小樽に移動してオーセント→小樽美術館→小樽文学館→小樽市民ギャラリー→ヴェネツィア美術館と5か所。
■市立小樽美術館「中村善策コレクション名作選3「山のある風景」」。
「山の国」:近景から遠景までの全体的な風景を描く作者だが、これは中央に堂々たる緑の木があり、画の主題になっている。
■市立小樽美術館「詩人と美術 瀧口修造のシュルレアリスム展」。会期末ギリギリにやっと行けた。
マックス・エルンスト「バンジャマン・ぺレ詩画集」:シャープ線と細かいイメージで人物と動物のようなものを描いている。
マックス・エルンスト「風景」:ブルーの岩と空、茶色の木々、どこがどうなのか分からないが不思議な風景。しかし、この美術館の奥にあるガラスケースは展示物までの距離が遠すぎる。こういう時に単眼鏡が必要なのか。
サルバドール・ダリ「ダリの太陽」:顔のある太陽の前に小さな二人の女性が佇む。
ルネ・マグリット「博学な樹」:人を思わせる木の横に、いびつな扉が立てかけられている。箱のような壁には目があり、これこそシュルレアリスムと言われてイメージするような作品だ。
パウル・クレー「樹中の乙女」:細い線で歪んだ樹木と、その枝に沿って体を伸ばす裸体の女性。クレーってこんなのを描くのか、という作品。
マン・レイ「ヌード/ソラリゼーション」:こうして見ると、写真=リアリズムは一番シュルレアリスムに近いのかもしれない。
パブロ・ピカソ「Figure Noire(黒い人)」:余りピカソって好きではないのだが、こういう作品を見ると、センス感じるよね。
アンドレ・マッソン「砂漠のモニュメント」:椅子のような人の左胴から鳥というか悪魔というか不可思議な物体が生えている。足元にはなぜか三角錐。これもシュルレアリスムのイメージだ。
ハンス・ベルメール「マリオネット劇」:人のパーツのような形を滑らかな曲線で連ねたもの。これは線がいいね。
阿部展也「Night」:横倒しの花、謎の茶色いだ円、赤白縞の球、そして毛針。調和はとれているのだ。
福沢一郎「花」:ジャングルか異世界に咲く花のようだ。これを凡百の「花」と並べてみたいものだ。しかし、動物の造形理論とは全然違う「植物」というのも、まじまじと見るとシュルレアリスムになるのかもしれない。私は小川原脩のいくつかの作品を思い出した。
北脇昇「貝殻景観」:タイトルを見ないで画を見ると、唐傘お化けが2人しゃがんでいるところか、超高空から見た火山のように見えた。
中西夏之「コンパクト・オブジェ」:樹脂の中に埋め込まれた黒電話。もしかすると、何の機械だか分からない人がすでに多いのかも。
靉嘔「現代の恋人」:鉄骨の前の太い線で描かれた肉体。私は対極的な位置付けにいるはずのフェルナン・レジェを思い出した。
今回の私の発見は上にも書いたが、シュルレアリスムと写真、植物の近さだ。なお、この先の美術館の展示は7/6~9/16「風景の躍動感 没後30年 中村善策展」、10/19~1/26「北の水彩画人 白江正夫と宮川美樹展」をやるようだ。
■市立小樽文学館「詩人と美術 瀧口修造のシュルレアリスム展」。
「≪私の心臓は時を刻む≫より≪わたしにさわってはいけない≫」:霜のような洞窟のような美しい青のデカルコマニー作品。
言葉を持ったがゆえにシュルレアリスムは発展し、衰退もしたのだろうと勝手なことを思う。今後の文学館は7/13~9/1「北原白秋の小樽・サハリン旅行展」をやるらしい。
ここでコーヒー休憩。いつもありがとうございます。
■北一ヴェネツィア美術館「きらめく海の宝石 -ガラスの水族館-」。
アルフレード・バルビーニ「コウイカ」:金箔、銀箔を使い、イカの表面を忠実に表現した作品。
同「エビ」「シャコ」:ガラスの中に空気の泡でエビやシャコの形を浮かべたもの。
招待券を持っていたので行ってみたが、定価で行くにはちょいと厳しいかも。