月刊「祭御宅(祭オタク)」

一番後を行くマツオタ月刊誌

189.丹後の狛猫!?その理由(月刊「祭」2019.9月16号)

2019-09-17 10:26:12 | 民俗・信仰・文化-伝承・信仰-
●丹後の国の狛「猫」
 この写真を見てください。京丹後市金刀比羅神社内のとある摂社の狛「猫」です。親子猫は天保三年(1832)、右の猫は弘化三年(1846)につくられたそうです。なぜこのような狛猫が作られたのでしょうか。






●木島神社と丹後ちりめん
 上の写真の狛猫は、金刀比羅神社の木島神社の前にいます。




 山代国、現在の京都市より文政十三年(1830)に迎えられました。
 その神社は木嶋坐天照御魂神社(このしまにますあまてるみたまじんじゃ アクセス)です。別名は「蚕の社」。渡来民族である秦氏ゆかりの神社で、「はた」をおる神社で養蚕業者や織物業者の信仰をあつめていました。
 そして、金刀比羅神社の氏子域を含む丹後地方は、丹後ちりめんと呼ばれる織物の名産地です。江戸初期ごろよりさかんになったとつたわっています。それに伴い養蚕業が発達したと言います。
 養蚕の神さまは金刀比羅神社以外にも招かれたようです。例えば下の写真のように三十八社神社(読み方は写真の下を)近くにもありました。


↑三十八社神社(はっせんさんじんじゃ・
アクセス)近くの養蚕の神が祀られる祠

↑三十八社神社前の畑。このあたりも元々は桑畑だったと聞きました。

このような養蚕の神社、養蚕の地域に狛猫が寄進されたことになります。なぜ猫を選んだのでしょうか。

●猫を選んだ理由
 養蚕、つまり蚕を飼っている時にその蚕を狙うのが、鼠です。その鼠を捕るのはご存知の通り猫です。養蚕業者はのきなみ猫を飼い始めました。
 養蚕業者にとって、まさしく猫は神の使いとなりました。



京丹後市 金刀比羅神社(アクセス)
4月9・10日  春季大祭
7月9・10日  夏季大祭
10月   10日  例  祭
第2日曜  神輿渡御祭(長浜曳山を思わせる芸屋台、祇園祭の山に通じる松を乗せた引き屋台が出ます。かつては、鉾に通じるものもでていました。)
2019年9月8日は狛猫祭があったそうです。

三十八社神社(アクセス)
祭礼日敬老の日前の日曜日。

参考サイト

謝辞
 このお話は立ち寄った三十八社神社で、聞かせていただいた話をもとに書きました。祭をしていて、その酒宴の場にもご一緒させていただきました。厚く御礼申し上げます。
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188.韓国語強化計画-(月刊「祭」2019.9月15号)

2019-09-16 22:17:00 | 学習-体作り-

●マツオタの避けては通れぬ道
 マツタとして、避けては通れぬ道が隣国の文化です。本来なら英語一辺倒でなくて、いくつかの外国語から選ばせる教育が必要なのですが、隣国への憎悪を煽る政策のもとではなかなか実現は難しいでしょう。
 結果、日本で韓国語や中国語をマスターしている話者の割合は、おそらく日本人で中国語や韓国語ができる人より少ないでしょう。その分、この少なさは日本の祭文化の不理解に直結します。
 文法も似ていて、マスターしやすいと思われる韓国語。しかし、書店で並んでいるのは中級以下のものがほとんどです。
 41歳管理人、ハングル検定準二級所持。11月10日のハングル能力検定二級受験にむけて1日30分を目安に学習してみます。


●韓国語強化計画
①ボイスレコーダーに入力した音声データを倍速で一人の時は聞く。人目につかないところでは口で真似する。


音声元の書籍は下の本です。


②上の本の内容の意味が聞き取れなかったところを本を見て確認する。(時間がないので上級編のみ) 9月22日より

①は可能な時間、
②は1日30分続けます。

●検定当日までの禁止事項
 ブログ執筆、韓国語勉強、古文書勉強以外のユーチューブ鑑賞(ToT)




