お寺のオバサンのひとりごと

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記念日

2013年04月26日 | 雑感
 夫・住職が、クモ膜下出血をおこしたのが、5年前のきょう4月26日。ゴールデンウィーク初日夕方4時ごろ。
 今から、同級生の祝賀会に行く・・・という直前のことでした。
 
 まっさおな顔をして、横になっている夫の異常に気づいて、近くの救急病院へ。(夫の場合、意識は、はっきりしていたので、そんな大層な病名の事態が起こっているとは思いもせず、私の車に歩いて乗せて行きました)
 CTの結果、「ウチから救急車を呼んで、佐賀大学医学部附属病院に搬送します」と、病名を告げられ、えっ~ 

 そのころには、夫は嘔吐し、だんだん、モウロウと・・・
 夫の携帯から親友K氏の番号を探し、急病で祝賀会を欠席する旨連絡。
 
 後のことを考え、私は、救急車の到着を待たず、自分の車で先に病院へ。(オロオロしながら救急車に同乗し、夫の側に付き添うのがフツーでしょうに、クールな女房で、申し訳ないと思いつつ・・・)

 救急入り口で、待っていると、ピーポーピーポーと夫を乗せた救急車が・・・
入り口に医師、看護師さん方がいっせいに出てこられ・・・
「お世話になります」と挨拶するや・・・「ご家族ですか」と、案内され、手続き・・・保険証は持っていたが、印鑑まで考えが及ばず・・・

 夫の診察中、家族(当時、長女は東京在住、次女は佐賀に戻り、就職したばかり)に連絡。
 父親大好きの次女なので、取り乱して運転を誤らないよう、タクシーで病院に来るように指示。(案の定、泣きながら、タクシーで来た)
 
 検査結果を説明され、手術の同意書、麻酔の同意書などなど、印鑑がないので、次々、拇印を押しまくる。

 手術室に入る夫に声をかけ、次女にも促すが、壁のほうを向いて泣いたまま・・・
それを見て、私も初めて涙が流れ出す。

 世間で、よく耳にしてきた病変が、自分の家族の身にもおきたのは、ありうることで、何の不思議もない・・・と、わが身に言い聞かせつつ、最悪のこと、あるいは、これからの看護のことなど覚悟する。

 夫は、午後8時半ごろ手術室に入り、終わったのは午前2時半頃・・・

 その間、祝賀会に出席した夫の親友お二人が、わざわざ奥様の運転で、かけつけてくださったり、高齢の叔母、叔父家族が、深夜、来てくれたり・・・

 親しい人たちが帰宅し、娘と二人になると、またボロボロ涙。

 手術担当医から、手術の結果(無事、出血部位はチタンクリップで止めたこと)と今後起こりうる病状など説明を受け・・・「発病前の状態には戻れないことも覚悟してください」とのこと。

 集中治療室に落ち着いた夫を見届け、入院用品準備に一旦、帰宅したのは、夜が明ける頃でした・・・

 
 今、現在は、後遺症もなく・・・頭の傷も、さほど目立たず・・・
何事もなかったかのように、元気な夫です。

 素人でよくわかりませんが、大きな血管がパンッと破裂して、最初から意識を失うほどの重体では、なかったことと、
発病してから、手術まで4時間ほどというスピードと、
もちろん、病院の優秀な脳外科医に対応していただいたこと・・・などなどの縁により、生かさせていただいた「いのち」でありましょう。

 あれから、5年、無事、夫とともに生活できていることに感謝しなきゃ・・・と、きょう改めて反省している悪妻であります。

 

  

 
コメント (6)
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