心の風景 認知的体験

癌闘病記
認知的体験
わかりやすい表現
ヒューマンエラー、安全
ポジティブマインド
大学教育
老人心理

【( )部分の言い方は適切?】

2020-06-23 | 認知心理学
【( )部分の言い方は適切?】遠足が楽しみで(寝れなかった)ことがある。[3級]
  1. (適切)
  2. 寝らなかった
  3. 寝られなかった
正解
C.寝られなかった

解説
可能表現の形に関する問題。下一段活用動詞「寝る」の可能の形は、未然形「寝(ね)」に助動詞「られる」を付けた、「寝られる」である。よって、C「寝られなかった」が適切な言い方。問題文の「寝れなかった」は、「られる」の代わりに「れる」を付けた、いわゆる「ら抜き言葉」である。近年、口語では広くこの形式が用いられているが、一般にはまだ規範的な言い方とは認められていないので、改まった場面や書き言葉で用いるのは望ましくない。
(問題、解答、解説は特定非営利活動法人 日本語検定委員会提供)




寒い、寒いもあり、なんとなく不調

2020-06-22 | 癌闘病記
衣替えが終わったあとのこの寒さは、つらい。
明日からはまた暑くなりそうなので、我慢だなー

新抗がん剤5日連続服用一回目が今朝終わった。
おおむねもとの体調に戻ったものの、
食欲はまだまだ、でも毎食たべられるまでに回復、
でも元気なし
倦怠感強し
状態からは脱却できない。
服薬2日停止期間があるので、状況改善を期待しているところ。



6章 本を作るーー情報編集」認知と学習の心理学

2020-06-22 | 認知心理学
05/11/1海保博之
6章 本を作るーー情報編集  

  • 43冊の本を作ってきた
●本作りの内容
●本ができるまで

6.2 本作りは楽しい
●論文を書くのとの違い
●表現上の工夫をするのが一番楽しい
●あれこれ構想をめぐらすのも楽しい

6.3 本作りも苦労はある
●原稿が集まらない
●バグが消えない

6.4本が読まれない
●本が読まれない
●知識の体系度が低下する
●頭が馬鹿になる


6章 本を作るーー情報編集力

6.1 43冊の本を作ってきた

●本作りの内容
硬軟、大小とりまぜてこれまで自分の名前が表紙に入った本を39冊作ってきた。とはいってもそのすべてが自分一人で書いたものばかりではない。単著本は16冊である。あとは、二人、三人との共著本6冊、編集本、つまり、自分がプロットと執筆者とを決めて書いてもらう本が14冊、共翻訳三冊という内訳である。別格(はじめての仕事)で、現在、心理学講座全19巻の監修と、さらに、心理学総合辞典の編集もしている。
目的から分類すると、啓蒙書が17册、専門書が16册(うち翻訳書3册)、教科書が10册、である。
本の形態から分類すると、文庫本が2冊、新書本が5冊、その他が36册である。

コラム「自著のリスト」*******
筆者の知的なバックグランドを知ってもらえるということもあるので、やや気恥ずかしいところもあるが、自著のリストを公開しておく。*は絶版である。

単著本(*は絶版)
●ミスに強くなるーー安全のためのミスの心理学(中災防新書)
●ミスをきっぱりなくす本(成美堂文庫)
●集中力を高めるトレーニング(あさ出版)
●学習力トレーニング(岩波ジュニア新書 
●心理学ってどんなもの (岩波ジュニア新書  
●くたばれ、マニュアル 書き手の錯覚、読み手の癇癪(新曜社)
●一目でわかる表現の心理技法—文書・図表・イラスト(共立出版)
●自己表現力をつける(日本経済新聞社)*
 ●説明を授業に生かす先生(図書文化社)
●失敗をまーいいかとする心の訓練(小学館文庫)
●連想活用術—心の癒しから創造支援まで(中公新書 )*
.●パワーアップ集中術(日本実業出版社)*
 ● 読ませる・見せる表現のコツ—わかりやすい文章・図表の書き方からイラスト・地図の描き方まで(日本実業出版社)
●こうすればわかりやすい表現になる—認知表現学への招待(福村出版)*
●「誤り」の心理を読む(講談社現代新書)*
●東スポの技法(ワニ出版)

共著本
●「発想支援の心理学」(松尾と共著) 培風館 
●ワードマップ ヒューマンエラー(田辺と共著)  新曜社
●人を動かす文章づくり—心理学からのアプローチ(山本と共著)(福村出版)
●Q&A 心理データ解析(服部と共著)(福村出版)
●人に優しいコンピュータ画面設計—ユーザ・インタフェース設計への認知心理学的アプローチ(加藤と共著)日経BP社
●1認知的インタフェース—コンピュータとの知的つきあい方ワードマップ(黒須、原田と共著)(新曜社)
****************************