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186.シンプル+繊細。淡路市平林貴船神社の布団だんじり(月刊「祭」2019.9月13号)

2019-09-15 08:35:01 | 屋台・だんじり・神輿-装飾の工芸、新調、改修、修復-

●淡路市野島平林貴舩神社のだんじり
少し高いところにある神社拝殿と本殿では、 宮座?の神事が行われていました。そして開いていたのは、だんじりの収蔵庫。しっかりと飾り付けがされていました。

 
 
見学したのは、敬老の日の前の土曜日(2019・09・14)です。この日はだんじりの公園内ねり回しが午後3時から、そのあと弓打ち、相撲と続いていました。次の日曜日は、かつてはだんじりを運んで別の神社の集合に参加していたそうですが、ここ何年かは人手不足で行けていないそうです。


淡路市平林貴舩神社(アクセス)
祭礼日 敬老の日の前の土日。

日曜日は野島八幡神社(アクセス)に集合していたそうですが、他の地域のだんじりが集まります(上田氏のご教示)。


●二代目黒田正勝の彫り物

目を引くのは彫り物です。黒檀彫の欄間(狭間)と井筒彫刻は播州でも活躍していた二代目黒田正勝だそうです。


↑だんじりでも活躍した黒田正勝ですが、布団だんじりの彫刻に適応するために、より人物が小さめに彫られています。


↑井筒も富士の巻狩りなど人物の彫刻が入っています。



↑井筒端は植物が複雑に入り組んだもので、向こう側が透けて見える籠彫が徹底されています。硬い黒檀をここまで彫れる技術の高さが伺えます。

 


↑さらに、金具は牡丹のまわりも一つ一つ点がうちこまれています。この打ち込みが光の反射によって微妙な濃淡がでます。

 


↑雀が斗組についています。




↑欄干の下にも、景色の彫り物があります。



●刺繍

↑水引幕は龍のシンプルな作品で、丁寧に作られています。淡路志筑の梶内製の特徴である口の黒い線がありますが、逆に梶内製の特徴である目の金の輪がありません(後に友人から教えてもらった内容によると、梶内製であっても昭和初期ころのものは、目が二重のわになっていなかったとのことで、その写真を見せてもらいました。)。高欄がけはついていません。

 


↑そして、提灯です。題材は日清戦争。清の旗が見えます。
2代目黒田正勝の活躍した時代は、戦勝祝いの雰囲気に国内が満たされていた時代です。人物ものが縫われているのも珍しいですが、日清、日露戦争の題材が残っているのはさらに珍しいものです。管理人のようなマニアが訪れた時も一様に驚くとのことです。


↑浮き物刺繍というよりも山車の刺繍に近いものですが、顔の表情はちょび髭以外は伝統的で整った顔立ちで縫われています。馬のたてがみがリアルに表現されています。地面は違う色の糸が巻きあっており、微妙な色の違いを表現しています。馬の糸が細く首のあたりはたてがみに近いところとそうでないところの色が微妙に違います。違う色のいとをより合わせて一本の糸をつくる「糸より」の技法が使われていると思われます。


シンプルかつ繊細な屋台
屋台の形態としてはオーソドックスで、華やかなものとは言い切れません。しかし、よく見ると細かいところまで細工が凝らしてあることがわかります。
一見シンプルに見えるけど、実はよくできているだんじりは味わい深いものです。

謝辞
関係者の方々が忙しい中にもかかわらず、様々なことを教えてくださりました。この場を借りてお礼申し上げます。

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185.屋台、だんじりの修理.新調の注文留意点(月刊「祭」2019.9月12号)

