小野市天神町に天満宮は位置する。毎年7月24日に祭礼が行われる。昔は屋台が町内を練り歩いていたらしいが、今はお宮に据えているだけだそうだ。
この屋台はそうとう古いらしい。土地の人に話を聞くと、屋根裏に墨書きが残ってるらしいが、年代はわからないとのこと。だが、ここにはかけないが、江戸期までさかのぼる可能性をしめすものは屋台蔵にもあるという。
屋根を見ると布団屋根にもかかわらず、垂木がついており、軒下が若干斜め下を向いており、布団屋根型と建築屋根型太鼓台の特徴を兼ね備えているのが興味深い。
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また、高欄の組み合わせに四角い釘を使っており(後からつけたのか金具には丸釘が使われている)、明治以降に普及した丸釘でないことからも江戸までさかのぼれるかも知れない。
さらに、泥台を見てみると木組みは釘をつかっておらず、指し物細工となっていることが分かる。このような指し物による泥台の組み方が、いつまで続けられていたのかは分からないが、古屋台の製作時期を考えるときのポイントとなるのかもしれない。
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中央の欄干の骨組みには角釘が使われており、江戸期の製作の可能性を示している。両端の金具を留める丸釘は明治以後につけられたものか。 |
水引幕は明治時代3年のものだという。二対の龍虎の幕。この水引幕は、幕をたらす井桁から欄干までの高さに満たない。二対の龍虎の刺繍にはところどころ空間があり、姫路や曽根の水引幕のように、各面の中央をたくし上げて太鼓の打ち手が見えるようにする形式のものだったことが伺える。
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いずれにせよ、形式的には三段布団屋根型担い式太鼓台と言える屋台であり、隣接する三木市に広く分布するものと共通する。だが一方で、たくし上げ式の水引幕や、斜めに下がってきている軒下に垂木の存在など、現在ではなかなか見られないというか、播州でも多分唯一の珍しい形の屋台と言えるだろう。
これだけ珍しい一品、せめて市指定の文化財くらいにはなってほしいものである。
小野市は、播州が日本にほこる名刺繍業者・絹常の初代当主・常蔵が修行した故郷とも言える土地である。しかしながら、現在では古い素晴しい屋台がたくさんのこっているにもかかわらず、屋台が活躍する祭りは衰退の一途を辿っているといわざるを得ない。
市内各所に大々的に貼られた小野祭りのポスターと対照的に、物静かに佇む天神屋台。物言わぬながら、そのひめたる文化的価値に市民が再び目を向けてくれる日を心待ちにしているのだろうか。
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*祭礼の当日のお忙しい最中、丁寧にご説明くださった天神町の方に深くお礼申し上げます。
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2001-2007年頃ジオシティーズウェブページ「祭・太鼓台」『祭と民俗の旅』ID(holmyow,focustovoiceless,uchimashomo1tsuなど)に掲載。
2019年本ブログに移設掲載。写真の移設が自動的にできなかったため、随時掲載予定。
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