保津川下りの船頭さん

うわさの船頭「はっちん」が保津川下りの最新情報や、京都・亀岡の観光案内など、とっておきの情報をお届けします。

虞美人草の川に浮かぶ保津川の‘花舟’

2009-05-18 20:56:35 | 保津川下り案内
文豪・夏目漱石が保津川下りに訪れた際、その体験を記した小説の名が「虞美人草」です。
この小説により、保津川下りは日本中にその名を轟かすことになりました。

この虞美人草(ぐびじんそう)・・・日本名「ケシ」また「ポピー」とも呼びます。

この保津川下りと縁深い花「虞美人草」が今、JR亀岡駅と保津川下り乗船場を結ぶロード横の田園に咲いています。

鮮やかな赤色のお花畑は、若葉がまぶしい季節に華やかな色彩を添え、川下りに訪れる人たちの目を楽しませてくれています。

ケシと聞いて想像するのが・・・麻薬アヘンを生産する花ということ。
でも、ご心配ご無用、ケシには植えてよいケシと、法律によって栽培や所持が禁止されているケシがあります。
保津の田園に植えてあるのはもちろん植えてよいケシです。

茎の部分がとても長く、その先に花が咲きます。長い茎の部分に葉っぱがないのが特長です。一本の茎に一つの花という一輪草です。

お花畑には保津川遊船がお譲りした休憩用の舟が設置されていますが、鮮やかで美しいケシの花に囲まれ、まるで`花の川に浮かぶ舟’のようです。

沈みゆく夕日に照らされケシの花畑はさらに赤を色濃くします。
自然がつくり出す風景美・・・ため息しかでません。
我がまち、亀岡のなんと美しいことか・・・このまちで生きていけることに幸せを感じる瞬間でもありました。


虞美人草(ぐびじんそう)
秦帝滅亡期の古代中国・項羽と劉邦が活躍した時代。
項羽が愛した中国歴史上の絶世の美女といわれる虞美人にたとえた花。

項羽は愛する虞妃ともに劉邦の大軍にまわりを包囲されました。

最後を覚悟した項羽は虞妃と別れの宴を開いてから出撃、虞妃も自刃して殉じました。
後日、彼女のお墓にヒナゲシの美しい花が咲いていたことから
人々はこの花を「虞美人草(ぐびじんそう)」と呼んだ。

ちなみに包囲された時、相手軍から聞えてきた歌が項羽の故郷・楚の歌であったことから
「すでに故郷の者まで敵になったのか」と自ら最後を覚悟したそうです。
このことを後に「四面楚歌」といい、孤立無援になった場合のことわざとなりました。

夏目漱石が自らの小説に「虞美人草」と名づけたのは、新しい小説のタイトル名を
決めあぐねていた時に、街角の花屋さんで「虞美人草」を見て「これにしよう!」
ということで名づけたらしく、項羽と劉邦の悲話とは全く関係ないとのことです。