●本ができるまで
  印刷技術や工程の話しではなく、出版社の企画会議のオーケーが出てから原稿を手渡すまでのプロセスについては、本書のケースでは、おおよそ次のようになる。
  • 執筆の依頼
本書はシリーズ企画なので、企画委員会が出来ている。そこからの依頼があっての執筆である。なお、すべての本が依頼執筆というわけではない。みずからが企画を立てて、出版社の編集者に売り込むこともある。筆者の場合はそのほうがずっと多い。言うまでもなく、持ち込み企画は、門前払いということもあるし、企画の修正もある。ちなみに、一般読者を対象とした新書などでは企画の段階ではねられることが多い。
なお、依頼された場合は、自分に書ける内容のものかどうか、執筆期間が大丈夫かが引き受けるかどうかのポイントになる。本書では、内容も執筆期間(足かけ2年)も問題ないので、タイトルの変更をお願いして引き受けることになった。
  • 構想を練る
おおまかな章立てを作るところが最初の難関である。本書の場合は、章間が独立しているので、それほど苦労しなかったが、多くの場合は、章間のつながりが一つのストリーになるようにするにはどうするかで苦労する。
3)執筆する
章構成が決まると、執筆しながらさらに細部にわたって構想を練り上げていくのが最近の自分のやり方である。ワープロが使えるようになってからは、ともかく、思い付いたことをどんどん打ち込んでいく。そうすると、次第に自分の考えもはっきりしてくる。書いては考え、考えては書くを繰り返すのである。
この段階で、章構成の変更もあるが、むしろ、節レベルへの細分化がおこなわれる。
昔は、こんなわけにはいかなかった。構想をきっちとさせてから、いざ正座でもして書き出すような感じだった。あげくに何枚も原稿用紙を無駄にしてなんとか完成にこぎつけるのが常であった。
  • 編集する
 出版社の編集者の側の仕事である。印刷に入る前に、編集者が入念なチェックをする。誤字脱字はもとより、文章表現のまずさ、さらに優秀な編集者になると内容の実質チェックまでしてくる。一度だけだけだが、あまりのチェックの凄さにおののいて、400枚の原稿を取り下げてしまったことがある。(別の出版社の編集にお願いして出版してもらい、今でも版を重ねている。)
  • 印刷校正をする
この段階が一番本作りでは楽しい。ここでも編集者や校正者とのやり取りはあるが、編集段階とは違って、穏やかなものである。
一番気を使うのは、ここでも誤字脱字である。ワープロ原稿なのでそのまま印刷に流れているはずなのだが、それでもかなりのミスが見つかるの常である。きちんと本の形にしてみると見えてくるミスもある。
余談だが、「ヒューマンエラー」の本で、どういうわけか、刊行後にミス発見が続出となってしまったことがある。なんと絵が1枚欠けてしまうお粗末まで。幸い、再版になったのでそこで訂正させてもらったが、「ミスの本でミス続出ではしゃれにもならないですね」とあちこちで言われ頭をかかえてしまった。

6.2 本作りは楽しい

  • 論文を書くのとの違い
20代後半から40代前半くらいまでは、もっぱら研究論文を書いていた。実験、調査をしてはそれを論文にするのである。「はじめに」「方法」「結果」「考察」「まとめ」の順に書くことが決まっているので、それにあわせて内容を書き込んでいくことになる。
話しの筋立てが決まっているし、表現のしきたり(リテラシー)もあるので、それに従えばよい点は楽であるが、問題は、仮説と実験、調査で得られたデータの質である。ここがつぼにはまっていれば多少は表現上のまずさは問題ではない。ましてや、読み手にとってわかりやすくするとか、読みやすいようにするとかいったことは、二の次である。
なぜなら、論文の読み手は、ごく限定された専門家である。日本で発刊される心理学の論文で、1編の論文が10人以上の専門家によって読まれるようなような論文はごくまれではないかと思っている。専門論文は、人数という点でも、また、多少の読みにくさやわかりにくさは自らで補ってくれるという点でも、読み手のことを想定しないで表現して良い文書の典型なのである。
  その点では、表現上の苦労はそれほどない。だから、学者の文章が外に出るとわかりにくいと思われてしまうのである。
しかし、本となると、たとえ専門書であっても、論文のような表現でというわけにはいかない。
専門書では、最低でも1000册程度の部数を発行する。新書や文庫になると万単位になる。当然、専門を同じくするような人々だけが読者ということにはならない。関連する知識が乏しい読者もいる。
想定読者を常に意識した表現を心がけなければならない。これが本の執筆と論文の執筆との際立った違いである。
ところが、編集本で何人かの方々に執筆を依頼すると、中には、論文まがいの原稿を送ってよこすことがある。相当しっかりした執筆指針や想定読者を執筆趣旨に書いて依頼しても、こういうことが起こってしまう。かくして、編集者泣かせ、読者泣かせの本ができてしまうことになる。

  • 表現上の工夫をするのが一番楽しい
教科書となると話がまた違ってくる。
教科書は書くべき内容がだいたい決まっているので、あとは、表現上の工夫だけである。最近の大学の教科書は、競うかのごとく、読ませる工夫、考えさせる工夫が凝らされているものが多くなった。他本との差別化をはかろうということであろう。それはそれで面白いし、大事なことではないかと思う。
こうした表現上の工夫の基本的な観点をここで挙げておく。
一つは、理解支援である。わかってもらうための工夫である。
難しい用語が出てきたら、解説したり、時には用語解説を巻末に設けることもある。事例を入れて理解を補強したりする。
2つは、動機づけ支援である。読もうという気持ちにさせる工夫である。情報満載感を与えない、イラストで親しみを出すなど。
3つは、参照支援である。事項や人名の内容を知りたい、全体がどんな構成になっているかを知りたい時に、そこへガイドする。もっぱら、目次、索引に趣向が凝らされることになる。
4つは、記憶・学習支援である。覚えることを助ける工夫である。演習問題を入れたり、大事なところを強調したりなど。
 繰り返すが、こうしたことにまったく頓着しないでよいのが、論文である。したがって、論文しか書いたことのなり人が本を書くと、えてして読者泣かせになってしまう。
そんなわけであるから、日本4大悪ドキュメント(文書)の一つに専門論文が挙げられてしまってもいたしかたないところがある。なお、あとの3つは、裁判の判決文、マニュアル(取扱説明書)、官庁文書である。


  • あれこれ構想をめぐらすのも楽しい
  単著本でも編集本でも、当然、どんな内容、構成にするかを考えることになる。すらすらといく場合もあれば、四苦八苦、生みの苦しみを味わうこともある。
いずれの場合も一番参考になるのは、過去に出版された類書である。教科書の場合はよほどのことがない限り、内容は類書とほぼ同じ、あとは前述したような表現上の工夫が勝負所となる。
新書や文庫本では、表現上の工夫はむろんのこと、専門外の読者を想定した内容をいかに構成するかに腐心することになる。
こんな時に強力な助けとなるのが、ワープロ(パソコン)である。
昔は、KJカードを使っていたが、今ではもっぱらワープロである。思い付いたことを、どんどん打ち込んでいく。キーワードが多いが、文章の場合もある。

