保津川下りの船頭さん

うわさの船頭「はっちん」が保津川下りの最新情報や、京都・亀岡の観光案内など、とっておきの情報をお届けします。

京都の川辺のお祭り「京の七夕」が、明日6日から開催されます。

2011-08-05 17:32:28 | 京都情報
京都ではお盆が近づくと、各所でお精霊行事が執り行われます。

早速、明日6日からは京都「堀川」と「鴨川」の二本の川辺で
「京の七夕」が開催されます。

この新たな京の夏の風物詩として昨年から開催されました。

期間は8月6日(土)から15日(月)まで。

「8月のお盆前に七夕?」
と思われる方も多いことと思いますが、実は旧暦ではこの時期が「七夕」なのです。

「祇園祭から五山の送り火」までの間、少し観光も静かになる時期なので、
これを活かさない手はない!と行政、企業 宗教、学術界と地域住民がタイアップ
した「オール京都」体制で、生まれた新たな「真夏の光りイベント」です。
まさに京都のパワーと底力を感じさせる新たな「京の祭り」です。

会場は二条城前を流れる「堀川会場」では、あたりが薄暗くなってきた19時ジャストに
堀川の水辺がライトアップされ、川の両岸に飾られた「願い七夕」の笹飾りが
「竹と光のアート」展示物と一緒に、照らされて黄金色に輝きます。

日が落ち、あたりがすっかり暗くなると「堀川の清流」に、LEDを内蔵した
「いのり星」という球体が無数、放流されて、川に光りの流れが演出されます。

西陣織の産業地帯である上京区を流れる堀川は過って「友禅流し」も盛んであった川。
同イベントでは「七色の光り」による「光の友禅流し」が出現し、時間差で
様々の色の帯が川に映し出され、訪れた人の目を楽しませてくれます。

そして、メインとなるのは、竹による巨大なアーチに出現する「光の天の川」です。
、川を竹アーチで囲みLEDにより天の川の流れをつくりだすというもの。
川の水面を青く光る「いのり玉」が流れ、頭の上には「光りの天の川」という
なんとも幻想的でロマンチックな演習空間でしょう。

平安京の造営時に資材運搬目的で造られた日本最古の人工河川が堀川です。
中世には保津川から流れてきた材木を、洛中の材木市まで運ぶ運河としても
機能していた川なので、我々にも少しですが、ゆかりのある川が堀川です。

戦後は都市化する京都の中で、水源を絶たれ、流れのなくなった「枯れ川」となり、
道路整備の為、暗渠化が進むなど、京都では「忘れられた川」となっていたのを、
住民の願いで「清流」を再び甦らせ、人が触れ合える川として生まれ変わった「堀川」

願いはかならず叶えられる・・・「京の七夕」へぜひ、お出かけ下さい。

さて、私も明日は、保津川でも子のような「川辺のお祭り」が
生み出されることを彦星と織姫に「お祈り」してきます。

嵯峨野観光鉄道・開通20周年と保津峡の歴史。

2011-08-04 21:09:32 | 船頭
私たち保津川下りと一緒に京都嵐山・保津峡観光を盛り上げている
嵯峨野観光鉄道・トロッコ列車が今年20周年を迎えました。

このブログをお読みいただいている方はもうご紹介するまでも
ありませんが、嵯峨野観光鉄道・トロッコ列車は平成3年度(1990)
に旧山陰線跡に開通した観光専用の鉄道のことです。
JR嵯峨嵐山駅に隣接するトロッコ嵯峨駅からトロッコ亀岡駅までの
7.3キロ間の峡間を、1時間に1往復しながら走っています。
四季折々の美しい保津峡景色を眺めながら、時速約20キロというゆっくり
した速度で走る癒し系のこの鉄道は、今では京都・嵯峨野を代表する
観光スポットとして、年間約95万人以上の観光客が訪れる
人気の観光列車に成長しました。

開通当初は、JR関係者や周囲の人々も「3年もったらいいほうだろう・・・」
と予想するほど、消極的な見方をしていましたが、長谷川一彦社長を先頭に
会社設立当初の社員のみなさまの頑張りで、今では毎年90万人を超える
観光客が訪れ、JR西日本関連企業の中でも、他の追随を許さない
優良企業となっています。
社長の長谷川さんは、その経営手腕が認められ、
政府(国土交通省)の観光カリスマにも選出されておられます。

社長から設立当時の苦労話や成功逸話を詳しく聞く機会のある私は、
操船時、トロッコ列車とすれ違うたびにこのサクセスストーリー秘話を
必ずお話しすることにしております。

