月刊「祭御宅(祭オタク)」

一番後を行くマツオタ月刊誌

八坂神社と祇園祭の創始

2019-01-13 16:56:11 | 祭と民俗の旅復刻版祭・太鼓台

 

 

 日本三大祭の中でも最も古い歴史を持つ祇園祭。その始まりについてのお話をします。

 八坂神社は『社家条々記録』によると貞観十八年(876)に創建されたといわれています。一方、祇園祭は、「祇園社本縁禄」によると、貞観十一年(869)に六十六本の鉾を立てたのが始まりであるといわれています。

 八坂神社の創始と、祇園祭の始まりが前後しますが、祇園祭の創始を書いた「祇園社本縁禄」は19世紀以降というかなり新しいものであるので、そのまま信用するのは疑問が残るといえます。

 しかし、『貞心公記』という藤原忠平という人の日記には延喜二十年(920)に咳病よけの、『日本紀略』という歴史書には兵乱鎮めの、祈祷が祇園社(祇園祭が行われる現・八坂神社)でそれぞれ行われたと書かれています。

 こういった災害除けの祈祷が、怨霊鎮めの祇園祭の原型ではないかと考えられます。

 また、こうした祈祷などの儀式が祇園社で行われることが多くなり、やがて、一年に一回の定例の祭となるのが、『社家条々記録』では天延二年(974)、『日本紀略』では天延七年(975)のことであると書かれています。

 特に『社家条々記録』のほうには、御旅所を大政所に定めるとの記事があります。祇園社から蜘蛛の糸が伸びており、それをたどると秦助正の居宅にたどり着きました。その真意を祇園の神に問い合わせたところ、そこを御旅所にしろとのお告げがあったことが大政所御旅所のはじまりであるとの伝説が残っているのです。

 御旅所とは祭の時に、神様を乗せた御神輿がお泊りになるところですが、大政所の御旅所は、四条通から烏丸通の東側を少し下ったところにある小さなお社になっています。

 ところで、祇園会の定例化とほぼ同時期に祇園社は天台別院になっています。天台別院ということは天台宗に属するということになり、その時に定例化した祇園御霊会は、当然天台宗の信仰の影響を受けていると考えられます。

 それを最も端的に表しているのが祇園社の祭神です。祇園社の祭神の牛頭天王(素戔鳴尊)の本地仏(神様の正体である仏様)は薬師如来であると考えられていました。この薬師如来は、天台宗の総本山比叡山延暦寺の根本中堂(最も大事なお堂)の仏様です。

  比叡山延暦寺根本中堂。内部は撮影禁止のため、回廊の外から撮影しました。

 この薬師如来は病気平癒を願う仏様であり、その点も疫病払いの性質を持つ祇園御霊会と共通します。しかも、延暦寺自体が都の鬼門を守るための寺としての役割を持つことからも、その中で一番重要な仏様が疫病払いの祇園社の祭神と共通する部分があったのでしょう。

 こうして、一年一回の定例の祭として、祇園祭は産声を上げたのです。
                                        
                           
参考文献 中井真孝「祇園社の創始と牛頭天王-今堀太逸氏の所論に寄せて-」『鷹陵史学十九号』1994年3月

2001-2007年頃ジオシティーズウェブページ「祭・太鼓台」『祭と民俗の旅』ID(holmyow,focustovoiceless,uchimashomo1tsuなど)に掲載。
2019年本ブログに移設掲載。写真の移設が自動的にできなかったため、随時掲載予定。


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