何を間違えたのか、函館最後の記事はカテゴリーが「音楽」である。で、何の音楽かというと、もちろんGLAYではない。日本人の心の歌と言えば、北島三郎大先生である。私は演歌を全く聞かないのだが、まあ行ってみるかと思って行ったところ、その素晴らしさに大感激である。以下、にわかファンのいうことで恐縮だが、先生の素晴らしさを伝えたい。
ニシン漁が最盛期の頃、漁師をやっていたサブちゃん(愛称ですみません)の家は子供の頃は裕福だったらしい。写真館で正装して撮った写真が残っている。
また子供のころから正義感あふれる人で、海でおぼれた子供を学生服のまま飛び込んで助けたという逸話があるのだ。
しかしニシンが不漁になると共に、家は貧乏に。中学を出たら働くつもりだったサブちゃんだが、成績が大変良かったため、先生が親を説得して函館西高に進学させたらしい。汽車で通うと言っても、始発の5時の汽車しかなく、母はそれより早く起きてお弁当を2つ持たせたとか。父も漁師の命、漁船を売ってまで学校に通わせていたそうだ。
当然、両親は高校を出たら一緒に働いてくれる、と思っていたサブちゃんが、突然「東京で歌手になる」と言い出したからさあ大変。長男として一発当てて家族を楽にしてやろうと思ったのだろうか。父も最後には根負けして「お前が帰ってきても、お前に分ける土地も畑もないと思え」と東京に出ることを認めたとか。青函連絡船に乗るサブちゃんを、父は見送りに来たが、母はとても心配で見送りには来れなかったそうである。
ちなみにこの記念館を初めて訪れたサブちゃんは、感極まって記者たちの質問には全く答えることができず、「両親が生きていたら、一番最初に連れてきたかった」とつぶやいたとの話が残っている。
東京渋谷の3畳下宿に住むことになったサブちゃん。「流し」で稼ぐのだが、家賃を払うとほとんどお金が残らない。そんな時に下宿の娘さんが「うちで晩御飯作りすぎたから」と、いつも差し入れをしてくれたとか。当時、そんな裕福な家があるはずもなく、純朴なサブちゃんを心配してのことであろう。しかもその娘さんが、現在の奥様とか。実に良い話である。
ある時、バーの客が「君の歌は良いから、明日ここに来なさい」と話しかけてきた。散々そういう話にだまされてきたサブちゃんだが、奥様の「だまされてもともとだから」の言葉に、行ってみるとそれが恩師・船村徹との出会い。これ以降、サブちゃんのヒット人生が始まる。
デビュー3年で「函館の女」が大ヒットしたサブちゃんだが、やはり盛り上がる曲といえば「まつり」であろうか。北島三郎シアターゾーンで、いよいよそのフィナーレシーンを見る。
まずは舞台の左右にある巨大スクリーンにサブちゃん登場。
太鼓の「ドン、ド、ドッド、ドーン」のリズムも最高潮になった時に、舞台中央にロボットサブちゃんが登場。
サブちゃんのアップ。
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「これが日本の祭だよ~」とエンディングまで盛り上がり、歌が終わった後も、見ていた全員が「凄いねえ~」とつぶやいてしまう程であった。人柄も素晴らしいのだろうが、やっぱりこの歌とエンターテインメントとしての力量があってのことだと思う。
最後にグッズコーナーに行くと、名場面集のDVDで、5年間の「まつり」が全て見られる(ステージ構成が毎年違うのだ)ものがあり、つい買いそうになってしまった。ねぶたに乗ったり、巨大な鳥に乗って「まつり」を歌うサブちゃんが見られるのである。
大興奮のまま、函館駅に戻り、札幌に向けて帰宅。北島三郎記念館、1500円という入場料に迷っている人もいるかと思うが、ぜひ見学をお勧めして、今回の旅行記を終わりにしたい。