「へぇ~そんな話があったのか?」

「こんな隆々としている列車なのにね~」

と皆さん、大変興味を持ってお聞き下さるので、私のトークネタ、
でも五指に入るオモシロ話しとしてランキングしています。


さて、そんな経緯のあるトロッコ列車ですが、この列車が開通は
私の人生にとっても大きく左右する出来事でもあり、実は
とても深い関係性があるのです。

トロッコ列車が開通した平成3年以降、保津峡観光は大きく姿を変えました。

嵯峨野からトロッコ列車に乗って亀岡へ入りし、亀岡からは保津川下りに
乗船して京都嵐山へ帰るコースがつくられ、このセットコースは売り出し
当初からもの凄いヒットコースとなり、静かな渓谷は一躍、賑やかな歓声が
こだまする一大観光スポットなったのです。

トロッコ列車に乗車したお客さんが大量にお越しになった保津川下りの
乗船場では連日、慢性的な混雑状態となりパニックを起こしていました。
うれしい悲鳴ではあるのですが、次から次へと途切れなくお越しなる
お客さんに、舟を操船する船頭の人員キャパはパンク。舟と船頭の
回送が間に合わず配船が滞る事態が連日続いたのです。

トロッコ開通は、保津川下りにも想像を超える波及効果を生み
保津川の船頭人員は全く不足状態に陥りました。

一時期、学生アルバイトで凌ぐという今では考えられない応急的な対応で
乗りきるなどしていましたが、安全運航の確保という観点からも限度があり、
組合としては、至急に船頭人員の増強に着手せざる負えなくなったのです。

そこで持ち上がった案が「約400年続いた世襲制、つまり家の稼業」である
船頭の雇用形態を解体し、亀岡市民なら船頭への就職応募が可能となる
一般公募制を導入して広く募集をかけて人員増強を図ったのです。

この制度が導入されたことで、私のような縁もゆかりもない他地域
出身者でも船頭になることが可能となり、今に至っているというわけなのです。

つまり、トロッコ列車が開通しなかったら、保津川下りはそれまでの雇用制度を
解体させる必要性もないので、私のような者が入社することもないく
世襲制度が今でも現存していたは十分に考えられます。

そう考えると私たちのような「一般公募採用生」は、
いわば「トロッコ列車の申し子」といっても過言ではない存在なのです。

今、トロッコ列車が走る線路は、明治32年の京都鉄道開通のために
敷設されたもので、この鉄道が開通したことで「保津川の川舟」は
物資輸送という事業に終わりを告げることになったが、図らずしも
京都鉄道(旧国鉄山陰本線)は、京都から保津川下りへ
お客さんを運んで来る旅客鉄道としての役目も果たし
荷船から観光船へと産業移転をする要因を生み出したのです。

それから90年の歳月が流れ、今度はトロッコ列車の開通により
保津川下りは経営安定化が進み、約400年も続いた
「閉じられたコミュニティー」であった伝統の世襲制度を解体させ
「広く門戸を開いた」近代観光企業への転換を促進する作用を
起こしつつあります。

歴史とは、なんと奇妙で面白いものなのか!

有史以来の景観を今も残す保津峡で、繰り広げられた
‘産業と人’の物語。

これからも保津川下りとトロッコ列車、この二つの保津峡観光が
様々な物語を描き、繰り広げていくことを楽しみに、
トロッコ列車20周年への深い感慨を込めてお祝いを申し上げたい。


まさかの熱中症?ますます手負いの船頭へ。

2011-08-03 23:25:52 | 船頭
ここ一週間ほどは夏ど真ん中とは思えないような涼しい日が続いていたが、
今日は一転、夏日が戻ってきたと感じる、日差しキビい天候となった。

私も仕事を終えて事務所に戻った頃から、頭がふらつき、胃の周辺が
気持ち悪くなり、軽い熱中症のような症状がでた。

ここ数年の猛暑でも、こんな熱中症のような症状を感じた
ことがなかった私。
「まさか、熱中症?」とにわかに信じられなかったが、
帰宅後も食欲はなく、気分もすぐれない。
大事をとり、しばらく横になり身体を休めた。

午後6時からは空手道場で指導がある。
「2時間後には回復しないと・・・」少し焦ったりもしながら。

いくら久しぶりに夏日が戻ったとはいえ、川風は涼やかであり、
夏の雲が日差しを遮る感覚もまだまだ長いと感じる今日の天気。
まさかの熱中症なのだ・・・

要因として考えらるのここ連日の「南寄りの風」のせいか?