2019-09-13 04:21:13 | 屋台・だんじり・神輿-装飾の工芸、新調、改修、修復-

屋台・だんじりも使えば傷みます。その際に必要なのが、修理や新調。現在の社会状況などから、どのようにしていけばいいのかを考えてみました。

 
●職人の現状
 かつては、人物の彫刻が石になったりということもありました。しかし、現在では腕の良い業者が増えてきています。
 理由として考えられるのは、①1980年代後半から粕谷氏らの活躍によって、啓発された人たちが屋台・だんじり衣裳についてしらべ、買う側が彫刻、刺繍、金物を見る目が厳しくなったこと ②上の活動を通して屋台、だんじり職人を目指す人が増えことが考えられます。た
 あるいは、③そもそも職人たちの腕が劣化したわけでなく、注文がないからしなかっただけだった?かもしれません。
 20年前は新調したものを見て、「よくない」と感じることが度々ありましたが、昨今は随分と減りました。現場で頑張っていらっしゃる職人さんには、本当に頭が下がる思いです。
 しかし、今の職人さんたちは本当に忙しそうです。新調式典などには絶対に間に合わさなくてはいけません。納期前日まで徹夜で作業したということもよく聞きます。
 作品の中心部はよく彫れているけど、端の部分がほれてなかったり、螺鈿の粒が大きかったり、間に合わせるために仕方がなかったんだろうなと思われる作品も目にしました。
 このような職人さんたちの現状下で、どのように注文すればいいのかを考えて見ました。
 
 
注文で気をつけること
①全体のバランスを考えて作りたい屋台・だんじりをイメージする
パソコンなどで作図してどのようなものを作ってもらうか具体的にイメージしましょう、一つ一つの作品がよくても、一部が大きすぎたりすると、あまりよくは見えません。
 
②①の屋台を作るために、適任の職人を選ぶ
 腕のいい職人さんでも向き不向きがあります。あくまで芸術館所用の職人さんに頼む時などは、注意が必要ですし、おすすめはしません。
 金具でいえば立体感のあるものを作るのが得意なのか、平打ちを仕上げるのが得意かで見極めるといいでしょう。
 
③これからの時代は集中型?
 先述しましたが、職人さんは忙しいです。しかし、管理人もですが、大手屋台の井筒彫刻のように、すみからすみまで彫って欲しくなってしまいます。
 しかし、それをすると職人さんの仕事が激増し、結果納期に間に合わないということが起きると思われます。
 
↑三木市岩壺神社大手屋台の井筒彫刻
 そこで、注文側が、本来なら欄間(狭間)と欄干と井筒をしてもらうための価格を提示しつつ、彫刻は欄間(狭間)のみと決めるなどして、そこは徹底的にこだわってもらうという注文の仕方をするほうがいいのかもしれません。
 
●問題点
①価格の上昇
 上の3のような注文が常態化すると価格は全体的に上昇するかもしれません。そのような中でも注文する側は、情報を共有し、いい作品が作れる業者に仕事を頼めるようにしたいものです。
 
②補助金は適切に
文科省からの補助金がでることもあります。例えば修理の補助金は必ず「修理」することにしたほうがよさそうです。
 
 「修理」ではなく「新調」と見なされ、返金することになった例もあります。管理人はその新調したものと、元のものを画像で見比べたことがあります。管理人は修理の名を借りて同じ題材のものをド派手にして「修理」という名のもとに「新調」したものだと思っていました。
 ですが、見ると画像を見た限りでは、古いものの傷みがなくなった版でした。「修理」でないならば、「新調」というより「復元」でしたが、それでも返金する必要があったとのことです。
 
 また、最近では「有識者」の見解が必要なそうで、管理人も立ち会わせていただくという光栄にあずかったことがあります。といっても、「有識者」でも、播州や各地の屋台やだんじりの本体の研究は「プロの研究者」の間では、ほとんど行われていません。管理人が「有識者」として参加させていただいたのも、もともとは別の方が頼まれたけど、どうにもならないので頼まれてのことです。
 そのような時は本ブログまでご連絡くだされば、無料で時間の限り対応いたします(^_^)
 
