先日、今年で保津川遊船を去られる船頭さん方の送別会を開かしてもらいました。
この送別会、一般的にいわれる送別会と少し赴きが違うのです。
それはこの会が「弟子による師匠を送る会」だからです。
保津川の船頭には入社2~3年間、船頭技術を指導する
師匠が付く決まりになっています。
手漕ぎ船である保津川の川下り船には、いわゆる免許・資格と
いわれるものは存在しません。
世界で一つしかない川の操縦技術のうえ、エンジン等の動力は
一切使われてないことがその理由と考えられます。
その中で、いかなる評価が一人前の技術を有する船頭であるか
ということの判断は、最初に指導し連れて行く師匠が下す事になります。
師匠は長年のキャリヤと熟練の技術を備えた者が、責任をもって
新人を指導し、一人前に導かねばならのいです。
その為、新人の2~3年間は毎日師匠に付いて川を下り、技術を指導されます。
その大恩ある師匠の方々が、今年は4名定年退職されることから、
弟子にあたる者だけ集まり、師匠をお送りしようという事になったのです。
その師匠方のお名前は、
大ケ谷洋一さん、関清一さん、岸谷清司さん、岸谷一男さんの4名で、
この4人の船頭さんは、子供の頃からの遊び友達で遊船に入ったのも同期と
いう正に‘竹馬の友’の間柄で、大手資本に翻弄される激動の遊船時代の中
苦楽を共にし、力を合わせて企業組合を運営してきた盟友でもあるのです。
また、下った船を嵐山から保津まで、ロープで川岸を引っ張っ手帰った
経験をもたれる数少ない船頭さんたちなのです。
今回お辞めになる4名にはそれぞれ弟子がおられます。
その弟子にあたる者だけが集まり、師匠にこれまでの感謝と最後の教え
を乞うという気持ちの発露から企画されました。
私、はっちんにとっては岸谷清司さんが師匠に当たります。
岸谷清司さんとはTV朝日の「人生の楽園」で師匠として
一緒に数々のシーンの撮影をした事など、ここでは
語り尽くせない思い出でたくさんある方でした。
新人の指導にはとても厳しい方で、弟子として指導されている
時期は疎ましく思えた時も確かにありました。がしかしあの
厳しい指導のおかげで今の自分はあるのだと、確信し、
感謝の気持ちでいっぱいです。
川下りは自然を相手する観光業です。日々その姿を変えてくる大自然の中、
安全に川を下る技術をマスターするのはそう簡単なことではありません。
なにも分からない素人同然の新人船頭を連れての、操縦は体力的なものは
もちろん気苦労が堪えない毎日だと容易に想像できます。
1度の失敗も許されないのが、保津川の船頭という仕事です。
当然、指導も厳しいものになってきます。
お客さんも前でも容赦がなく厳しく叱責されることも日常茶飯事です。
最近の教育現場の様に、甘く優しい指導などは無縁の世界です。
しかし、その厳しい指導の中から、技術的なことはもちろん
船下りという仕事へ向かう姿勢や真剣さという精神面を教えるのです。
私、はっちんも今では一人前の様な顔をして、こんな事を書いていますが
新人の頃は、師匠に迷惑ばかりていたダメ弟子でした。
新聞記者という一見華やかな世界から、素朴で地味な毎日が続く
船頭という世界に飛び込み、連日師匠に叱責されながら下っていく日々。
腐って挫けそうになったことも一回や二回ではありません。
師匠にしたら本当に手の掛かる弟子だったと思います。
そんなこんなの思い出話に花が咲き、会は和やかの雰囲気のなか
暮れていきました。
「師匠と弟子」今の時代となっては、「なんて前時代的な」と
思われるかもしれませんが、こんな人情溢れる秩序や雰囲気を
色濃く残している保津川下りの船頭の世界。
はっちんは好きです!