コラム「KJカード」****************
今では、付せん紙が普及したので、KJカードを見かけることはなくなった。**年代、川喜田二郎?氏によって開発されたKJ法は、発想管理の技術として一世を風靡した。筆者の研究室には、その残骸がまだ引き出しのあちこちある。
KJ法は、構想を外化し、それを動かしながらさらに構想を洗練していく技術である。その最終的な形を例示しておくが、ここに至るまでの過程では、幾多の苦労がある。
なお、現在では、KJカードより、手軽で安価なpost-it(商標)のほうがよく使われるようになっている。

KJ法の例

*********

打ち込んだ用語や文章を見ると、また触発されて新たなアイディアが出てくる。同時に、章の構成もあれこれと考える。これをものによっては、1か月、2か月くらい繰り返すこともある。この期間の間に一週間くらいは集中的にやる。そして、ほっておく。
ほっておく間(孵卵期)が大事である。この時期には、無意識的な情報処理がなされていて、夜中や散歩中に新しいアイディアが出てきたり、雑誌やTVを見ている時に、新しい構想が閃いたりする。
最終的には、章構成を決めて、そこで書くことをざっとメモしたり、すでに打ち込んであるものを章ごとに分類して、構想は形のあるものになる。
しかし、これは筆者の場合に限るかもしれないが、いざ書き出してみると、また構想が変わることもある。というより、ともかく書いてみるのである。書くことによって思考が深まるので、また新たな構想が展開するのであるというようなこともある。
編集本の場合は、こういうわけにはいかないが、何冊かは、あとからしまった、これを入れておくべきだったとなったことがある。

コラム「本書の最初の章構成」********
本書は3度構想を練り直している。以下に示すのは、2度目のものである。本書の構成に活かされているところが随所にあるのがおわかりいただけると思う。。
目次 
1章 生活と社会の中の認知と学習
1ー1 家庭でーー習慣を作る
1ー2 学校でーー知力をつける
1ー3 会社でーー熟達する
1ー4 生涯でーー知性の劣化耐性をつける

2章 認知と学習の心理学
2ー1 認知と学習の心理学ってどんなもの
2ー2 認知と学習の心理学の実際
2ー3 他の心理学の領域との関係

3章 認知力をつける
3ー1 認知資源を蓄積する
3ー2 認知資源を節約する
3ー3 認知資源を活用する

4章 学習力をつける
4ー1 知識を高度化する
4ー2 動機づけを高める
4ー3 有効な習慣をつける
4ー4 熟達する

5章 認知と学習の心理学を世の中に役立てる
5ー1 わかりやすい文書を作る
5ー2 コンピュータとの交流を支援する
5ー3 エラー、事故を防ぐ
5ー4 学習する場と時期を設計する
*****************************

6.3 本作りも苦労はある

  • 原稿が集まらない
 本作りも楽しいばかりではない。とりわけ、編集本では、執筆者への依頼から、執筆主旨の理解、さらに、原稿集めまで、要所要所での気の抜けない仕事がある。
一番の難物は、締め切りまでに原稿を集めることである。
要するに、締め切り意識の欠如した執筆者の方々が多いのである。心理学研究者に特に多いらしい。社会に出て仕事をしている方々には、仕事をする上で納期は厳守である。ところが、大学で研究している我々には、自分も含めて納期意識を持って仕事(研究)をすることはあまりない。奇妙なことに、学生に対しては、レポート、卒業論文の締め切りはかなり厳格なのだが。
したがって、「いつまでにお願いします」とくどいくらいに言っても、まさに馬耳東風。締め切りまでに原稿がきっちりと届くのは3割くらい。あとは、催促に催促を重ねてやっと半年くらい遅れて、というようなことになる。最後の一人がいつ提出してくれるかで、以後の作業スケジュールが決まるのだから、最後の一人にはなるまい、との気構えで仕事をしてくれるば助かるのだが、最後の一人になっても悠然としている大物?もいる。
しかも、面倒なことに、締め切りを守るか守らないかは、原稿の質にあまり関係していない。図に示すように、締め切りを守る人(タイムリミット感覚のある人)と、仕事の完成度に腐心する人(ワークリミット感覚のある人)とがいる。それを組み合わせると、4つのタイプが出てくる。いずれのタイプが困ったちゃんかは自明であろう。
 


       完成度が高い
    職人的仕事   完璧主義的仕事

  守らないーーーーーーーーーー守る

    稚拙仕事    やっつけ仕事
       完成度が低い

図 ワークリミットvsタイムリミットを組み合わせると

  これ以上、この項を書き込むと、以後、編集本に協力してくれる人がいなくなってしまうといけないので、止めておく。

  • バグが消えない
 出版社側のスケジュールが立て込んでいなければ、原稿をデジタルデータで渡すと、最近では、1月もしないで第一校が送られていくる。そこから、また別の苦闘がはじまる。原稿の校正である。
単なる字句の校正なら簡単なことと思われるかもしれないが、これが意外と最後の最後まで残ってしまうことがある。執筆者も含めて3人くらいが慎重なチェックをしても誤字脱字が1個か2個残ってしまう。
全体が整ってくると、意味読みがどうしても優先してしまい、一字一句チェックがおろそかになる。そこで、自分では、2つの工夫をしている。一つは、最後のページから逆に見ていく方式、もう一つは、見開き2ページのマクロチェック、つまり全体をざっとながめることによるチェックである。いずれも、意味読みを防ぐための校正である。
一字一句チェックで泣かされるのは、日本語の2つの特性、一つは同音類義語の多さーー同音異義語も多いーー、もう一つは類似形対の多さである。

