いよいよ奴やがやって来る季節が近づいていました。
そう、奴らとは「花粉」たちです。
はっちんは花粉症です。しかも重症の患者です。
この季節になると、止めどなく流れる鼻水の洪水に、
あらゆる活動意欲は下がる一方、イライラ感は高まり、
精神衛生上よろしくない事この上ないです。
元々アレルギー体質でしたが、何故か花粉症とは無縁だったはっちん。
それが、4年前から花粉症と共に春を迎えることになってしまいました。
聞くところによると、花粉症はその人に備わった免疫能力の
対応許容量を超えた時から始まるらしいですね。
つまり体を外敵から守る役目をする免疫細胞の反逆です。
許容限度を超えた体内の器から溢れ出した防御細胞が、
制御を失い攻撃性を増し、自らの細胞にまで攻撃を仕掛ける。
はっちんはどうやら、四年前にその器を超えてしまったみたいです。
ロマンチストのはっちんはいつもこの花粉症の発生システムを
自らの身体に感じながら思い巡らす思案があります。
人間の身体には、生まれつき自分の体内にあったもの(自己)と、
そうでない体外から入ってきた(非自己)を識別する能力が備わっています。
そして、非自己が侵入してくるとこれを識別して、体外へ排除しようとします。
この一連の働きを免疫作用といい、病気を未然に防いでくれているらしい。
ところが、この免疫作用が突然暴走をはじめ、過敏性を増し、
身体に無害な異物(非自己)にまで攻撃を加え、かえって自分の身体を傷つけ出すのが
今や国民的症状にまでなった花粉症のメカニズムですね。
私はそこに自らの心の写し鏡を見るのです。
人の心には身体と同じように、自分と異なるものを排除しようとする心が、
大なり小なりあると思います。
それは性格や意見の合わない人や不利益をこうむる人、
又は障害や病気をもつ社会的弱者などであったりします。
人が幸せな社会生活を営む上で、良好な対人関係は重要な要素です。
しかし人は誰しも自分に対する身びいきがあるもので、
自分の欠点には寛大になれるが、他人の欠点には、非常に敏感なものです。
それが故に人を責め、陰で悪口をいい、その感情がエスカレートすると、
その人を社会的、又は肉体的に排除しようと考えたり願ったりさえ
する事もあるほどです。
非自己と激しく対立し排除しようとする意識が高じれば
争いの元になるのは人類の歴史が証明してます。
非自己への過剰な対立と排除は、けして自らを守るものではなく、
いずれは自らを傷つけるものへと変わって返ってきます。
世界の平和も対立と排除や淘汰の先にはなく、共生と共存、許していく
ことの先にあるものではないでしょうか?
その事を花粉症は教えてくれているような気がしてならないのです。
花粉症程度で、少し大げさな話になりましたが、あくまでも
ロマンチストの勝手な独り言ですのでご勘弁を・・・
そう、奴らとは「花粉」たちです。
はっちんは花粉症です。しかも重症の患者です。
この季節になると、止めどなく流れる鼻水の洪水に、
あらゆる活動意欲は下がる一方、イライラ感は高まり、
精神衛生上よろしくない事この上ないです。
元々アレルギー体質でしたが、何故か花粉症とは無縁だったはっちん。
それが、4年前から花粉症と共に春を迎えることになってしまいました。
聞くところによると、花粉症はその人に備わった免疫能力の
対応許容量を超えた時から始まるらしいですね。
つまり体を外敵から守る役目をする免疫細胞の反逆です。
許容限度を超えた体内の器から溢れ出した防御細胞が、
制御を失い攻撃性を増し、自らの細胞にまで攻撃を仕掛ける。
はっちんはどうやら、四年前にその器を超えてしまったみたいです。
ロマンチストのはっちんはいつもこの花粉症の発生システムを
自らの身体に感じながら思い巡らす思案があります。
人間の身体には、生まれつき自分の体内にあったもの(自己)と、
そうでない体外から入ってきた(非自己)を識別する能力が備わっています。
そして、非自己が侵入してくるとこれを識別して、体外へ排除しようとします。
この一連の働きを免疫作用といい、病気を未然に防いでくれているらしい。
ところが、この免疫作用が突然暴走をはじめ、過敏性を増し、
身体に無害な異物(非自己)にまで攻撃を加え、かえって自分の身体を傷つけ出すのが
今や国民的症状にまでなった花粉症のメカニズムですね。
私はそこに自らの心の写し鏡を見るのです。
人の心には身体と同じように、自分と異なるものを排除しようとする心が、
大なり小なりあると思います。
それは性格や意見の合わない人や不利益をこうむる人、
又は障害や病気をもつ社会的弱者などであったりします。
人が幸せな社会生活を営む上で、良好な対人関係は重要な要素です。
しかし人は誰しも自分に対する身びいきがあるもので、
自分の欠点には寛大になれるが、他人の欠点には、非常に敏感なものです。
それが故に人を責め、陰で悪口をいい、その感情がエスカレートすると、
その人を社会的、又は肉体的に排除しようと考えたり願ったりさえ
する事もあるほどです。
非自己と激しく対立し排除しようとする意識が高じれば
争いの元になるのは人類の歴史が証明してます。
非自己への過剰な対立と排除は、けして自らを守るものではなく、
いずれは自らを傷つけるものへと変わって返ってきます。
世界の平和も対立と排除や淘汰の先にはなく、共生と共存、許していく
ことの先にあるものではないでしょうか?
その事を花粉症は教えてくれているような気がしてならないのです。
花粉症程度で、少し大げさな話になりましたが、あくまでも
ロマンチストの勝手な独り言ですのでご勘弁を・・・