師匠は去られましたが、師匠が私に残された言葉
「船頭は一生が勉強や!」という言葉だけは
私の生涯、脳裏から離れる事はないでしょ。
この場をお借りして「ここまでして頂き、ありがとうございました」
*写真の前列が師匠方です。
この送別会、一般的にいわれる送別会と少し赴きが違うのです。
それはこの会が「弟子による師匠を送る会」だからです。
保津川の船頭には入社2~3年間、船頭技術を指導する
師匠が付く決まりになっています。
手漕ぎ船である保津川の川下り船には、いわゆる免許・資格と
いわれるものは存在しません。
世界で一つしかない川の操縦技術のうえ、エンジン等の動力は
一切使われてないことがその理由と考えられます。
その中で、いかなる評価が一人前の技術を有する船頭であるか
ということの判断は、最初に指導し連れて行く師匠が下す事になります。
師匠は長年のキャリヤと熟練の技術を備えた者が、責任をもって
新人を指導し、一人前に導かねばならのいです。
その為、新人の2~3年間は毎日師匠に付いて川を下り、技術を指導されます。
その大恩ある師匠の方々が、今年は4名定年退職されることから、
弟子にあたる者だけ集まり、師匠をお送りしようという事になったのです。
その師匠方のお名前は、
大ケ谷洋一さん、関清一さん、岸谷清司さん、岸谷一男さんの4名で、
この4人の船頭さんは、子供の頃からの遊び友達で遊船に入ったのも同期と
いう正に‘竹馬の友’の間柄で、大手資本に翻弄される激動の遊船時代の中
苦楽を共にし、力を合わせて企業組合を運営してきた盟友でもあるのです。
また、下った船を嵐山から保津まで、ロープで川岸を引っ張っ手帰った
経験をもたれる数少ない船頭さんたちなのです。
今回お辞めになる4名にはそれぞれ弟子がおられます。
その弟子にあたる者だけが集まり、師匠にこれまでの感謝と最後の教え
を乞うという気持ちの発露から企画されました。
私、はっちんにとっては岸谷清司さんが師匠に当たります。
岸谷清司さんとはTV朝日の「人生の楽園」で師匠として
一緒に数々のシーンの撮影をした事など、ここでは
語り尽くせない思い出でたくさんある方でした。
新人の指導にはとても厳しい方で、弟子として指導されている
時期は疎ましく思えた時も確かにありました。がしかしあの
厳しい指導のおかげで今の自分はあるのだと、確信し、
感謝の気持ちでいっぱいです。
川下りは自然を相手する観光業です。日々その姿を変えてくる大自然の中、
安全に川を下る技術をマスターするのはそう簡単なことではありません。
なにも分からない素人同然の新人船頭を連れての、操縦は体力的なものは
もちろん気苦労が堪えない毎日だと容易に想像できます。
1度の失敗も許されないのが、保津川の船頭という仕事です。
当然、指導も厳しいものになってきます。
お客さんも前でも容赦がなく厳しく叱責されることも日常茶飯事です。
最近の教育現場の様に、甘く優しい指導などは無縁の世界です。
しかし、その厳しい指導の中から、技術的なことはもちろん
船下りという仕事へ向かう姿勢や真剣さという精神面を教えるのです。
私、はっちんも今では一人前の様な顔をして、こんな事を書いていますが
新人の頃は、師匠に迷惑ばかりていたダメ弟子でした。
新聞記者という一見華やかな世界から、素朴で地味な毎日が続く
船頭という世界に飛び込み、連日師匠に叱責されながら下っていく日々。
腐って挫けそうになったことも一回や二回ではありません。
師匠にしたら本当に手の掛かる弟子だったと思います。
そんなこんなの思い出話に花が咲き、会は和やかの雰囲気のなか
暮れていきました。
「師匠と弟子」今の時代となっては、「なんて前時代的な」と
思われるかもしれませんが、こんな人情溢れる秩序や雰囲気を
色濃く残している保津川下りの船頭の世界。
はっちんは好きです!
師匠は去られましたが、師匠が私に残された言葉
「船頭は一生が勉強や!」という言葉だけは
私の生涯、脳裏から離れる事はないでしょ。
この場をお借りして「ここまでして頂き、ありがとうございました」
*写真の前列が師匠方です。