コラム「同音類義語」******
 次の文中にあるカタカナ語を漢字に直せ。昔、ワープロの変換精度をチェックするのに巷で使われていた。
「すばらしいキコウ記事を書くことで知られているキシャのキシャは、港にキコウして雑誌にキコウにする行政キコウについての原稿を郵便で送り、キシャせずにキシャでキコウのよい土地に住むキコウを訪ねるために出かけた。」

******************************

もちろん、こうした一字一句チェックのほかに、もっと本質的なチェックとして、内容、構成チェックもある。
第1校あたりでは、追加削除、構成の大幅な変更は可能である。最近はワープロで執筆しているので、かなり出来上がりイメージに近い形で原稿を渡せるのであるが、それでも本の完成イメージで校正原稿が出てくると、直したくなるところが出てきてしまう。
それは、執筆して終わった段階では、自己陶酔に陥ってしまい、チェック機構がうまく働かないためである。頭がホットになっていて、書いたものすべてがすばらしく思えてしまうのである。それが、1、2か月して読まされると、あらが見えてくる。冷静になれるからである。
ここで対応は二手に別れる。自分の場合のように、編集者の作業量が増えるのは気の毒という気持ちから、「まーいいか」精神を発揮して最小限の訂正にとどめる人と、徹底的に納得できるまで訂正を加える完璧主義者とである。だいたい、後者は、締め切りも守らない人であるが、しかし、皮肉ではなく、ワークリミットぎりぎりでの仕事の迫力ぶりは尊敬に値するところはある。

コラム「手書き原稿の校正のものすごさ」******
公開されている作家の生原稿を見る機会がある。その校正の凄まじさに圧倒される。
これは、司馬遼太郎氏の生原稿である。ワープロを使っての執筆とはまったく違った世界があるようだ。

サンプル  なし
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  • 本が読まれない
本を作る話から一転して読書の話になる。
折しも、「文字・活字文化振興法案」が05年7月20日に国会で成立した。読書週間の初日10月27日を「文字・活字文化の日」と定め、「言語力」を育むための各種施策を実施していこうとするものである。こんな法律を成立させなくてはならないほど、日本の言語環境は貧弱化してしまっているらしい。

コラム「文字・活字文化振興法案の条文を読む」********
 パラドックスなのだが、法律文章は、文章としては最も質が悪いことで定評がある。良い機会なので、ここで、法案の条文の一部(目的)を紹介しておく。

(目的)
第一条 この法律は、文字・活字文化が、人類が長い歴史の中で蓄積してきた知識及び知恵の継承及び向上、豊かな人間性の涵養並びに健全な民主主義の発達に欠くことのできないものであることにかんがみ、文字・活字文化の振興に関する基本理念を定め、並びに国及び地方公共団体の責務を明らかにするとともに、文字・活字文化の振興に関する必要な事項を定めることにより、我が国における文字・活字文化の振興に関する施策の総合的な推進を図り、もって知的で心豊かな国民生活及び活力ある社会の実現に寄与することを目的とする。




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以下、インターネットから統計数値を拾いながら少しこのあたりの事情を調べてみることにする。こんな時のインターネットは強力な道具である。
さて、不思議なことに、本や雑誌の出版の勢いは相変わらずなのである。一日150册もの新刊が発刊され、出版社の数もここ10年ほぼ4千社で横ばい、という具合である。新聞には本や雑誌の広告がない日はない。
ところが、本が読まれなくなったのである。年々、出版総額は下がり続けている。全国の本屋の数も減り続けて9千軒くらいにまで落ち込んでいる。
また、1か月で一冊も本を読まない子供が、小学校で7%、中学校で19%、高校生で43%(全国学校図書館協議会、04年度調べ)、読売新聞調査でも、50%となり、10年前より10%増となっている。
また、00年と03年に行われたOECDの大規模な学力調査によると、日本の高校生1年生の文章読解力が8位から14位に低下しているという結果も出て、教育関係者を不安がらせている。
情報化社会のまっただ中での活字文化のこうした貧弱化は、言語環境をいびつなものにしてしまう。とりわけ本を読まないとどういうことになるかをあらためて確認しておく必要がある。

●知識の体系度が低下する
まず第一に挙げておきたいのは、知識形成への影響である。
情報化社会である。本を読まなくとも、「知識らしき」ものは簡単に得られる。とりわけ、さきほ示したデータのように、インターネットに蓄積されている情報は、「苦労なく」得ることができる。
また、「さまざまなメディアを通して」世の中のこと(情報)をいながらにして手に入れることもできる。
本が知識獲得の特権的かつ効果的な手段である時代が終わったことは確かである。だから本が読まれなくなったのである。
しかし、これで良いのか。
  まず問題にしたいのは、「知識らしきもの」である。
本に書かれている知識が唯一知識に値するというつもりはまったくない。みずから心とからだを動かして獲得するエピソード知識や手続き的知識も立派な知識である。さまざまな知識がバランスよく頭の中に格納されているのが望ましい。

コラム「4つの知」**********

頭能知 身体知 感情知 世間知
すみ
************************

インターネットで得られる「知識らしきもの」も、その意味では貴重である。しかも、最近では、インターネット経由での出版物(電子本)も出てきたので、話しがややこしくなるが、今は、これは考慮の外におくことにする。
インターネット上の情報を、あえて「知識らしきもの」としたのは、知識にとって必要な体系性が、本——ここでは、教科書あたりをイメージしているー−—とは比較にならないくらい低いことがある。Bookは、 Basic  Organization   Of  Knowledge(A.ケイ)なのである。
  それは端的には、長さに現れている。インタネットで一冊の本の長さに匹敵するものが公開されているものをみたことはない。インターネット上では、知識の断片しか公開されていない。
それらを自分にとって意味のある体系だった知識にするには、どうしてもあらかじめ体系だった知識を本から仕込んでおく必要がある。体系だった知識があってはじめて価値が出てくるのが、インターネット上の情報なのである。
とりわけ、高校生くらいまでは、本を通しての体系的な知識の取得が必須である。それなくしては、より高度に体系化された知識の形成は無理というものである。
  次は、「さまざまなメディアを通して」である。これは読書にとって大敵である。
  情報化社会は、ビジュアル化優位の社会である。テレビ、DV、さらにインタネットによる動画配信など、目で見て楽しんだり、直感的に理解したりする情報が家庭に押しているのが現状である。
 
