保津川下りの船頭さん

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腰痛再び!この痛みから悟ること…

2008-06-28 23:19:15 | 船頭の目・・・雑感・雑記
2日前、私の腰に再び爆弾が落ちた!

それは何の前ぶれもなく突然やってきたのだ。

約2週間前に患った腰痛は完治し、体調は絶好調だっただけにまさに青天の霹靂である。

腰の状態が悪くなる日、確かに少しの違和感はあった。だかしかし、それはいつもの凝り程度のよくあるもので、とりたてて気にかける程のものではかった。

私と腰痛の付き合いはもう9年になる。以来、腰痛が起こる時は必ず「あっ、やったな!」という瞬間が自覚できるものばかりであった。

しかし、今回の腰痛には全く自覚症状らしきものが思い当たらない。

朝、起きようすると腰が痛くて立てなかった。しかもこれまで体験したことがない程の激痛だった。
2日たった今もベッドから起き上がれず、痛みで寝返りひとつ満足にできない状態が続いている。
よってこの投稿も携帯からによるものだ。椅子にすら腰掛けられないのでPCの前にも座れないでいる。


この体が2日前まで、大のおとなの頭上を廻し蹴りで蹴り上げていた体と同じものとは全く信じられない不自由さに見舞われているのだ。

今回の腰痛の痛みは骨盤と腰骨のつなぎめの骨同士が当たり「こすれてきしむ」様な激痛で、これまで経験したことのない激しいものだ。

もしかしたら完治まで相当の時間を有するのではないか…予感すら感じさせる。
仕事が仕事だけに、内心穏やかではない。

まったく人間の体は本当に摩訶不思議だ。
日頃、健康な時は自分の思い通りに動き、我がのものと信じて疑うことすらないが、ひとたび調和が崩れると、全く我がの思い通りにはならない。寝返りはもちろんのこと、足を引き付けることすらままならないのだ。

私は子供の頃から、信心深い両親に
「このからだは‘天’からの借りものである。心ひとつだけが我がのもの」とよく聞かせて頂いた。この体は自分のものではなく、神様からの借り物でその人の心ひとつに応じて貸し与えられるもので、寿命がきたらお返しし、また新しい体を借りて生まれ変わってくる。というのだ。
つまり、日常的な範囲では体の使用権と使用能力は大幅に与えられているが、厳密な意味での所有権は人間にはなく、自己の所有物である‘心’に相応しい体をを使用させて貰ってといるというのが生きている真相というのだ。

人生経験の浅い、未熟な私にはにわかに信じ難い言葉だったが、この歳になると幾つか感じることがある。
そう思案すると、この言葉は理論や理屈で理解するのではなく‘体験語’として感じるものなのだ。
なんとも深い言葉であろうか。

今の私の状態はまさにその体験の中にいる。

そして、借りものといわれるこの体には、体が体を治そうとする自然の治癒力が備わっている。整形外科へ行っても湿布と‘痛みどめ’しか治療法がなく「日にち薬」と医者がさじをなげる今の状態にあっては、最初から体に治癒力が備わっていることは誠にありがたいことだ。
この治癒力の前には、医学など体の応援団にすぎない。
腰痛に限らすどんな病でも主体となって体を治すのは体なのだ。
この当たり前の事こそ‘奇跡’だ。
奇跡などはどこか特別な所にあるのではなく誰にでも‘今、ここにあるもの’だと今なら確信できる。

貸し主のことを‘天’と言っていいし‘神’と言っていいが今はそんな‘偉大なる何者か’の慈愛深い働きを感じることが出来るし、素直に頼り感謝することができる。
今回の腰痛を台にして人間として深みを増すことができたのなら、この痛みも無駄ではない。
そう思うと何だか不思議に心が晴れやかに感じられる。

完治してもこの思いだけは忘れないでいたいものである。


押忍!男組〓斯道会はっちん