月刊「祭御宅(祭オタク)」

一番後を行くマツオタ月刊誌

カンニング 泥棒 犯罪

2011-11-21 22:29:13 | 民俗・信仰・文化-時事・コミュニケイション-
 
 当然ですが、カンニングや泥棒には多大なリスクが伴います。確かに良心がとがめたというのも時事ですが、そのリスクを見出すだけの価値をそれらの行動にみなさなかったのが、僕がカンニングと泥棒をしてこなかった最大の理由だと自分では思っています。

 例えば、古代中国の科挙などでは、カンニングが横行していました。それは、何故でしょうか。カンニングのリスクをとるだけの対価=各段的な生活の向上、人としての最低限の生活の保障があったからだといえるでしょう。

 最近とある場所でとある資格試験をうけるさいにカンニングが発覚したそうです。ばれそうになったその受験者は、死に物狂いでその証拠を隠そうとしたそうですが、後の祭り。受験資格は剥奪されたそうです。その受験者を非難することは簡単です。ただ、その受験者は何を背負って試験に臨んだのだろうか?だからといって、カンニングが許されるわけではありませんが、第三者はそのような想像力を働かせることも大事なんではないでしょうか。
 カンニングや泥棒は、ストレス発散以外に、そのリスクをとるだけの対価=各段的な生活の向上・生存の保障等のためになされることがあるのです。

 犯罪をなくそうというような言説が巷にはあふれています。
 ただ、「生きるため」に犯罪のリスクをとるのは、決して異常な人間ではなく、極々まともな人間であるということです。「犯罪をなくそう」という無責任な言葉よりも、「犯罪をしなくても生きていける社会を作ろう」といったような言葉を大切にしたいものです。
2006 09 03 11:02:15
「クラムボン=コロボックルブログ」への記述

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