「一石仙人」に関する返信が素晴らしい。作家の想像力は凄いの一語だ。言魂のやりとりは、「何とぞまだ死なないで下さいませ」で閉じられる。だが、この言魂は第一信に帰る。終わることのない魂の交換として。
「能の見える風景」・多田富雄著が届いた。写真も素晴らしい。ゆっくりと読もう。京都東寺への旅は苦難の旅だったと同時に歓喜の旅だった。塔を背景に、多田先生作の奉納野外能「一石仙人」が演じられる。圧倒される文章は、今、目の前で「一石仙人」が演じられているようだ。苦の先に辿り着いた歓喜。以下引用する。「袖を巻き上げた一石仙人が金堂の扉に吸い込まれた瞬間、金堂内陣に灯りが煌々と点き、立体曼荼羅を照らした出しました。宇宙の中心たる大日如来の姿が、劇的に浮かび上がったのです」。
苦海浄土を少しずつ読み始めている。私にとって二種類の本がある。読み進めるに従って、先細りになって行く本と、読み進めるに従って、広がって行く本である。「言魂」は後者である。分からないから繰り返し読む。「花」とは何だろう。美的願望、芸術的本能、自己哀憐。舞台の花。