コラム「若者は映像志向」**************
  やや古いデータであるが、1986年——日本での情報化社会への入り口あたりの時期になる−—新入社員1400名に「あなたは、文字志向ですか、映像志向ですか」「理論的ですか、感性的ですか」と問うたら、次のようになった。(旧・太陽銀行調べ)
    文字志向  映像志向     理論的  感性的
男性  20。9% 79。1%   20。9% 70。1%
女性  31。7% 68。3%   18。9% 81。1%
***************************

机に座って頭を使っての知識獲得よりはるかに楽である。最後に問題にしたいのは、「苦労しなくとも情報が手に入る」ことである。
レポートでも、インターネットから情報を拾ってきてそれを編集することで(カット&ペーストすることで)仕上げるようなことがかなり普及?しているらしい。
  この点は、頭の能力陶冶の観点からもさらに考えてみる必要がある。

●本を読まないと頭が馬鹿になる
  読書することは、本(の著者の知識)と読者(の知識)とが知的に格闘することである。「苦労なくして」勝てるわけがない。
読めない字や意味不明の単語があれば、辞書に頼ってでもなんとか自分でわかろうとがんばる。納得がいかないことが書かれていれば、疑問の声を挙げる。そして、別の本などにあたってみることもある。
 このような本との知的格闘は、頭の中での総合的な情報処理を要求する。
持てる知識のフル動員、さらにイマジネーションや推論の自在な展開、時間を忘れての集中などなど、知的資源を十全に出しきっての情報処理が行われるのが読書である。
これが頭を鍛える。ぼんやりとTVドラマを見ている時の頭の活用と比較してみてほしい。イマジネーションを働かせるまでもないし、使う知識は断片的でよいし、集中しなくともよいし、という具合で頭を鍛える情報環境にはほど遠い。こんなものを相手に一日中時間を潰していたら、頭はどうなるか。押して知るべしであろう。


















嘘がつける自由

2020-06-22 | 教育
「参考」AERA。dotより

『去年の5月〇日の何時何分に広島市内のどこどこにいて克行容疑者にあってないか』と検事に聞かれた。手帳を見たら、確かに克行容疑者と一緒になったことがある日だった。『よくわかりますね』と言うと、検事はアプリの履歴から、2人の位置情報が一致したと説明した。アプリで克行容疑者から『もらっても困らないでしょう』などと言われて、カネを押し付けられた日が特定された。履歴を辿ると一緒にいたのは5分間もなかった。そこまで検察はよう調べとった。びっくりした」
@@@@@@


元法相の逮捕で、わかったこと
1)携帯を分析するとどんぴしゃり、いつどこへ行ったかがわかる
 うーん、すばらしい技術だと思うが。
2)携帯履歴を削除しても、復元できる
 うーん、すばらしい技術だと思うが。

こうした嘘はとんでもない嘘。
でもねー、うそなしの人生なんてありえないのも事実。
嘘をまったく許さない社会なんてのも、ありえないと思うが、お隣の国あたりだとどうかなー

私は、嘘つきではないとは思うが、これまでついた嘘は大小とりまぜれば
どれくらいの数になるだろう。
それによって、救われた対人関係や生活はまた数多いと思う。

嘘も方便。
子どもにはおしえたくないねー
でも結構、子供も早くに嘘の効果を知るようになる。
しかし、いやだからこそ
嘘つきには、はり千本、のまーす」と噓の負の面も教えられる。

噓は、じつに微妙な2裏表の面を持っているのだ。
だからこそ、大事にせねば、人生も社会も窮屈になる。






都知事選の不思議

2020-06-22 | 社会
その1 22人も立候補しているのに、ニュースではいつも5人だけの演説や動向が紹介される5.どういう基準で「5人」が決められたのかなー

その2 供託院300万。当選するつもりもない?候補者に
とっては、はした金なのかなー
立候補者に
「参考」Yafooニュースより
都知事選の場合は300万円。しかも、候補者の得票数が有効投票総数の10分の1に満たないと、このお金は没収されてしまいます。
 前回の都知事選では、有効投票総数が486万9098票だったので、供託金の没収ラインは48万6909票となり、舛添氏(211万2979票)、宇都宮氏(98万2594票)、細川氏(95万6063票)、田母神氏(61万865票)の4人はクリア、家入氏(8万8936票)以下の12人は、供託金が没収されることになります。


換気も、防犯に配慮を

2020-06-21 | 安全、安心、
コロナ不況ためか、思いもよらないような犯罪も多い(ように思う)。
高齢者は、とりわけ要注意である。
最近気が付いたが、夏になり換気のすすめが目立つ。
やってみたが、あちこちの窓を開け放って、結構、防犯に無防備になることに気が付いた。
どろぼうさん、どうぞお入りください」になってしまう。
大邸宅で、頑丈な塀と門で囲まれた邸宅ならいざ知らず、
貧弱な門を開ければ庭直行となるような我が家では、
あっさりと家の中に侵入できてしまう。

最近は、侵入が簡単ではない3重窓を少しずつ開けて換気をしている。



食欲ないから食べないはだめ

2020-06-20 | 癌闘病記
食欲がない。
食事の準備も面倒。だから食べない。
元気がでない。
この悪循環からぬけでるには、
食欲ない>なんでもいいから好きなものを食べる
>元気が出てくる。
のサイクルにしなければいけない。