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184.奇跡の楠(月刊「祭」2019.9月11号)

2019-09-13 04:13:34 | 屋台・だんじり・神輿-組織、祭全体、社会との関わり-

 昨年は台風で泉州地域にも大きな被害が出ました。そのような中でも奇跡はあったようです。

 
●泉穴師神社(アクセス)
 ここで主に話題にするのは、泉大津市の泉穴師神社です。主な沿革は例によってうぃきべで●あで見てください。
 入り口です。主な祭神は、天忍穗耳尊(あめのおしほみみのみこと)と栲幡千千姫命(たくはたちぢひめのみこと)の夫婦神です。天神が地に降りてきて始めの神で天皇家の直属の祖先ということになります。
 
 



↓拝殿から撮ると、鳥居が二つあります。一つの拝殿に二つの門の神社は阪南市の波太神社にもありました


本殿をとると、これも波太神社と同じように中心部をあけて、その両横に神座へと通じる階段がみえます。この本殿が二つに分かれている形式は泉州によくあるのでしょうか。
 
↓こちらは以前にも掲載した波太神社の本殿です。


 
 
●なぜ楠が、、植えられているのか。
この記事の題名にある通り、この神社では楠の大木が何本かあり市の天然記念物にもなっています。ところで、なぜ大木まで育てる木に楠が選ばれたのでしょうか。
 下の写真は拝殿の中心から撮った写真です。本堂の中心全部に古い灯籠が安置されています。

↑上の灯籠は楠正成が河泉地域で挙兵するときに奉納されたものと伝わっています。   
 本殿中央という最も重要な位置を自身の寄進灯籠が配置される楠正成の苗字の木を大切に育てる文化が醸成されたのか、楠があったから楠公伝説ができたのかは分かりません。しかし、今の楠の重用は楠公伝説と関連していることは言えるでしょう。
 
 
●奇跡の楠
 そのような楠はあるものは樹齢数百年を超えると言います。その楠の一本も台風で倒されてしまいました。地元の方々は、台風の恐ろしさを忘れないための戒めとして自然災害遺産として保存することを決めました。そしてよく見ると、、、








 木は命を繋ぎとめ、再び枝葉をつけていました。自然の恐ろしさと共に、祭と共に生きる方々のたくましさを思い起こさせる遺産になったようです。




 
 
●祭のつながり
SNSなどでは、青年団員たちが近所の家を回って手伝いを申し出ていて頼もしさを感じたこと、自分たちの町を守るための活動をする祭関係者の存在がわかる書き込みが度々ありました。
 また、かの阪神淡路大震災でも、だんじり祭で培われた結束力が、避難所などでの生活や復興への活動でも大きな力を発揮したと言っていました。
 ベタな結論になりますが、祭の結束力の強さをかんじます。
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183.京都以外にも見られた寺社の雨水処理石鉢(月刊「祭」2019.9月10号)

2019-09-12 23:34:07 | 民俗・信仰・文化-伝承・信仰-
屋台、だんじり祭の地域にもあった雨水処理石鉢
 以前紹介した京都の雨水処理石鉢。実は、他の地域にもありました。しかも、このブログの主たる読者層である、屋台、だんじり祭のある地域にです。どの祭の地域にある寺院や神社かで紹介していきます。

●泉大津市泉穴師(いずみあなし)神社(アクセス)氏子域
 だんじり祭は体育の日前日です。

正福寺(アクセス)





 

すぐ近くで池浦だんじりが鳴り物練習をしていました。↓



法蔵寺(アクセス)





↓すぐ近くには板原だんじり小屋がありました。



●淡路市石屋(いわや)神社(アクセス)

