比較「昔にくらべれば、鈴木君にくらべれば、まだまし」
SMAPの持ち歌に「世界は一つだけの花」という歌があります。
「そうさ 僕らは 世界に一つだけの花
一人一人違う種を持つ
その花を咲かせることだけに
一生懸命になればいい」(槙原敬之作詞、作曲)
この歌詞は、「only one」をめざすことの大切さを訴えるものですが、それは、私たちの比較心性への警告でもあります。
私たちは比較が本当に好きです。無意識のうちに比較をしながら生きています。ちょっと考えただけでも、ついつい比較してしまっている自分に気づかされます。
こうした比較をする、あるいはしてしまうのは、なぜなのでしょうか。
一つは、事をよりよく知ることができるからです。
唐突ですが、学校での一人の子どもの学力をどのように評価するかを引き合いに出してみます。相対評価、絶対評価、個人内評価の3つがあります。
相対評価とは、その人が所属する集団の中で、その人がどれくらいの順位になるかで評価するものです。偏差値がその代表です。集団を比較の基準にするものです。
絶対評価とは、学ぶべき内容がどこまでできているかという(絶対的)規準で評価するものです。日本の教育界では、今は、もっぱらこちらのほうが使われます。内容を比較の基準にするものです。
個人内評価とは、一人の人が過去よりどれくらい進歩したかで評価するものです。時間を比較の基準にするものです。
それぞれ、一人の子どもの学力を知るために、比較の基準を変えたものです。それによって、子ども学力がよりよく見えてきます。
比較の目的のもう一つは、気持ちをコントロールすることができるからです。ここでは、こうした比較心性について考えてみたいと思います。
●「――よりまし」の比較
物事を楽観的に考えるコツの一つが、まずい事が起こったときに、「――より今はまし」と考えることです。やってみます。
・まずい料理ができてしまった。でも、ないよりまし
・病気になった。でも、前の病気よりまし
・給料が少ない。でも、失業するよりまし
・貧乏だが、あの人よりはまし
きりがないのでこのあたりでやめておきますが、あなたも、ぜひ、あれこれ思考実験をしてみてください。
この「―-よりまし」比較が楽観につながるのは、おわかりですね。
今よりもネガティブな状況や劣った(と思う)人を比較の基準に設定して、それを比べれば、今の自分のほうがまだまし、と考えるわけです。
その基準には実にさまざまなものが採用されます。
もっともよく使われる基準は、過去ですね。昔とくらべれば、という比較です。時間比較と呼んでおきます。
67歳の自分の世代。戦後の復興期でした。どんどん物質的に豊かになってきました。多少、不幸なことがあっても、でも前よりはましで、頑張ってこの年までこれました。
それに比して、生まれたときから豊かな生活に慣れてきた今の若い世代は、どうでしょうか。過去と比較すると、どうしても、ネガティブ比較になってしまうことが多いのではないでしょうか。不機嫌世代にも同情したくなります。
ここでは、皮肉なことに、過去に不幸せであるほうが、現在が幸福に思えるということなります。そういえば、「貧乏は、買ってでもせよ」なんて格言がありますね。
比較によく使われる基準のもう一つが、周りとの比較ですね。横並び比較と呼んでおきます。教育評価で言う、相対評価ですね。
これについても、自分の世代は幸福でした。25歳で就職するまで、本当に貧乏でしたが、仲間が総じて貧乏でしたら、あまり気になりませんでした。貧乏も相対的なものなのです。今の若い世代の方々、この点でも結構、つらいところがあるようにも思います。
関連して、「井の中の蛙効果」というのを紹介しておきます(外山美樹による)。
同じ人でも、能力レベルの高い集団にいるより低いレベルの集団にいるほうが、自尊心が高まるという効果です。「鶏口(けいこう)となるも、牛後となるなかれ」ですね。
- 楽観的になるための比較のコツ
- ①基準を多様化しておく
先ほどは、よく使う基準として、過去と周りの2つを取り上げました。
それぞれ、その中身は多彩です。
「過去基準」も、個人的なものも歴史的、社会的なものもあります。
「周り基準」も、仲間も物も国もあります。
今現在は、多かれ少なかれ過去と周りからの影響を受けているからです。
そうした基準を多様化しておくことで、「これがだめなら、これがある式の比較ができます。そして、現在の、一見すると不幸な状況でも楽観的になれます。
ただ、過去基準の場合、「より下」の回想をすることになります。これは、心が痛むネガティブな回想を使うことになりますので、もしかすると、気持ちの葛藤状態に陥ってしまうかもしれませんので、なかなか難しいところがあります。
そこで一つの工夫は、できるだけ、遠い過去、あるいは、気持ちの上でもう整理ができている過去を使うことです。感情成分がそぎ落とされて事実だけになりますので、回想に伴うネガティブな感情に負けないのではないかと思います。
②比較の基準として、人生観、あるいは使命感を使う
あるいは、目標基準、教育評価でいうなら、絶対評価といっても良いかと思いますが、これと、今現在の状況とを比較してみるのです。いわば、未来の達成べき内容を比較の基準にするのです。
大きくは人生観、こうありたい自分と現在の自分とを比較する、あるいは、自分はこういうことで社会に役立ちたいとする自分と現在の自分とを比較するのです。
ちょっとやそっとの失敗、成功でぐらぐらせずに、どっしりと構えて、気持ちを前向きにできるはずです。真正な心の元気は、こういうところから出てくるのではないでしょうか。
●比較心性は、しかし、諸刃の剣
たぶん、もうお気づきかと思いますが、気持ちを楽観的にするのも比較心性ですが、その逆、つまり、比較したために気持ちが悲観的になることもあります。
どっちに転ぶかは、その人の性格と思考習慣に依存します。
しかし、比較心性を心元気にするためにどう使うかを知っていれば、たとえ、悲観的な状況の陥ってしまったときにでも、一時的かもしれませんが、そこから抜け出るきっかけをつかむことができます。
ただ、過去と周りとの比較ばかりの人生もつまりません。あれこれ右往左往することになります。比較心性からは逃れられないとしても、どうせなら、未来の基準との比較、それはとりもなおさず自分の生き様にもかかわってくる真正の比較になりますが、そのほうで堂々と生きていきたいものですね。
やや文脈はことなりますが、すてきな言葉を3つ引用させていただき、話を閉じたいと思います。
「「優劣のかなた」はちょっとしゃれた言葉で、恥ずかしいような気持 もしますけど、私、とにかく優劣をなくすんじゃなくて、向こうの優劣の届かな いその先の世界へいくのでなければ、評価と言えないんだ、というふうに思って います。」(大村はま)
「あなたの劣った特性は、周りを元気づけるものになっているのです。背の低さは、あなたの隣にいる背の高い人に優越感をもたらしています。」(曽野綾子)
曽野氏のこの言説は、正直、びっくり仰天、青天の霹靂でした。すごいですね。
ポジティブ心理術トレーニング@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@
「あなたは幸福ですか」という問に答えてみてください。そして、その判断の根拠をあげてみてください。それは、本文に述べた比較のどれに相当しますか。