食事がてきめんに心身の元気に直結することに、この年になってきがついた。

というわけで、やっと元気回復しそうです。

プロスペクト理論(prospect theory)」心理学基本用語

2020-06-20 | 心理学辞典
●プロスペクト理論(prospect theory)
同じ1000円の損でも、1万円もっている人と、10万円持っている人とでは、その損に対する主観的な感覚は違う(感応度低減性)。あるいは、死亡率10%と生存率90%という表現は、数学的には等価であっても、死亡率のほうをより誇大に受け取ってしまう(損失回避性)。また、10人中のトップと、100人中のトップとでは、同じトップでも喜びが違う(参照点依存性)
このように、経済合理性、数学的論理性から考えると「非合理的な」人の判断について理論化してみせたのがプロスペクト理論である。行動経済学が展開されるきっかけを作った理論である。



5章 研究する」認知と学習の心理学より

2020-06-20 | 認知心理学
05/10/31海保

5章 研究する 10p
5.1 こんな研究をしてきた
●基礎研究からスタート
●基礎研究はなぜ大事なのか
●基礎研究から応用研究へ
●応用研究だけはだめ

5.2 知の生産をする力
●発想力
●企画力
●実行力
●解析力
●表現力

5章 研究する

5.1 こんな研究をしてきた

●基礎研究からスタート
今にして思うと、なんであんなつまらない、毒にも薬にもならない研究をしていたのだろうと思う。謙遜ではない。こうした思いは、多かれ少なかれ多くの基礎研究者の述懐にはあるのではないかと思う。
筆者の場合の研究のスタートは、卒業論文である。カタカナ文字の見易さの順位づけをして、その順位を規定する形態的な要因を見つけだそうとした研究をしてみた。指導教官からの天下りテーマであった。「メッシュ化された片仮名文字の見易さの規定要因ーー重回帰分析による検討」として学会の機関誌に掲載された。
その後、文字認識をもっと幅広く、パターン認識の文脈で吟味してみたくなり、「形の知覚に関する多変量解析的アプローチの現況」さらに「無作為図形の分類作業における手がかり利用の方略」といった論文を書いてみたりした。 
そのうち、漢字という日本古来の素材が形音義という複合した情報を一つの文字に内蔵した興味深いパターンであることに気づき、漢字の形音義を日本人や外国人がどのように処理しているかに興味を持った。
そして、「漢字情報処理機制をめぐって 」「教育漢字の概形特徴の心理的分析」「先天盲の漢字存在感覚と漢字検索過程 」「漢字の機能度指数開発の試み」 「日本語の表記行動の認知心理学的分析 」
といった論文を書いてみた。
これ以外にも、学生と一緒にやった概念形成に関する研究もある。
ここまでが、筆者の基礎研究時代の研究内容である。研究生活に入っておよそ20年間がたっていた。

●基礎研究はなぜ大事なのか
いずれの研究も、それでどうなるの、という研究ばかりである。しかし、だからといってそこに費やされたコストもすべて無駄だったのかと、問いつめられれば、即座にいくつかの反論をしたくなる。
まず、個人的なメリットを挙げるなら、基礎研究は、リサーチマインドを体得するのに絶好の場を提供する。ここでリサーチマインドとは、研究者としての心がまえ、さらに言うなら心理学の研究文化である。これは、夾雑物のない純粋な研究環境のもとで興味にあかせて脇目もふらずに、そして周囲、とりわけ指導教官などとの議論などを通して一定期間——大学院5年間くらいが一つのめどーー研究に没頭することで体得できる。時折、大学院の3年編入で他大学からやや異なった研究文化を身につけた学生が入ってくると、あらためて、我が研究室の研究文化の存在に気がつかされる。
さらに、個人的なメリットを挙げるなら、研究者としての力量アップである。研究は、個人でおこなうにしても、一大知的プロジェクトである。そこでは研究のアイディアを生み出すための発想力、それを調査や実験として具体化するための企画力、それを実際におこなう実行力、結果を分析する解析力、そして得られた結果を外に向かってアピールする表現力が求められる。基礎研究は、研究テーマを限定することで、こうした力量を訓練する恰好の場を提供する。これについては、さらに次項で考えてみる。
次に基礎研究の社会的意義を2つほど挙げておく。
一つは、人材養成機能である。どんな人材が養成されるかは、上述の個人的メリットの2つである。心理学の研究文化や心理学的な知的素養が外部でどれくらい役立つかは時代によって変わってくるが、すくなくとも、心理学化している現在の社会(斉藤環氏による)では、至る所で役立っていると思っている。

コラム「心理学化化した日本社会」*****
斉藤環氏の本(「心理学化する社会)PHP)の「はじめに」から、心理学化した日本社会の様相を摘記してみる。
・どの書店でも、心理学書のコーナーが設けられている
・女子高校生がなりたい職業の第二位がカウンセラー
・社会事象の分析に精神分析的手法を持ち込むのが流行
・動機のはっきりしない犯罪についてのコメントを心理学者に求めるようになった
・癒しブームの中核に臨床心理学がある
・トラウマ(精神的外傷)インフレーションが小説、映画、TVで発生
 さらに、これに追加するなら、心理学の制度化がある。あちこちの大学に心理学部ができ、さらに、医療心理士、臨床心理士の国家資格化の動きなどである。
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基礎研究の社会的意義その2は、基礎研究の知見が積み重なると、そこからおのずと出てくる鍵概念や理論が、心理学の場合なら、人間の営みの不思議を説明したり解き明かしたりする機能を果たすことが多い。それは、後述する応用研究が寄ってたつ、いわば知識のインフラになる。