 祭礼日  五月と九月の第二土日
           (春秋ともにだんじりが出ます。
            2019年秋は14、15日)

 今まであげた例は神社でしたが、ここは神社に雨水処理石鉢がありました。





●姫路市浜の宮天満(アクセス)宮
 祭礼日 10月8、9日

求鱗寺(天満宮のすぐ隣です)






祭見物の合間に
 祭見物の合間に、雨水処理システムの鑑賞はいかがでしょうか。でも、実際に処理しているところは、祭の日にはみたくないですね^_^;




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182.祭ヘイトな人はどんな人? (月刊「祭」2019.9月9号)

2019-09-11 20:23:00 | 屋台・だんじり・神輿-組織、祭全体、社会との関わり-
今回は文章のみの記事です。

-祭ヘイトな人はどんな人?-

 祭の事故のニュースがあると、湧いて出てくる祭ヘイトな人たち。ヤフコメやツイッターなどで、書くのもおぞましい表現で、祭やそれにたずさわっている人たちを非難しています。
 どのような人たちが祭を非難しているのかを見てみました。
 ここでは、「携わっている人への誹謗、事故が起きたことを喜ぶ内容、祭自体の中止や嫌いなことを口汚く主張する内容」を書いている人は、他のニュースに対してどのようなコメントを書いているのかを調べてみました。
 
ヤフコメ 某事故のコメント(記憶が定かでないですが、おおよそこんなかんじでした)
祭ヘイトな書きこみ約10名
野球などの芸能など4名、5名
• 嫌韓、沖縄の基地反対運動へのヘイト書き込み4名か5名
 
某事件の記事のツイート
 祭ヘイト7名
  そのうち、
・嫌韓書き込み3名
・嫌韓報道記事のリツイートによる掲載1名 ・リベラル書き込み2名
・仮想通貨への勧誘記事
 
ツイッターで祭 事故で検索
 祭ヘイト2名
 ・共に嫌韓
 
 ・祭ヘイトな人の特徴
 意外とリベラルと呼ばれる立場の人の祭ヘイトの書き込みが少なく、ネトウヨ的な書き込みをする人に、祭ヘイトの書き込みが見られました。また、口調の汚さ、過激さは、リベラル書き込みしている人以上に、嫌韓的な書き込みをしている人の方にありました。
 年柄年中ヘイトスピーチに明け暮れているガチガチのネトウヨ、年中政治的な書き込みをしているリベラル派はこの類の事件への関心はあまり見られませんでした。
 そして、「ご冥福をお祈りします」とした上で運行方法の改善案を示す人には、「やや」リベラル的な書き込みを示す人が多く見られました。個人的にはそれは嫌やなという改善案が多かったように思います。
 
予想外の結果
 このような祭の事故に際して、ネトウヨと呼ばれる人は「神をまつるためにやっとるから死んでも本望だ」といった祭に肯定的な過激な書き込みをするものだと思っていました。が、それは見られなかったのも驚きです。
 
まとめ
①祭ヘイトする人は隣国ヘイトもすることが多い
②ガチガチのネトウヨ、ガチガチのリベラル共に祭の事故への書き込みはあまりしない
③ややリベラル派は「ご冥福をお祈り」して、改善案を示すが現実的でなさそう。
 
  
 
 
 
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181.神武行軍伝説に見るアイヌ文化やアイヌ語?(月刊「祭」2019.9月8号)

2019-09-10 14:29:29 | 民俗・信仰・文化-伝承・信仰-

●神武帝の熊野〜橿原への平定行軍伝説(詳しくはウィkペディaへ)

 古事記や日本書記の中で神武帝(神倭伊波礼毘古命)は熊野から橿原へ北上したと言われています。その間に数々の戦を経て、まつろわぬ者を平定します。まつろわぬ者とされた人の中には、先住民族がいたと考えられます。

