戻れない場所
「ただ乗りはあかんよ」と言うと、男は初めて笑った。
「大丈夫。日当十日分」
「嫌なら帰ってもいいよ」
男は所定のお金を払った。唇の薄い男だ。細いフレームの眼鏡をかけていた。
「女は知らん。機会がなかった」
私は応えなかった。男は卑屈な笑いを浮かべた。
「仕事をクビになった。金が尽きたらホームレスよ。他人ばっかりの都会で、僕はよう生きていかん。誰も知らん奴ばっかりや」
「シャワーを使う?」
「そうだね、蒸すね。梅雨入りしたのかなあ」
リュックサックにナイフが三本入っていた。剥き出しではなくきちんと包装されていた。
性器が触れ合うこともなく男は果てた。
「もう一度する?」
男はまた、卑屈な笑みを浮かべて、首を振った。煙草を勧めたが、「吸わない」と言った。「吸ったこともない」
「家には帰れんし、都会の迷路で野垂れ死に」
「誰でもそうよ。一歩先は」
「何で生きているんだろう俺たち」
「俺たちか…」
「ごめん。友達なんて一人もいない。みんなそうだよ。一人一人がバラバラ。不安だから群れているだけ」
煙草の煙を見上げながら男は言った。
「死んでしまえば」
私は言った。男は黙って私を見た。そして、私の煙草を取って吸った。激しく咽せた。
帰り際、「ありがとう」と、男は小さく言った。二度と会わないという約束を忘れた。男とは会うことはないだろ。どこかへ行ってしまう。二度と戻れない場所に。
「ただ乗りはあかんよ」と言うと、男は初めて笑った。
「大丈夫。日当十日分」
「嫌なら帰ってもいいよ」
男は所定のお金を払った。唇の薄い男だ。細いフレームの眼鏡をかけていた。
「女は知らん。機会がなかった」
私は応えなかった。男は卑屈な笑いを浮かべた。
「仕事をクビになった。金が尽きたらホームレスよ。他人ばっかりの都会で、僕はよう生きていかん。誰も知らん奴ばっかりや」
「シャワーを使う?」
「そうだね、蒸すね。梅雨入りしたのかなあ」
リュックサックにナイフが三本入っていた。剥き出しではなくきちんと包装されていた。
性器が触れ合うこともなく男は果てた。
「もう一度する?」
男はまた、卑屈な笑みを浮かべて、首を振った。煙草を勧めたが、「吸わない」と言った。「吸ったこともない」
「家には帰れんし、都会の迷路で野垂れ死に」
「誰でもそうよ。一歩先は」
「何で生きているんだろう俺たち」
「俺たちか…」
「ごめん。友達なんて一人もいない。みんなそうだよ。一人一人がバラバラ。不安だから群れているだけ」
煙草の煙を見上げながら男は言った。
「死んでしまえば」
私は言った。男は黙って私を見た。そして、私の煙草を取って吸った。激しく咽せた。
帰り際、「ありがとう」と、男は小さく言った。二度と会わないという約束を忘れた。男とは会うことはないだろ。どこかへ行ってしまう。二度と戻れない場所に。