今日はミヤシタ→三岸好太郎美術館→札幌市資料館→芸術の森美術館→道新→時計台→大同→富士フィルムフォトサロン→ギャラリーエッセ→三越→さいとう→ARTスペース201の12か所。
■ギャラリーミヤシタ「木村環鉛筆画展 私たちは何処へ行くのか」。またもや、本当に素晴らしい作品に出合った。まずギャラリーに入ると、左手に「私たちは何処へ行くのか」シリーズが5点ある。個々の作品に物語があり、一体何処へ行こうとしているのか、聞きたくなるばかりである。
それを見つつも、正面奥にある「ケモノの棲む島」という大作のことが気になってならない。言葉で説明すると、人間の顔を持つ奇妙な島に仔鹿が棲んでいる状態、ということになるのだが、実物を伝える言葉にはなっていないだろう。
とても大きなメッセージが作品から発せられており、簡単に消化することができない。「君たちは何処に行こうとしているのか」、いや、我が身を振り返って「私は何処に行こうとしているのか」と、考えさせられるばかりだ。画の右端では、突端に向けてレミングのように仔鹿が走り、先頭の1匹が宙返りをしつつ身を躍らせている。一体君は何処へ行ってしまうのだ…
■三岸好太郎美術館「わたしの三岸好太郎」。
今展覧会では一般観覧者のアンケートで三岸作品のベスト10を選び、順位を発表する企画がある。アンケートの際の言葉が作品の横に掲示されているのも興味深い。私はこの美術館に相当な回数来ているため、常設展では好きな作品以外、軽く流してみることが多い。しかし、他人の見方を知ると、新たな発見があるものだ。
ベスト10で意外だったのは「上海風景」。ごく何気ない風景画、しかし上海の強い日差しが感じられる作品である。私の好みからすると「陽子像」「面の男」「大通公園」「大通教会」辺りがランクインしても良いのになと思う。
多分、あまり見た記憶のない作品として「青木湖付近の風景」「読書婦人像」「裸婦」があった。「読書婦人像」はモダンなポスター原画というような雰囲気の作品だ。また、新発見の「貝殻」が特別展示されているのも必見だろう。ピンク色の海岸の砂と、青い空と海はまさに三岸作品である。
ところで、三岸好太郎美術館のスタンプラリーでスタンプが5個たまったので、「飛ぶ蝶」の切手を賞品としてもらった。前年は図録を選び、心残りになっていた品である。近代美術館との統合も噂される苦しい運営状況であるが、ぜひこれからも良い展覧会・企画をやってほしいものだ。
■芸術の森美術館「真冬の花畑」。
西村明美:真っ赤なバラの版画が白い展示室に映える。銅板の原版も展示されているのだた、これもただならぬ迫力がある。
白鳥信之:以前は人間の内面まで描くような、リアルな人物画を描いていた人。今回も人物作品は1点あるが、主に桜を描いた作品が展示されていた。遠目に見ると、独特の世界がある。
鳴海伸一:野の花の生命感を感じさせるような、リズムのいい版画である。
岡本和行:帯広美術館の「はな展」でも展示があった写真作品。花が生々しく、単なる花を超えて、人物像のようにも思えてくる。可憐な人もいれば、毒々しい人もいるのだ。
工藤悦子:遠目に見て華やか、近くによって背景の塗りや、花びら部分の細やかさを楽しむのもよい。
井桁雅臣:遠くから見た時、液体をわざとぼかして写真撮影したような雰囲気で、近づくと「こう描いているのか」という驚きのある作品。
杉田光江:タンポポの種子を柱上に配置したもの。干し草や蚊柱のようにも見える。とにかく上を見上げてしまう作品。
櫻井マチ子:暗い部屋で照明を当てられているせいもあるが、作品自体が光って見えるようだ。
工芸館の「あかりメッセージ2010さっぽろ」を素早く見る。入口すぐの八柳尚樹「風の柱」が印象的。バルンガやバキューモンのことを思い出す。
■時計台ギャラリー「鵜沼人士遺作展」。非常に端正な女性人物画を描く人というイメージで私の好みとしては…、と言う気がしていたのだが、スケール大の風景画「ミュールーズ眺望」等は新しい発見だ。また若いころの自画像と、絶筆の自画像が展示されていた。闘病中の自画像は実際の年齢以上に見え、大変な時期にあえて自分を描いたのだなと思う。
■ギャラリーエッセ「「春への序奏」展」。
古畑由理子「ひだまり」:あえて原色を大胆に使った、室内人物画。
塚崎聖子「空飛ぶ練習(広場)」:不思議な浮遊感のある作品だが、今回は上空から広場を見下ろす視点と、人物の描き方に違和感がある。