 神武帝の行軍伝承の故地にアイヌ語やアイヌ文化を思わせるものがありました。


●熊野

 今や世界遺産となっている熊野街道。神武帝一行が熊野に差し掛かった時、大熊が現れ、一行は気を失います。太刀を受け取ることで、熊野の荒ぶる神達は倒され、気を失った一行は目をさまします。

 熊はアイヌ語で「山の神」を意味する「 Kimun Kamui 」となります。アイヌ民族においては熊が最も重要な神の一つと位置づけられており、「Kamui(神)」だけで、熊を意味することもあるそうです。

 その神が荒ぶる神の象徴ということから考えると、アイヌ文化が反映された記紀神話の記述なのかもしれません。さらに妄言を言うと、「kimun」 から 「Kumano熊野」に転化した??と考えるのは行きすぎでしょうか??


●兄宇迦斯(えうかし)弟宇迦斯(おとうかし)

 神武帝の征戦中で宇陀に差し掛かった時、兄宇迦斯(えうかし)弟宇迦斯(おとうかし)が出てきます。兄宇迦斯(えうかし)は神武帝に恭順せず、弟宇迦斯(おとうかし)に自ら仕掛けた罠に入るように詰められ、討ち取られると言う話です。 兄と弟をとった「宇迦斯(うかし)」と言う言葉ですが、「エカシ」という言葉があります。長老の尊称を意味するので、一族の長としてはふさわしい意味になります。しかし、本当にウカシが長老となると、長老が前線にたって戦うことになってしまい、その点は不自然さを感じます。しかし、エカシ、ウカシの意味が当時は一族の頭領的な意味で使われていた可能性も否定できません。

 最終的に兄宇迦斯(えうかし)は、死体を切り刻まればらまかれます。


●鷲家口

 宇陀のすぐ隣の土地です。バスでは鷲家口を「ワッカグチ」と発音しているように聞こえました。この地は、川が二つに分かれる水別れの土地でした。wakkaは、水をアイヌ語で意味します。

 ですが、実際は「ワシカ」と読むようです。他の地名は分かりませんし、管理人もはじめはアイヌ語が語源かなと思ったのですが、wakkaが語源ならば鷲ではなく、若など「ワカ」と読める漢字を使うと思われます。

 子音と母音の組み合わせで構成されるハングルでも考えてみます。

 오(オあるあはワ行子音) 

 ㅏ(ア段母音)

 ㅅ(サ行子音、下にくる場合、促音・小さい「ッ」)

 ㅣ(イ段母音)

 ㅋ(カ段母音)

これを組み合わせて、ワシカとハングルで書くと

         와시카 ワシカ

 三文字中、母音の仲間はずれはㅣ・イ段があるシ・시です。口の形を変えずに楽に発音するためにㅣ・イ段が脱落します。

 왓카 ワッカとなります。






●記紀神話にアイヌ語

 記紀神話に書かれるなど古くから使われている言葉などには、アイヌ語や文化の名残があってもおかしくはないと思われます。しかし、それっぽく見えて実は違う、全く関係ないように見えて実はそうということも頻繁にありそうです。

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180. 播磨国の西と摂津の東の太鼓(月刊「祭」2019.9月7号)

2019-09-10 10:31:00 | 屋台・だんじり・神輿-台車、骨組み、かけ声、楽器、担ぎ方-
●遠く離れた地の共通点
 太鼓台や屋台の分布地域の離れたところに共通する文化が見られます。「カタツムリ、マイマイ、デンデンムシのように文化の中心地に新しい言葉が定着し、外側に古いものが同心円型に分布する、方言周圏論的な広がり方をしている」わけではなさそうです。
 必ずしも同心円状の文化の分布にならない理由としてあげられるのは、江戸期の瀬戸内海地域の海運業の発達や、今日のインターネットやSNSの発達が挙げられると考えられます。
 今回あげる二地域の共通点は、なにによるものかはわかりませんが、ただ似ているのを感じていただければと思います。
 
