って、心理学からいったん離れて、哲学か宗教の分野へ、学びの方向を転換してみること。
両方を平行してということもありますが。
一方では、心についての学問的な知識があります。
その一つが科学的知識です。心理学や脳科学をベースにしたものがそれです。
もう一つが、人文学的知識です。哲学や宗教がその例です。
いま、あなた学んでいる心理学は、こうした多彩な知識のなかのごく一部、しかも、あなたの言うように「立証されなければ心にあらず」ではありませんが、立証できる心の領域だけを扱います。えてして心そのものを学ぶよりも、立証の方法のほうの学びに力点が置かれる学びになります。その矮小さに耐えられなくなっているのではないかと推察します。
あなたの感じている「モヤモヤした気分」。実は、大学で心理学を学びたいといって入ってくる学生のほとんどが感じています。それを十分に知りながらも、「心理学は科学です」「科学にはしきたりが大事です」といって、心理学の教員は、「科学としての」心理学への学びへと誘導していくことになります。
こんな回答では、あなたのもやもやの解消にはならないことは重々承知です。今後の学びの方向としては2つ。
1つは、ともかく、心理学の学びをこのまま続けて、一定の資格(卒業など)を得てしまうこと。
もう一つは、思い切って、心理学からいったん離れて、哲学か宗教の分野へ、学びの方向を転換してみること。
両方を平行してということもありますが。