●基礎研究から応用研究へ
およそ20年の基礎研究の期間が突然終わることになったのは、当時、日本IBM(株)の大和研究所の人間工学のセクションでマニュアル(取扱説明書)評価の仕事をしていた加藤隆氏(現在、関西大学総合情報学部長)から、認知心理学の立場から、マニュアルをもっとわかりやすくする方策がないかと相談されたのがきっかけだった。
どんなことをしたかというと、認知心理学の知見をベースにして、「ユーザはマニュアルをこんな風に読んでいる」
マニュアルを読んでいるときにこんなことを頭の中でしている」だから
「こんなふうにマニュアルを書いてくれるとわかりやすくなるはず」
という提言をしてみた。
その時にはじめて、基礎研究も捨てたものではないということに気が付いた。基礎研究をきっちりとやってきてよかったとあらためて思った。
 その成果は、「ユーザ読み手の心をつかむマニュアルの書き方」(共立出版)「一目でわかる表現の心理技法(共立出版)として出版し、今でもまだ版を重ねている。

コラム「マニュアルをわかりやすくするための指針****
 提言の内容をもう少し具体的に言うと、マニュアルのユーザ支援機能を5つ設定して、それぞれについて、たとえば、こんなことを提言してみました。
1)操作支援(操作を指示する表現はどうすべきか)
・1文1動作で
・操作ー結果ー操作のサイクルを示す
2)参照支援(情報を探しやすくする)
・出来上がり索引を使う
・目次はユーザのタスクを考えて作る
3)理解支援(わかりやすくする)
・操作の目標を先に示す
・専門用語の使い方を慎重に
4)動機づけ支援(読んでみたいと思わせる)
・出来上がりを最初に示す
・実益を感じさせる
5)学習・記憶支援(覚えるべきことを覚えやすくする)
・基本操作を習熟させる
・実用的な練習問題を提供する
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●応用研究だけはだめ
 応用研究は、研究の目的がわかりやすいのが特徴の一つである。「マニュアルをわかりやすくする研究」と言えば、誰にもただちに納得してもらえる。なお、これが基礎研究ともなると、テーマはわかってもらえたとしてもその意義まではまず無理である。時には指導教官とも理解してもらえないために衝突することさえある。
応用研究のわかりやすさは、ただちに、その結果の有用性を問われるところにある。ところが、心理学の応用研究一つでわかること、そしてその結果の有用性の程度は、ごくごく限定的である。ここでも基礎研究と同じで、たくさんの研究の積み上げが求められるのである。ところが、ここで基礎研究と違うところが出てくる。
基礎研究は、他の多くは膨大な研究群の詳細な吟味から次の実験が計画され実施される。ある研究とそれを踏まえた次の研究との間に、論理的にしっかりとしたつながりがある。そのつながりがあるからこそ、理論が出てくるのである。
ところが、応用研究は、その時その場で解決を迫られていることがテーマとして取り上げられる。研究間の論理的な関係はあまり問わない。単純化して言うなら、計算のできない子供をできるようにするのはどうするかの方策を探すのが応用研究、なぜ計算ができないのかにまで立ち返って研究するのが基礎研究なのである。
この違いは大きい。だから、基礎研究は必要なのだ。だから、基礎研究でのトレーニングが大切なのだ。

5.2 知の生産をする力

●発想力
研究は仮に一人でやるとしても、一大知的プロジェクトである。そこではどんな能力が必要なのであろうか。研究の構想から研究の終了までの段階で必要とされる5つの能力を考えてみることにする。
まず、発想力から。
発想力がまず試されるのは、卒業論文の時である。それまでの受け身的な学習から一転して、積極的な学習への転換が求められのが、卒業論文である。
研究室文化の違いによって、テーマの選択から研究の実施まで、学生の自由にさせてくれるところと、かなり制約がかかるところとがある。心理学の多くの研究室はだいたい学生の自主性を尊重するところが多い。
ところが、この自主性がしばしば物議をかもす。一つは、学生の自主性にまかせると、ぎりぎりまですべてにわたって「自主的に」やろうとするため、12月の締切までの研究の時間管理がうまくいかなかったり、指導忌避のためとんでもない研究をしてしまったり、実験や調査で思わぬ迷惑を他人にかけてしまったりといったことが発生しがちである。これは時には指導教官の指導不足、ほったらかしとして非難されることにもなる。
もう一つの物議は、テーマ選択にかかわるものである。
心理学のような学問では、自然科学のような学問とは違って、自分の個人的な心的体験が研究テーマになることが実に多い。とりわけ、はじめて研究(のまねごとを)する卒論のようなケースで、自主的にやらせると、自分の心的体験を持ち出せてきてテーマにしたいということになる。たとえば、
・無意識の世界はどうなっているか
・錯視はどうして起こるのか
・夢をみるのはなぜか
・人の性格は変えられないか
いずれも心についての問題意識としてはあって当然のテーマである。しかし、それが卒論のテーマにふさわしいかとなると、首をかしげてしまう。
テーマが大きすぎてとても卒論では無理なもの、今の心理学の知見、常識からして答えられないものが多いのである。
そこでよくやる指導は、学生の問題意識、知的好奇心を大切にしながら、現実的な研究テーマに落とし込むために、関連する研究雑誌から自分の考えているテーマに最も近いものを見つけさせる作業である。これによって、一気に学生は研究の現実の厳しさを知ることになる。
卒論におけるテーマ設定の話になってしまったが、研究する際の構想力の話に入る。
構想力の核には、知的好奇心が必要である。卒論の場合は、これが個人的な心的体験から発するものが多いが、心理学の研究者ともなると、仮にそこから発したとしても、それを学問的な探求に値するものにまで昇華しなければならない。それが研究者の構想力というものである。知的好奇心から沸き上がったきたテーマが過去の心理学の研究成果の中で練り上げられて仮説のレベルにまで精選されなければならないのである。そのためには、寝ても覚めても頭がそのテーマで占められている長くつらい状態を経験することになる。
この段階で、振り落とされてしまうテーマはごまんとある。自分自身で振り落とすものもあるし、仲間との議論の中や指導教官の「つまらないね」の一言で振り落とされるものもある。文献検索ですでにやられていることがわかることもある。研究遂行の上で一番しんどい段階と言ってもよいかもしれない。
この段階でぐずぐずと時間を無駄にしてしまうこともある。ただ、長い目でみれば、この段階でのぐずぐずは、そのプレッシャーに負けない強い知的好奇心があれば、将来、大きく花開くこともある。