 
●網干型屋台の太鼓文化
 播州人には馴染みある分類ですが、神輿屋根屋台も大きく二種類に分かれます。一つが灘型(練り合わせ型・その中でも浜の宮型、恵美須宮型などに分類されます。)、もうひとつが網干型(チョーサ型)です。
 網干型は、かつぎ棒はしなりやすい杉でできており、前後の端は背の高い人が担げるようにできており、身長の違う人が担ぎやすくなります。
 チョーサと呼ばれる差し上げ(放り上げ)で一気に屋台を差し上げる(放り上げる)所作をします。太鼓打(乗り子)は子どもがつとめます。化粧を施した乗り子は祭期間中は地面に足をつけません。
 チョーサの基本リズムはドンドド ドンドドの繰り返しで締めはドンとなります。
 
 
・魚吹八幡神社() 毎年10月21.22日
冨島神社(アクセス) 毎年10月24.25か直前の土日
・春日神社(アクセス) 毎年10月8日
 
 
●大阪市平野区杭全神社の太鼓文化
  一方大阪市の杭全神社の太鼓台は布団屋根です。播州のチョーサが秋の祭であるのに対して、杭全神社は夏の祭で、担ぎ手は浴衣を着ています。
 しかし、太鼓打は子どもで化粧を施し、地面につけられることがなく、この点は播州のチョーサと共通しています。太鼓のリズムはドンドドを3回繰り返した後ドンで締めるリズムで練り歩きます。差し上げ時と練り歩きの時の違い、繰り返す回数の違いはありますが、ドンドドを繰り返しドンで締めるリズムも共通しています。
 
 

 

・杭全神社(アクセス)  夏祭7月11日〜14日
       太鼓、神輿11.14   だんじり12.13
 
●思わぬ遠いところで類似したリズム
 思わぬ遠いところでも類似したリズムや掛け声がこれからも見つかるかもしれません。
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179. 北磻磨東播磨祭研究の横綱とウェブページの参考文献化(月刊「祭」2019.9月6号)

2019-09-08 21:15:00 | 屋台・だんじり・神輿-研究史・名著-
●北播東播祭研究の横綱

祭が近づいてきたなあー

他のとこも見てみたいなー
播州の平屋根とか北播のん見たいなー
と思ったら重宝するサイトがあります。
 
それが播州祭行脚です。
三木や加西市など祭が盛んに行われている地域だけでなく、サンテレビの放映はなかった神戸市などの祭も紹介しています。
 
そして、管理人が個人的に最も大きな功績だと考えているのが、鍬渓神社以外では必ずしも規模の大きな屋台の祭が行われているとは言えない、小野市の屋台を紹介したことです。このサイトを見て、小野市の屋台を訪ねた方は本ブログの読者にも多数いることと思います。
 地道な踏査の結果をインターネットに分かりやすく分類して掲載してくれました。管理人はこのサイトをまさしく、祭行脚の友として使っています。
 
作成時期は2001年、粕谷氏につづく屋台研究の金字塔ともいえるサイトです。
 
●参考文献としての価値 
 以前お話ししたN氏ら四神会制作の「播州祭紀行」はウェブページが閉鎖してしまいました。時々、ウェブページは参考文献としての価値がないと言われるし、その理由としては、その再現性の不確かさが指摘されます。
 とはいえ、圧倒的な先駆性は、屋台研究に関してはこれらのウェブページにありました。現に、播州祭紀行の閉鎖で管理人は不便を感じています(ToT)
 便利なサイトはスマホで見れますが、いざという時のためにプリントアウトをおすすめします。
 
 
 
 

小野市久保木屋台 狭間彫刻 作・花岡冨蔵「小督局」
 久保木屋台の彫刻や刺繍が播州中の祭マニアに注目されるようになったきっかけの一つが、「播州祭行脚」でした。


 


 
 
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