創作日記&作品集

作品集は左のブックマークから入って下さい。日記には小説、俳句、映画、舞台、読書、など…。そして、枕草子。

眠っている間に 3

2008-08-12 16:17:45 | 創作日記
 戻れない場所

「ただ乗りはあかんよ」と言うと、男は初めて笑った。
「大丈夫。日当十日分」
「嫌なら帰ってもいいよ」
 男は所定のお金を払った。唇の薄い男だ。細いフレームの眼鏡をかけていた。
「女は知らん。機会がなかった」
 私は応えなかった。男は卑屈な笑いを浮かべた。
「仕事をクビになった。金が尽きたらホームレスよ。他人ばっかりの都会で、僕はよう生きていかん。誰も知らん奴ばっかりや」
「シャワーを使う?」
「そうだね、蒸すね。梅雨入りしたのかなあ」
 リュックサックにナイフが三本入っていた。剥き出しではなくきちんと包装されていた。
 性器が触れ合うこともなく男は果てた。
「もう一度する?」
 男はまた、卑屈な笑みを浮かべて、首を振った。煙草を勧めたが、「吸わない」と言った。「吸ったこともない」
「家には帰れんし、都会の迷路で野垂れ死に」
「誰でもそうよ。一歩先は」
「何で生きているんだろう俺たち」
「俺たちか…」
「ごめん。友達なんて一人もいない。みんなそうだよ。一人一人がバラバラ。不安だから群れているだけ」
 煙草の煙を見上げながら男は言った。
「死んでしまえば」
 私は言った。男は黙って私を見た。そして、私の煙草を取って吸った。激しく咽せた。
 帰り際、「ありがとう」と、男は小さく言った。二度と会わないという約束を忘れた。男とは会うことはないだろ。どこかへ行ってしまう。二度と戻れない場所に。

言魂(第四信 いまわのきわの祈り)  石牟礼道子・多田富雄著

2008-08-12 10:59:47 | 読書
ところかまわず投棄される産業廃棄物。水俣はなおも増殖し続ける。チッソに時効はない。戦争、原爆と人を殺し続ける。それは誰の罪か。素知らぬ顔で投棄する人の罪。利益だけを優先して、毒を垂れ流す企業の罪。戦争を起こす政治の罪。苦海に暮らす人々は、浄土に生きる。半分殺されても生きる。
「さあ、踊って見せようぞ、婆が見本ぞ」と、踊り出す。
舞え舞えかたつぶり
舞わぬものならば 
ほれ、馬の子や牛の子に 
くわえさしょ 
ふませもしょ 
ほれ