負傷した左足ふくらはぎの肉離れがまだ完治しない中、棹を持ち
向かい風との勝負を挑み、またしても症状を悪化させた。
患部の足をかばう様に、上半身中心の力に頼った棹差し作業は
炎天下の日差しも加わり、徐々に筋力と体力を消耗させ、
腕がだるく笑い出すような感覚となる。
ちょうど筋トレでベンチプレスや鉄アレイで極限まで筋力を
いじめ抜いたあとの様な感覚といえばわかるだろう。

それでもとどまることをしならない向かい風は、容赦なく
私の舟を襲うので、棹を差す手を休める訳にいかない。

「走ることができれば・・・」

ふくらはぎの痛みが邪魔をして、棹を川底に差しながら
舳先を押し走って舟を前へ進められないのがもどかしい。

上半身だけでの棹差しは、ちょうど運航行程の
半分を終えた頃に限界に達したと感じた。

見かねた同船の船長が「舵を持て」と、持ち場を交代してくれた。

舵操作なら、負傷した足でも支障はない。

今回だけはお言葉に甘えることにした。

この天候である。健常な者でも総じて、体力を消耗している。
なのに、持ち場を交代してくれた船長には感謝の言葉もない。

帰宅後の休養により少し症状が好転した感もあり、道場生が
待つ空手道場へ指導にいくことができ、今、こうしてPCに
向かっている訳だが、頭はしゃんとしていない。
時より吐き気がこみ上げてくる。
もちろん食欲もない。

夏最大の繁忙期になる「お盆」ももう間近に迫っている。

ここで倒れるわけにはいかない。

足も芳しくない最悪の状態だが、気力で乗り切るしかなさそうだ。

人間、大抵のことは気力で乗り切れることは経験済み。

もし「川で死ぬならそれも本望!」それが私の選んだ道であり
一番似合いの人生だから。一日生涯の気持ちで精一杯
務めあげたいと強く決意する次第だ。

悲しい出来事が起こるたびに思う、川は危ないのか・・・

2011-08-02 12:38:13 | 船頭の目・・・雑感・雑記
この月末の休日、私の仕事場である保津川で、尊い命が失われる
悲しい出来事が起こりました。

家族や友達と一緒にゴムボートとカヌーで川を下ろうとした方が、
急流の波に弾かれ、ボートから掘り出され川へ転落したとのことです。

場所は保津川で最初の激しい急流部となる瀬で発生しました。
翌日の新聞記事によると、ボートから落ちたその方は波にのまれ川底まで沈み、
底岩に足を挟まれた状態で発見されたとのこと。

この時使用していたゴムボートが、海水浴などに使用するレジャーボート
だったことが原因だといわています。

ラフティングが使用する激流対応型ではなかったことが本当に悔やまれます。

近くにいたラフティングのインストラクターの方なども協力して人口呼吸など
懸命の救命処置を行いましたが、力及ばず、誠に残念な結果となりました。

この川を仕事場とし、川の恩恵を受けて暮らしている私にとって、
この川で起こるこのような事故を見聞きすることは、誠にやりきれない気持ちになり
心が締め付けられる辛いことです。

夏になると川の涼やかさに誘われ、水辺や川中の遊びに興じたくなるのは
人間なら当たり前のことです。

川とのつながりを日常に持つことで人は、太古より川の恵みと畏怖の念を持ちながら
身近なものとして暮らし、流域の川文化を綴ってきました。

しかし、近年「川は危ないところ、近づかないように・・・」などと
川と人のつながりを「安心・安全」至上の考え方で、引き離しています。

わたしは思います。

「川が危ないのではなく、体験的な川とのつながりを遮断したから、
川が危ない所になった」のです。

川は生き物です。

毎日、微妙にその表情を変えます。その僅かな変化を読み取り、
川の秩序に沿いきるのは本当に難しいことです。
まして、日ごろから川の表情を見る機会や遊ぶ経験に乏しくなった人たちにとっては、
そこまで理解するのは無理な状態ともいえるでしょう。

川に近づくときには、事前に十分な情報と周到な用意をすることが大切です。
川との付き合いというのは、注意して注意し過ぎることはないと思います。
しかし、この知識とルールされ守れば、川はけして恐い場所ではないはず。

自然との直に触れ合うことは、先端科学社会で暮らす現代人にとって、
今後益々、大切なな気づきの体験をできる機会となります。
しかし、川に限らず、自然には少なからず危険が潜んでいます。
まず、自然とのふれあいを求める方は、ぜひとも、しっかりとした
知識と情報を踏まえて、秩序に沿って楽しい川のレジャーを過ごしてほしいと思っています。