●企画力
構想力は頭の中だけで展開されるから、どれほど奇想天外であっても、また壮大であってもいっこうにさしつかえないが、企画となると、とたんに、お金、時間、労力といった現実の壁に直面することになる。企画力は、いわば、自分の思いと現実とをつなぐインタフェースである。
とりわけ研究費については、最近の日本の競争的な研究環境を推進する強い圧力のもとでは、しかるべきところにあらかじめ申請して獲得しなければならないようになってきている。その申請書を作るところで、企画力が試される。
申請書作りは、論文を書くのとは違って、構想のすばらしさ、独創性、意義などを審査者にアピールすることが主眼になる。
 
コラム「科学研究費申請書」******
日本の科学研究者なら誰もが知っていて、一度や2度は


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もっとも、卒論程度の小さい研究なら、だいたい実験・調査計画という定番のスタイルがあるので、それほどは苦労せずとも企画できる。それでも、現実の制約は至る所で出てくる。
最近では、金、時間、労力に加えて、研究倫理の制約が強くなってきている。とりわけ、人を被験者にする心理学の研究では、あまりの制約の厳しさに、やや根をあげているようなところさえある。
たとえば、
 ・事前に、研究目的について充分な説明をして同意をえること
・子供相手の研究では、保護者の同意をあらかじめ得ること
・研究への参加はいつでも取りやめることができることを事前に通知すること
・被験者に不快体験をさせないこと
いずれにしても、こういした現実の壁を一つ一つ乗り越える力が企画力になる。

●実行力
企画力とセットになっているのが、実行力である。企画しながら実行し、実行しながら企画を練り直すのが普通だからである。
大言壮語ばかりで実行が伴わないタイプの人もいるし、逆に、充分に企画案を練り上げる前にあれこれやってみるタイプの人もいる。自分はどちらかというと、後者である。
いずれにしても、およそ、最初の構想とは無縁とも思えるような実に地道で時間のかかるルーティン・ワークが求められるのが、この段階である。
心理学の場合には、とりわけ、実験や調査協力者を探すのが大変である。卒論の最盛期になると、心理学の専攻生は引っ張りだことなる。協力することで、心理学への理解が深まるし、明日は我が身なのだから、と言って協力させてはいるが。
これ以外にも、実験セットの組み立て、調査票の設計という知的な実行力が試される段階もある。

●解析力
調査研究の場合は、収集されたデータからねらい通りの結果が得られているどうかを解析する力仕事がさらに待っている。
最近ではコンピュータのパッケージソフトのおかげで、ルーチンになっている分析は、入力作業さえ終われば瞬時に結果を出してくれるようになり、解析コストは著しく低下した。
しかし、いつもルーチン的な分析ばかりで済むわけではない。データの中から自らの目で発見する力も必要である。コンピュータ解析が普及したため、データをきっちりと見る前に分析してしまうような傾向があって、データから何かを発見する力が格段に低下してしまったように思う。
心理学の研究では、人をみることに加えてデータをみることも大事なのである。

●表現力
研究の成果は、外部に公開することが義務づけられている。最もポピュラーなものが学会発表。これは、学会員ならだいたい誰でもその学会で発表できる。年に一度は開催されるので一番早く公開できる。時には、海外にまで出かけて発表することもある。最近は、科学研究費で海外出張が認められたこともあって、実に多くの日本人研究者が気楽に海外の学会で発表するようになった。

コラム「研究者の表現力、我彼の違い」********
 橋田浩一氏が認知科学会のニューズ・レター(一九八八年、第九号)に、「JAICA八七参加記」と題して、こんな話を載せている。締めくくりの事例として引用させていただく。
 「Johan de Kleer が Computers & Thought Award という賞をもらって、記念講演をやりました。……非常に面白く聞ける話をしておりましたが、後によくよく考えてみると、実は学問的には得る所がなかった、……しかしこれは逆に、いかに彼の presentation が巧妙であったかを示すものであり、彼の業績に対する評価もひとつには(いや一重に)この能力の故である……これに対して日本人の発表はうまいとは言えません。……迫力に欠けると言うか、どうも見劣りがします。……語り口の巧妙さによる説得力は研究そのものの質の重要な部分を占めるわけで、この説得力がその研究に対する共鳴を呼び、そのさらなる進展につながるのです。 
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しかし、研究者としての業績として評価されるためにには、さらに、学会で発行されている学会誌に発表しなければならない。これがなかなかしんどい。仲間による審査(ピア・レビュー)が結構厳しいからである。これが研究者としての評価につながっていく。評価されるのを嫌ってか、論文を投稿しない研究者まがいの大学院生も多いのが気になっている。



 



在宅ワーク

2020-06-19 | 社会
大学教員には、毎日大学にいかなくとも、在宅研究が許されていた。
といっても、何か明文化された契約があるわけではない。
というわけで、ある学長なげく。
「大学の先生を大学で捕まえるのがとてもむずかしい」と。

それはさておき、とりわけ文科系の先生は、
大学に個室研究室があっても、ほとんど物置ということになる。
一方、理系の先生は、朝から晩まで、月曜から日曜まで
実験室(研究室)となる。

それはさておき、最近、テレワークが盛んになりだした。
昨日のニュース特集では、
夫婦ともにテレワーク、しかも、幼児が2人。
およそ仕事環境としては最悪の中で、がんばっている姿が放映された。
通勤時間なしでも、それ以上の雑用、いややらなければならない仕事が一杯でストレスフルになっている家族には、同情を禁じえなかった。

これも新しい日常が構築されるまでの生みの苦しみととらえたい。