創作日記&作品集

作品集は左のブックマークから入って下さい。日記には小説、俳句、映画、舞台、読書、など…。そして、枕草子。

1Q84BOOK1

2010-05-12 08:48:04 | 読書
1Q84BOOK1を読み返していますと、とても奇妙なことに気づきました。青豆がもといた1984年と、天吾いる1984年は異なっています。青豆がもといた1984年には「あけぼの」と呼ばれるグループによる本栖湖の事件はなかった。天吾がいる1984年はあけぼのという過激派も本栖湖の事件もあった。これをどう解釈したらいいのでしょう。

人間の建設7 岡潔・小林秀雄対談

2010-05-12 08:41:52 | 読書
○「一(いち)」という観念
私にはこの章が一番おもしろかった。まず観念という言葉である。近頃お気に入りバーに追加したコトバンクで調べてみました。3の解釈が近いと思います。
3 哲学で、人間が意識の対象についてもつ、主観的な像。表象。心理学的には、具体的なものがなくても、それについて心に残る印象。
 岡 「一」を仮定して、「一」というものを定義しない。「一」は何であるかという問題は取り扱わない。あるかないのか、わからない。
小林 子供が一というのを知るのはいつとかと書いておられましたね。
岡 自然数の一を知るのは大体一八ヵ月と言ってよいと思います。それまで無意味に笑っていたのが、それを境にしてニコニコ笑うようになる。
岡 私がいま立ち上がりますね。そうすると全身四百幾らかの筋肉がとっさに統一的に働くのです。そういうのが一というものです。一つのまとまった全体という意味になりますね。だから一の中でやっているのかと言われる意味は意味はよくわかります。一の中に全体があると見ています。

これはいままで気づかなかった観念です。少し自分というものがわかった気がします。気づかずに一のなかでなにごともやっている。

岡 そして時間というものがわかりそうになるのが大体生後三十二ヵ月すぎてからあとです。そうすると、赤ん坊にはまだ時間というものはない。だから、そうして抱かれている有様は、自他の別はなく、時間というものがないから、これが本当ののどかというものだ。それを仏教で言いますと、涅槃というものになるのですね。
岡 のどかというものは、これが平和の内容だと思います。自他の別なく、時間の観念がない状態でしょう。それが何かというと情緒なのです。

私には二歳半の孫がいますが、彼はまだ時間の概念がないようです。明日と言っても分からない。一回寝たらね。というと分かります。私には驚きだったのですが、妻はとっくに知っていました。