お寺のオバサンのひとりごと

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どうなるチベット

2008年05月26日 | 仏教
 本願寺新報5月10日号に文殊師利大乗仏教会事務局長 野村正次郎氏の「チベット問題はどこに行くのか」の記事。

 そして、雑誌「サピオ」(5月28日号)に天台宗別格本山圓教寺の執事長 大樹玄承師 の記事。
 
 2つを要約しますと、1959年まで続いた中国によるチベット侵攻により、ダライ・ラマ法王は亡命。
 中国「文化大革命」により、6,500以上の僧院は破壊され、仏壇の仏像は捨てられ、変わりに毛沢東の写真を置かなければ逮捕された。

 70年代「改革開放」政策により、チベットとの対話が進むかに思えたが、1989年対談の約束は反故になり、怒ったチベット人はラサで大規模な抗議デモを行う。 しかし、それは徹底的に弾圧された。
 
 日本の各宗派、各教団は、日中国交回復後、中国各地の縁のある寺院の復興に援助してきた。しかし、中国の寺院との交流はすべて北京を通さずにはできない。日本の仏教界は、中国にとって、ただ「よきスポンサー」でしかなかった。
  
 野村氏は、こう書かれています・
 「この原稿を書いている今も二十代前半の未来あるべき若者達の屍の山が積まれ、家畜のように人間が連行されています。(略)「愛国教育」の集会が各地で行われ、彼ら(チベット人)の信じる観音菩薩は実は鬼であるという発言が強制させられています」

 大樹師は、こう書かれています。
 「いま消滅の危機に曝されているチベット問題を見て見ぬふりをするなら、次の世代に何を伝えることができるでしょう。どのように聖地である天台山に立ち、中国やチベットの僧侶に語りかけることができるのでしょう」

 仏教は、自分をいつも是とし、排他的、自己中心的になりがちな「愛国教育」とは正反対の教えです。自己の執着を離れた広い視点、違う考えのお互いが尊重しあって生きる教え・・・そういう仏の教えに生きておられる穏やかな方々が苦しみの中におられるのは、大変悲しいことだと思います。
コメント
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