そして、二度とこのようなことが保津川はもちろん、世界の川や水辺で起こらないことを
心より祈らずにはおれません。

お亡くなりになられた方のご冥福を心よりお祈りいたします。

船頭泣かせの向かい風に、手負いの船頭立ち向かう。

2011-08-01 22:06:57 | 船頭
今日の保津川には南よりの風が強く吹き、比較的凌ぎやすい
涼しいい日となったのですが・・・この「南寄りの風」と
いうのが実は私たち船頭にとって最も厄介な
「船頭泣かせの風」なのです。

つまり、向かい風ということです。

保津川下りの舟は高瀬舟という川舟独特の形状で
船底が平らなため、風を受けることに最も弱い。
特に今の舟は暑い日光を遮断するため「日よけテント」という
ビニール製の屋根が付いた「屋形船スタイル」で運航している
ことで、風はヨット以上に舟の進行に影響します。
向かい風ということは、舟を前に進めるために我々船頭は
フルパワーで臨まなくてはいけないということなのです。
強い向かい風にあおられながら、力いっぱい舟を漕ぎ、竿を差します。
体の筋力は疲労し、息が切れるぐらいの厳しい条件なのです。

さてさて、このような自然環境の時、私といえば二日前に
再び右足のふくらはぎを負傷、歩行すら痛みで困難な状態下で、
無理をして翌日、操船をしたため、左足の膝も痛めてしまったのです。

昨日は風のない穏やかな天気。
「なんとかいけるだろう・・・」と休まず出勤しました。

この日の一回目、舟の舳先部で竿たけを差していた時のこと。
右足のふくらはぎを庇いながら、竿を川底へついていると、
突然、竿が底岩の間に挟まり、抜けなくなったのです。
あっ、引っかかった!」とわかった瞬間、抜けなくなった竿を
持っている左手に強烈な力が加わり、一瞬で私の体ごと、後方の
櫂場のハリまで引きずり飛ばしたのです。

このとき左足の膝を舟板に打ち付け、倒れ込んだのです。
左足の膝はズボンの上からでもかなり擦り剥いているのは
わかりました。それより気になったのが、立ち上がった時に
左の膝に走った激痛です。飛ばされた時におかしな角度で
ぐねったのかもしれません。屈伸すると痛みが走りました。
また、起き上がる際に以前から痛め、体重が乗らないように
庇っていた右足のふくらはぎにも、瞬間大きな力がかかり
更に悪化したのが容易に理解できたのです。

「痛めていた左足だけでなく、頼りにしていた右足までも・・・」
両足負傷という致命的な負傷ではあったものの、昨日は多忙な
日曜日だがら、船頭は一人でも多い方がいい。早退するわけにも
いかず、痛みを必死で堪えながら2度目の操船をおこなったのです。

さて、話を今日に戻して、この両足負傷という泣きたいぐらいの
厳しい状態で、この「南よりの風」と呼ばれる向かい風に対峙する
ことになった私。しかも、最初の持ち場は、最も重要な持ち場
となる「竿さし」。舟の一番前部の舳先から、竿に体を預け、
その反り返った舟板を走って降りる動作を繰り返す仕事で、
脚力の押し出し力がすべてともいえる持ち場。

「こんな日に、このような足の状態で・・・」さすがに気弱に
なりかけそうな気持を「痛いのは痛い、でも死ぬわけでもない」
「やる前から、あれやこれや心配して考えるのはよそう!」と
先安じの気持ちを振り払い、自らを鼓舞したのです。

結果は、弱々しい走り方ではあったと思いますが、向かってくる
強い風の中を、懸命に竹竿で押し返しながら、舟を前方に進め、
難所も切り抜け、何とか持ち場の仕事の責任を
果たすことができたと思います。

身体的には、足に体重がかかる毎に痛みが走るという状態でしたが
乗船して下さっているお客様には関係のないこと。

痛い顔など見せるわけにはいきません。

極めてポーカーフェイスで、快適な雰囲気の中で、船旅を
楽しんでもらわないとプロとして恥です。

楽しい会話のキャッチボールをお客様と繰り広げ、
いつもと変わらない、舟下りを演出することができました。

保津川伝統といわれる‘川根性’が少し身近に感じられました。

嵐山に舟が着くと
「今日は真正面から風が吹いて、本当に涼しい気持ちのいい川下りだった」
「船頭さんのお話、とても分かりやすくて楽しかったです」
「この夏一番の思い出になりました」
などと、うれしい感想を聞かせて下さいました。

家に帰ると早速、湿布だらけ・・・なのですが、
妙にすっーと貼り心地がよく、患部に沁みこんできます。
これはきっと湿布だけの効果ではない・・・そう感じる私なのです。